この研究では我々人間が生活する上で欠かせない住まいに着目します。ソ連時代において一般国民の住まいは政府によって「与えられるもの」でした。しかし、「一家族に一住居」が現代では当たり前となっていますが、1950年代前半のソ連では集合住宅ですら一住居内に何家族が同居するという状況でした。こうした住宅難解消を目的として団地が政府主導で建設され始めます。ですがそれは単に住宅難の解消という目的のみならず、当時の政治状況や冷戦という状況下でのプロパガンダ、さらには国際的な潮流となりつつあった建築を含めた文化交流といった複合的な要因が絡んでいました。そうした当時のソ連を取り巻くマクロな状況が住まいというミクロな環境に与えた影響を当時の建築政策、建築分野での他国との交流、そして新聞や雑誌などでの住宅及び住居に関する記事対象として、集合住宅が当時のソ連でどのように扱われ、どういった文化現象であったのかを考察します。