2012年に見た映画
アメリカ合衆国史上、女性として初の死刑執行を受けた Mary Surratt の映画。なので、すくなくとも英語圏では彼女が最終的に死刑になることは常識(だと思う)。そういうつくりの映画になっています。ただ、日本での宣伝はそのあたりを言ってないので、妙にサスペンス調として売る感あって、不愉快。邦題もまったくだめ。でも良い映画でした。リンカーン暗殺直後、その実行犯一味を早く死刑にし、北側の怒りを鎮めることによって南北戦争後の国家的統一を維持したいという連邦政府。それに対して法的手続きの整合性、合理性を主張する弁護士。
政府としては法的手続きを優先してうだうだしているわけにはいかない。そんなことしているうちに、ふたたび内乱 civil war になったりしたら、なんのための南北戦争 Civil War だったのか、なんのための双方の戦死者なのか、わからなくなるわけで、その政府のいいぶんも丁寧に描いていました。だからこそ、それに反対する弁護士の姿も単に「正義の味方」となってなく、苦悩する感が良。
<9・11>以降のアメリカの社会への批判など、もっと具体的にもあるのでしょうが、ともかく現在のハリウッドでこうしたテーマをちゃんと娯楽作品としてつくるレッドフォードはやっぱりえらいということで。相変わらず直球の真摯さでした。
親はいるけれど、いろいろな理由でその親とは一緒に暮らせない子どものための施設のドキュメンタリー。きついです。その昔、学部学生から大学院生、助手のころ、ほんの少しのあいだ、このての施設にお手伝い(とも言えない)というか、遊びに行ったりしていたので、いろいろ思い出したこともあって、きつかった。刀川和也監督もきつかったと思います。でもそれだけ訴えるもののある映画でした。
でもあとからこのきつさの理由をいくつか考えていて、ふと思ったのは、みんなの名前。子どもたちの<親代わり>の保育士がまりこさんとまきのさん。まりこさんがめんどうをみているのがむつみとまりな。まきのさんがめんどうをみているのがまいか。
「めんどう」を「みる」という言葉も含めて<マ行>ばっかり、というかほとんど<マ>ばっかり。これが窒息の原因だったとおちゃらけて済ましたいほどの、まじめな(あ、また<マ>だ)映画でした。よくぞ作られたと思います。
The Justice League of America と The Avengers が戦ったらどっちが強い? とか、もう何億年も語られ続けているこの路線。このところの Marvel のヒーローもんのひとつのけじめ。おそらくは予想どおりの面白さだろうし、予想どおりのまとまりのよすぎ。でも楽しかったですよ。特にただの人間の Hawkeye と Black Widow の描き方。そりゃあ、神様やらロボット(もどき)やらバケモンやらに生身の人間がまじってるんだから、「そんなん死んどるわ」みたいなシーンも多いのだけれど、だからこそ面白かった。そういう意味では Captain America がかわいそうだったなあ。彼はいろんな意味で中途半端で。
まじめにストーリーを語ってもしょうがないかもしれませんが、おそらくは見た人全員があっと驚くシーンが終盤にあって、そのシーンのためだけにあるような映画かもしれない。ただ、あれをやってしまったら、ずば抜けて強いヒーローがこの宇宙(というか世界というか時空というか)にひとりだけいることを Marvel 自身が認めたことになってしまうわけで。いやあ、ヒーローものって本当に難しい。
こんな映画がどんどん作られれば、日本映画界も変わる。そういう希望を見せてくれる映画が日本社会の絶望を描いているのは皮肉でも何でもなくて、世の中の仕組みがそういうもんだということでしょう。富田克也監督の根性によってこのようなすばらしい作品が完成したことを考えると、「根性だけでは良い作品が作られるわけもなくて、金をどのように用意するかが大事だ」というようなことをふだん書いている自分を恥じる次第です。お金集めにも苦労はされたでしょうが、はやりアイディアと根性がすばらしい。
地方にこそラップ文化が成立する、というのもそのとおりだと思う。このあたりは地方に住んだことのない人にはわかりにくだろうなあ。
まじめなテーマを面白い活劇にして、そのうえでいろいろと監督の思うところを観客に示す、というのはよほどの実力がないと無理でしょう。必見の作品。