Berkeley

2008

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グリーンフェスティバル

2008年11月16日12:38

今日は、世界的にも有名な「グリーンフェスティバル」@サンフランシスコに行ってきました
http://www.greenfestivals.org/を参照)。

これは、「グローバル・エクスチェンジ」と、「アメリカco-op」の二つのNPOによるジョイントプロジェクトです(グローバル・エクスチェンジのサイトは、http://www.globalexchange.org/、アメリカco-opは、http://www.coopamerica.org/。)

来年は3月にシアトル、5月にデンバーで開かれます。写真はどれも、会場の様子です。左が会場入り口。真中が立ち並ぶブースの様子。右が食事をし たり音楽を楽しんだりする場所です。本当にたくさんの人と、数え切れないほどのブースがありました。プログラムに載っている名前を数えてみると、出展者は ざっと400以上はあります。

まず学んだことは、一口に「グリーン」といっても、本当に幅が広い。教育、食品、家、衣料、旅行、エネルギー、投資、コンピューター、メディアな ども含む、「グリーン・ビジネス」と呼ばれる分野が確立していて、「持続可能な企業(sustainable companies)」という概念もあります。市場経済と真っ向勝負というよりも、それを根本から「転換」させてしまおうという、したたかな戦略を感じま した。

若いボランティアスタッフに支えられ、子どもたちや家族連れも多く、本当に「フェスタ(祝祭)」といった雰囲気で、これは規模はまったく違います が、私もかかわっている新潟の平和活動のひとつ、「ピース・フェスタ(NPF)」にも、とても参考になると思い、このほかにもいろいろ写真を撮ったり、メ モをしたりしてきました。

カリフォルニアは、住民投票や社会運動が、先端で面白い。

改めてそう思い、また滞在中の課題が増えた気がします。

 





今村昌平「復讐するは我にあり」を観る

2008年11月16日14:47

今週はたくさんのイベントがありすぎて、書くのを忘れました。

14日の夜、緒方さんのイベントの後に、やはり映画を観ました。
今村昌平監督の「復讐するは我にあり」(1979年)です。

映画は79年ですが、舞台は、1963年です。

実は、西口彰事件という実際の連続殺人事件を題材にした佐木隆三の同名小説の映画版です。後でわかって驚いたのは、映画の殺人シーンは、実際の殺人現場が使われたということです。

どうりで、ものすごいリアリティです。犯人役の緒方拳の演技のすさまじさや、他の脇を固める女優や俳優たちの力もさることながら、場のもつオーラがあるせいで、映画が表現できる限度を超えた迫力がありました。

60年代までの日本の構造的な問題、地方と中央の格差(犯人は五島列島出身)や、理想主義が病理へと転化する構造(犯人は厳格なクリスチャンを父にもつ)が、ひとりの常軌を逸した犯罪者の行動に託されて表現されていると感じました。とにかくやはり名作です。

倍賞美津子が犯人の正妻役なのですが、彼女が犯人の父である三国連太郎と愛し合ってしまうというのが、サイドストーリーとしてあります。そして最後のほうのシーンで、彼女の「お父さんはズルい…。」「ズルいから好き。」というセリフがあって、それが頭にガツンときました。

実は犯人は実に純粋で、純粋であるがゆえに自らの「ことば」のほとんどを詐欺のためにつかい、愛人とその母までも、愛するがゆえに?手にかけてしまします。ぼくにはそう解釈できました。

それを憎む二人(正妻と父親)は、最後に死刑になった犯人の骨を山でぶちまける。

戦後日本とは、大きなウソや矛盾という大前提の中で、人々が、「ズルい」選択をして幸せをつかみ、生き残ってきた時代だったのではないか。そう思 いました。「ズルい」ことはいけないことなのか。無垢な理想主義は、必ず、テロや人殺しにつながってゆく。そういえば、60年代後半以降は、左翼運動内の 殺し合い、すなわち「内ゲバ」が多発するようになった時代でした。

実際の犯人も、弁護士や大学教授になりすまして詐欺を働いていたようです。正義や理想の象徴として、当時こういった職業へのイメージがあったことは予想できます。日本の戦後は理想の敗北の歴史、という仮説がまた裏づけられるような気もします。

日本映画を、時代ごとに縦に観るという経験は、いろいろなことを気づかせてくれます。