Berkeley

2009

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→2008

宮崎駿さんがやってきた

2009年07月27日03:13

昨日は、私が所属する日本研究所の招きで、アニメーターの宮崎駿さんが来て、お話をしてくださいました(写真)。

大学内のゼラーバック・ホールは超満員。チケットもすぐに完売でした。彼のアニメ作品の影響力を改めて感じました。

「影響力」といえば、インタビュアーが「あなたの作品は日本政府の代わりに世界に日本を紹介する<ソフト・パワー>になっていますよね」と話を 振った際に、のけぞって、「そんな事を云う政府はもうすぐ変わりますから!」と語ったことには驚きました。いたずら少年が、そのまま大きくなって「アニメ 職人」になったというのが宮崎さんなんだな、というのが昨日一番気がついたことです(その時、ぼくと同じ列の席に座っていた日本総領事のNさんの顔は ちょっとこわばっていました…)。

たくさんの興味深い話がありましたが、個人的には、冒頭の彼の「文明」論が印象に残っています。「文明は、病をかかえる。必ず弱者をつくりだす。 それは文明の本質なのか、あるいはその末期症状なのか、今もその事を考えています。」という彼のことばは、ぼくにとっても重いものでした。

ディズニーのアニメをおもむろに批判したり(「彼らが描く動物の目は、自然の奥深さを失っている…」)、東京湾の水位が上昇して東京が水没することを夢見たり、そしてそんな事を言うたびに、自分でいたずらっぽく笑ってしまうおじいさん。とても魅力的でした。

最後に、自分の作品の目標について語ったのですが、「ぼくは「ぼくの作品」と言わずに「ぼくらの作品」という方が好きなんです」「20代の頃に いっしょにアニメをつくっていた労働組合の仲間たちと熱く議論して、そのころ夢見た作品を今でもつくろうとしています」という発言には胸が熱くなりまし た。

彼はカタカナの「プロデューサー」というよりも、今までも、これからも、職人の「親方」だということなんです。「スタジオ・ジブリ」は、これからもコンピューターを取り入れず、シコシコと鉛筆を使い続ける職人たちの集団であり続けるということでした。

その年季を感じさせる職人気質のたたずまいは、そうです、それはまさに「紅の豚」のポルコ・ロッソ! その人でした。