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海外6提携大学からも祝福関根秀樹理事長式辞 (要旨)平山征夫学長挨拶 (要旨)211小澤辰男学院長お別れの会312本私学誕生の背景には、人と地域の強い思い、理念・目的が込められています。日本海側の中核都市として環日本海、北東アジア交流の推進のための人づくりが急務でした。開学以来、実社会に役立つ多彩なカリキュラムを用意してきました。来春には国際学部を新設し、当初から目指した2学部制が実現の運びとなり感慨ひとしおです。地域に開かれた大学として、さらなる社会貢献を目指し全力で取り組んでまいります。本学の開学20周年を祝う記念式典と祝賀会が11月2日、ANAクラウンプラザホテル新潟で盛大に開かれました。県、市や商工会議所など地元官・財界や中国、韓国総領事や提携大学関係者など海外からの来賓も含め約400人が集い、環日本海交流を中心に据えた国際化・情報化時代に対応した教育を目指してきた歩みを振り返り祝福しました。「この地域に無くてはならない大学」と評価され、卒業生が活躍し地域の力になってきています。実践を重視する教育方針が社会人としての活動の中で活かされています。次の20年を見据えた大学改革の必要性を論じ、時代の変化を織り込んだ教育にチャレンジし、新しい2学部体制をスタートします。地方の私学を巡る環境は厳しいですが、地域で必要としている人材を地域で自ら育成するために、教育と研究の充実に励みます。化理解を深めて、提携6大学と学生・研究者交流も進めてきました。記念祝賀会では、その北京師範大学(中国)、極東連邦大学(ロシア)、ノースウエスト・ミズーリ州立大学(アメリカ)、慶煕大学校(韓国)、光云大学校(同)、アルバータ州立大の成果を披露してスピーチし、大きな拍手が贈られていました。また祝賀会では学生と教職員らが、校歌斉唱や能舞囃子、高砂などを披露して華やかな雰囲気を盛り上げていました。会場には大学誕生に奔走した行政や教職員など関係者の顔ぶれも見られ、テーブルを囲み当時を懐かしみ大学の将来を語り合っていました。学(カナダ)の代表者たちが壇上に上がって紹介され、それぞれが友好と交流本学の創設者、学校法人新潟平成学院の小澤辰男学院長が、た。お別れの会が遺族と学院との合同で12月3日、ANAクラウンプラザホテル新潟で執り行われ、政財官の各界関係者など全国から1千人を超す参列者が故人の業績と人柄をしのびました。小澤氏は主に中央政界を舞台に活躍しましたが、常に郷土を愛し続け、晩年は県内教育環境の充実と若い世代の人材育成に情熱を傾け、大学創設に私財も投じて尽力しました。祭壇には大きな遺影が掲げられ、生前に好きだったという白色の菊の花で囲まれました。途切れなく訪れる参列者はランの花びら一房ずつを祭壇に手向けて合掌し、喪主の長女瓔子さんや関根秀樹理事長や平山征夫学長らに話し掛けていました。と、生前の写真パネルが飾られ、懐かしいフィルム画像も映写されて多くの人が見入って、思い出などを語り合っていました。務、厚生官僚などの後に政界に転じ、昭和35(1960)年に自民党から出馬し初当選。その後連続13回当選し衆院議員を40年間務め、平成12(2000)年に引退するまで建設相、環境庁長官、厚生相などを歴任。田中角栄元首相の側近としても活躍し事務総長に。自民党分裂後は新生党、新進党を結党し改革クラブで代表を務めました。平成5(1993)年から学院理事長を務め2年間は学長も兼務、平成17(2005)年に学院長に就任しました。平成12年に勲1等旭日大綬章。平成25年11月に正三位。また会場には数多くの弔電小澤氏は東京帝大を卒業し内             本学は地元自治体や経済界などの支援を受けて平成6(1994)年4月に開学。これまでに5千人近い卒業生が主に地元企業などに就職して、地域経済の活性化と地域文化の創造を担う人材として期待されています。海外留学・セミナーに力を入れ国際教育・異文えい こ1千人を超す参列者が業績しのぶ国際化時代を見据えて 地域に開かれた大学に新潟国際情報大学 学報 国際・情報 平成26年1月発行 2013年度 No.410月13日に96歳で永眠されまし愛郷と人材育成に情熱盛大に開学20周年記念式典盛大に開学20周年記念式典

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