新潟国際情報大学 佐々木寛 研究室
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seminarゼミナール

贈ることばにかえて 2002年度

これで2回目の卒業生を送り出すことになった。君たちは3年生のときにはじめて私と出会った学生たちである。今一人一人の顔を思い出すと、率直にいえば、あともう一年、時間がほしかったと思ったりする。時間のせいにするのはよくないかもしれないが、卒業論文を完成させるころになって、ようやく一人一人の素顔が見られるようになった。一人一人が何をどう感じるか、何を考えているかがぼんやりとわかるようになった。

君たちはとりわけシャイだったともいえるし、ある意味で優等生であった。ゼミでへたなことを言わないように気をつけていた。あまりに反応がないので、はじめは能力の問題かもしれないとも思ったが、実は理由は逆であった。本学の中でも比較的優等生が集まったのが今年の「佐々木ゼミ」だった。だから、素顔が出てくるまで、お互いに慣れるまで、ずいぶん時間がかかってしまったのだと思う。これは教員としての私の盲点であり、反省点でもある。

一般論として、昨今の学生にとって大学のゼミや教員など、もしかしたら「シャガク」(自動車教習所)の一回限りの講習や教官と何らかわりがないのかもしれない。単位や資格をもらえばオサラバだ。「アツイ」授業や人間関係はなんだかウザイ。こっちは静かに楽しく生きていきたいのに、「指導」や「教育」と称していちいちめんどうなことを押しつけられるなんて、割に合わない。そもそも不景気な今の時代、大学でやることなんか役にたたないじゃなか。専門学校にでもいっておけばよかった…。そういう類の声なき声は学校の隅々で聞こえてくる。

しかし、悲しいかな、教員としての私はいまだ大学に夢と希望をもっている。そういう、もうカビの生えてしまった立場から今一度、大学のゼミを愚直に定義させてもらいたい。大学のゼミは、性別も年齢も出身地も異なる雑多な「他者」が、役にもたたなそうに見えることを時間をかけて議論することで、有機的な「仲間」になる訓練をする場所だ。価値観やノリや趣味の異なる「合わないやつ」とことばを媒介にしていかに楽しく対等なコミュニティを形成することができるか、それは(教員側のことばでいえば)「市民社会」のマナーと技を学ぶことである。

2年間のゼミを通じて諸君にそれを伝えられたかどうかは、とても心もとない。最後の論集にこんなことを書いている自分がとても情けない。しかし、君たち個々人の潜在的な力は、何よりも私自身が良く知っているし、この論集にも証明されている。卒論指導において、厳しい口調で諸君に問いただしたこともあったかもしれないが、それは君たちに私ができることが、せいぜいそれぐらいのことしかなかったからである。君たちも知っているとおり、テーマ選択において一切の妥協はしなかった。単に「興味があるから」「面白そうだから」という動機だけではテーマ選択は許さなかった。この論集の個々のテーマは、まさに時間をかけてそれぞれが自己内対話をした結晶である。

卒業してからも、ときどきは大学で無駄な時間を過ごしたことを思い出してほしい。そして、おかしな情熱をもつ、おかしな教員がいたことも忘れないでいてほしい。それからできれば、この論集を捨てずにとっておいて、十数年後にまた読んでみてほしい。読んでみて、何か思うことがあったら、遠慮なくその考えを聞かせに来てほしい。

ではまた。君たちのこれからの幸福を心から祈っています。

2002年2月18日

贈ることばにかえて 2004年度

新潟に赴任してあっという間に四年が経ってしまった。ということは、今年の卒業生は、彼らが在学していた四年間フルに何らかの意味で私と関わった学生たちである。それだけではない。本学で「新カリキュラム」が施行されたのも四年前であるから、彼らは本学の新しい教育プログラムを経たはじめての卒業生となる。いろいろな意味で節目の代である。

今ひとりひとりの顔を思い起こすと、高い学費に見合うだけのしっかりした教育ができたのか、もっとできたことはあったのではないかといろいろ心残りも浮かんでくる。だが、大学の四年間ばかりで、学生に何か画期的な経験を与えることができると考えるのも教員の思い上がりかもしれない。比較的つき合いが長かったせいか、自分が歳をとったせいか、むしろ学生たちとの楽しい思い出だけが次々と浮かんでくる。

これから時代は暗くなっていくと思う。毎年毎年、かつては信じられなかったことが起こり、またあっという間にそれに慣らされてしまう。君たちが卒業した年に、日本の軍隊は戦後はじめて大手を振って海外の戦闘地域に出かけた。君たちが卒業した年に、日本国憲法の本格的な「再検討」が始まった。君たちの子供たちの時代にはこの国はどうなっているだろう。正直、あまり希望に満ちた未来を描けない。

これからも、職場や地域でますます弱い者が蹴落とされ、だれもが生き残るために過剰な競争を強いられる時代が続くかもしれない。人間が人間として生きられないような社会が広がっていくかもしれない。社会全体が内向きになって、自分より弱い者に対して手を差し伸べる余裕などますますなくなっていくかもしれない。そういうひどい社会をつくってしまった「大人」の一人として、君たちには謝罪のことばしか思い浮かばない。

しかし「贈ることばにかえて」あえてことばを発するとすれば、まずは君たちに生き残ってほしい。どんなことがあっても、最後まであきらめず生き抜いてほしい。それから、本当にできるだけでかまわないから、ときどきは自分の周りを見渡して、組織や集団の「周辺」にいて声も発することができない人のことも考えてみてほしい。自分にとって邪魔だと思ったり、関係ないと思ったりする人々の生命や生活についても想像力を働かせてほしい。それが、「知性」というものだと思う。

君たちの卒業論文はそれぞれタイトルもテーマも異なるが、気がついてみると、全部が底のほうでつながっている。人間の生命や生活(life)が大きな組織や社会制度との葛藤の中で、常に正統と異端、ウチとソト、中心と周辺、強者と弱者、聖と俗、味方と敵などの<境界>を挟んで切り裂かれる。その中で、われわれは一体どのように「人間として」生きていったらいいのか・・・。その問題を君たちはそれぞれのやり方で考え抜いたと思う。

自信をもって。お元気で。それから、たまには大学にも顔を見せて、進歩のない教員を叱咤激励してほしい。短い間だったけど、懲りもせずつき合ってくれてどうもありがとう。

2004.1.27.

贈ることばにかえて 2007年度

今年の卒業生は「第7代目」ということになる。しかし、毎年この文章を書く時に思うことは、これまで彼らとちゃんと関わることができたかどうかという、自分の行いに対する不安というか、いくぶん悔いのような感情である。

年々、つまらない理由から、大学はどんどん忙しくなってゆく。加えて、能力も無いのにどんどん仕事をひきうけて、おまけに生来の怠け癖から、いつも時間に追われ、一番大切なことが置き去りにされていく。

学生がふと、「先生は忙しいから…」と言う時、ぼくはいつも、「<忙しい>というのは、文字通り<心が亡い>という意味だから、本当はよくないことだよねぇ」などと答えてごまかしている。でも、学生たちは気を遣って、「忙しい教員」に迷惑にならないよう、研究室に押しかけるのを控えるようになる。だが、学生たちが「先生は忙しい」と言うのは、実はぼくが学生諸君にしっかり時間を使えていないことに対する、学生たちの控えめな抗議でもある。

けれども、完璧な言い逃れだが、「教員はいなくとも学生は育つ」。

途中、市岡政夫先生が亡くなって、そのゼミにいた2人も加わった.

贈ることばにかえて 2015年度

今年も卒論集の巻頭言を書く季節になった。君たちとの時間もあっという間だった。人生も、きっとこのようにあっという間に終わるのだろう。君たちが4年生になった時、私は誕生したばかりの国際学部の学部長になっただけでなく、日本平和学会の会長という重責を担わざるをえなくなっていた。さらには、これまでにないまったく新しい仕事、すなわち新潟における市民発電事業(「<おらって>にいがた市民エネルギー協議会」)を立ち上げようとしていた。いわば「三足のわらじ」を履いていたわけだが、それでも研究と教育だけは(特に教育だけは)、疎かになってはいけないと肝に銘じていた。しかし、実際は、君たちは「忙しい」教員にいろいろと物足りないことがあったのではないだろうか。もしそうであれば、ここで改めてお詫びしたい。

ただ、言い訳がましくなるが、この「三足のわらじ」はいずれも君たちや君たちの次の世代がよりよく生きるための社会条件に関わる仕事であった。特に市民発電の試みは、「3・11」後、行き先を見失い迷走しているこの国へ向けた「代案(Alternatives)」であり、君たちには、それが本当に実現しつつあるプロセスを間近で見てもらいたいという願いもあった。3年次のゼミナールでも、現在生成しつつある日本各地の市民発電の試みについて共に学んだが、それはまさに現代における最も大きな社会変革の最先端であった。新潟の試みも、今後どれだけの雇用が生み出せるのか、どれだけ社会構造を変えられるのか、そもそも事業自体が成功するのか100%の確証はない。しかしけっしてあきらめることなく、最後までやり抜きたいと思う。逆に言えば、それ以外に希望がないところにまで、この国はダメになっていると思う。

確実に社会は破滅へと向かっているが、どんなに絶望的な状況でも、明日のために一本の木を植えるしかない。どんなに絶望的な時代でも、きっと太陽は昇るし、一緒に笑い合う瞬間もある。君たちとの合宿などでの楽しい記憶も、これから幾度か生きている意味を思い出させてくれるにちがいない。きみたちにとって大学は楽しかっただろう。また何より「自由」だった。一方、卒業後の苦しみは、大学時代の日々と照らし合わせて理不尽に思うこともあるかもしれない。私が言いたいことは、それがまぎれもない「現実」であり、そこからは逃げることはできないということ。しかし他方で、けっしてそれに「慣れて」はいけないということ。「慣れる」のではなく、どの局面でも「人間的なこと」に向かって、「もう一つの世界」への突破口を探すこと。つまり、自分で考え続けること。思考をあきらめないことである。

拙くても、また短い時間ではあったが、一人の大人として、自分なりにその「やり方」の一例を示したつもりなのだが、君たちは反面教師にするかもしれない。正直、それでもいい。ただ、大学の教師が、たのまれもしない変なカイシャを作ろうと四苦八苦していたことを忘れないでいてほしい。

君たちは全員例外なく、真摯でまっすぐな若者たちであった。それは人間にとっていちばん大切な素養だと思う。本文集を手に取る読者は(それは10年後の君たちかもしれないが)、まず第一に、個々の論稿にほとばしるそのまっすぐな姿勢に気がつくだろう。この真摯に取り組んだテーマを、君たちはずっと忘れずに生きていってほしいと思う。そしてほんのたまには、寂しがっている教員をなぐさめに大学を訪ねてきてほしい。

2015年2月22日
佐々木寛

贈ることばにかえて 2019年度

君たちの代は、3年生からずっとハンナ・アーレントの『人間の条件』を読みましたね。4年生になっても最後まで読み切れませんでしたが、「労働」、「仕事」、「活動」について、自分たちの生き方と重ねながらじっくり議論しました。

はじめに、レイ・カーツワイルの「シンギュラリティ」に関する文章などを読んで、A.I.時代にどのように生きるのかを真剣に考え、その次にアーレントにたどり着きました。そのせいかな(?)、売り手市場なのに「フツーのシューカツ」を拒絶するメンバーも複数生まれました。

毎年「ひどい時代になった」みたいなことをここに書くのですが、もうその「ひどさ」に慣れてしまって、いちいち書く気力も起こらなくなっています。世界も混迷をきわめていますが、少なくともこの国は100%没落の一途をたどると思います。すべての矛盾は、次世代にツケとして回ってくるでしょう。

「今だけ、カネだけ、自分(たち)だけ」で、ツケを次世代に押しつける今の大人たちのあさましさに気がついたのか、今、世界中で若者が立ち上がろうとしています。アメリカでは銃を規制するために、フランスでは哲学の授業を無くさないために、ドイツでは親がスマホばかりしないように、そして日本でも、女性差別や沖縄差別をなくすために、若者が声をあげています。よ~く耳をすませば、君たちが「おかしい!」、「このままではいけない!」と感じた問題について、同じように感じて立ち上がっている仲間たちの声がきこえます。

4月から君たちは「仕事」=「労働」の世界に入りますね。この世知辛い世の中で、何とかしのいで生き残らなければなりません。それはしっかりやってください。いつも言いますが、それで行き詰まったり、お腹がすいたら、自棄を起こさずに、いつでも大学に来てください。昼飯ぐらいはいつでもおごります。

けれども、労働界にどっぷりつかっても、「人間であること」は常に忘れないでください。「人間」としての「活動」の領域を確保してください。このグローバルな晩期資本主義の世界では、用心していないと、いつの間にか人間であることを忘れて、「今だけ、カネだけ、自分(たち)だけ」のあさましい存在になってしまいますから。

実は、君たちの代には教えられた事が多くありました。人生や世界の絶望的な現実を十分に理解しつつも、しかし君たちは可能な限り仲間と集い、議論をし、人間であろうと努力しました。正規のゼミの時間以外に、君たちは一番多く仲間と集った代だと思います。財政面からゼミ合宿で海外には行けませんでしたが、限界や絶望の中でも最善を尽くす=生きるという姿勢を私に教えてくれました。この場を借りて深くお礼を伝えます。

君たちの前途を心から祝福します。

2019年1月17日
佐々木寛