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最終講義を終えて大山先生(左)と大竹先生本学の学術教育の発展に寄与された3教員が前年度3月末で退職されました。開学前のカリキュラム編成時からかかわってきた大山講師、本学で8年活躍された大竹教授のお二人は定年で、それにロシア語教育などに若い情熱で学生を指導された池田講師は他大学へ移られます。この3月に定年のため退職することになりました。開学当時(平成6年)から就任しましたので本学に教員として16年勤めたことになります。開学前の平成3年にカリキュラム検討委員会が設置され、そのメンバーの一員として加わりましたので20年近く本学にかかわってきたことになります。開学時は駅からの道は未舗装でした。周囲に家が1軒もなく、木も草も全く生えていなかったのです。ここは時々強い風が吹きます。晴れた日に風が吹くと大学の建物を中心とした大きな黄土色のドームができて、遠くから見るとそのドームの頂上に研究棟の屋上が僅かに覗いているという状態でした。今ではこれも楽しい思い出になりました。私が担当定年で退職された大山先生と大竹先生の最終講義が3月6日、本校みずき野キャンパスの大講義室で開催されました。ゼミを修得した卒業生や在校生と教職員など大勢が階段教室の席を埋め、講義に先立ちまず平山学長が、両先生の経歴と本学での教育・研究や委員会での活躍などを紹介しました。大山先生は「人間工学・研究と実験」と題し                            8て、慶応大学での研究教育、本学立ち上げにかかわってきた経緯、さらに機器の製作や研究について講演されました。したのは人間情報システム、人間情報工学1、人間情報工学2でしたが、ものを設計するときには常に人間を中心に置く私は戦後の復興と高度経済成長とともに少年〜青春時代を過ごしました。大学に入るころは米ソ冷戦下でスプートニクから始まり宇宙船ボストークで初めて地球を周回したガガーリンの「地球は青かった」に興奮したことを覚えています。いまの学生諸君にとっては当たり前のことですが、当時の人々にとってはこれまでの地表〜高度1万メートルの大気圏内のミクロの視点から、初めて人類が生きている地球を宇宙から見るマクロの視点を与えられ、新しい世界観を獲得したのです。大学を卒業してコンピュータと通信のメーカーに就職し、研究者やシステムエという考え方を通してきました。これはソフトを設計するときでもハードを設計するときでも同じです。実際に業務を遂行するときに、人間を中心に、ということを思い出していただけたらとてもうれしく思います。新潟は空気がきれいで気候も良く非常に過ごしやすいところだと思います。米、魚、野菜、果物、肉どれも大変おいしいところです。でも私にとって最もありがたいのは酒がうまいことでした。最後に皆さんありがとうございました。ンジニアとしてシステムの開発や事業推進に従事しただけでなく、会社の従業員に対する教育にも携わりました。本学でそれまで常勤で働いたことがなかった私は、国情の皆さんから本当に多くのことを教えていただきました。全員のお名前を挙げるわけにはいきませんが、小澤治子先生とプラーソル先生には、あえて大竹先生は「SEとして教育者として」と題し、新潟との縁、NECでのシステム研究、さらに本学での8年間におよぶ教育について講演されました。講演の後、平山学長があらためて長年にわたった本学への貢献に感謝の言葉を送り、卒業生と在学生や教職員から記念品と花束が贈られました。この最終講義の模様はインターネットを通じ国内の卒業生や海外在住の教員らに配信されました。3年半という短い期間で国情を去らねばならないことを、申し訳なく思っています。はその経験から学んだことを若い皆さんに担当する授業や演習、卒業研究や就職指導を通して伝えようとしてきました。伝えたかったことの一つは「システム的なものの見方」です。これは多様な価値観・世界観を持った利害関係者が関係する複雑な現実世界の問題状況を、目的を持ったシステムとして分解・構造化して概念レベルで認識し、問題の本質を把握するスキルです。その際、ミクロの視点だけでなくマクロの視点を同時に持つことが重要です。皆さんと共に過ごした8年間は、私にとっては精神的に若返った第2の人生でした。今後は学生諸君の活躍と大学のますますの発展を少し距離を置いたところから応援したいと思います。ここで感謝したく思います。振り返れば、学生たちから喜ばされてばかりの3年半でした。ロシア語スピーチコンテストでの毎年の快挙。留学した学生の大いなる成長ぶり。ロシア語検定では、留学に行かなかった学生の頑張りがとくに心に残っています。NUISecoの発展に立ち会えたのもうれしい限りです。ダンス部と吹奏楽部の発表も、大学生らしい熱意に溢れていました。そして、国際理解インストラクターの、大変な労力を準備にさき、発表後も反省を怠らない姿。私は、素晴らしい学生たちと過ごせた国情での3年半のことを、人生の最後まで忘れません。本当に、ありがとうございました。次の方々が3月31日をもって退職されました。長年にわたり本学の発展にご尽力いただきました。あらためて感謝申し上げます。▽学校法人新潟平成学院理事長・武藤輝一▽新潟国際情報大学事務局長・田村孝平学務課学生係長・小川修司卒業生の皆さんには、本学での4年間で身に付けた力を発揮してこの厳しい時代を乗り越えてくれることを、新入生の皆さんにはこの4年間大いに勉学にクラブ活動に励み、充実した4年間となることを期待します。さて、この3月をもって私の委員長としての任期も終了となる。任期2年間で常に考えてきたのは、志願者増につながる広報展開ということであった。そのため、活動内容は高校生(受験生)にどう大学を知ってもらうかというところに重点を置いたものとし、ウェブサイトの全面更新、オープンキャンパスの強化と新企画導入、各種チラシ・ポスター類のイメージ変更をはじめ、可能な限りこれまでのやり方を見直し、新たな取り組みを行ってきた。この結果がどう出るかは、今の段階ではまだ分からないが、活動成果が少しでも志願者増という形になって現れることを期待したいものである。ところで、志願者の動向もさることながら、それ以上に気になるは4年生の就職内定率の低さである。景気が一気に持ち直すことはないであろうから、来年度の就職状況も今年度と変わらず厳しいものになることは容易に想像できる。オープンキャンパスでの保護者アンケートでは、大学を選ぶ際に最も重視するのは就職状況だとする結果が出ている。本学では、これまで就職関連対策に大きな努力を払ってきたことは自他ともに認めるところではある。しかし、今年の就職状況を見ると、今の社会状況はその努力をも超えてしまったところに来てしまったと考えざるを得ない。問われるのは厳しい時にこそ地力を発揮できる大学かどうかであり、そこが評価の分かれ目になることは自明である。アンケート結果を重く受け止め、さらに大学一体となった指導体制づくりが急務となっているのではあるまいか。異動(退職)大山先生NUISを去るにあたって湧源編集後記に代えてげんゆう広報委員長 澤口 晋一 新潟国際情報大学 学報 国際・情報 平成22年4月発行 2010年度 No.1情情報報文文化化学学科科講講師師池池田田嘉嘉郎郎情情報報シシスステテムム学学科科教教授授大大竹竹康康夫夫情情報報シシスステテムム学学科科講講師師大大山山毅毅素素晴晴ららししいい33年年半半にに感感謝謝ママククロロのの視視点点をを忘忘れれずずにに開開学学前前かからら「「人人間間をを中中心心にに」」最終最終講義講義「「S人E間と工し学・て研教究育と者実と験し」 て」大竹先生

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