Berkeley
今日の映画は、今村昌平監督の「赤い殺意」(1964年)です。
原作を読んだことがないのですが、タイトルと中身が一致しません。何で「赤い」のか。でも、これでもか、これでもか、というほどの、ねっとりじめ じめした映像の積み重ねによって、次第に観る者を東北の雪や、古い因習の重苦しい世界にいざなっていきます。この何とも息苦しい作品の主演を演じた春川ま すみも、ナイスキャストですし、終始一貫攻撃的なカメラアングルや、時折挿入されるおばあさんたちの東北弁のヒソヒソばなしの声など、とても効果的に作品 を盛り上げていました。
それにしても、ここまで女性を徹底的に抑圧し続ける東北の家制度や伝統社会の実相を見ると、「伝統なんて近代化によってすべて壊れてしまえ!」と叫びたくなります。1960年代の高度経済成長期でも、田舎はまったく変わらなかったのかもしれません。
しかし、さんざん痛めつけられ踏みつけられた女性は、そのままではいません。死の淵から立ち上がり、やがて家制度をしたたかに利用しながらも生命力を開花させます。その姿も、何というか、じっとり湿った感じで、ぼくには苦手でした。
でも乾き過ぎているアメリカ人の世界観には、ちょうどいいカウンターパンチになると思いました。セックスもかぎりなくマテリアルになっているアメリカで、日本の湿ったベッドシーン(というか布団シーン)を上映することは、なぜだか「ざまあみろ」という感じです。
卒のない、上質の、文字通りの「日本」映画でした。