Berkeley

2008

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ミュージカル――過剰な芸術

2008年12月14日00:54

国連とワールドトレードセンターに行った日の夜は、はじめてのブロードウェイ・ミュージカルを楽しみました。

どれにしようか迷ったのですが、その実績をかって「オペラ座の怪人」にしました。

近くの「Junior's」でチーズケーキを食べ、コーヒーをすすって準備万端。奮発して日本円で1万円近いチケットをインターネットで購入して あったのですが、いざ会場に入ってみると、ほとんど「天井桟敷」という感じの座席でした。もちろん、日本での価格から比べると格安なのでしょうが、概して ミュージカルのチケット価格は庶民的とは言えない気がしました。

さて、係の人に座席をきいて行ってみると、ぼくの隣には、体重がゆうに150キロはあるのではないかという巨漢の女性が座っていました。遠慮がち に座っているのですが、明らかにぼくの座席には彼女の身体の一部がはみ出していたので、「すいません」と断ってそれをかきわけ、自分の座席にもぐりこみま した。「1万円近く出してこれか…」と、開演前はちょっとフラストレート気味でした。

そして開演。

ぼくは一挙に、目の前に繰り広げられるスペクタクルに吸い込まれていきました。「ミュージカルって、こういうことなんだ!」と思ったのは、その至れりつくせりの贅沢さです。

鳥肌が立つような歌手の歌声では事足りず、まわりで踊っている脇役のバレリーナたちの踊りも「超一流」です。そしてそんな事までしなくていいの に、お笑いあり、大がかりな舞台装置のサプライズがあり、何と言うか、幕の内弁当からおかずが多すぎてはみ出しているようなゴージャスさです。ひとつひと つのおかずで、別個に公演ができるものを、全部一緒くたにして一度にドカンと見せる。これは文字通りの贅沢です。チケットの価格の意味もわかりました。

特に、「怪人」が震えるような声で愛を語り、歌い上げ、しかもそれに主人公のクリスティーヌが水晶のような歌声で応えるところは、その美しさと いったらありません。ぼくが女性でも、そしてたとえ相手が「怪人」であっても、きっと心を奪われてしまうのではないかと思うほどでした。

気がつくと、ぼくの前に陣取っている女子学生の集団も、そしてとなりの大きな女性も、うっとり感涙にひたっています。「ああ、これがミュージカルか」と再び思い、一挙に幸せな気分になりました。

ぼくにはそれで十分だったのです。でも、やはり「ミュージカル」。怪人は、恋仇の若い美青年ラウルと戦ったりするのですが、花火が出たり、煙が出たり。一挙に舞台はサーカスかドリフターズのようになってしまいます。

クリスティーヌという一人の女性が、「怪人」の暗い愛と、青年の健康的な愛との間で葛藤する、そしてその葛藤の中から歌が生まれる。それだけで十分美しいと思ったぼくは、その後のドタバタは、喜劇のようでした。

でもミュージカルは、まさにニューヨークの体液のようです。大衆の混沌とした欲望が、すべて詰め込まれて爆発的に表現される。ぼくには、なぜか 「過剰な芸術」ということばが浮かびました。しかも、大衆の文法に徹頭徹尾従うので、ストーリーは必ずハッピーエンドでなければなりません。それがいかに 陳腐であっても、ミュージカルは大衆の欲望に従い続けるのです。

ぼくが演出家なら、「怪人」は最後まで暗い愛を囁き続け、観衆に姿も現さず、クリスティーヌは苦しみ続けるということになるでしょう。しかも、健 康な美青年はもっともっと明るく美しくなければなりません。ぼくが聴いた彼の歌は、あまりに世俗的で、「怪人」と釣り合いません。原作がそうなので仕方が ないのでしょうが、彼の愛の歌は、クリスティーヌの歌声に匹敵するか、それを上回るほどの、もっと硬度の高い水晶の輝きを発するべきだと思います。そのふ たつの緊張のはざまに人間の「真実」と「美」が生まれる。ぼくなら、徹頭徹尾、そういう演出にします。

ついつい、熱くなってしまいましたが、作品を堪能したことだけは間違いありません。はまってしまったらどうしよう…。

写真は、どちらも劇場の様子です。