学報94号
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向上心忘れず 4年間を有意義に共にものをとことん考えよう私の抱負けれどもこのような作業について考えると、最近はやっているように見える「論破」という言葉がいかに下品で愚かであるか、ということもわかると思います。本当に重要で深刻な問題をめぐっては、「論破しました」といった子どものケンカではあるまいし、ちゃんとした勝敗はつかないものばかりなんです。ところがテレビやネットでは論理など最初から放棄したようなめちゃくちゃな論法、とさえ言えないような恫喝や脅しに近いものいいで、自分の立場を正当化し相手を批判するような人々が紹介されたりしています。末世だと思いますが、逆にいうと、これはいかに現代社会が普遍的な考え方、ユニバーサルな論理を必要としているかという証左でもあるといえるでしょう。さらにはこのユニバーサルという単語にしても、それが先進資本主義社会の、それも一部の国の一部の階級や企業のための利益にしかならないようなものをユニバーサルと呼んでいるようにも見えます。それらを批判し、有効な代替案をつくることは本当に大変な作業です。今お話ししたようにウクライナの例を考えただけでも、世界は複雑で対立に満ちてまだ寒さの残る中、少しずつ春の暖かさを感じる季節になりました。本日は私たち新入生のためにこのような素晴らしい入学式を挙行していただき、誠にありがとうございます。また、数々の激います。しかしだからこそ国際的にものを考えるということは、国境、国籍、人種、文化、宗教、さらには性差、性的指向性、あらゆるものを超えて、全員が納得する回答を見つけ出そうとすることです。これは経営や情報においても同じです。ある時代のある会社にだけ通用する経営方法など、なんの役にも立ちません。また情報はこれらの様々な境界を超えるからこそ情報なのであって、ある閉じられた時空間だけの情報など、なんの役にも立ちません。そうした経営や情報について考えることも、メタ、ユニバーサルな方向へ思考を開放するということです。しかし、これまでもお話ししたように、この「ものごとをとことん考える」ということ、メタとユニバーサルにものを考えることは一般の社会生活ではとても難しいことです。どのような社会でも、ある時代、ある場所でそのような社会になった過去の経緯がありますし、利害関係が複雑に張り巡らされていて、そのがんじがらめのなか励のお言葉をいただき、心より御礼申し上げます。現在、世界各地で新型コロナウイルス感染症が流行しており、私たちの住んでいる日本もその渦中にあります。ネットワークロナウイルスが世界中で流行したことで、様々に翻弄された人も少なくないのではないでしょうか。情報化の進む社会で私たちは正しい情報を的確に判断し、享受する必要があります。また、ネットワーク技術の進化に伴い、社会のグローバル化も進み、外国の人と接する機会も増えました。その中で円滑にコミで私たちは生きているからです。そういう私たちはふだん、社会のあり方についてとことん考えることはしません。ノイローゼになるからです。そして社会のほうもだんだん自動的に動く領域が増えていきます。簡単にいえば、社会の流れにそって何も考えないで生きていくほうが楽だからです。たとえ社会のなかに大きな問題が生じてきても、それを問題として考えない人ばかりだったとしたら、それはそのままなかったことにされていきます。だからこそ大学という「ものを考える」場所の機能が重要になります。何が問題なのか、それを見つけて大学は社会に嫌われなければならないのです。そして、そうした場所に4年間いてその「とことん考える」という行為、つまりは大学での勉強を一度でも経験した人たちは社会に出たあとでその行為の意味を、どんなに漠然としたものであっても、考えざるをえないのです。そュニケーションを図れるような言語力や表現力も必要となります。これらの力を、見識豊かな先生方から学び、同じ志を持つ友人たちと共に向上させていきたいと思います。また、勉学に励むだけでなく、日常生活新潟国際情報大学での4年間を有意義なものにするために、常に向上心をもち、謙虚さを忘れず、経験豊富な先生方から多くのことを学びながら、日々成長し続けることをお誓いし、新入生代表の抱負とさせていただきます。やサークルなどの課外活動、学校行事を通して、自身の見識を広げ、成長していきたいと考えています。colleagueという言葉の意味でもあります。してその際限なくものを考えるということを、現実との落差もまじえて懐古的になつかしく思い出すのでしょう。だからこそ、大学を卒業した人たちは自分の勉強をずっと不十分なものとして考え、「もっと勉強しておけばよかった」と思い続けるのです。これが大学を卒業した人たちの悔恨、後悔の実体ではないでしょうか。なので、4年後に皆さんがそのような後悔の念をもったとしても、それは悪いことでも恥ずべきい出し、そのうえで現実に立ち向かってもらいたいと思います。これからそのための勉強が始まります。「ものをとことん考える」という経験です。もしかしたら、その行為は皆さんを孤独にするかもしれません。いつでも、どこでも成立する考え方というのは、一見、優しいものに見えるかもしれませんが、それはべたべたした人間関係に依存した感情的な共同性、つまりはなれ合いやらコネ的なつながりを否定するからです。しかし心配することはありません。どうでもいいような人間関係を作るくらいなら一人で生きていくべきです。友人は作ろうとして作るものではありません。そのような本来あるべき大学での勉強を続けていると、いつの間にか友人などはできているものです。それがunversal示すもうひとつの単語とも深く関連する同僚、仲間というこの単語は、ものをとことん考える大学という場が自立した個人によって構成される共同体であることを示しています。私たち教職員一同、そして在学生が皆さんをお迎えしているのは、この共同体に皆さんが参加することを歓迎するということでもあります。4年間、一緒にものをとことん考えていきましょう。本日は入学、おめでとうございます。ことでもありません。その後悔をもとに、考えることが困難な社会のなかで大学での勉強を思と並んで、大学を                i3新潟国際情報大学 学報 国際・情報 令和4年4月発行 2022年度 No.1新入生代表 国際文化学科 1年石山 美野里ない技情、術報そががの飛飛情躍び報的交量に進化したこの時代に新型コ

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