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被被災災地地ででボボラランンテティィアア活活動動続続けけるる宮城・南三陸町で牡蠣の殻磨きに汗湧源編集後記に代えてゆう げん入試・広報委員 西山 茂学生主体の企画「つなぐプロジェクト―東日本大震災被災地と新潟とのかけはしを目指して」が、開学20周年記念の支援事業の一つとして採択され、今年4月から活動を開始しています。6月7〜8日には、福島県南相馬市および宮城県山元町の2コースに分かれて、28人の学生がボランティア活動を行いました。また7月22日には本学で講演会を開催し、南三陸町被害ボランティアセンター事務局長の猪又隆弘氏を講師にお迎えし「震災後3年間の経過と現在―今、被災地で求められているもの」と題しお話ししていただきました。2回目の被災地ボランティアツアーは、8月20〜22日に実施されました。私はツアーのリーダーとして、他の11人の学生とともに宮城県南三陸町でボランティア活動を経験してきました。南三陸町では21日の午前9時から午後3時半の間、志津川漁港にある南三陸漁業生産組合かき加工処理施設で、牡蠣の殻磨きを行いました。殻磨きは、一貝ずつ殻についた貝や海藻を取り除くもので、多くの時間と人手が必要とされる大変な作業だと実感しました。組合の方からは、「ボランティアの方々の支援に本当に感謝している。これからもぜひ継続してほしい」との声をいただきました。の早期復興を願い、一致団結して活動しましたが、現地での活動だけでなく、普段、新潟にいる私たちが被災地復興のために何ができるのか、ということを考えていかなければならないと強く感じた3日間でした。今回、私たちは南三陸町山は不動如山(ウゴカザルコトヤマノゴトシ)と例えられる。だからか信仰と結びつくようだ。山岳信仰というし、嫁さんはそのうち「山の神」になる▼少し前に初めて角田山に登った。角田山にある7つの登山道のうち一番楽な五ヶ峠コースで登り、その次に楽な稲島コースで下山した。このときふと思ったのであるが、角田山には神様の気配がないのである。稲島コースの山頂少し手前にお堂があるが、かなり新しいもので、古くからの信仰と結びついているとは思えない。また、福井ほたるの里のコース入り口には観音堂があるというが、これは作曲家の遠藤実氏が平成に入って寄進したものだそうである▼いうまでもなく角田山の隣の隣にある弥彦山は霊峰弥彦と呼ばれる神様と深く結びついた山である。隣の多宝山(地元の人はタポウサンと呼んでいた)は調べた範囲では信仰と結びついていない。この山は昔から鉱物(宝)を産出していたようで、鉱物採取のためにやたら人間が入る山はあまり神様にいてほしくないのだろう。人間の都合で昔、神様を山から追い出したのだと思う。これは理解できる▼翻って角田山である。いろいろ調べてみたのだが、角田山が何かを産出していたというような記録はない(麓が宅地を生み出したそうであるが)。とすると身勝手な人間が神様を追い出すこともなさそうである。つまり、角田山は人間を見守る山でもないし人間に現世利益を与える山でもない。とすると角田山と周辺の人たちの関わりは何だったのだろうか。私の専門ではないが、いつか学生に卒業論文のテーマとして取り上げさせようかとも思う。国際文化学科1年 大川 竜矢       6ふじもとなお き2002年 諏訪東京理科大学共通教育センター 非常勤講師 2009年 新潟県立大学セルフ・アクセス・センター 学習指導員2014年4月〜9月 新潟県立大学国際地域学部 非常勤講師信州豊南短期大学言語コミュニケーション学科 非常勤講師新潟国際情報大学 学報 国際・情報 平成26年10月発行 2014年度 No.3藤本 直生国際学部 国際文化学科 准教授担当科目英語関連科目、 国際研究ゼミナール研究分野応用言語学、社会言語学、英語教育略 歴1991年 長野県公立中学校英語教員新任教員紹介開学20周年記念支援事業「つなぐプロジェクト」開学20周年記念支援事業「つなぐプロジェクト」

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