Berkeley

2008

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おどろくべき会合

2008年10月31日07:21

昨日、私にとって、こちらに来て以来、もっとも衝撃的な体験をしました。

大学のチラシで見た「かつてのテロリストが語る――われわれはなぜあなたたちを殺したいのか」という企画が面白そうだったので、でかけたのですが、そこで私が見た光景は、忘れることができません。

まず、開始15分前には行ったのですが、会館のまえには、約300mぐらいの列ができていました。ほとんどが若い学部学生のようだったので、「何 か履修届か何かの列かな」と思い、並んでいる学生に聞くと、「ああ、これは以前テロリストだった人の話の列です」との答え。夜の7時に、授業が終わった後 に、こんな若い人たちがこんなシビアな企画に千人以上も集まるとは。

きけば、この企画は、学生の文化団体による自主的なものだそうです。学生がかつてのテロリストを連れてくるという試み自体もすごいのですが、その企画に、どう見てもいまどきの若者が殺到するということが衝撃でした。

参加無料なのですが、会場のキャパを超えて人が集まったので(会場も千人近くは収容可能だと思います)、整理券が発行されました。ぼくはとうてい 入れない気がしたのですが、またもや「職権を乱用」し、身分証を見せ、担当の学生からチケットを獲得しました。ここの学生はみんな生意気に見えるのです が、先生や年長者には本当に敬意を示します。独立した対等の人格としてフレンドリーに語りかけてくる学生たちは、しかし決して無礼ではなく、心から学問や 知識、経験に対して尊敬の念をもっているという印象を受けます。こんなに心地のいい人間関係は、一度体験しなければわかりません。

それにしても、恥ずかしいのは、その「職権を乱用」して是が非でもチケットを獲得しようとする、そのあさましさです。担当の学生は、「先生は会場の外に追い出すことはできない」という判断で、先に入れてくれたわけです。

さて、「学生による」荷物チェックのあと、会場に入り、ようやく会合が始まりました。冒頭、司会者の学生は、かつての大学の「フリースピーチ運 動」やカリフォルニア州の憲法にも言及し、「ここはあらゆる意見を言う権利が保障されている」そして、「いかなる他者の意見もまた尊重されなければならな い」と高らかに宣言しました。

二人の元「テロリスト」は写真(左)のように、まじめな感じのしかも雄弁なスピーカーでした。基本的な世界観や知識は、子どものころ台所でお母さ んから学んだこと、「テロリスト」の中枢は、高い教育を受けた若い人々で構成されていること、その多くがイギリスでリクルートされていること、あるは、イ スラムには穏健派と原理主義的過激派があって、ほとんどのムスリムは前者でテロとは何の関係もなく、むしろそれに反対しているのだということ、そして「テ ロ」が、実は占領や格差の問題ではなく、一貫して心理や教育の問題であることなどが、アラビア語を交えて話されました。「私はもう誰も殺さない」と語って いたのが少し恐かったです。

さて、話が終わってすぐその後、二つある座席通路には質問のためのマイクが用意されていたのですが、あっという間に、各マイクに数十人の学生たち が殺到しました(写真右)。司会の学生が、「質問が多いので一人質問は30秒です!」と仕切るのですが、思いあまって多くの学生が、たとえ会場から強い ブーイングを受けても、熱い言葉を発し続けるのでした。見た目から敬虔なユダヤ教徒の学生によるホロコーストに関する主張、あるいは、スピーカーの「転 向」の欺瞞性を告発しようとする学生、騒然となる会場を「こんばんわ紳士のみなさん」という一言で鎮め、自分のアカデミックな質問を縷々展開する女子学 生。

「ここはどこだ?」「いつの時代だ?」「ここの若者たちは本当に学生なのか?」「今質問したあなたは、もう卒業していいのではないか」…

彼らが勉強したり、知識を獲得したりするのは、まさに社会に参加してより善く生きるためなのです。勉強の動機がまるで違う…。私はここが州立大学 で、地元の子どももたくさん来ているので、大学の研究水準は世界有数だとしても、学生はどうかな?などと、失礼なことを思っていたのですが、教師生活を十 数年やってきて、こんな迫力の学生たちに出会ったのは初めてでした。

帰り際、校門付近で、地元の市民と学生数人がまだ興奮冷めやらぬ様子で討論しているのを横目に見ながら、家に帰りました。

衝撃が強かったのか、家に帰っても眠れず、日本の教育で決定的に不足しているものが何であるのか、それをずっと考えていました。