なまもの2007年
今年は大駱駝艦の年という感もある。いろいろあってそうなったんだけれど、新潟公演からはじまって、夏の白馬、年末の世田谷パブリックシアターへ。それぞれ違うインパクトの天賦典式だった。スペクタクルとしては「語り草」、完成度としては「カミノベンキ」、面白さとしては「舞踏虎の穴」、個性の純化としては「2001年壷中の旅」 か。メンバーの方々との楽しい宴席やら、いろいろあったけれど、そういう場をまとめている麿さんの見てくれとはかけはなれた人格にも感動した。でも裸踊りの命令はやめてくれい。
舞踏関係ではNoismは相変わらず高いレベルの舞台になっていた。でも少し理屈っぽくなったかなあ。イデビアン・クルーは「政治的」という題名だったので見るしかないと思ってみたら、面白かった。これは人気が出るのがわかる。
他の舞台では「欲望という名の電車」が圧倒的。これも見なかった人は一生後悔すべき。鈴木勝秀の演出も丁寧かつ大胆だったけれど、篠井英介がここまでの演技をするとは思わなかった。驚いた。最後に出てきたのが鈴木慶一だったというのを知ったときにも驚いたけど。
それに比べて、かつてその篠井がいた花組芝居の「KANADEHON 忠臣蔵」は演劇ではなかった。なんだったんだろう、あれは。ひどいとか、つまらないとか、そういうレベルではなくて「なんでこんなことをやっているのかわからない」というものだった。考え方が僕とは2000億光年くらい違う。それで済ましたい。
音楽関係では冬夏2回の「新潟ジャズストリート」で本学の中央キャンパスを会場として演奏してくれた渋谷毅さんにはいろいろ教わった気がする。偉そうついでに書かせてもらうとジャズピアニスト界の至宝だと思う。それぞれの回に、さがゆき、金子マリというとんでもない個性と技巧の女性ボーカルを連れてきてくれて、このお二人の歌い方を目の当たりにできたのもとても大きい。潮先郁男、石渡明廣というギターも、それぞれがまったく違う個性で、これまでのジャズ・ギターの印象がかなり変わった。さが、金子のお二人の新潟古町での飲みっぷりもすごかったけれど、渋谷さんら皆さんの人柄もあって、楽しい音楽漬けの数日でした。またまた「新潟居酒屋ほろ酔い日記」化するので、以下省略。
また新潟でのライブの実現に少しかかわった趙博さんの声も印象深い。言いたいことがあって、それをちゃんと伝えて、なおかつそれが面白いんだから、たいしたものである。なんといっても声質がいい。テレビだけで世間を知ろうとすると、渋谷さん、さがさん、金子さん、趙博さんといった人たちのすごさがわからないままになってしまうのだろう。テレビってこわい。
視覚芸術関連では「パラオ−ふたつの人生」は企画としてとても面白かった。コロニアリズムへの言及がない点は気になったけれど。でも遺族からいろいろ借りてるわけだし、書けなかったのかなあ。このあたり謎である。
「川島猛展」と「篠原有司男展」は、それぞれベテランの凱旋帰国展として、すごく良いものだった。両会場とも作品の見せ方も良質だった。
生誕100年の「靉光展」も良かったけれど、同時にやっていた「リアルのためのフィクション」が企画の勝利。公立美術館はこういうのをどんどんやるべきだと思う。
見せ方でうまかったのは「金刀比羅宮 書院の美」。応挙、若冲、岸岱らの絵を見せるにはこうするしかない、とまで思わせるものだった。それぞれの絵そのものも面白かったけれど。面白いといえば、小布施の「北斎館」。あんなものがあんなところにあるとは知らなんだ。わざわざ行く価値はあります。
写真では「球体写真二元論 細江英公の世界」が質量ともに充実。これも今だからこそ見ておくべきものだと思った。女を裸にしたらそれで済むと思っているように見える「スター写真家」や他の「売れ線」写真家などに比べて、格段にすごいと思った。こういう人もテレビや週刊誌ではあまり出てこない。ついでにいうと、これを見て数日後、上野の「ぽん多」2階で一人でとんかつを食べていたら、隣のテーブルに細江さんが座った。声などかけられるわけないが、緊張してとんかつの味もわからなくなった。こういうこともあるんですね。
最後に。新潟市美術館での「青山二郎の眼」は踏み絵のような企画展だった。これも美術館の自殺に近い企画だと思う。だからこそ価値があると考える人もいるだろう。 でも僕は躊躇せず踏みたい。