なまもの2011年
世田谷パブリックシアターの芸術監督である野村萬斎が企画と監修をしているという「現代能楽集」の新作。いろいろ噂は聞くものの、実際は見たことがなかった劇団「イキウメ」を主宰する前川知大の書きおろし。ちなみに前川さん、柏崎出身だそうです。で、これがとても面白かった。おそらくは「東日本大震災後を語る作品」として長いあいだ、これから上演されていくんじゃないでしょうか。演劇において「死者との対話」というのはけっこう使いつくされているモチーフだと思うけれど、今年の3月11日以降、生き残った人々が共通して漠然と考えているであろうことをパッケージとして提示しているように感じた。
突然の天災で死んだ人たちの話。でもそれぞれのエピソードや科白も面白かったけれど、いちばん感動した(というのも変か?)のは、その全体の構造のようなものだった。「現代能楽集」という題のとおり、能(特に夢幻能)がこれまで表現しようとしたものを、今の観客にまっとうに伝わる形で表現してみたら、こうなりました、という舞台だった。それが三島ともまったく違う形になっていたのが、当然といえば当然ながら、2011年3月11日以降を感じさせる。
でも、これは「ちょっと恐い」というよりは「かなり怖い」舞台だと思うけどなあ。たしかに「笑わずにはいられない」ところもあるけれど。基本はホラーだよねえ。
指揮:シュテファン・アントン・レック
ヴァイオリン:シュロモ・ミンツモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番よりガヴォット(アンコール:ヴァイオリン)
マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調これは感動しました。クラシックのコンサートでは久しぶり。初めてオペラで感動した時、初めて文楽で感動した時、そういう経験を思い出したほどです。本当はいろんな原因が重なりあって感動したのだとは思うけれど、以下、簡単に。
行こうと思ったのはシュロモ・ミンツ。有名人に弱いということなんですが、こういうのをきっかけにしないと素人クラシックファンとしてはコンサートに行かなくなってしまうので。
とはいえこのプログラムだと、どうしてもミンツが「前座」のような感じになってしまいました。音質はとてもきれい。本当にこれはちょっと驚くほどにきれい。そのぶん、軽い感じに聞こえました。もっとはっきり言うと、この曲にしてはあっさりしすぎ。でもあのヴァイオリンの音に触れたからいいかなあ、とも思う。バッハの無伴奏パルティータのアンコール付。
ということで「真打」のマーラー5番。レックの指揮は「情熱もってます」という感じが強い。ときにはジャンプさえしている。後ろに落ちないかと心配した。でもマーラー本人もこんな感じで指揮したんじゃないかと思わせるものでした。
東京交響楽団の演奏は「どかどかうるさいロックンロールバンド」かと思うほどうるさい。でもそれが心地よいのが不思議。ホルンやトランペットのファンファーレがすばらしい。やっぱりフルオーケストラのファンファーレってすごい。特にホルンがこんなに表現力が豊かな楽器だということをあらためて認識しましたです。その「うるさい」1〜3楽章が終わって第4楽章のアダージェット。この曲の場合、第4楽章だけが映画や演劇などでも頻繁に利用され、この部分だけ聞くことが多い。でもこうして全体を通して聞くと、第4楽章も含めてまったく印象が違います。
3楽章から、一転してハープと弦楽器だけになるという唐突な展開もびっくりする。静かな音で驚くという経験もめずらしいものでございます。特にその最初と最後。とことんピアニッシモで、いつ始まって、いつ終わったのか、わからない。その緊張感。この感じもすごくよかった。で、この史上最強の恋愛旋律。
まあ有名な話として繰り返されるように、42歳のおっさんマーラーが22歳のアルマを好きになったら、こういう曲を作るようになるんですねえ。気持ち悪くもあるけれど、妙なところで感動もしてしまう。
ただやはりこの曲を聞くと「たーじおぉぉぉ」というダーク・ボガードの台詞を思い出します。『ベニスに死す』。タージオを演じたのはビヨルン・アンドレセン。友人(男性)の誰かの部屋にポスター貼ってたなあ。あれは誰だったんだろう?
とか、第4楽章聞きながら、いろんなことが思い出されました。でも曲と演奏自体の威力が大きく、そういうこちらのちまちました記憶なんか消えていきます。音楽を聴くということはなんだろう、という小賢しい疑問さえ消えていった。ほんとによかった。
その後の第5楽章もどんどん進んで行って大団円。なんでこんなによかったんでしょうか。ほんとの理由はわかるわけもない。
ダーク・ボガードのおかげかなあ。違うよねえ。でもトーマス・マンは『ベニスに死す』の主人公アッシェンバッハのモデルとして自分とマーラーを選んでいるわけだから。ファーストネームなんか、グスタフですよ。小説の中で描写される外見もマーラー本人みたい。さらにヴィスコンティの映画では主人公を小説家から作曲家へ変更しているので、さらにマーラー度が高まるし。だから「動くマーラー」というとケン・ラッセルの『マーラー』の人(名前忘れた)よりもダーク・ボガードのほうを思い浮かべてしまう。
ということで、感動したホールからの帰り、口ずさんでいたのは当然、パンタの「マーラーズ・パーラー」でした(←意味不明)。