Berkeley

2009

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→2008

バークリー再発見 1

2009年03月12日05:43

昨日もまた、「JPRN」というNPOのツアーに参加してきました。

何より楽しみだったのは、ぼくが住むバークリーを、NPOや社会活動史の観点から案内してもらえるということだったのですが、予想を上回って収穫大でした。

普段何気なしに素通りしている街角に、驚くほど貴重な歴史的エピソードが隠れていました。

全体の詳細は、帰国して何かの形でご報告できればと思いますが、結論から言えば、世界の中でもアメリカがもっとも進んでいるといわれるNPO活動の根っこ、NPOを支えるものは何であるか、ということが本当によくわかりました。

逆に言ってしまえば、これまで日本に伝えられてきたアメリカの先進的NPOの実態などは、きわめて表層的であったということです。

バークリーは、世界で進んでいると言われるカリフォルニア州の中でも、さらにもっとも先進的な地域です。「先進的」というのは、ここが全米の中で ももっとも早くから、障害者運動、弱者支援運動、人権運動、街づくり運動などの最先端の試みを実践してきた土地だということです。そしてここから、現在私 たちが当たり前だと思って享受しているさまざまな新しい「文明」が生まれました。

たとえば、横断歩道の段差をなくすこと。「curb cut」といいますが、この最初の試みもバークリーでした。写真の左を見てください。ここがその発祥地点です。この埋め込まれたパネルには、「In Commemoration of the First Public Curb Ramp and in Recognition of Those Who have Fought for Equel Access in Every Community … 1972-1977」(はじめての公的な沿道スロープの実現を記念し、またすべてのコミュニティへの平等なアクセスのために闘った人々に敬意を表して。 1972年‐1977年)と書かれています。

すでに1970年代の初めからこの試みはあったわけです。しかしさらに重要な事は、パネルにも「Fought for…」と書かれているように、この試みが、最初は一般の人々がハンマーで路上の段差をたたき壊す運動から始まったということです。時代背景もあって、 かなり過激に感じますが、「権利が侵害されているのを回復するためには断固闘う」という強固な文化があって初めて、この試みが実現したという点が重要だと 思います。何しろはじめての試みには、そのための公的支援があらかじめ何も整備されていないわけですから。

次に公衆電話。写真の真ん中を見てください。ぼくも気が付きませんでしたが、バークリーの駅の中にある電話にはこういうマークがついているものがあります。

これは、聾唖者でも使用できる電話です。なんと、なんと、電話をかけると、キーボードが飛び出してきます(写真右)。法律ですべての電話会社には そのための交換手の配置が義務づけられており、その交換手の力も借りて、キーボードと文字板で電話がかけられます。しかも、この試みも、1970年代から だというのは驚きです。

パソコンと携帯メールがあるからいいじゃん、と思う人もいるかもしれませんが、携帯やパソコンが持てない人でも、公的サービスに格差があることは許されないわけです。これを先進的と言わず、何と言うのでしょう。

(続く。)





バークリー再発見 2

2009年03月12日13:51

このように、バークリーではあらゆる分野で「バリアフリー」が進んでいるわけですが、ガイドしてくださったNさんによると、ここのバリアフリーは1988 年には完全に達成されていたそうです。気がつけば、バークリーのほぼすべてのお店は、入口が広く、段差がありません。これは法律で決まっているとのことで す。

さらに、「障害者差別禁止法(ADA)」が1990年に完成し、雇用や社会的サービスのアクセスにおいて、一切の差別が認められなくなりました。 カリフォルニア州ではさらに先進的に「障害」の概念が拡大されており、糖尿病患者、妊婦、アル中の治療者などに対しても雇用差別してはならないことになっ ています。その概念で行くと、アメリカ人の5人に1人は「障害者」ということになるそうです。

そしてこれらの制度や法律が実現した背景にも、やはり「Independent Living Movement」、つまり障害者の自立生活のための長きにわたる「運動」があったのだということです。この分野でもっとも有名な「Center for Independent Living(CIL)」というNPOが先導しました。彼らの掲げる「自立」の概念は、「何かに頼らず生きていく」ことではなく、「障害者がどれだけ多く の選択肢をもつことができるのか」ということに重きが置かれます(写真左は、CILバークリー事務所)。CILの運動は世界中に広がっていて、日本にもそ のブランチがあるようです。

さて、次に訪れたのは、先の日記で書いたミッション地区同様、荒廃した街をアートによって立て直した「アディソン(Addison)通り」の事例 でした。この地域は1990年代にはホームレスや精神病患者が路上にあふれる状態だったらしいのですが、地元の人々のボランティアや自然発生的に出来上 がった「Downtown Berkeley Association」というNPOの働きによって、とても魅力的な通りに生まれ変わったということです。またバークリーは、市レベルでは初めての「精 神衛生局」(無料でカウンセリングなどを行う施設)の設立を実現しました。

成功のポイントは以下の三つです。

●パブリック・アートという切り口。ベイエリアに住む多くのアーティストたちの力を動員したこと。

●古いものを活かす。古い建物などを、壊すのではなく、よりコストがかかっても耐震構造の強化などによって残すことに努めたこと。

●地元のボランティアの力。地域を愛する力。

写真の真ん中は、100年単位の古い建物を本屋さんにしたものです。よく見ると、その前で電動車イスで移動している人も見えます。また右の写真 は、立体駐車場の大きな壁の側面をちょっとだけ細工してストリート・ギャラリーにしたものです。このギャラリーには地元の子どもたちのアート作品や、 NPO活動の紹介などが定期的に入れ替わり展示されます。これだけで、殺風景な通りの雰囲気がガラリと変わってしまいます。

通りのテナントは、無農薬ジュースを売る店など、環境ビジネスに優先的に貸与したといいます。また道に埋め込まれた無数のアート作品(「アートし よう!」ということばが世界中のことばで埋め込まれていたり、バークリーで起こった数々の歴史的な出来事が記録されていたり)が、通りをさらに底抜けに明 るくしていました。さらには、NPOによって設立された演劇シアター(Berkeley Repertry Theatre : http://www.berkeleyrep.org/)や、その「教育部門」(NEVO Education Center)のきれいな建物までもありました。UCバークレーの学生も、今ではこの民間の施設で学び、活動することも単位として認められているようです。

アメリカは、行政が何もやらない。何もやらないから、住民や市民は自分たちの力でなんとかしなければならない。自分たちでお金を集めて、体を動か して、自分たちの権利や他者の人権を守る。権力がほったらかしだからこそ、市民は自分たちを守るための粘り強い権力闘争の精神とスキルを身につけることが できる。その社会運動の文化と蓄積こそが、アメリカの輝かしいNPO実績の背景にあるのです。日本では1995年の阪神淡路大震災の際、人々の体が自然に 動き出し、自然発生的な相互扶助の活動が無数に生まれ、その年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになりましたが、そのことを思い出します。

1990年代以降、NPOの「ファンド・レージング」だとか、「マネジメント」のことだけがとかく注目されて日本に伝わり、称揚されました。従来 の社会運動は古臭いものとして、その代りに出て来たのがNPOという新用語だったと思います。しかしそれは日本がこれまでずっとそうしてきたように、外来 のものをただ表面だけまねようとしただけだったのではないでしょうか。今でも流行しているそのような現象について、JPRNのNさんも、その長い活動経験 から「今、NPOを語る人々は大切な事を見失っているのではないか、その根っこや原点に帰るべきだ」とおっしゃっていました。

(さらに続く。)





バークリー再発見 3

2009年03月12日13:51

次に訪れたのは大学。とくに新しい発見は、大学の学食です(写真左)。ここはUCバークリーの自慢の学食で、すべてが有機栽培の食材です。少し高いのです が、バイキング形式で9ドルで食べ放題です。デザートやコーヒーも本当にたくさんの種類を楽しめます。しかも、生ゴミや紙などはずべて堆肥 (compost)にするために、厳格に仕分けて捨てられます。ゴミがなるべく出ないような工夫が凝らされていました。このように大学も、大きなNPOの 一つと考えることもできるかもしれません。

そして次の訪問場所は「ピープルズ・パーク」。ここは本来はUCバークリーの土地なのですが、「闘争」の歴史的経緯から、「人民」のものとして、今でも地域住民が管理運営しています(写真、真ん中)。

ここでほぼ毎日、午後2時から3時ごろに「炊き出し」が行われます。そしてその時間になると、ホームレスやバックパッカー、あるいはそれ以外のお なかがすいた人々が並びます。写真の奥をよく見てみると、すでに何人かの人が並んでいます。食事を提供しているのは、「Food Not Bomb」というNPOです。1980年代に反核運動を契機にボストンで誕生した運動で、バークリーでは1991年から活動しているそうです。

驚くのは、彼らの食事の食材は、すべてオーガニックであるということです。つまり、最高の食材で作られています。彼らの目標は、「公正な社会・菜 食主義・非暴力主義」、つまり「すべての暴力をなくすこと」にあります(それで、「爆弾ではなく食料を」という名称の意味がわかります)。だから、単なる 「チャリティ」ではなく、彼らにはさらに高い志があります。彼らが食材の提供を受けるのは、有機野菜のお店やファーマーズ・マーケットなど、この志に賛同 する主体だけです。行政のお金も、企業のお金も、ただの思いつきの「ボランティア」も彼らは必要としません。

ここにも、バークリーNPOの颯爽とした気骨を確認しました。

次に、「性的マイノリティ」(彼らはそう呼びません。LGBTといいます。これは近々日本でも定着するでしょう。)を支援するNPO、 「Pacific Center」を訪れました(写真右)。これはカウンセリングなどを通じて、少数者のエンパワーメントをする活動を展開しています。先ほどの「障害者」と いう概念同様、性差別や「性的マイノリティ」という概念そのものを克服する時代がくることを予感できました。

他にも、ブラックパンサー運動の意味を今でも語り継ぐCDショップや、全米最大のオーガニックショップで、全利益の5%以上をNPOに寄付する チェーン店「Whole Food Market」、地元の熟議空間を創出する地元紙「The Berkeley Daily Planet」の事務所、以前紹介した「La Pana」、弱者のための法律相談をするNPO「East Bay Community Law Center」、ホームレスのための「Homeless Action Center」、それからなんとアナキズムや反グローバル化運動などの政治活動を支援するための「Long Haul Info Shop」などを駆け足で回りました。

――バークリーを語ることなくして、市民活動を語るなかれ。――
――都市の厚みをつくることができるのは、唯一その歴史だけである。――

最後に浮かんだことばです。

相当疲れましたが、本当に、本当に、充実した一日だったのでした…。

(一応、終わり。詳細は、帰国後。)