なまもの2008年
ロバート・アッカーマンが日本で新しい団体 を立ち上げ、芥川龍之介「藪の中」を原作とする新作を上演。脚本は青木豪。期待するなというほうが無理だろう。The company という新団体の名称は変だと思うものの。で、それを見てみたら前半は「藪の中」というよりは黒澤明の「羅生門」だった。休憩前はほぼ映画のまんま。三船敏郎、森雅之、京マチ子とそっくりにしゃべり、うごく役者さんたち。アッカーマン、確信犯です。
ところが、後半になって舞台は一気に変化。通して見たら、とても良い舞台でした。第二次世界大戦終結が日本人にとって意味すること、在日韓国・朝鮮人にとって意味すること、アメリカ人にとって意味すること、世界の人々にとって意味すること。また、その意味を語ることの意味。で、お話は黒澤「羅生門」なんで、みんなが本当のことを言い、みんなが嘘をつく。人生における小さい嘘と大きな嘘。個人の嘘と国家の嘘。生者の嘘と死者の嘘。それらのものをえらい多くの役者さん達(80人ほどいらっしゃったそうです)を舞台に一気に上げて語り倒すんだから、この技能ははんぱじゃない。台詞にはところどころ雑に感じるところもあったけれど、正攻法(というよりは力技?)の演出で、どんどんどんどん話は進む。これはもう快感でさえありました。脚本を救う演出もこうしてあるんだなあ、とストーリーとは関係ないことまで終演後に考えました。
世田谷パブリックシアターで上演されて大好評、劇評もえらく好意的なものが多かったので、逆に心配だったけれど、これは見ておいてよかったなあ、というものでした。
巨大な舞台装置はいわずもがな、スタッフ、キャストまで、よくこれだけのものを世田谷公演終了後、たった一回のために新潟に持ってきたなあと、これまたストーリーとは関係ないところで感心してしまった。おそらくは新潟側のスタッフにアッカーマンのファンの方がいらっしゃって、今回の新潟公演は実現したのだと思います。さぞかしご苦労なさったことと思います。しかしその苦労は舞台のうえで報われている。
と、書いたものの、集客では苦労してました。役者の名前ならともかく、演出家の名前でお客さんを集めるのは大変なんでしょう。でも終演後、帰ろうとしたら客席にアッカーマン本人がいたので、すごく良い舞台だと思った旨をお伝えしたら、向こうから握手をしてくれました。いい人です。他のお客さんともきさくに歓談されていました。なのでいっそう私としては、満席にならなかったことをお詫びしたい気持ちでありました……って、何様だあ>わし。
趙博「歌うキネマ:風の丘を越えて――西便制」
2008年10月4日
シアターent.(新潟市)
いろいろあって昨年の新潟公演を少しだけ手伝うことになった「唄う浪花の巨人 パギやん」こと趙博さん。そのときは新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)での「トーク&ライブ」でした。チラシやチケットの印刷も楽しかったのですが、それ以上に何と言ってもライブが良かった。特に声質がすばらしい。打ち上げなどで接したその人柄も良。で、今年は「歌うキネマ」で新潟にいらっしゃいました。映画一本語りたおし。演しものは「パッチギ!」と「風の丘を越えて――西便制」。僕は後者のみの鑑賞でしたが、これも良いものでした。で、今回、僕はまったく公演のお手伝いをしなかったにもかかわらず、その打ち上げにも入り込んで、久しぶりに趙さんと歓談。去年、これまたいろいろあってシカゴで一緒に飲んだくれたジャズ・シンガー野毛洋子さんと趙さんが高校で同級生だったり、いろいろ世の中狭いこともあって、楽しい時間でした。そんときに「来週、政治学会で関西に行きますよ」と言ったら、「ちょうどその週末に天満天神繁昌亭で漫才やるんですわ」と誘っていただき、開演時間は学会のある昼ではなくて、夜だったし、ちょうど自分の発表の後だし、ということで、のこのこと天満天神繁昌亭へ。
で、行ってみたら補助席も出て大入満員。ぎっしり。趙さんのサイトからぱくってきたプログラムをそのまま貼ると、
桂吉坊「阿弥陀池」面白かった。舞台のみなさん、テンション、高い。久しぶりに大笑いしたなあ。いいです、関西の寄席。新宿、池袋、上野の寄席もいいけれど、まったくノリが違う、あたりまえだけど。吉本系、松竹系の他の関西の小屋とも違うノリ。楽しゅうございました。
笑福亭鶴二「稽古屋」
おしどり「音曲漫才&針金パフォーマンス」
李高麗超爆「太鼓語り・日韓比較文化」
=== 中入り ===
笑福亭伯鶴「ばあちゃん旅行社」
桂福楽「代書」
ブルース兄弟「音曲漫才」
と、みんなよかったけれど伯鶴さんがすごくかっこいいのにも驚いた。日本で唯一(ということは世界で唯一)の全盲の落語家さんですが、この方のたたずまいと声がとにかくかっこよろしいのですよ。趙さんは今回、李高麗超爆として「太鼓語り・日韓比較文化」。まあ余裕の高座かなあ。で、最後に伯鶴さんと趙博さんがブルース・ブラザーズのかっこして出てきて「音曲漫才」。これも楽しかった。やっぱし明るくないとなあ。
この日も終了後の打ち上げに呼んでもらってどんちゃんさわぎ。楽しかったけど、いきなり声をかけるのもちょっとこわくて、趙さん以外の芸人さんとは、最初は距離を置いて座ってました。でもビールを注ぎに来てくれる「おしどり」のご夫婦はじめ、皆さん気さくな感じの良い方々ばかりでございました。こうして「日本一なが〜い商店街・天神橋筋商店街(繁昌亭公式ページから)」の楽しい夜はふけてゆくのでした。
それにしてもこの天満天神繁昌亭、良い小屋です。こういうのが2年前までなかった大阪というのも問題あるけれど、なにはともあれ、こうしてどーんと天満天神境内にできたんだから、おめでたい。
おまけ。地下鉄の南森町駅を降りて、さあ繁昌亭だあ、と思いながら改札通ったら、その瞬間、揚げ物の匂いが漂ってきましたです。まだ地下ですよ、地下。そこまで漂ってくる串カツ、コロッケの匂い。いやあ楽しいなあ。
仕事で京都、大阪出張。京都に着いたら予定の時間までちょっと余裕があった。ということで東京で見なかった「ルノワール親子展」に。画家のピエール=オーギュスト・ルノワールと、彼の次男の映画監督ジャン・ルノワール。その二人展。行ってみたら「トンデモ」美術展だった。あきれた。ありとあらゆるものを長年にわたって大量の油絵として表現し、その画風も実はけっこう変化している父親と、これまたけっこう幅の広い映画を作ってきた息子。その二人の作品の共通点を見つけたと騒いでいる展覧会。本当にオルセー美術館の「総合監修」なんだろうか。そもそも総合監修って何だ?
たとえば。「父が<バナナ>を油絵で描いているのと同じように、息子は<バナナ>を映画のなかで描いています。すごいでしょう。さすが実の親子。血の濃さです」って、これを読んでる人はいくらなんでもそんなこと……と思うでしょうが、本当にそういう解説。文体は違うけど。で、バナナの油絵の横に液晶ディスプレイがあって、映画のなかのバナナの短いシーンが繰り返し流される。
そんでもって、この<バナナ>のところに入るのが、ブランコ、スペイン風の衣装、裸の女、モンマルトルの街並、庶民の日常、カーニバル……と延々続く。そりゃあそうだろう、似たような(というよりはほとんど同じ)文化体系に属している二人の人間が大量の作品を作ってるんだから。似たようなものを何でも見つけてこれるよ。こんな無軌道な「こじつけ」をプロがしていいのか。芸術論や映画表現論、図像解釈学などはこういう暴挙、というよりは出鱈目を許すのか。もしかして企画者は日本の美術ファンの絵画鑑賞という行為のレベルを一気に低下させたかったのか。
特にあきれたのは、父の白黒っぽいコントラストのはっきりした油絵の横で、白黒時代の息子の映像を流し、「この白黒の表現が親子に共通してます」とうれしそうに説明しているところ。それを見た瞬間、カラーでもこういうこと言ってんだろうなあ、と思っていたら、本当にそのとおりだった。会場の最後のほうに父親の派手な色彩の油絵をかけて、その横に息子のカラー時代の映像。「この豊かな色彩表現が親子に共通してます」って本当に書いていた。すごいでしょ。どう思いますか。
ここまでひどい企画もひさしぶり。こういう無茶が通るんなら、「ジャン・ルノワールとアンリ・マチス」展だってオッケーだし、やろうと思えば「ピエール=オーギュスト・ルノワールと成瀬巳喜男」展だってできるぞ。僕は金がないからできんけど。
金森穣ひきいるレジデンシャル・ダンス・カンパニー Noism の新しい代表作になるんだと思う。ちょっと最後がくどい気もしたけれど、でもあれをまとめるためには、あそこまでの「くどさ」が必要だったとも思う。でもなによりも感動的だったのは、これまで金森が作り上げてきた様式や、世間から期待されているであろう「Noismっぽさ」を、簡単に捨てている点だった。代表作(だと僕は思う)『NINA---物質化する生け贄』のようなことをやっていれば、「当分はもつ」団体だと思うけれど、そういうことをせずに、これまでとかなり違うことを新たに始めている。えらい。
そしてそういう演出側の新しい一歩が、個々のダンサーの一歩としても表現されているところにも驚いた。「ダンサーは人形ではない」ということが「人形の家」で強烈に表現されている。感動して当然である。
第二部
心中宵庚申
上田村の段
八百屋の段
道行思ひの短夜
北條秀司 十三回忌追善
狐と笛吹き
『今昔物語』より
2008年5月25日
国立劇場・小劇場
「狐と笛吹き」。文楽において新作というのは本当に難しい。これは「北條秀司 十三回忌追善」として上演されたからいっそう感じたのかもしれない。亡くなった方の作品を今このように上演することの残酷さ(と僕には感じられた)。近松ならすんなりと頭に入ってくる台詞が、新作の場合、なにかぎこちない。妙に生々しかったり、嘘っぽかったり。新作を作る必要があるのは理屈では理解できるけれど、それはまさに理屈の上での話だ。苦労してチケットを予約して、安くはないそれを自腹で購入し、(そんなに忙しい人間ではないけれど)時間をやりくりし、やっと文楽の座席について見てみた舞台があまりにぎこちない世界だったら、やっぱり僕はいやだ。「こんなものを見たかったんじゃない」という違和感。保守的で申し訳ない。保守主義とは違うか。
それでもなお、こういう試みはするべきだと思う。文楽の革新は永久に続けるべきだ。僕のような凡庸なファンの保守的な思惑や期待を超えて価値ある芸術は作られるべきだと思うから。
夜の部
伊達娘恋緋鹿子
火の見櫓の段
生写朝顔話
明石船別れの段
宿屋の段
大井川の段
2008年3月18日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
とにかく昼の部の最初「近頃河原の達引」のテンションが高い。猿まわしだけじゃなくて、なんか全体にすごく力がはいっていて、このまま夜までやったらどうなるんだろう、という感じが強かった。でもだんだん落ち着いてきて、少し安心。お俊と伝兵衛の心中ものがたり。お俊の兄の与次郎が猿廻しで生計を立てているという設定がまずすごい。ぶっとんでます。シュールの極み。舞台も超現実主義かと思うほどだった。この与次郎、とても良い人物なんだけれど、実の妹がこれから心中しようという時に、飯はばくばく食うわ、猿は廻すわ。すごいお兄さんだなあ。こっちの頭もシュールになってきます。ところがそれが、吉田玉女の動かし方によるものか、それとも伊達大夫、嶋大夫、鶴澤寛治による音の力か、舞台として感動的になるんだからすばらしい。でもこんな人、本当にいたら、いやだ。
「朝顔」は初めて見たときの感動(というかびっくり度合)はなかったけれど、でも良い舞台でした。和生さんの深雪(後に朝顔)がとても可憐で。
Feb.28,2008
New York City
なんでこんな忙しい出張中にメトロポリタンに行ったかというと、クールベ。美術の政治性について考えるには非常に重要な展覧会だという評をどっかで読んだから。そのままでした。パリ・コミューンとクールベ。政治と美術がこんなにダイレクトに結びついているのに、この作品群。ちょっと驚いた。とんでもなく「お下品」なものもある。でもそれもそういうものを描かざるをえない、あるいはそういう状況を言い訳についつい描いてしまうクールベ。有名な絵にしても、なんでこんな絵を描いたかという前後の彼の状況の説明があるので、いちいち納得しながら見た。いろいろ考えることになります、こういう企画は。もういっこはジャスパー・ジョーンズ。その灰色作品に限定。強気の企画だったけれど、これもあたりで、ジョーンズの特徴をよく出せていたと思う。
おまけはニコラ・プーサン。「プッサン」と発音すると、こどものころに近所に住んでいたR中のおっさんみたいになるけれど、本当の発音はどうだったんだろう。とにかく、彼の作品はどうもなじめんかった。
Feb.26,2008
New York City
今回のニューヨーク出張は、いろいろ研究者に会って話をするということが主目的だったんですが、もうひとつとても関心があったのは、僕らが住んでいた頃(2002-2003)と比べてどれくらい「復興」したのかということだった。だから着いた翌日に最初にここに行った。3000人が一瞬で死んでしまった場所をどう追悼しているのか。予想外の展示もあれば、「ああ、やっぱりこういうふうになってしまうんだなあ」と悲しくなるものもあった。
能
竹雪
シテ 月若の母:塩津哲生
ワキ 直井左衛門:宝生閑
2008年2月9日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)能楽堂
「能楽基礎講座(馬場あき子講座)20回記念・馬場あき子「能楽の愉しみ」スペシャル公演」という長い副題の雪見能。とても面白かった。残念ながら当日、雪は降らなかったが、スタッフの方々が前日に新発田の山から運んできたという雪が、鏡板をはずした背景の竹林に見え、とてもきれい。よござんした。またその背景となる全面のガラスが少し湿気で白くなっているのもはかない感があって良。開演前の馬場あき子さんの解説はどのような能ファンでも、場合によっては初見の人でも聞いていて、「さあこの舞台を見よう」という気になるものでした。これは話がうまい、というだけじゃないと思う。やっぱり知識量と頭の良さかなあ。人柄もあるでしょう。
能「竹雪」(たけのゆき)は越後を舞台にした「ご当地もの」。お話は、ある男の子(月若)が継母にいじめられて雪のなかで凍死するという悲劇。となると見てるほうはこの月若に感情移入しそうですが、この舞台、正直言って父・母・継母の印象しかない。圧倒的。この三人の舞というか、存在というか、突出していたように思う。わるいけど、一生懸命やっていた子方よりも、残るのは親三人。
継母はアイ、山本則重。こういうのってたぶん(本当のところはよくわからん素人です、僕は。ごめんなさい)えらく難役だと思う。彼女をわかりやすい敵役にして、なおかつ舞台全体は深く表現されないといけないんだから。
父はワキ、宝生閑。後妻への気の使い方(これが後に悲劇を生む)とか、前妻への妙な態度とか、あるいは実の子供を死に追いやってしまった後悔とか、こういうものまで能は表現できるんだなあと驚きました。当然、宝生閑個人のとんでもない技量もあるんだろうけど。
実母を舞ったシテ、塩津哲生。雪を頭にかぶりながら橋掛りにあらわれたとき、すでに実の息子の凍死を知って謡う。「子を思ふ。身を白雪のふるまいは」。このところはもう何と言っていいかわからないくらいの感動があった。これは母子の関係という情愛的なものの力ではなく、シテの動き方(and/or 動きの停止)という視覚、それにあの謡と小鼓、大鼓、笛という音響による舞台上の論理的な構成力の妙だと思う。ところが、そういう理屈で観客を圧倒した(ように感じました)あとで、母は雪に埋もれた月若の骸(むくろ)を見つける。死した我が子にかかる粉雪をはらいながら、「いかに月若、母ぞかし」。これで泣かないのは、人の仮面をかぶった鬼である。泣くなというほうが無理だろう。
理と情の波状攻撃。これは塩津哲生の演技力と構成力(変な表現ですがこれ以外思い浮かばないので)が異常に高いということなんだろうけれど、本当に驚いた。
そんでこれをどうやって収拾つけるんじゃ、とか思っていたら、急展開。母とともに兄の死体を捜しにきていた妹が父に、
妹「継母御をば恨むまじ。ただ父御こそ恨めしう候へ」
そしたら、父「返す返すも面目なうこそ候へ」
つづいて母「そも継母はいかなれば。この月若をば殺しけん。よその嘆きは一旦の思ひ。ただ憂き身ひ独りの嘆きぞかし。命惜しとも思わず」
妹「身は白雪と消えばやな」
父「理や面目なや思はぬほかの嘆きかな」
わあどうするんじゃあ、こんなんになってしまって、出口ないぞお……と思っていると、さすが舞台が新潟の竹林。かの「竹林の七賢」が唐突に登場して月若を生き返らせます。
地謡「かくて親子に合竹の。世を古里を改めて。もとの如くに栄けり」
こうして日本版デウス・エクス・マキーナによる決着。人情ものの終わりとは思えないラディカルさ。
これまで夢幻能の面白さは少しなら理解していたつもりだったけれど、こういう人情物でも能にはここまでの訴求力があるとは。文楽や歌舞伎とは違う「人情」。本当に驚くことばかりの舞台でありました。自らの不明を恥じております。
第二部
国性爺合戦
平戸浜伝いより唐土船の段
千里が竹虎狩りの段
楼門の段
甘輝館の段
紅流しより獅子が城の段
2008年1月3・4日
国立文楽劇場(大阪日本橋)
帰省がてら、途中で飛行機を乗り換える大阪で一泊しての文楽。だから、本当は第二部を見て、翌日の昼に第一部という順。でも中身は別だし。代演多し。「退座」やら、「病気療養」やら、「逝去」やら。文楽協会も大変そうですが、その余波が舞台に出たとは思わない。皆さん、とても気合いが入って良い舞台でした。それでも、なんとなく去年、一昨年とは違うような気配を感じてしまった。でも気配は所詮気配であって、向こうの側の問題じゃなくて、こっちが勝手にそう感じるだけだと思う。代演のおかげで勘十郎さんや呂勢大夫さんをたくさん見えるわけだし。
第一部は「祇園祭礼信仰記」の細かいところと、おおざっぱなところの対比が面白かった。松永弾正が悪役なんだけど、ちゃんとした(っていうのも変だけど)人物に描かれているのもこの舞台を面白くしていた。雪舟の孫、雪姫(「せっき」じゃなくて「ゆきひめ」)というのは大笑いしたけど。三層の金閣寺がせりあがるところは、ジョージ・バランシンのNYシティバレエ「くるみ割り人形」のモミの木(だったか?)とほとんど同じで、ちょっとびっくりした。バランシンが木下藤吉郎を知っているはずはないので、こういう偶然もあるんでしょう。
「傾城恋飛脚」は「冥途の飛脚」のリメーク、というか続編というか。こういう改作・補作が文楽でもたくさんあるというのが面白い。で、またこれに他のものを足して「恋飛脚大和往来」として歌舞伎になり、またそれが文楽に戻って、と。このフットワークの軽さは大事だと思う。
第二部の「国性爺合戦」は、まあこの滅茶苦茶な話に、こうまでして親子・夫婦の情愛を入れて、ぎちぎちの感もあるけれど、その荒唐無稽さは楽しめた。太夫さんたちが藤村有広(古いですか。タモリでもいいけど)状態で「とらやあやあ」とインチキ中国語を話すところも面白かったし。でもこうした「お笑い中国」も含めて、娯楽のなかで江戸期ナショナリズムが形成されていったのがよくわかって、ここはドラマツルギーとは別の意味で興味深かった。中国の虎(デザイン、動きが秀逸。爆笑ものです)を伊勢神宮のお札で家来にして、中国人兵士をちょんまげにして日本名つけて。「笑ってる場合じゃないけど、でも娯楽だから」とみんな思い続けて300年。嗚呼、日本の近代。