Berkeley

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虫の生活

2008年09月19日04:20

ぼくの今の身分は、「客員研究員(visiting scholar)」です。

昨日、ぼくが所属する東アジア研究センターの歓迎パーティーがありました。そこで何人かの同じ客員研究員の日本人と話す機会があり、気がついたことがあります。

もちろん、さまざまな専門分野から来ているので、学問スタイルも違うのですが、一番異なるのが、生活のありようです。本当に多様です。

ここに来てから、アメリカの生活立ち上げの苦労話などのサイトや日記を読んだりするのですが、今更ながら当たり前のことに気がつくわけです。同じ「アメリカ留学」、「アメリカ在外研究」と言っても、人の数ほどまったく異なる「アメリカ」とまったく異なる生活がある。

まず金があるか。家族は来るか。車はあるか。どこに住むか。社交的かそうでないか。どういうつもりでアメリカに来たか。だれと会ったか。いつ来たか。…などなど、そういうファクターの違いによって、実際の経験がぜんぜん異なってくるわけです。

ぼくのように、金も家族も車もない、ないないづくしの貧乏研究員は、大学の近くに学生と争って家を探し、移動も徒歩や公共機関で、まるでバークリーの「虫」のように生活します。ともかく、車がないので、生きる範囲が街のブロックごとで狭いわけです。実はまだサンフランシスコにも行っていませんし、評判のいいレストランなどで食事をしたこともありません。もちろん、身軽なので、基本的に家や車のことでそれほど煩わされたりはせず、研究に没頭できるわけで、一長一短があります。

だから、ぼくの「客員研究員」の生活経験談は、まったく「一般的」ではありえません。実は普通の研究員の生活は、きっともっと優雅なものなのだと思います。

今日も部屋にこもって、一日中やり残した翻訳の仕事に没頭します。地味な毎日ですが、自由な時間の中で勉強しまくる。それがやりたかったことなので、心から感謝の気持ちがわいてきます。