ゼミナール紹介


2022年度から学長に就任し、担当ゼミナールが変更となりました。2023年度は4年生の卒論指導のみをおこないました。2024年度から学内のゼミナールがすべてなくなり、大学教員生活で初めての「指導学生なし」という状態です。


自主ゼミ  毎月第4火曜日・午後6時半〜8時半(クロスパルにいがた・新潟市生涯学習センター)
新潟市民政治研究会

これは一般市民、本学現役学生、本学OG/OBなど、つまりはどんな人でも参加可能なゼミナールです。新潟市役所主催の公開講座「2002年度にいがた市民大学」において開講された「政治を市民の手に! - 21世紀の政治学10講(講座コーディネーター:高畠通敏、越智敏夫)」を一年間にわたって受講された方々が中心になって自主的に企画されました。当該講座の終了後、越智は一年間のサバティカル(在外研究)のため新潟を不在にし、帰国後の2004年度からこの自主ゼミは開講されました。ですからこれは<越智ゼミ>ではありません。越智も他の方と同じ一構成員として参加しています。また現在は市民大学を受講されてない方も多く参加されています。しかし告知の意味もあって本ウエブページ内に書いておきます。

ゼミナールのテーマは「市民政治」となりました。これまで読んできたのは以下の書籍です。
丸山真男『増補版・現代政治の思想と行動』未来社、1964年
鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』岩波書店、1982年
高畠通敏『現代における政治と人間――政治学講義』岩波書店、2005年
丸山真男『日本の思想』岩波新書、1961年
久野収、鶴見俊輔『現代日本の思想―その五つの渦』岩波新書、1956年
日高六郎『戦後思想を考える』岩波新書、1980年
高畠通敏『地方の王国』講談社学術文庫、2013年
市村弘正編『藤田省三セレクション』平凡社ライブラリー、2010年
杉田敦編『丸山眞男セレクション』平凡社ライブラリー、2010年
早野透『田中角栄――戦後日本の悲しき自画像』中公新書、2012年
海老坂武『戦後文学は生きている』講談社現代新書、2012年
丸山眞男(松本礼二編注)『政治の世界 他十篇』 岩波文庫、2014年
岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史――交隣と属国、自主と独立』講談社選書メチエ、2008年
杉田敦『境界線の政治学 増補版』岩波現代文庫、2015年
斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』ちくまプリマー新書、2016年
神島裕子『正義とは何か――現代政治哲学の6つの視点』中公新書、2018年
鶴見俊輔『思い出袋』岩波新書、2010年
山本義隆『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』 岩波新書、2018年
田中拓道『リベラルとは何か』中公新書、2020年
岡本隆司『「中国」の形成――現代への展望』岩波新書、2020年
山本昭宏『戦後民主主義――現代日本を創った思想と文化』中公新書、2021年
三谷太一郎『日本の近代とは何であったか――問題史的考察』岩波新書、2017年
尾中香尚里『安倍晋三と菅直人――非常事態のリーダーシップ』集英社新書、2021年

現在、購読中のテキストは以下のものです。
鵜飼健史『政治責任――民主主義とのつき合い方』岩波新書、2022年

現在は10〜15名程度の参加者によって月に一度開催し、各回一章ずつていねいに講読、議論しています。 (コロナ禍のため、2000年4月から中止していましたが、2021年1月から再開しました)

本ゼミナールの運営は市民の皆さんによって行われていますが、関心をもたれた方は越智までご連絡ください。参加方法などご説明します。参加費は連絡費、会場費などのため半年で500円程度集めています。なお毎回終了後、軽い宴席があります。もちろん強制参加ではありません。終電、終バスに間に合う時間に終了します。


自主ゼミ  不定期(研究室503)
英語文献講読ゼミナール

<附記>
以下のゼミを学生有志と継続的におこなっていたのですが、このところ社会科学系大学院を受験希望する学生さんが増えたので、このたび彼ら/彼女らを対象として受験指導としての英語ゼミをおこなうことにしました。大学院受験を希望する学生にはこれまでも個人指導をしていましたが、自分が受験する専門課程以外の英語論文も読んだほうがいいですし、この際まとめてゼミとして複数の学生が一緒に勉強できるようにしました。関心のあるかたは、内容・時間等、お問い合わせください。

これは希望者による自主ゼミです。単位にもならないし、教師も学生の機嫌をとりません。別に他のゼミでも学生の機嫌をとっているわけではありませんが、特にこの自主ゼミでは僕は厳しいです。

政治理論に関する英文の論文を丁寧に読みます。専門用語の説明から、概念の再検討、日本語への移し替えの問題など、いろんなことを全員で考えながら、ゆっくりと読みます。

今年度も、
John G.Gunnell, Between Philosophy and Politics:The Alienation of Political Theory (The University of Massachusetts Press,1986)
を継続して講読しています。テキストは僕がコピーして参加者に渡します。

参加者の所属組織、学年、学科、性別、年齢、思想信条など一切問いません。当初は本学の学生だけを対象にしていましたが、学外からの参加希望者もいましたので、現在はどなたでも参加自由です。興味のある方は、どうぞ越智まで問い合わせてください。メイルでもいいですし、直接研究室に来ていただいてもかまいません。ただし、ゼミの時間、場所は参加者の都合でときどき変更になる可能性があります。

途中参加も受け付けています。テキストのコピーを受け取りたい方はメールなどで連絡してから研究室に取りにきてください。


1年生ゼミ  火曜日3限
基礎演習1・2

<社会を批判する力とは何か>

ものを読み、考え、議論し、それを文章にまとめます。当たり前といえば当たり前のことです。しかしこれは大袈裟にいえば、共同で知的訓練をつむという作業です。中心になるのは議論をするということですから「黙っていても単位はもらえるだろう」と思う人はこのゼミには来ない方が良いでしょう。

ゼミでの議論がいくら盛り上がっても、各自の問題意識を欠いては、それは単なる「お遊び」でしかありません。そうした問題意識を基本にして現実の社会を批判することについて議論します。ですから「他はどうでもいいが、現代社会のここだけは絶対許せない」という野獣のような批判精神ある学生の参加を期待します。

<講読テキスト>
小倉千加子『結婚の条件』朝日文庫、2007年
斎藤美奈子『学校が教えない本当の政治の話』ちくまプリマー新書、2014年


2年生ゼミ  木曜日4限
国際研究ゼミナール1・2

<現代の社会問題と私たち>

国際研究ゼミナール1・2は基礎演習の延長線上にあると僕は考えています。ものを読み、考え、議論し、それを文章にまとめるという作業は基礎演習と同じです。しかしこのゼミで中心になるのは基本的な読解力を前提とした上での議論です。

今年度の細かいテーマは未定です。ただし「現代社会は多くの問題をかかえていて、その多くの問題と人間一人ひとりが生きにくいという事実は関連している」という基本的認識をはずれることはありません。特に先進資本主義国に特有の諸問題を取り扱う予定ですが、どんな事例を議論するときにも他人事としてではなく自分の問題として考えることを要求します。

たとえば現在、世の中で多くの人が殺されています。その「殺人」という行為には変わりがなくても、それら多くの殺人を私たちは細かく差異化していきます。テロリストによる虐殺、法治国家における死刑、正当な防衛行為、教育の「行き過ぎ」としての体罰、英雄的戦功、医療過誤、テロ根絶のための必要悪、反逆者の処刑、武装蜂起に対する秩序維持……など、呼び方はいろいろです。しかしすべての行為が「人が人を殺す」という点においては同じです。こうした呼称の差異という問題は、そのままそれらの人殺しという行為と私たちの関係を明らかにしていくはずです。その関係の総体が現代社会を構成していると考えられませんか。

こうしたことについて「そんなもん知るか。全部違うのは当り前だろ」と言って開き直るのは、現在の社会のありかたをまったく批判していないということです。目の前の世界を「快適」だと思いこんでいるということで、それは実は何も考えてないということを表明しているだけです。酸素を吸って二酸化炭素を吐いているだけです。マレーシアの森林資源のためにはなっているでしょうが、人生の意義は限りなく低いでしょう。何かを考えて1日生きるのと、何も考えずに5万年生きるのを比較すれば、それは前者のほうがはるかに人間として意義深いと僕は考えます。

<講読テキスト>
鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』岩波現代文庫


3年生ゼミ  火曜日4限
国際研究ゼミナール3・4

<政治思想と現代社会>

卒論指導では各学生がテーマを見つけてそれに取り組みます。しかしこのゼミナールではそれらのテーマに直接関連したことを全員で議論することはありません。各自のテーマについては「政治」と「思想」と「アメリカ」に関連したことであれば広く指導するつもりでいます。

ゼミナールでは現代の古典と呼ぶべき政治思想家の論文をとりあげ、「ものを考えるということはどういうことか」について全員で深く議論したいと思います。それは人間らしく生きるということはどういうことかを問うことでもあります。すべての人間は阿呆のふりをしているうちに本当の阿呆になってしまいます。しかしその危険性を少しでも低くするにはどうしたらいいのか。また、なぜここまで現代社会は味気ないのか。どんな理由でこうなってしまったのか。さらには、どうせ社会の歯車として生きていくのなら少しでも存在意義を自分で見出せる歯車になるにはどうしたらいいのか。そういう問題について考えたいと思います。

もし「今の社会はすばらしい」とか「自分は歯車じゃない」と思っている人がいたら、それは社会に関する理解が足りない、あるいはたんに頭が悪いということです。ゼミナールという学習には絶対的に不向きですから何か別の道を歩まれたら良いと思います。

ゼミナールの具体的な内容として5人の政治思想家を考えています。マックス・ヴェーバー、ヴァルター・ベンヤミン、ハンナ・アーレント、丸山眞男、ミッシェル・フーコー、シェルドン・ウォーリンの6人です。このなかの一人の論理に限定して2年間、徹底的に議論します。一人を選んだらその他の者の著作は読みません。どの思想家にするかは一回目のゼミナールで参加者に決めてもらいます。
<付記> と思っていましたが、今年は学生と相談のうえ、いろいろ読むことにしました。

こうしたゼミナールが各自の卒業論文の問いとどのように結びつくのか心配する人もいるかもしれません。しかしこれらの問いについて考えることは論文を書くうえで必ず役立つことです。もっと正確に言えば、このような問いを欠いた問題設定によって書かれた論文に価値はありません。価値のある論文を書いてもらいたいと思っています。

<講読テキスト>
今年の3年生はアレントを選択しました。単著ではなく各時代、各テーマの論文を講読中です。


4年生ゼミ  木曜5限
国際研究ゼミナール5・6

<政治思想と現代社会>

国際研究ゼミナール3・4の内容を4年ゼミでも継続して議論します。

<講読テキスト>
4年生はヴェーバーを継続的に読んでいます。


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