ノースウエスト・ミズリー州立大学

私の留学体験記

GREEN LIFE!! NORTHWEST

横尾 道人

「元気があれば留学もできる!!」なんて思ってそこのあなた、私はそんな考えが好きだし、そのまま突き進んでいいと思う。もちろん毎日出る山のようなホームワークや、ほぼ毎週あるんじゃないかって思ってしまうほどのテストの量など困難は数え切れない。しかし、せっかく掴んだ留学のチャンス、英語も話せるようになって、友達もいっぱい作って、アメリカでしかできないことにもいっぱいチャレンジして、なおかつ楽しさも求める。そんな欲張りな考えがもしかしたら大切なのかもしれないし、成功のコツかもしれない。私の4ヶ月の経験談のもと少しでも留学への不安を取り除けたらいいなと思う。

英語
4ヶ月前、私はアメリカへ行くことを楽しみにしつつも出発直前まで全く準備、勉強をしなかった。楽観的な私は英語への不安を少しは感じていたが、「生活していくうちに自然と英語を喋れるようになるだろう!」などと考えていた。そんな浅はかな考えの自分がまず言語の壁にぶちあたったのが行きの飛行機である。キャビンアテンデントさんに英語で「お飲み物はいかが?」と聞かれ、一応を英語で言った方がいいと思って「コーラプリーズ!」といったら通じず、苛立ったキャビンアテンデントさんがコーラを缶ごと置いていったという『英語の国へようこそ』といったような洗礼を受けた。そうコーラは英語ではコークだったのだ。それは今では笑い話だが、そのとき私は密かに心の中で「やばいな・・・」と感じた。アメリカに着いたあとも聞き取れないYes、good以外喋れないという状態だった。他のみんなは理解しているのに自分だけわからないんじゃないかと焦り、そこで授業が始まる前に勉強しなければと思ったがろくな勉強の本を持っていっておらずそれはできなかった。勉強しようにも日本語がないから英語を勉強するのは無理だ。なんでもっと日本で勉強してこなかったんだと後悔した。しかし、そんな不安は2週間程で吹き飛んだ。授業が進むにつれ、なんとなくAnne、Mrs.Hardeeの言っている事、なにをやったらいいかが分かってきた。それにつれ他の人ともコミュニケーションがとれるようになった。結局私は前期単位を落としてしまい、Anneに「お前は後期毎日3~5時までプロベーション(居残り)するんだ」と言われ、毎日居残りすることになったのだが、今思えば居残りはそれ程苦なものではなかったと思う。居残りのおかげで宿題を早く終わらせることができたし、わからなかったらHardeeのところにいって「Mrs.Hardee! I have question!」と言えばすぐ教えてくれた。最初は英語で何がわからないのか聞くことすら難しかったが、質問していくうちに慣れてきてMrs.Herdeeともいっぱい話すことができた。後期の授業はあっという間に過ぎたと感じた。自分自身、もし後期単位を落としたらTOEICのテストをうけさせないと言われていてプレッシャーもあったが、慣れたせいか授業は簡単に感じAnneやHardee,Jeffの授業も積極的に発言したり、ジョークを言えるようになっていた。何より私は授業に楽しさを感じていた。Jeffの朝の8時から2時間連続授業や、Anneの授業を一秒でも無駄にしないスタイルの授業には苦しんだが、その一秒ですら楽しめたのではないかと思う。『楽しみながら学ぶ』授業を楽しいと思えるには時間がかかると思う、しかし、楽しいと感じるようになった頃には英語を本当にわかってきているころだと私はこの留学で感じた。

Activities
Northwestには様々なイベントが溢れている。ほぼ毎日ともいえるイベントはアメリカ人の人生を楽しむという習慣が現れているのではないかと思う。大学を中心に地域の人たちも様々に絡んでくるのだ。私たちはHardeeの宿題で一週間に1度必ず新しいイベント参加してレポートを書かなければいけないが、一週間に何度も楽しいイベントにめぐり合うチャンスがある。例えば催眠術ショーだったり、自作のTシャツ作成、アイスクリームパーティ、ポーカーなどアメリカ人らしいイベントや、もちろんバスケやサッカーなどのスポーツも盛んだ。中でも私のお気に入りのイベントはアメリカンフットボールである。アメフトはNorthwestダントツ人気のスポーツでほぼ毎試合スタジアムに満杯の人が入り、スタジアムBEARCATSのチームカラーの緑で埋めつくされる。試合中は『GO BEARCATS!!』、『GET HIM!!』(ヤツを倒せ!)など、声を出して応援したり、まわりの学生と得点をよろこんだりと本当に盛り上がった。私はアメフトが好きすぎて留学メンバーで唯一全試合見に行った。BEARCATSは毎年2位とファイナルで勝てないチームだったが、このシーズン数年ぶりにチャンピオンになった。決勝はホームゲームじゃなかったため見に行くことはできなかったが、優勝パレードに行ったりして本当に楽しかったし、なにより嬉しかった。間違いなくアメリカンフットボールが私の留学NO.1の思い出のイベントだ。

Friends
アメリカで私は様々な人と接することができ、また友達になることができた。一緒に英語を勉強したESLのメンバーはもちろん、サッカーを通じて知り合って会うたびに遠くからでも『Hey!MICHITO!!』と難しい自分の名前を覚え、声をかけたJustinとMutius。みんな私にとって本当に大切な友達だが、何より一番の親友と呼べるのがJoeだ。Joeは私のカンバーセーションパートナーで最初パートナーに決まった時に、「ちょっと変わったやつだな」と思ったが、最初会話をまともに成立させることができなかった私の言葉をくみとってくれたり、わかりやすく教えてくれたり正面から接してくれた。少し会話ができるようになってからは、ふざけてジョークみたいなこと言い合ってばかりいたが、「月曜家にアメフト見に来ないか??ゲームもしようぜ!」など遊びに誘ってくれたり、アメフトを見に行ったり、ボーリングしにいったりと本当に一人の友人として接してくれた。帰別れの際Joeは「2010年のワールドカップの時メッセージを送るから優勝国の予想しよう!!」とか「今度、本当に日本に行くから案内よろしく!」と言っていた。やはりJoeは少し変わったやつだが今度はJoeに日本を満喫させてやろうと思う。他にも私は本当に多くの人にお世話になった。しかし、なんだかんだいって私が1番お世話になったのが他の留学メンバーだろう。留学に行く前は「アメリカに留学に行くのがもし自分ひとりでも大丈夫」などあまり他の人のことは気にしていなかったが、アメリカで他のみんなに本当にいっぱい助けられた。宿題を見てもらったり、教えてもらったり、一緒に遊んで笑わせてもらった。もしかしたら自分ひとりではやっていけなかったかもしれないし、やっていけたとしてもつまらなかっただろう。一緒にいるとバカみたいなことばかりしていた記憶しかないが、スタジアムの屋上で流星群をみたり、牧場へいったり、湖でスケートしたりと今ではいい思い出。辛いテスト勉強のときも遊びのこと考えればがんばれた。辛いテスト勉強のときも遊びのこと考えればがんばれた。本当に仲間に感謝!Thank you guys!



Crazy life!!!!!

福地 菜月

The first impression
2009年8月24日から2009年12月20日までの約4ヵ月間、私たち12人はアメリカのノースウエスト・ミズーリ州立大学で留学してきた。ただ漠然と「興味があるから留学してみよう」といった軽い気持ちではっきりとした目標意識もなかった。が、出国の日にちが近付くにつれ、期待と同時にものすごい不安を感じた。授業についていけるのか、人とコミュニケーションが取れるのか、4か月間英語だけで生活するということについて不安は増すばかりだった。
不安は的中した。長い移動時間を経て部屋に案内されるとそこにはもうルームメイトがいた。事前に話すこととか考えてイメトレ的なことをしていたのに、いざ本人と対面して話すことになったら全然言葉が出てこないし相手の言っていることが速すぎて全く理解できなかった。焦った。会話ができない。たかが4か月だけとはいえ毎日同じ部屋で過ごす人とコミュニケーションがとれない。一気に泣きそうになった。帰りたくなった。軽く考えていた自分を悔やんだ。まず聞き取れなければ自分が話せない。リスニング力がなかった私は現地の人と話すことについて消極的になってしまった。
それからオリエンテーションやイベントなどがあり、人とかかわることが多くなっていった。イベント事が大好きなアメリカ人は、相手が日本人だろうと男だろうと女だろうと関係なく気さくに話しかけてきた。自分から頑張って話しかけなくても自然と会話をしていた、それが唯一の救いだった。

My conversation partners
私の最初のconversation partnerはスペイン語を専攻しているChristineだった。私の「アメリカ人」というイメージを変えた人である。私の中で「アメリカ人」と言ったら、気取っていて高飛車で冷たい感じがあった。しかし彼女はすごく優しくて、相手のことを一番に考えてくれるといっても過言ではない人だった。宿題を手伝ってくれたり一緒にバレーボールの試合を観に行ったり楽しい時間を過ごした。なにかあればすぐに気にかけてくれ、meetingがない日はメールのやり取りばかりしていた。
次のpartnerのKaraはものすごく明るくて元気のいい人だった。可愛くて気さくで友達が多い人気者。Karaとは本当にいろんな話をした。家族のこと、友達のこと、彼氏のこと、日本のこと、趣味など…彼女は私が話すすべてのことに興味を持ってくれた。そんな彼女の人柄に惹かれ、ちょっとした悩みごとの相談すらしたことだってある。Karaのバイト先で彼女の友達も含めみんなで一緒にディナーを食べた。それはすごくいい思い出になった!

American class
この留学で一番印象に残っていることはやっぱりAnneの厳しい授業だ。私たちBクラスは午前10時から12時の2時間Anneの授業を受けた。Anneは時間に厳しく1分の遅刻でも容赦なく減点する。宿題を大量に出し、完璧に終わらせておかないと0ポイント。ESLのカーペットの上で、英語ではなく母国語を少しでも発した時点で怒られる。そんな厳しい先生だが実は私たち生徒のことをいつも考えてくれていた優しいお母さんのような先生だということに気付いたのは帰国する直前になってからだった。Anneは厳しい、だがその厳しさのおかげで、時間を守ること、英語に対する向上心を持つこと、勉強するうえでの基本的なことを身につけることができた。だから勉強はいやなものではなく毎日新しいものを学び、授業を受けることが楽しいと感じるようになっていた。
午後からはMrs. Hardeeの楽しいListening/Speakingの授業。ほとんどpartner同士で進めていく内容でコミュニケーション能力を身につけるための授業だった。とてもいい雰囲気で英語が学べclassmateについて知るきっかけにもなる内容だ。時折尋常じゃないほどの眠気に襲われることもあったが(笑)とても楽しかった。

Appreciation
帰国して数カ月たった今、この4カ月を思い返すと「留学してよかった!いい経験ができた!」という気持ちでいっぱいだ。いろんなことをした。毎日がCrazyだった(笑)宿題に追われ夜中まで起きて授業はblackout、Field tripで寝坊、夜中にBirthday party、ASA Dinner、Thanksgiving、Wal-martでの買い物、大雪でキャンパス閉鎖、てんとう虫の大量発生、アイス8段重ね、video projectなどの思い出の数、友達になった人の数、お世話になった人の数は数え切れない。最初に不安に感じていたことも徐々になくなっていき、今では英語でコミュニケーションをとることが楽しいと感じる。自分に自信が持てるようになった。この留学を通して視野が広がり成長した、と胸を張って言える。そんなかけがえのない経験をさせてくれた両親、応援してくれた友達、支えて続けてくれた仲間に感謝したい。ありがとうございました!

 


留学報告書

石橋 妃奈子

留学に行く前私が自分に課していた目標は第一に英語の上達、第二に住み慣れた故郷を離れ全く異なる環境に身を置くことで精神的に成長することであった。しかし正直なところ、英語の勉強にたった4ヶ月と言う期間は短すぎると感じていたし、ちょっと距離が遠いからと言ってアメリカは日本とそう変わらないだろうと高をくくっていた。実際に行ってみて、それらは綺麗にひっくり返されたのだが。

ノースウェストミズーリ州立大学ではほぼ毎日のように学内イベントがある。パンケーキやハンバーガーなど食事を無料サービスしていたり、生徒が集まってゲームやおしゃべりを楽しむパーティだったり、学校の人間同士が交流できるチャンスに溢れている。留学期間が短いなら一日一日を無駄なく濃厚に過ごすしかない。私はそれらのイベントに片っ端から飛び込むことにした。学内イベントの中で私が毎週欠かさずに参加していたのが、水曜日の夜に開かれるディナーパーティである。パーティと言ってもオフィシャルなものではなく、近所のおばさん(?)の手作り料理をみんなで集まってごちそうになるというもの。最初は滅茶苦茶な英語を喋るのがとても恥ずかしかったし、それで相手をイラつかせるのではないかと恐れていた。しかし、会話は同じような言い回しを何度も何度も使うので、話すうちに頭で考えなくてもパッと出てくるフレーズが毎週少しずつ増えていった。それに、英語で会話する必要性があると、勉強する意欲が湧いてくる。来週の水曜日にはもっと上手く喋りたい、と言う思いが授業へのやる気になったし、授業で覚えた言葉を会う人会う人に使っていると面白いように覚えられた。
心の修行、と言う面で今回の留学は素晴らしいものだった。私はもともと失敗するとすぐにへこたれる、人に頼ろうとする人間だったので、これを機に自分の打たれ弱い性格を何とか変えたかった。その点、アメリカでの生活は私にとってある意味ぴったりだったと思う。留学前、私は英語に関して自分にかなりプレッシャーをかけていた。行くからには絶対に成果を持ち帰らなくてはいけないと思っていた。しかし、日本から一緒に来たクラスメイトたちから離れ、ネイティブスピーカーの輪の中に入っていくことは不安や孤独との戦いだった。話しかければ誰もが親しく返してくれるものの、アメリカ人同士が話し始めると途端に会話のスピードについていけず、置いてけぼりになった。留学期間中に書いていた日記を見直すと、留学1ヶ月目は「つらい」「今日も何を言っているか分からなかった」などネガティブな言葉がびっしりと並んでいる。しかし、留学期間を半分すぎる頃になると、段々「楽しかった」「~といっぱい喋った」など自分の中に余裕や成長を実感している文章が見られるようになった。留学生活では心の揺れがより極端になり、それをコントロールするのに毎日が試行錯誤だった。単に苦しいことを乗り越えた経験だけでなく、ストレスを上手く消化するやり方、どうやったらモチベーションを維持できるのかなど、自分を操縦する方法は将来役立つに違いない。

アメリカで出会った人々との交流、文化体験も貴重な財産である。ドアを開けた後後ろの人のためにドアを押さえて待っていてあげるちょっとした親切から、「英語圏の外から来た人はいっぱいいる。話せないのは少しも悪いことじゃない。むしろ僕らが合わせてもらっているんだから」と言う友達の何気ない一言まで、4ヶ月間「アメリカってでっかいなぁ」と感激しっぱなしだった。それと同時に、通りや電車の中で常に他人と視線を合わせないように俯いている日本の風景がなんだか寂しいものに感じられた。訪れた教会でボロボロのツナギを着たおじいちゃん、足の不自由な女の子、立派なタキシードとドレスの夫婦がみんな一緒に聖歌を歌っている光景に何とも言えない感動を覚えた。黒人も白人もヒスパニックもアジアンもインディアンもごちゃまぜになって夜中まで踊ったりもした。その一方で、それぞれの人種だけで固まって水と油のように相容れない様子も目にした。異文化交流を本で学んだり人に聞いたりするよりも強い衝撃を受けた。
私がこの国にいたのは非常に短い期間であったが、アメリカはその国土以上にとても広い世界だった。良いところも悪いところも含めて、今回の留学は小さな島国・日本では体験することのできない体験ばかりで大変有意義なものであった。