Berkeley

2008

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市川崑「おとうと」を観て

2008年11月29日18:14

今日の映画は、市川崑監督の「おとうと」(1960年)でした。

制作は1960年ですが、舞台は大正末期です。幸田露伴の娘である幸田文の自伝的小説が原作です。

今日も結論から。この前観た同じ市川監督の「満員電車」と比べると、何というか、「社会」がいまひとつ浮かび上がってこないというのが不満といえば不満でした。その映画がなぜ撮られたのか、という監督の視点が拡散しているようで、観る者を苛立たせます。

若き岸恵子は輝いているし、映像もひとつひとつ丁寧で美しいのですが、それだけといえばそれだけという感想をもちました。「満員電車」の時もそうですが、冒頭の雨と無数の傘(群衆)のシーンは、監督の得意技なのか、印象に残ります。

小説だけにかまける過保護な父(露伴=森雅之)と、リューマチで信仰にすがるだけの卑屈な後妻(田中絹代)という、ほぼ破綻した家族の中で、ひた すらグレる弟(川口浩)。その心の底を一番理解する姉(文=岸恵子)は、縁談を断りながらも、彼のことを一心不乱に心配し、世話をやき続ける。それだけで も少々気持ちの悪い設定なのですが、加えて、弟が不治の病になるのをきっかけに、家族のそれぞれが多少の「人間」をとりもどすという、これまた何とも陳腐 な設定。原作が悪いのかな。読んでないけど。

家庭がもちえる、徹底的かつ構造的な暴力を描きたかったのか…。あるいは日本の因習の中で生きる女たちの不幸を描きたかったのか…。

田中絹代と岸恵子が出てくる最後のシーンを観ると、そういうメッセージも透けて見えないこともありません。大正デモクラシーの中で、女学校に通 う、強い自己をもった女性にハマリ役の岸恵子が、逆に家事や男の世話に追われるという姿にギャップがあって、それがこの作品の背骨ではないのかとも思われ ます。映画の最初のほうで、「若い女」であるがゆえに、万引きに間違えられたり、いやらしい刑事にまとわりつかれたりするのも、その文脈で理解できます。

その意味では、この作品は、戦後日本の映画の中で、ジェンダーの問題にいち早く光を当てたものであると理解することもできそうです。