Berkeley

2009

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講義「戦後日本」

2009年06月26日06:34

サマ-・コース「戦後日本」もいよいよフィナーレを迎えつつあります。今日もエキサイティングな講義でした。

今日は、戦後の大衆社会の問題を扱い、時間の関係で予定されていた寅さん映画の代わりに、ドキュメンタリー映画、「高校野球(High School Baseball)」(ケネス・エング監督 2006年)を観ました。智辨和歌山高校と天王寺高校という二高校の野球部が予選敗退するまでの状況を描いた 作品です。

しかし、その前に、この作品を理解するためのひとつの枠組みが提示されました。戦後、既存の主だった宗教団体が、戦争のトラウマを乗り越えられ ず、大衆に真に浸透できなかったこと、そしてそれはどうしてなのかという理由、またそれに代わって多くの新興宗教が現れた経緯や、さらにはその共通した特 徴などについて、簡潔かつ見事な説明がなされました。そしてその後に、戦後日本の大衆社会という文脈から「高校野球」を観たのです。

新興宗教と寅さんと高校野球…。
この三つをつなげて考えた事は、これまでありませんでした。
しかも、学生には、前に紹介した「家族ゲーム」との比較でこれを観るように、との課題です。これはきわめて高度な抽象能力や分析力を要求する、20代そこそこの学生にはとても難しい課題だと感じました。

しかし日本人のおじさんである私にとっては、そのどれもが、まさに「私自身」の歴史なのです。「家族ゲーム」で社会に背を向けていた主人公の気持ちを痛いほどに共有していた一方で、頭を丸坊主にして部活動に明け暮れる日々は、まさに自分の高校時代でした。

私にとって衝撃的だったのは、進学校に進学したにもかかわらず、授業はクソ面白くもなく、部長として中間管理職のようにがんばったクソ厳しい部活 も、実は心底嫌悪しており、そういう中途半端で悶々としていた高校時代が、今、ここアメリカの教室でメッタ切りに分析されているということ、そしてそこに 自分が立ち会っているという事実なのです。

なぜ自分の高校時代は救いようのないぐらい息苦しかったのか。なぜある教員の国語の試験は、答案に「主体性」と書くだけで赤点を免れたのか。自分 はなぜ、大学受験の通過点でしかない高校の腐った授業をあれほど嫌悪したのか。自分はなぜ、日本陸軍のような腐った部活を嫌々3年間も続けたのか。

そういう今の自分を形作っている当時の混沌とした感情が、戦後日本の歴史の中で整然と位置づけられるという、本当に不思議な不思議な経験なのです。

当時の高校に出かけて行って、当時の自分に教えてやりたい。「君の悩みや違和感は正当だ。受験にも部活にも価値を見いだせない君こそ正しいんだ」、そう言ってやりたいとも思います。

まさに「宗教」運動(救いの問題)として戦後の日本を考えるという、ウェーバー→パーソンズ→ベラー流の歴史観が脈々と息づく講義に、毎回しびれて興奮している日本人のひとりのおじさんがいます。





マイケル・ジャクソンの死

2009年06月26日14:43

今日の夕方、例の如く映画を観にアパートをでたところ、止まった車の中から大音量でマイケル・ジャクソンの音楽をかけている若者がいて、「今時めずらしい な」と思って通り過ぎようとすると、その通りの向こう側で、「マイケルは死んだ!!」と叫ぶ大きな身体のアフリカ系の若者がいて、「これは、この車の若者 の趣味に言いがかりをつけているのかな」と思い、けんかが起きないようにと見届けてから、テレグラフ通りに出てみると、またしても、有名な中古CD店から マイケル・ジャクソンの音楽が…。

その時、「これはもしや」と思いました。

案の定、家に帰ってみると、死去のニュース。

バークリーの街かどが泣いていて、彼の死に気がついたわけです。
死んで、街かどが泣く、というのはすごいことだと思います。

別に大ファンだったわけではありませんが、ぼくの中にも何かが終わったような寂しい気持ちがわきあがってきて、それにも驚きました。

痛々しい整形手術の果てに死んでいった彼の姿に、自分自身の姿を投影した人は少なくないと思います。みんなどこかに「マイケル・ジャクソン」を抱 えている、とも思います。小さい頃の彼の映像を見ると、大衆の希望や欲望がつくりあげ、そしてその病をも一身に身にまとって死んでいった一人の人間の悲劇 を思います。

ぼくが彼の曲で一番好きなのは、「Black and White」でもなく「Thriller」でもなく、何だか彼の「素」の声がきこえてくる「Heal the World」です。彼が作詞作曲したその曲を聴いていると、彼のまさに「Heal」を求める孤独な気持ちが伝わってきて、こみあげてくるものがあります。

マイケル・ジャクソンの訃報がちょうどぶつかり、連載記事の掲載日が延期になるというメールを受け、おかしなことに、それもなぜか名誉なことであるような気がしました。





映画「忍者武芸帳」と「帰ってきたヨッパライ」を観る

2009年06月26日16:58

今日の映画は、大島映画60年代半ばの作品2作です。

「忍者武芸帳」(1967年)は、白土三平のあの漫画をそのまま映画にしたものです。これを映画と呼べるかどうかは別として、これも大島監督の扱 うべくして扱ったテーマでしょう。「影丸は誰だ」という冒頭の歌の歌詞がいいですね。歴史をつくるのは、名もない民衆の連綿とした命のつながりであるとい う、あの白土三平の共産主義的(?)な思想が今では新鮮な印象を与えます。セリフは日本語、状況説明は英語だったので、ぼくは他のアメリカ人よりも2倍楽 しめました。

「帰ってきたヨッパライ」(1968年)は、ベトナム戦争を背景に、韓国・朝鮮問題と日本との関係を扱った映画ですが、「新宿泥棒日記」 (1969年)と同じ系列というか、奇をてらい過ぎていていただけませんでした。この60年代半ば以降は、大島監督は行き詰っていたのでしょうか。それと も、時代が行き詰っていたのでしょうか。香川弁で「よう好かん」という感じです。でも、フォーククルセイダーズの「イムジン河」の唄は美しく、また、「オ ラハシンジマッタダ~♪」の歌も久しぶりに思い出しました。

神話の神さまの名前がつけられた好景気の中で、問題や抵抗のありかが国境を越えた世界にも拡大してゆく時代でした。ぼくが生まれたのも、すでにこの曖昧模糊としたオブラートに包まれた後の日本でした。日本全体が酔っ払っていたのかもしれません。