なまもの2006年
2006年10月18日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
映画『赤目四十八瀧心中未遂』ではぜんぜん良いと思わなかった寺島しのぶですが、このお芝居はとても深い感興をもよおす演技でございました。その血筋やら、なんやら語られることの多い人ですが、本人の努力の賜物か、あれだけ人を惹きつける力はすごい。樋口一葉の変人っぽさ、気持ち悪さを、本当に気持ち悪くなる一歩手前の美醜の境目のようなところで表現していて面白かった。だから前半で半井桃水への思慕を語るところだけが「普通の女性」のように見え、演技が浮いているような気がするほどだった。動きも非常に綺麗な人だと思いましたが、こういう点を誉めるとどうしても血筋の話になってしまうんでしょうか。ほんとはそんなことではないような気もする。ただしこれは演出の技巧の力も大。一葉をとりまく、舞台、音楽、照明の細やかさは尋常ではないような気がした。音楽以外の細やかな音、そして光がそれぞれの幕の季節、場所、風情、時刻、湿気などまで伝えていたように思う。
で、お話ですが、樋口一葉を主人公とした舞台というと、どうしても井上ひさしの『頭痛肩凝り樋口一葉』となってしまう。この作品、私は脚本を読んでテレビで見ただけです。でもすごく面白かった。ので、永井愛の作品をこうして見ているときも、ついついそっちも思い出してしまう。特に頭痛や肩こりの表現が出ると「ああ、井上はああいう表現だったなあ」などと。ただ、井上の作品は、一葉の人生を描くというよりももっと別のもの(それを「普遍性」と呼ぶかどうかはおいておく)を描こうとしていて、一葉の伝記を舞台化しようとしたものではないと思う。(でも実は井上の脚本でいちばん印象に残っているのは、お盆の夜にでてくる幽霊が「おぼんです」と言うところだったりする。野暮を承知で念のために書きますが「おばんです」の洒落でございます。)
永井が描く一葉のお話は、そういう井上のものと異なり、かなり直球。一葉の小説にかける思いを軸に伝記風にまとめていました。これはこれでよかったのですが、無理に文句をつけると、いろいろなものが現在から見た歴史的評価にあまりに正直すぎだと思う。一葉に比べて他の登場人物、つまり家族、友人、文壇関係者、彼らみんながあまりに「小者」として表現され過ぎ。ま、そのとおりかもしれませんが。
当時の人間関係のあらゆるところを、そこから100年たった現在の「文学史的評価」をもとに序列づけすぎている。それがテーマだったと言われるかもしれないけれど、そんなにあの時代からの「100年」、あるいは「現在」を信頼していいのか。誰が後世の人たちから評価されるか、そんなものをいちいち気にして僕たちは生きているのか。もしそういうものが今からわかったとしても、その「評価」は私たちの「今」に本当に関係する、あるいは関係させるべきなのだろうか。過去の文学そのものではなく、その文学を作った文学者の人間像(くどくてごめん)を、現在の文学史的(または社会的、もっといえば一般常識的な)評価に素直にしたがって描いているように見えた。そんな「後出しじゃんけん」を劇作家がしてしまうというのは、実は演劇や小説という表現のすごく大事なところへの冒涜(おおげさですが)のようなものではないか。ま、このあたりがすごく気になったのは、ちょっと個人的な現行の事情もからんでいるんですが。
こっからあともどうでも良い個人的なことですが、実は二兎社、初めて見ました。その昔、池袋のパモス青芸館でやってたころも面白い劇団名だなあと思いながら見に行かず、評判がだんだん良くなって本多劇場やシアタートップスで上演していたころもなぜか行かなかった。大石静がテレビ脚本のほうに行って永井愛の劇団になり、本拠をベニサン・ピットに移してからもなぜか行かなかった。特に『パパのデモクラシー』など、誰かに必見だとまで言われ、これは行くぞぉと思っていたのにそれも忘れてしまった。『歌わせたい男たち』も妻に見に行こうと言われながらも行かず、まあ人生、そういうこともありますよね。何を言っておるのかわからんが。
2006年10月14日
西海岸公園自由広場(新潟市)
面白かったです。唐十郎の脚本をあそこまでのものにして上演できる。これはかなりの鍛錬だと思う。唐の脚本を適当にやってしまうと、普通ああなるまえに体力負けしてる劇団がほとんどなので。最初、ちょっと舞台が乱れているように見え、唐のあの台詞群をこなすのに精一杯なんだろうか?とか、どうも恥かしげに演技してるのではないか?とか、?マークが観客席の上に浮かんでいるように見えました。しかし第一幕の終わりあたりからは全体のテンションもあがり、とても面白く見ました。俳優さんたちも唐の台詞をそれぞれ独自に解釈しているように見えました。レベルの高い舞台だった。
と、本当に良いものを見せてもらったということを書いた上で言うのですが、これからどうするんだろう? 「唐組」と「唐ゼミ」。グとゼの一文字違い。この違いをどうするのかという巨大な問題。ワハハ本舗とオホホ商会じゃあるまいし、まさか唐組の「二軍」となるわけにもいかないだろう。もはや唐十郎教授の教え子ではないっ、という決意表明としておそらくは劇団名に「唐ゼミ★」と★マークをつけたのだろうし。
自分たちを売り出すために唐の名前を使うのも、それは当然のことだ。だからこそ大事なのは、唐十郎本人の芝居とは違うものをいかに出していくかということではないか。もうそういうことをしていい段階にある劇団だと思う。いっそのこと劇団名から唐の名をはずすとか。
唐の脚本を唐以外の人が演出した舞台をけっこうたくさん見てきたほうだと自分では思う。先に書いたようにほとんど台詞さえこなせてないものもあったけれど、それらと違って、本当に刺激的で面白いものもたくさんあった。たとえば蜷川にしても石橋蓮司にしても、あるいは金守珍であっても、彼らは唐とは違う演出をめざし、すごく工夫(苦労)したあげく、唐とは違う価値ある劇的空間を作り出していた。特に金守珍の場合には蜷川と唐という二人からの離陸を意味するわけで、そこにいたる過程はとても大変だったのではないかと思う。でもそれこそが唐の脚本を他人が演出する醍醐味のはずだし、その過程を見ることこそが観客にとっての喜びでもあるはずだ。
WWFがWWEになって失速したように(ちょっと違うけど)、劇団名の変更はとても危険だし、困難ではあります。でも、まずはチラシ、舞台、音楽などを現在のようにあからさまに「状況劇場」「唐組」風なものから、何か別の方向へと変えてみるのも良いのではないかと、部外者ながら愚考する次第です。
2006年8月14日
歌舞伎座(東京・東銀座)
お盆の東京でまじめな仕事。そのあいだ、ちょうど時間が空いたので歌舞伎の夜の部へ。というわけで今年の干支の戌年にちなんで「なんそうさとみはっけんでん」。全幕。ちなみにコピペしておくと、こうなります。<発端>犬山道節(と、なんと網干左母二郎)を演じた三津五郎の動きはさすがにきれい。他に犬坂毛野を中村福助、犬塚信乃を市川染五郎、浜路を片岡孝太郎、中村扇雀が伏姫と山下定包。ということでけっこう派手な面子だし、舞台も大きくがったんがったん動き、歌舞伎独特のスペクタクル満載。で、そこそこ面白かったんですが、でもこの程度では駄目なんですよ、僕らには。理由は簡単。敵役が山下定包じゃあなあ。やっぱり扇谷定正じゃないと。これが理由です。でもこれでは何の説明にもなってない。
・房州富山山麓の場
・庵室の場
<序幕>
・大塚村庄屋蟇六内の場
・同表座敷の場
<二幕目>
・円塚山の場
<三幕目>
・滸我成氏館の場
・芳流閣の場
・行徳入江の場
・庚申塚刑場の場
<大詰>
・馬加大記館の場
・同対牛楼の場
関東管領扇谷定正。かんとうかんれいおおぎがやつさだまさ。この名前を聞いただけであのジュサブローさんの人形の魁偉な姿が頭のなかに浮かび、同時に故・坂本九の名ナレーションが耳にこだまする私らの世代。とすれば一緒に出てきて欲しいのは「われこそは玉梓が怨霊」。あの玉梓は本当に怖かったなあ。あの強大な二人の敵(と一緒にするにはちょっと問題があるけれど)に立ち向かう、八犬士。このわくわく感は、わかる人にはとてもよくわかるドラマツルギーだと思う。あれに比べると、今日の舞台ははるかに地味。
ということで、私らの世代にはテレビシリーズ『新八犬伝』の面白さが八犬伝に関するすべての基準になってしまっております。たとえば網乾左母二郎。何回も殺されそうになりながらもストーリー中ずっとせこく長生きし、「さもしい浪人、あぼしさもじろう」と坂本九に言われ続けてもらいたい。あの悪役キャラの印象も強烈だった。だからいくら歌舞伎とはいえ、犬山道節を演じる人が左母二郎も演じると聞くと、上にも書いたようについつい「なんと」とつけてしまうわけですよ。
でも、もう少し別のところから文句を少し言うと、テンポが悪い舞台だった。史上最長といえるほど長い話を3時間にまとめたことによる無理というのはわかるけれど、なんかもたもたした印象があった。まどろっこしいというか。上のコピペを見てもらってもわかると思いますが、場面転換が多いわりに話は平板。客が盛り上がる前に次の幕に行くという感強し。各キャラクターの生かし方も中途半端。それらのせいかもしれないけれど、またしつこく言うが『新八犬伝』に遠くおよばず。
ちなみに、サイトを検索すると『新八犬伝』の映像はTV版3話分(ということはたったの45分足らず!)と劇場版しか残ってないそうです。NHKが自分自身の宝を捨てるとは(嘆)。
2006年7月22日
神明水辺公園 バタフライ・パビリオン(十日町市)
ご当地ものの「佐渡狐」も、おめでたい「羽衣」も、見ていてすばらしい経験でした。暮れ行く初夏の夕暮れ、川沿いに作られたステンレス製の野外能楽堂で蜩(ひぐらし)の声を聞きながら狂言が始まるのを待つだけで、しみじみと感動してしまった。中越大震災復興祈願も「大地の芸術祭」の前夜祭としてもこれは本当に良い企画だと思う。ドミニク・ペロー設計の能舞台「バタフライパビリオン」もすばらしい。観世清和が登場したとき、観客席にどよめきともいえない不思議な声がもれた。それは観世の立ち姿の美しさに対する感動だけではなかったと思う。観世の姿がステンレスの屋根に映り、羽衣の美しい姿を上から見るという稀有な経験を、この建築物が自然なかたちで可能にしているということに対する感動でもあったんじゃないだろうか。開場前、橋のたもとでぼーっと一人で座っていたペローさんでしたが、たいしたものを作られたと思います。
しかし、高い。S席、前売7200円、当日8000円。「大地の芸術祭」の運営に対する協力費という名目もあるんだろうけれど、それにしてもこの短時間の作品に対する価格としては高すぎないか。それに、あの大量の招待席はなんだ。いくらなんでもあの招待席の量と場所はひどいんじゃないか。自腹で見に来る人間よりも見やすいところにどーんと招待席。八郎潟よりも広い(一部嘘あり)あの招待席のぶんまで払わされていると思うと、いくら温厚な私でも怒るぞ。
さらにはチケットを自腹で買った人たちの席はS・A・Bのボックス指定だけで、個々の座席指定なし。それぞれのボックスもえらく広いので良い席に着くためには長時間並んで待たなければなりません。そのうえ座ってからもかなりの時間、開演を待つことになります。ところが招待席の人間は個別の指定席。招待席で個別指定ができるんなら、普通の前売りでもそうするべきだろう。
で、なんじゃこれ、とあきれていると、招待席には狂言がすでに始まっているにもかかわらず、ずかずかと入って席につく政治家夫婦(終演後、地元の人が教えてくれたところによると、目立つようにわざと遅れて入場するそうです。真偽不明)やら、平気でぐだぐだ会話しながら見るおじい・おばあカップルやら、マナー悪すぎのぼんくらばっかし。招待席には政治家だけではなく、アーティストらしきいかがわしい輩もうじゃうじゃいましたが、はなから関心がないなら能のチケットなんか貰うなよ、藻前ら。この運営方法については非常に不愉快でした。
2006年6月26日
朝日酒造 松籟閣(長岡市:旧越路町)
大学で仕事をしていたら妻から電話。「今晩、越路町で千歳大夫さんが素浄瑠璃を語るらしい。ぜんぜん知らんかった。行けるか?」。というわけで突然、行ってきました。そのかわり、翌日は朝の5時起きで大学に来て講義の準備をすることになりましたが。これは本当に行くべき会でした。千歳大夫さんの「野崎村」がとてもよかった。三味線は豊澤富助さん。このお二人の力のこもった音曲をこの近さ、この空間で聞くとは。人形さんがいないだけに、音に集中して聞くことになって、おみつ(文楽史上、最高の人物造形のひとつじゃないか)の思いに思いをはせることになり、どうにもこうにも本当に……。まさか自分が将来、素の浄瑠璃を聞いて感動するようになるとは20歳のころには想像すらできなかったなあ(嘆)。などと考えると文楽の人形って、いったい何のためにあるんだろうなあということも考えざるをえないのだけれど、まあそれはそれとして。
若手の方々の「道行初音旅」もよかったです。今日の演目はたまたま二つとも人形つきの文楽を見ていたせいでよいと思ったのかもしれない。でもそれらを未見のお客さんもおそらく感動したんじゃないだろうか。それくらい皆さん、気合はいってました。若手の方々の文楽解説も面白うございました。充実した2時間半でした。
中越地震で壊れかけたのを修復したばかりの松籟閣が会場でした。この貴重な文化財をこういう催事に提供していたいだたい朝日酒造さん、どうもありがとうございました。新潟市内でも久保田はよく飲んでますが、これからも飲みますんで、ぜひこういう企画は継続してください。
2006年6月23日
新潟県民会館 大ホール
あんまし面白くなかった。タミーノやザラストロ役の方々はえらく上手だと思ったし、最後のパパゲーノとパパゲーナの歌では、こんな馬鹿歌で感動してはいかんと思いつつも感動してしまった。でも全体的にはちょっとよくないと思った。1月に同じ場所で見たスタヴォフスケー劇場のほうが良かったのはどうしてか。実は理由は簡単で、少し前に読んだ Alan Moore and Eddie Campbell, From Hell (Top Shelf Productions, 2000) のせいです。あのコミックのなかのジャック・ザ・リパーとフリーメイソンの関係が、どうしてもこのオペラを見ているとだぶってしまって、どうにもどんよりとした気分になってしまいました。その反動でパパゲーノに感動したのかもしれない。
2006年6月9日
新潟絵屋(新潟市)
オリジナリティが平面芸術の価値の大部分を占めているのなら、茂本さんの作品はすごい。誰の作品にも似ていない。多くのバリエーション、幅の広さを持ちながら、どの作品もちらと見ただけで茂本さんの作品だとわかる。これは実はすごいことだと思う。あまりのコマーシャリズムをときおり感じさせるところも、僕は気にならなかった。マイケル・ジョーダンや久保田利伸を「売る」ために描くこと、あるいはマリア・カラスとガンダム(正確には「PG 1/60 ストライク・ガンダム」。念のためにPGも正確に書いておくと Perfect Grade です。ちなみにこのプラモデル、14,700円! 実はこのバージョンの RX-78-2 GUNDAM が欲しいです)を同じ人間が同じように描くことについて違和感をもつ人もいるかもしれない。けれども、その社会的存在や製作背景を語るのであれば別だけれど、作品自体を前にしてイラストと絵画の差異を見つけることはできないし、そうした商業性を離れたところに立つことを芸術の必要条件のように語りうる場所にもう私たちは戻れない。実は戻る場所など最初から架空の地でしかない。
幼い頃は極貧にあったフランシスコ会修道士デッラ・ローヴェレが、成長してみたら教皇アレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)相手の泥沼政争を飽きることなく継続し、ロドリゴが死んだ後には、なんとそのロドリゴの庶子チェーザレ・ボルジアまでを抱き込んでやっと教皇ユリウス2世になったにもかかわらず、フランス王ルイ12世、アラゴン王フェルナンド、イングランド王ヘンリー8世などと権謀術数のパーティをくりひろげながら、ほかでもないミケランジェロにシスティナ礼拝堂の壁塗りを命じ、その計画のあまりの野放図さのために、その後を襲ったレオ10世ことジョヴァンニ・デ・メディチがさらなる建設資金を得ようと免罪符をドイツで大売出ししてしまい、ルターの怒り爆発、カトリックを窮地に追いやってしまったとしても、システィナの芸術の価値はなんら下がるものではないだろう。
というわけで茂本ヒデキチさんの作品を全面肯定したい。だけれどもオリジナリティなど意味はない、ということを言う自由も私たちにはある、ということを別種のオリジナリティで示すことで商業主義を乗り越える人間も出てくる。そんなことを考えた人間の一人は当然、アンディ・ウォーホールなわけで、そういう意味では茂本さんの絵は「裏ウォーホール」じゃないかという気もした。ウォーホールが「裏ヒデキチ」かもしれないけれど。
とにかくこれもいろいろ考えることの多い個展でした。こういう個展は好きです。
新潟にいらしたご本人もとてもきさくな方だったので、次回お会いしたときにはそういうことも話してみたい気がする。今回の新潟では日本酒飲みながら、ぜんぜん別の話で盛り上がってしまいました。パンタ、RCサクセション、子供バンド、ロケッツなど、80年代ロックのことばっか話してました。楽しかったけど。ちなみに一緒に新潟にいらした茂本さんのお兄様(詩人の茂本和宏さん。詩集『冬のプール』思潮社、2002年)とは「丸山真男と戦後民主主義」の話ばっかりしてたような気もする。こちらも楽しゅうございました。
追記(Jun.28,2006):サイトをちょこっと検索していたら、なんとバンダイ社はとうとうザクにつづいて「HY2M 1/12 RX-78-2 GUNDAM」を発売するそうです。HY2M とは HYPER HYBRID MODEL だそうで、その 1/12 スケールのガンダムですよ。全高:150cm、重量:40キロ、価格:320,000円(税込)、12月発売、絶賛予約受付中だそうです。もう今から冬のボーナスかっさらおうという魂胆か>バンダイ。前作のザクを初めて見たのはニューヨーク、真夏のチャイナタウンで、あまりの暑さと時差ボケ、そしてそのあまりのでかさのために、一瞬、幻影を見ているのかと思ったほどでした。しかしそのサイズでガンダムも出すとは……。買う根性もないし、「ジャブロー潜入セット」で我慢するかなあ。
2006年6月4日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
前日、清水邦夫の『楽屋』を金守珍の演出で見たばかり。今日は蜷川幸雄のシェイクスピア。戦後演劇史の人間模様。感慨深いものがありました。で、舞台ですが、とてもよかったです。金かけて舞台をつくって、ちゃんと演出して、ちゃんとした俳優さんがちゃんと練習して、ちゃんと芝居して、ちゃんと公演すればこうなるんだなあ。「ちゃんとしたこと」とは何か。こういうことだと思った。
あいかわらず役者に客席を走り回らせる蜷川演出だけれど、今回はその客(わたしらのことです)にローマの市民まで演じさせ、面白かったです。これぞ「パンとサーカス」。わたしらは立派な大衆だ。
演技もとても良いものばかりでした。タイタス・アンドロニカスは吉田鋼太郎。彼がシェイクスピアを演じるのを見るのは、もしかしたらシェイクスピア・シアター@東京グローブ座以来か。あんときはジーンズで「夏の夜の夢」を演じていたのかなあ。あいかわらずうまい。悪女タモーラは麻実れい。最後のカーテンコールに至るまで歩く「優美」でした。すごく大事な役、マーカスを壤晴彦。声がほとんどダース・ベイダー(ということはジェームズ・アール・ジョーンズ)ですが、演技もうまい人ですね。月並みな言い方ですが舞台を締めています。
でも以上の役者さんたちははっきり言って予想できた質の高さ。驚いたのはサターナイナスの鶴見辰吾。こんなにうまい人だったんですね。それから狂言回し的な敵、エアロンを演じた小栗旬。アイドルなのかと思っていたら、質の高い台詞、身体の動かし方もすばらしい。不明を恥じます。難役だと思いますが、余裕さえ感じさせていました。さらにはラヴィニア役の真中瞳。『電波少年』であかの他人と突然共同生活をさせられたり、チューヤンと80日間世界一周をさせられたり、とそのときの印象が強い女優さんですが、ここまで上手になっているとは。白無垢の令嬢から汚れの極致まで。おどろきました。
とうぜん、そういうレベルの演技を引き出す技術が演出側にはあるんでしょう。蜷川の演出って、つまらないときはとことんつまらないときもあるけれど、こういう総合劇をうまく作るときはさすがに瞬間最大風速はでかい。
と誉めてますが、シェイクスピアの原作そのものはぜんぜん面白くない。そもそもこれってシェイクスピアの真作なんですか。彼の他の名作群に比べると、誰か別の人間が書いたんじゃないかと思うほどだらだら。そんなによくできた話じゃないし、訴えるものもほとんどない。ただの復讐劇がうんざりするほど連鎖するだけ。二人の政敵に強姦され、舌と手首を切り落とされたあげく畑に捨てられ、それでもまだ死ねないヒロイン……ってなあ。休憩時、真っ青な顔をした女性客が係員に両側から介抱されつつ連れて行かれていましたが、気持ち悪くなる気持ちもよくわかる。あまりの陰惨さのためにラストも大笑い。相手の攻撃を受けに受けた主人公が最後の逆襲に転じるというだけなら、「宇宙戦艦ヤマト」とほとんど同じ。それが人肉パイか波動砲かという違いだけ。そんな話がここまでのすばらしい舞台になるんだから、芝居(芸術一般かなあ)って本当に不思議。ちなみに、こうしたマイナーな作品が舞台化されたのもおそらくはハリウッドが映画化したことと無縁ではないと思う。ついでにいうと映画ではタイタスがアンソニー・ホプキンス。タモーラがジェシカ・ラングです。
「りゅーとぴあ演劇まつり2006 劇バカ」はこうして終わりました。ラインナップは「ライフ・イン・ザ・シアター」「クラリモンド」「カラフルメリィでオハヨ」「タイタス・アンドロニカス」。私にとっては2連敗のあとの2連勝。この勝敗の差は明瞭でした。最初の2戦はひどい惨敗だったので、どうなることかと思いましたが、後半戦、すばらしい2勝。この企画、ぜひ来年も続けてください。
2006年6月3日
シアターEnt.(新潟市寺尾上)
新宿梁山泊、新潟アトリエ公演。演目は清水邦夫の『楽屋』。蜷川と別れた清水が木冬社を立ち上げた際の第2作。初演時の演出は昨年事故で急逝された秋浜悟史さん。当然ながらこの初演を私は見ていませんが、えらく世評の高い演出です。他の劇団も数限りなく上演している作品。私が初めて見た『楽屋』はジャンジャンでの木冬社公演か。とまれ、この歴史的名作をテントではない小さい空間で金守珍がどのように演出するか。蜷川と別れた清水が書いた作品を、蜷川と別れて唐十郎の状況劇場へ行き、そしてその唐とも別れた金の演出。何か戦後日本演劇史の人間模様さえ感じさせる公演でございましたが、とてもよいものになっていました。演出もアトリエ公演といいながら、やはりテント演出の気配が濃厚で、天井までびっしりとかけられたドレスの過剰さが良。さらには、さすが梁山泊、役者の鍛え方が違う。というか、まじめに演じることの当たり前さのようなものを感じました。最近見た芝居のどれと比べているわけではないが。
終演後、金守珍さんはじめ、スタッフ、キャストの方々とビール飲みつつ歓談。楽しゅうございました。でもいちばん印象深かったのは1985年・状況劇場若衆公演「少女都市からの呼び声」@新宿スペースDENのこと。演じた側にとっても、やはりあれは特別なものだったんですねえ。
生涯の観劇ベスト10とか、そんな馬鹿なことをしたくはない。が、あの「少女都市からの呼び声」はやはり特別だった。大学院入試直前(直後だったか?)というこちらの事情も何がしかの影響を与えていたかもしれないが、あれほどの舞台はそうあるものではない。
金守珍のフランケ醜態博士、田中容子の雪子、六平直政の田口、菅田俊のドクター。なぜか島田雅彦も客演していて、でも彼の演技もこのときは良かった。狭いDENの中には普段の状況劇場のテントとは違う空気が流れ、旧作「少女都市」を改作したその新たな脚本もとてもすばらしいものだった。ガラスの体(とあえて言う)をもつ少女、雪子。その雪子を探してさすらう兄、田口。後の唐組時代、麿赤児や藤原京での再演もよかったが、それはやはり「ベテランの風格」さえ感じさせる成熟した舞台で、はっきり言ってこの85年若衆公演のときの奇跡のようなテンションの高さはなかった。そしてこの公演後、金たちは唐組を抜け、新宿梁山泊を旗揚げする。
と、見る側にとっては思い込みの深い85年の舞台だったのだけれど、今回、はじめて金守珍さんとお話しして、舞台の上にいた人たちにとってもあれは特別なものだったということを丁寧に話していただき、やっぱりそうだったのかあと思っていたら、他の劇団員の方に「この人(私のことです)はあの舞台を見てくれていて、それはもう20年前のことだったんだよ……」とほとんど歴史的な過去のことを話すように語っていて、こちらも何か遠い目つきになってしまいました。終演後のビールまでいただいて、どうもありがとうございました。またこういう劇団を新潟に呼ばれた方の苦労も察するにあまりあります。どうもありがとうございました。
2006年5月28日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
NYLON100℃の第28回公演。作・演出はケラリーノ・サンドロヴィッチ。その昔、『劇団健康』は何度か見た。またワハハ本舗に脚本を書いていたものも見たなあ。というわけですごく久しぶりのケラ@有頂天。良かったです。舞台装置も演技も、演出も音楽も。人生の最期を迎えた老人の空想と現実という2系列の舞台は、よくある構造ではあるけれど、でも丁寧につくってあるので、ありきたりな感もなく、効果的な「お話」の展開だった。
俳優さんたちもうまく、それぞれの役をとても面白くこなしていた。特に犬山犬子の怪演はすばらしい。「ぼきはかんどうしますた」。他の俳優さんの動き方もすごく舞台全体と調和していて、コメディなんだけれど、嫌味のないものになっておりました。
ただ、全体のテーマ自体がどうも「人生の意味とは何か」というあまりに一般的なところに流れて行ったように感じられ、そこがちょっと物足りなかったかもしれない。それから、これもけっこう長い芝居だった。阿佐ヶ谷スパイダースも長かったが。最近の小劇場系の舞台って、こんなに長くやるようになっているんですね。これも時の流れか。
2006年5月25日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
お芝居を見ていると、ときどきこういう体験をします。ひと言でいうと「なんか、すごいもの見たなあ」。ひとつの作品を作り上げるには大変なご苦労があると察します。でも、この舞台がこのように作られるに至った経緯をちょっと聞いてみたくなるときがあります。たとえば、以下のようなとき。1.ある俳優さんが(おそらくは)「初学者」を「はつがくしゃ」と読んだように聞こえた瞬間
何回も練習、稽古を繰り返す中で、誰もこのことに気づかない、あるいは誰も修正しようとしないというのは、いったいどういう状況なのだろうか。この舞台を本当に良いものにしようと真剣に考えた人はいたのだろうか。空耳アワーだったと思いたい。
2.ある俳優さんが「クラリモンドを彼女にすることは」というフレーズを繰り返し歌った瞬間
誰々を「彼女にする」という表現を19世紀ゴシック・ロマンのホラーで使っていいのか。原作者のゴーチエはどう思うだろうか。もしかしてこの僧侶は現代日本の高校生みたいに「かのじょ」「かれし」(例のイントネーションで読んでください)という言葉遣いをまったく不思議に思わないほどポストモダンだったのか。そういうことはこの舞台を作っていくうえで瑣末なことなのだろうか。
3.信仰と愛についての芝居の最重要な場で「もしもクリスチャンでなければ……」というおちゃらけた曲を聴いた瞬間
ゴーチエの原作は岩波文庫版『死霊の恋・ポンペイ夜話』で読めます。原作を読んでいても、ああいう歌詞でああいう旋律となったのであれば、作詞家と作曲家にとって宗教っていったい何なのだろう。もしかしてそういうものはどうでもいいと思っているのだろうか。もしそうならこういう作品に手を出すべきではない。信仰心のない私でさえ、何かしらの憤りを感じるほどでした。
以上のように自分は作品に大きな違和感を持ったにも関わらず、「とても良かった」という声も聞いた。驚きました。これは個人の好き嫌い、嗜好の差異だけの問題にしておいてはもったいないと思う。何か演劇の見方そのものの基本的な構造について考えるヒントになるのではないか。大げさかもしれないけれど、それくらい驚いた。
「義経千本桜」椎の木の段、小金吾討死の段、すしやの段
「生写朝顔話」明石浦船別れの段、宿屋の段、大井川の段
---夜の部
2006年5月19日
国立劇場小劇場(東京・三宅坂)
土曜日の朝から東京で仕事。ということは金曜日に上京したほうが楽。さらに今週は金曜、昼の仕事がない。で、三宅坂国立劇場で文楽漬けとなりました。まずは「ことぶきはしらだてまんざい」、めでたげな明るい万歳。下ネタで終わるという意外さが長いこの一日の始まりとしては良。
「ひらがなせいすいき」。すばらしい舞台だった。
老いた漁師の権四郎、娘のおよし、婿の松右衛門(桐竹勘十郎)は平和に暮らしています。ところが、木曾義仲に仕えていた腰元お筆(吉田簑助)が登場してから空気は一変。赤ん坊の取り違えやら、その虐殺やら、そういう過去が語られ、一気に緊張していきます。自分の孫が殺されていたことを知った権四郎の怒り爆発。これに怒らなければ人間じゃないぞぉ、と奥で寝ている婿の松右衛門に出て来いと言いますが、障子を開けて出てきた松右衛門、なぜか顔つきが違います。
ここで松右衛門、実は自分が「木曾義仲・四天王」の一人樋口次郎兼光であることを名乗り、義経や頼朝を討つ機会をうかがいながら正体を隠して船乗りをしていることを明かします。この瞬間以降、この樋口、とにかくたたずまいがでかい。男丈夫とは彼奴のことか。左手一本で権四郎を軽々と持ち上げたりしてます。そんでもっていろいろあるのですが、この話、実はいちばん盛り上がるのは、終盤手前の樋口が仲間の船乗りたちに、樋口家に代々伝わる「逆櫓」の技術を教えるシーン。「海で舟に乗って戦うときには、いちいち方向転換する余裕などないのぢゃ。そのまま櫓を舟の先端に立てて、いっきに後ろ向きに舟をすすめるのぢゃぞぉ。それが逆櫓の技ぢゃ」と仲間の船乗りに秘技をおしえます。このときの掛け声が「やーしっし、やっしっし、やーしっし、やっしっし」。これが一生、耳に残ります。
結局、この仲間の船乗りたちも頼朝側の兵士だったということがわかり、あとは大殺陣。魁偉な樋口がみんなを櫓でたたき殺して終わり。この後、樋口は忠義を尽くし、亡き主君の子を救うために縄にかかるという段があるそうですが、それは今回省略。そのために唐突な殺戮シーンで終わるという印象もありますが、でもかえって「やーしっし」の逆櫓のシーンが突出して印象に残り、とても良いものでした。祖父よりも孫が先に死ぬということ、あるいは義経が壇ノ浦で舟を後ろ戻りはさせなかったということ、また平家、木曾義仲、義経、頼朝らの人間関係の逆転、義と情の位相、それらのことががんじがらめになりながら、そうした多くの「逆」のありさまを、一気に「やーしっし」という「逆櫓」で象徴してしまうその劇作。感動いたしました。
そしてこの段、「鶴澤燕二郎改め六世鶴澤燕三襲名披露狂言」であります。後半開始前、床がまわり、豊竹咲大夫と鶴澤燕二郎改め六世鶴澤燕三が登場。襲名披露口上は竹本住大夫。ということで、今日は住大夫さんを2回も見えるという幸せな日。その燕三、この「やーしっし」の曲をとんでもない弾き方でこなしていました。フリージャズのインプロビゼーションか前衛ロックのアドリブギターの如し。とてもじゃないが伝統芸能とは思えぬ。当然、細かいところはわかりませんが、難しい曲だということはとてもよくわかりました。先代が舞台の上でこの曲を演奏中に倒れ、燕二郎が浴衣姿のままで続きを弾いたとか、多くの逸話のある曲だそうです。私たちの想像もできない芸道上の苦労、思いが尽きない曲なのでしょう。芸に関するいろいろなものがこめられているかのような演奏で、その思いの一端の一端にほんの少しは触れることができたような気がして、泣いてしまいました。
次の「はですがたおんなまいぎぬ」は、お園の「くどき」とその「うしろ振り」で有名。今回と同じ文雀のお園を数年前に新潟でも見ているのですが、そのときとは違う「うしろ振り」だったので少し驚きました。同じ人でも違うパターンがあるんですね。奥が深いなあ。でもこれも泣いてしまった。本当に一瞬だけれど「あのお園の左に立っている男性は誰だろう」と思ってしまいました。文雀さんでした。
「けいせいやまとぞうし」はあまり面白くありませんでした。もともと日本の着物って、袖を広げてパタパタさせれば蝶々みたいに見えるし。この変化(へんげ)にくらぶれば、狐の忠信のほうが趣あり。三味線には鶴澤寛治も入っていたのだけれど。ついでにいえばこの「契情倭荘子」、どうもイデオロギーが気にくわん。幸福って、そういうものか? 特に「女の幸せ」ってこれでいいのか? あたしゃあ藤圭子じゃないし、あまり深くは考えたくないが。
ここで昼の部が終わり。ロビーで休憩。
夜の部は長いものがふたつ。このあたりからだんだん見る側には体力勝負という気配が漂いはじめました。
ひとつめ。「よしつねせんぼんざくら」。そもそもこの狂言、義経の名が題名に入っていますが、本人はほとんど登場せず。巷では「頼朝に嫌われてかわいそうな義経に日本人は昔から同情してきました。それを『判官物』といいます」などとよく言いますが、こんなお話を見るとそういうまとめ方がいかにおおざっぱかと思います。このお話、主人公は知盛、維盛、教経と、平家武将3人。この3人の悲劇から、滅びゆく平家のありさまを情感ゆたか(本人たちにとってはそんなことを言っている場合ではないが)に描きます。
今回はそのなかの「いがみの権太」のお話。これはさらに話が入りこんで、平家の武将さえ登場せず。さらには頼朝がじつは良い人だった、ということまで最後に明かされます。世に言う「判官物」を「日本文化の型」のように説明する人は、その型を無視したかのように複雑な劇作でありながら通時的に大人気であり続けたこの話をいったいどのように自説に利用するのだろうか。
という小賢しいことも関係なく、長いこのお話、まったく飽きませんでした。「すしやの段」の前半は竹本住大夫と野澤錦糸。こういう音が聞けるという幸福はそんなに世の中に転がっているものではない。
実の父親に誤解されたあげく、ほかでもないその父に惨殺される権太がかわいそうだけれど、まあ小悪党の末路はこういうものか。大悪党だとまた違うことになるんでしょう。ちなみに、私の生まれた愛媛近辺では「歪む(ゆがむ)」を「いがむ」と発音します。そのためかこの「いがみ」というニュアンスはとてもよくわかりました。「いがみの越智」でございます。権太ほど立派じゃないけど。
で、最後が「しょううつしあさがおばなし」。通称『朝顔日記』。これが「すれ違いもの」。江戸版『君の名は』とよく言われるものだそうですが、僕らの世代にとっては江戸版『キャンディ・キャンディ』か。でもよござんした。
ヒロインは「朝顔、実は深雪」。もともとは深窓の令嬢、良家の子女、深雪。これがもう恋人にとことん会えません。会ってもすぐに別れたり、いろんな理由でお互いに本当のことを言えなかったり、すれちがいだらけ。苦労の連続。家は追い出され、失明までしてしまいます。瞽女さんになり、名前も朝顔と変わります。その朝顔、人形は当然のように吉田蓑助。この人形にはおそれいりました。
突然吹いた地嵐のために恋人二人が生き別れになってしまうという滅茶苦茶な展開も、ふつうなら呆れますが、今日は「そうかあそうかあ大変なんだなあ、朝顔も」と悲しんでしまうのは蓑助の技量と無縁のはずがない。さらには、甲子歳生まれの男の生き血と混ぜて飲めばどんな眼病でも治せるという「大明国秘法の目薬」というちょびっと大胆な設定も、この至芸の前では「ほほう」と許せる不思議。本当に情感に富み、良い舞台でした。
最後の部分を演じられた呂勢大夫の熱演もとても良。あそこまで人を好きになれば、ああいう絶叫になるしかないです。わかるでしょ>アンソニー。「おちびちゃん、君は泣いてる顔より笑った顔の方がかわいいよ」って、ちょっと別の話か。しかしこのころになると、なにぶん朝からの文楽漬け時間も10時間に及ばんとし、誰が義仲の家来で、誰と誰が許婚だったのか、誰が維盛の子どもを助けたのか、お園の舅は誰だったか、もう何が何やらわからん状態。しかし多少混乱したとしても、朝顔なら許してくれるだろう。
こうして文楽一気鑑賞は終わったのでした。予約していたビジネスホテルにチェックインし、すぐに寝ればよいものを、10分でお昼御飯(ばらちらし+ほうじ茶)、5分で晩御飯(おにぎり+烏龍茶)という一日だったし、まあ頭の中も義理人情怨恨慕情で暴走気味だし、ということでホテル地階の居酒屋。期待もせずに「豚バラ串」を頼んだら、こんなところにこんなものが、というほどおいしい「焼きとん」。ついついカシラやらハツやら頼んでけっこう飲んでしまいました。でも翌日は朝から夕方まで研究会でちゃんと仕事しました。言い訳ですが。
2006年5月17日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
つまらんかった。ほかに思ったこと、その1。昔、ある宝塚女優の宝塚引退直後の舞台を見たときにも思ったことだけれど、自分の好きな俳優だったらどんな台詞や演技でも過剰に反応して笑ったり泣いたりするというのは、その俳優の出ている演劇空間さえ壊してしまう。ファンというのはいろんな意味で怖い。
その2。マメットの台詞は確かに面白いけれど、演出が失敗すると私たちが日常的に経験する意思伝達の部分的な機能不全(まあこれはよくあることですね)を過剰に見せつけるだけになってしまい、そんなことわざわざこんなところで見せてくれなくてもいいよ、ということになる。すべてを駄目にする演出もこの世にはあるんだと思った。これも怖い。
その3。市村正親の演技はやたら面白くてうまいのだけれど、そこから生じる不幸もあった。芝居自体が面白くなくても、その演技だけを集中して楽しむようになって、いっそう芝居そのものはどうでもいいものになってしまう。うまい演技というのも怖い。
その4。去年見た『ファンタスティックス』でも『デモクラシー』でも思ったが、やっぱり翻訳劇は体質的に自分には向いてない……と思うことで、つまらなかったものに大切なお金と時間を支払った自分を納得させるほど自分の人間がまるくなってしまったように思えるのは悲しい。時間の経過は怖い。
2006年4月24日
出湯温泉「石水亭」(新潟・阿賀野市・旧笹神村)
昨年(2005年)の4月25日に105歳で亡くなられた"最後の瞽女"小林ハルさんの歌は生では聞いたことがありません。CDやテレビでの放送のみです。だからこそ、ということもあってこの追悼公演には行きたかった。ところが問い合わせてみるとすでに満席。でも聞きたい。そこで石水亭という旅館での開催ということもあり、部屋の外の廊下でも良いので聞かせてください、と知人を通じて頼み込みました。こういうのはいかんとも思うが、聞きたいものは聞きたい。結局、廊下ではなく部屋のなかにも余裕は少しあって、最後のほうに入っていちばん後ろで聞かせてもらいました。良かったです。小林ハルさんのお弟子さんは萱森さん以外にもいらっしゃると思いますし、それぞれのお弟子さんがそれぞれの芸風を確立すべく精進されていると思うので、どこが小林ハルさんの芸で、どこが萱森さんの芸なのか、そのあたりは良くわかりません。しかし、芸の継承のあり方とか、瞽女さんの歌を同時代的に聞いていた人たちにとっての娯楽のあり方とか、そのような社会のあり方とか、いろいろなものの「あり方」について思うところの多いパフォーマンスでした。音はすごく単調な短調で、もっと盛り上げるのかと思っていたので、その落差も面白うございました。この単調さは飽きない。良い意味での単調さというのもあるのだと実感しました。
とか思いながら会場を後にしようとしたら、石水亭ご主人の二瓶さんからお声がかかり、少しお話をさせていただきました。石水亭は昨年末に営業をやめてらっしゃいます。が、この石水亭こそが、あの「現代画廊」オーナーで美術評論家、洲之内徹の定宿で、彼の代表的著作『きまぐれ美術館』にでてくる「山荘」(読んだ人にはわかると思います。面倒なので説明省略)を管理していた宿でございました。小林ハルさんの瞽女歌を洲之内徹と白洲正子が聞いたのもこの場所でした。
最初に『きまぐれ美術館』を読んだときには、まさかその石水亭の近所(というにはちょっと遠いけれど)の大学で政治学を教えることになろうとは知るよしもないので、石水亭、出湯温泉、新潟などという単語をなにげなく読み飛ばしておりました。そこで今回、『きまぐれ美術館』を久しぶりに読み直してみたのですが、はっきり言って松山と東京と新潟の話しか出てきません。ちょっと驚きました。
洲之内徹(あえて敬称略)は私の出た高校のOBの一人で、校歌の作詞者でもあります。歌詞のなかに校名がまったく出てこないという非常に不思議な作詞をした人で、いったいどんな人なんだろうと在学中から思っておりました。元・小説家の現・美術評論家で、その人のコレクションを見せる展覧会を松山のデパートが企画して、その内容や宣伝方法について本人は怒っているらしい、などということは高校生時代にも知っていました。
その後、僕が東京で学生生活を始めてから、暇なとき、とはいっても学生にとっての日常で暇なとき以外あるはずもないのですが、銀座の画廊をうろつくようになりました。お金もかけずにいろんな絵や彫刻が見える。で、そのころ「ギャラリー雲」という小さな、でも面白い作品をよく架けている画廊がありました。ド・スタールや草間彌生の作品をはじめて見たのもここだったような気がする。山口長男のドローイングがすごく良かったのもおぼえてます。オーナーもきさくな方で僕のような若輩者がうろうろしてても文句も言わず、相手をしてくれてました。今週の銀座だったら、どこそこの画廊に行って誰々の絵を見たほうがいいよ、などという丁寧なアドバイスをいただいておりました。画廊はかわられましたが、現在でもおつきあいしていただいております。
で、その「雲」のオーナーに紹介されて「現代画廊」にも行くようになったんですね。銀座6丁目、松坂屋の裏、つけ麺大王の角を南に入って右側の古いビルの3階だったと思う。エレベーターがえらく古いつくりでがらがらと扉を手で開けるものでした。なかなか使いにくい仕組みで、梅原龍三郎がこの扉に怒って階段を歩いてあがったというのを知ったのも、当然ながらずっと後のことです。夜は梅原やら、白洲正子やら、小林秀雄やらをはじめとする、まあ偉い人たちがたくさん来ていたのでしょうが、僕のような若輩はそんなところに入り込む根性などあるわけないです。洲之内徹本人も恐い噂ばかり聞いていたので、僕はときどき昼間に行っていただけです。でも画廊の店番、というよりはもっと重要な仕事をいろいろしてらっしゃいましたが、何と表現していいのか良くわからないので、まあここでは店番と書きますが、その店番をしていた若い方にはいろいろお世話になり、お茶などを飲みながら絵の話などをよくしておりました。ですから午後の遅い時間になって画廊に現れる洲之内徹とはほんの数回、挨拶程度の会話を交わしただけです。何を話したかも覚えていません。でも思ってたより恐い人ではないなあと思ったような気はします。しかしその後、僕が修士論文を書いている真っ最中に洲之内徹は病没してしまいました。
それで石水亭の二瓶さんとの会話ですが、そういう自分の記憶のなかの洲之内徹について、また松山や母校での洲之内徹評などについても雑談をしました。いろいろ共通の知人、友人などもいることもわかり、世の中狭いなあ、などと思いながらも楽しい会話でした。
これまでも出湯温泉は新潟から近いのでよく行っておりました。特に華報寺の共同浴場はその「夏は男湯、外から丸見え」という開放的なつくりといい、泉質といい、営業形態といい、ただどうぜんの料金(150円、これって入湯税だけじゃないか?)といい、非常に気に入っていた温泉です。が、近いせいもありいつも日帰りでした。なので石水亭さんにも泊めていただいたことはありません。営業してらっしゃるうちに泊まっておくべきだったなあと後悔しております。無能・無責任な人間の後悔の典型です。反省もしております。
小林ハルさん追悼・萱森直子公演についての文章のはずが、こういうことになりました。まあこれも追悼の一部ということで。
「冥途の飛脚」羽織落しの段・封印切の段
「花競四季寿」鷺娘
---夜の部
2006年3月16日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
こうやって文楽協会がちゃんとまめに地方をまわっているというのは本当に偉いと思う。東京、大阪とはまた違う雰囲気でよござんす。今回も昼夜通しの割引チケット。これだとひとつの部あたり3000円を切るわけで、充分もとはとったどころか、かえって申し訳ないくらい。昼の部は「しんぱんうたざいもん」から。お染、久松でございます。でもこの段、本当の主人公は久松の許婚、おみつ。あほんだらの久松なんかと結婚するよりは、こういう結末のほうがおみつも幸せかなあとも思うけれど、でもやっぱり悲劇は悲劇。泣けるなあ。このおみつの人物の作られ方はまるで『トゥーランドット』のリューみたいだった。
そういう悲恋の段が、なぜかおちゃらけて終わるというのも文楽の劇作法の面白いところ。重く悲しいシーンのはずが、船頭や駕篭かきが笑わせ、三味線も派手な二重奏で終幕。とても不思議に感動してしまった。
つぎはおなじみ「かんじんちょう」。文楽→歌舞伎という作品が多いなか、これは歌舞伎→文楽というアダプテーション(ちょっとかっこつけてカタカナにしてみました)。お話は例のとおりです。が、今日の「勧進帳」、なんと花道があります。歌舞伎ではあたりまえのこの演出も文楽ではほとんどなし。特に国立劇場の小劇場、大阪の文楽劇場では構造上、花道を作ることがむずかしいらしいです。ということで、この花道つきの文楽版「勧進帳」、いくつかの地方公演のみの特権ですね。そもそも花道を作ると横が3席分、縦が新潟芸術文化会館の場合だと15列くらい、つまりS席が45人分も花道の下に消える、ということはS席45人分の収入も吹っ飛ぶわけで、この判断は主催者としては難しかったと思う。でもちゃんと花道を作った新潟芸術文化会館は偉い。
そのかいあって、とても派手やかなシーンとなりました。人形でも弁慶、ちゃんと六方を踏みます。見ていると普段の人形の動き方と違ってやたら難度は高そうですが、それを難なくこなしている(ように見える)吉田玉女さん。よくはわかりませんが、鍛錬のたまもののように思われました。それから普段顔を隠している左遣いと足遣いも、このシーンでは顔を出しています。「出遣い」というそうですが、そうやるほどにこの動きは難しいんでしょうね。良いものを見せていただきました。
館内の喫茶コーナーで休憩。夜の部へ。
夜の最初は「めいどのひきゃく」。梅川、忠兵衛です。羽織落しの段から怒涛の封印切の段へ。ここでも自分から不幸なほうへ不幸なほうへと身を投げ出す忠兵衛。ぼんくら道を邁進してます。が、「その気持ちもわからんでもない」とこちらにちらとでも思わせる演出が絶妙でございました。
大夫さんは「羽織落しの段」が豊竹英大夫、「封印切の段」が豊竹嶋大夫。特に「羽織落しの段」で英大夫が語る忠兵衛の「置いてくりょぉ……いてのきょぉ……」のリフはすごかった。公金300両をお武家さんの屋敷に届けに行こうと家を出た忠兵衛。ところが心は新町にいる梅川のもとへ。まずは金を届けてくるか、それとも先に梅川の顔をひと目見にいくか。天下の往来のどまんなかで愛に悩む風情がもう完全に狂ってます。で、迷いに迷ったあげくの最後の表現がこれ。
一度は思案、二度は不思案、三度飛脚、戻れば合わせて六道の、冥途の飛脚
かっこいい。五七調を微妙に壊しながらも啖呵を切るようなこの音がすごい。こんな言葉に感動してはいかんと思うが感動してしまう。月に3回、江戸と上方のあいだを往復した飛脚屋のことを「三度飛脚」といったそうです。このほとんど「キャシャーンがやらねば誰がやる」状態の言の葉。「逆ギレ」というつまらない現代語の意味するところをはるかに超越する狂気の境地。その六道。修羅の道か餓鬼道か。衆生の業もここまでくるか。こうなるとやっぱり死ぬしかない。
この二段、忠兵衛を人間国宝<頭巾かぶって五十年>吉田簑助。羽織落しの動き。封印を切る動き。美しゅうございました。羽織を落す身振りなんか、これまたあれを人間がやるとただの基地外おやじなんですが、人形さんが太夫の音声にのって動いているその様は、本当にある人が好きで好きでたまらなくて羽織を落としたことにさえ気づかないという気配のみが伝わってきました。一途に壊れていく忠兵衛を見て、自分ももっとまじめに生きていかんとなあとまで考えてしまった。
最後の「はなくらべしきのことぶき」の鷺娘はきれいでした。ただ、正直言ってあんまり感興をもよおすことはなかった。なぜだろう。本当にきれいだったんだけれど。
で、こういうことを書くとまたなんなんですが終演後、今日の舞台に出演なさった大夫のお一人、その大夫さんの古いご友人で文楽で三味線を弾いてらした方ほか友人・知人らと夜の古町へ。お店は割烹一酔(いっすい)。かつて料亭だった2階は閉めて1階のみの営業となりましたが昭和8年創業の名店でございます。そりゃあ居酒屋に比べるとちょっとは高いですが、何を食ってもうまい店のひとつ。コストパフォーマンスは良。そこでまた村上牛のあぶり焼きやら南蛮海老のしんじょ揚やら食いながら、佐渡の銘酒「金鶴」純米をがぶ飲みしてしまった。でも芸道一筋の人たちの面白い話ばかりが聞け、本当に楽しゅうございました。いや、だから居酒屋ほろ酔い日記じゃないって。
<追記:Apr.17,2006>
演劇研究家の田巻明恒さんから勧進帳の花道に関して丁寧なご指摘がありました。東京三宅坂の国立劇場小劇場、また大阪日本橋の国立文楽劇場ともに「勧進帳」を出す場合には花道を設置するのが普通だそうで、どちらも下手の通路になっているところが花道になるそうです。これは両劇場とも「文楽だけでなく歌舞伎を上演することもあるから」だとのことでした。素人が知ったかぶりしてはいかんですね。失礼しました。田巻さん、ご指摘どうもありがとうございました。
2006年2月25日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
役者3人とスタッフで作られた劇団。残りの役者は芝居ごとに他の劇団から選んでいるそうです。だからみんなうまい。今回の主演の人たちも劇団☆新感線からか。で、この芝居ですが、とにかく長い。第一幕の『蟒蛇如(うわばみのごとく)』が1時間30分。休憩15分。第二幕『桜飛沫(さくらしぶき)』が1時間25分。計3時間10分。たとえば第一幕のラストをもう少しいじってのばしたら、それで充分ひとつの芝居になりそう。面白かったけど、そして「物語」が好きだということもわかったけれど、でも長い。すごく丁寧に作った大衆演劇みたい。現代劇をまた見たいと思いました。
2006年1月29日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)能楽堂
「能楽座」というのは「質の高い能・狂言の上演を目指し、流派を超え東西各流派の能楽師により結成され」た組織だそうです。その新潟公演。上を見てもらってもわかるように顔ぶれが派手。まずは狂言。こういうものの鑑賞はむずかしい。以前も書いたようにどうも違和感が残ってしまう。が、最近、やっと狂言を見て笑えるようになった気がする。特にこの日の「蚊相撲」は話がシュールで良かった。ある大名(天然系)が相撲取りを召抱えようとします。探して来いと言われた太郎冠者「何人探してきますか?」。大名の返事「3000人」……などという会話はリズムもよく面白かった。
そして唐突に登場するのがなんと「蚊の精」。異形の立ち姿。クローネンバーグはこれをまねたかと思うほど。むこうは蝿ですが。この蚊の精が言うには「都には相撲がはやると申すによって、それがしも相撲取りとなり人間に近づき、思うままに血を吸おうと存ずる」ってなあ……。たしかに裸のお相撲さんたちは血色も良く、その気持ちもわからんではないが。で、太郎がこの蚊の精を相撲取りとして大名屋敷に連れて帰ります。大名自らが相手をして相撲を取りますが、第一戦では蚊に刺されてふらふら。第二戦へとつづきます。
ここから後のストーリーは流派によっていろいろのようですが、大蔵流では行司をしている太郎が蚊を団扇であおぎ、大名が蚊の精のくちばしを引っこ抜いてしまって(酷)勝って終わり。蚊は風に弱いそうで。他流派では再勝負も蚊が勝つものとかあるようです。夏向きの狂言ではあるのでしょうが、よござんした。
その次の能「江口」がすごかったです。感動いたしました。
この手の能ではいつものことですが旅の僧がうろうろしております。江口という遊郭跡の廃墟を訪れると、若い女に突然呼びとめられます。この江口にはかつて西行法師が来たことがあって、ある遊女に泊めてくれいと頼んだら断られたところだそうです。そんときの西行の歌。
世の中を厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな
そしたら遊女は、
世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に 心とむなと思ふばかりそ
と歌を返すと。こういう会話は渋い。西行のほうが生臭坊主化している気配さえあって趣深い。性産業従事者を「聖なる者」としてしまう安易な議論に堕す危険性もあるが、でも良い会話だと思う。で、能のほうではそういう問答を紹介しながら、その女が「実は私がその遊女の幽霊だよーん」と言いつつ消えて、前半が終わり。
そうなるとお坊さんとしてもお弔いをあげないわけにもいかず、むにゃむにゃとお経をあげていると、夜更けの川面に舟遊びをする遊女の姿が浮かび上がると。能の下手にある廊下みたいなところがあるじゃないですか。「橋掛り」というそうですが。そこにしょぼい木の枠みたいなものをもった江口の君が2人の遊女を伴って現れるのですが、その木の枠は屋形船ということになっています。どうみても木の枠持ったおっさんたちですが、それを遊女の舟遊びと見えるかどうか、そこはこっち側の責任。
で、江口の君は遊女の世界こそ悟りへの道であると語り、一気にそれを普遍化、この世の中のむなしさ、はかなさすべてを歌い、舞いを舞います。舞ううちに彼女は普賢菩薩に、屋形船は白象に変わり、最後は「光とともに白妙の白雲に打ち乗りて西の空に」飛んで消え去るという大スペクタクル。でもほとんど動きません。能だから。で、旅の僧が合掌、最後の言葉。
有難くぞ覚ゆる 有難くこそは覚ゆれ
と係り結びの練習問題のような文章ですが、内容としては、そりゃあそうなるよなあ、無理もないよなあとこちらも納得。こんなもん見せられたら。この派手さが逆に諦観、悲哀、諸行無常さを引き立てます。この前半の若い女と後半の江口の君を観世榮夫が演じておりました。能を演じる技巧をどう評価したらいいのかまだわかりません。だから観世個人の力なのか、他の要因なのかわかりませんが、とにかくいたく感動しました。いろいろある人生だけれど、そうなんだよなあ……と。
それからこの「江口」、大鼓を安福建雄(やすふくたつお)さんが打っておりました。この人の声にも感動した。あの能の「いよー、ぽん、ぽん、よ、ぽん」という音は、要するに(と要約してはいかんだろうが)あの「ぽん、ぽん」という太鼓のリズムだけではなく「いよー」とか「よ」という人間の肉声とのバランスの妙に意味があり、さらにはその「いよー」の「よー」などの響きの幅にも大きな意味があるんだということをあらためて認識いたしました。あの奥の深さはただものではない。どうもごめんなさい。
<第2部>の狂言「鎌腹」、能「小鍛冶」も良かったのだけれど、なにせ<第1部>、特に「江口」の印象が強くて。これまたごめんなさい。「小鍛冶」みたいな話よりは「江口」のような話のほうが僕は圧倒的に好きなんだということが今日はよくわかりました。
おまけ。<第一部>の後、会場内のカフェテラスで桜茶飲んで休憩。さあ<第2部>じゃと思いつつ能楽堂に入って席を探そうとしたら、観世榮夫さんと正面からぶつかりそうになりました。しゃき、とした感じのスーツ姿で、こちらは驚きのあまり思わず会釈してしまいました。<第二部>を後ろのほうでご覧になっておられました。
2006年1月12日
新潟県民会館 大ホール
こういう多幸感につつまれる舞台がいいなあ。話そのものは滅茶苦茶。だいたいストーリー最大の仕掛けが「初夜権」ですよ。「花嫁の処女を奪う権利は領主が持つのぢゃ」ってあんたそりゃあ200パーセント色情狂、阿呆の極致ですよ。馬鹿がタンクでやってくるみたい(プラハの春にあらず。copyright:山田洋次)。で、文字通りただの茶番で、台詞の内容も信じられないくらい軽薄だけれど、でも感激してしまう。クラシックの素養はありませんが、曲調のあわせ方、盛り上げ方といい、ラストの一点突破的なカタルシスへの集中力といい、確かに天才ってこういう作品を作る人のことなんでしょう。
このスタヴォフスケー劇場は1783年の創建だそうです。その3年後に『フィガロの結婚』を上演して、それが受けに受けたためにモーツァルト本人を招待し、そのときに新作の作曲を依頼して、翌年にモーツァルト本人の指揮で『ドン・ジョヴァンニ』がこの劇場で初演されると。
ということはフランス大革命のまさに直前、プラハの人々はこんなすけべ芝居で盛り上がっていたわけで、確かに「セビリアの理髪師」からつづく主従の逆転とか、貴族の悪意を平民が機転でかわす筋立てとか、バスティーユ的な状況と無理にこじつけられない点がないこともないけれど、やはりそういうのはある歴史の偶然的必然というか、まあそんなもんだと思う。それよりも、こんな色ボケ芝居をとんでもない芸術表現にしてしまうというモーツァルトの音楽的な革新性こそが市民革命にふさわしいということは、多分その世界ではずっと言われてきているのでしょう。
と、そういう機縁でモーツァルトと関係の深いスタヴォフスケー劇場であります。ですからこの『フィガロの結婚』は『ドン・ジョバンニ』とともに劇場の得意技。おそらくは激動のチェコ(と1918〜92年のスロヴァキア)の歴史においてもこれらのオペラはさまざまな意義や意味、深読み、気晴らし、希望などを市民に提供してきたのではないでしょうか。
で、その舞台はちょっとスロースターターかなと思ったけれど、中盤から盛り上がり始めました。オーケストラも乱れなく安定感高し。シンプルな舞台装置も、そりゃあメトロポリタンなどに比べればかわいそうかもしれないけれど、この過剰なストーリーをすっきり見せるにはかえって良かったのかもしれない。でも考えてみれば、このでかいセットを地球半周運んできたんだから、えらいことではあるよなあ。
全体的な安定感のほうが評価されてしかるべきだとも思うけれど、個々の歌手もレベルは高いんじゃないか。伯爵夫人は声がでかくて綺麗だなあとか、伯爵は演技がうまいなあとか、スザンナがいちばん良い役とってるなあとか、いろいろ思いながら楽しみました。特にケルビーノが歌うアリア「恋とはどんなものかしら」はちょっときた。他の役に比べるとケルビーノって端役みたいですが、でも印象深い役で記憶にはすごく残る。ほんとかっこいい。この役を太った人がやったらどうなるんかとか、服装がHHH("The Game" Triple H)みたいだとか、いらんことまで心配してしまった。それくらい良かったです、この夜のケルビーノは。
それから字幕がとても良くできてました。はっきりいってこれはメトロポリタンの英語字幕以上です。タイミング、翻訳の日本語表現、ともにおみそれしました。どうやってシンクロさせているのかわかりません。オペラの字幕って、知らんあいだにここまで高度なものになっていたんですね。
で、終演後、新潟在住のチェコ語翻訳家木村有子さんの企画でアルマヴィーヴァ伯爵を演じたロマン・ヤナールさんをまじえての宴席@新潟古町<海鮮亭羅言>。私たちは先に店でまってました。そこにヤナールさんが現れ、つづいてなんとスザンナ役のマルティナ・ザドロさん、ケルビーノ役のカロリーナ・ベルコヴァーさんもいらっしゃいました。いやあこの席は楽しかったなあ。
チェコ語は木村さんが訳してくれるし、皆さん英語も話すし。幹部俳優とも思えない気さくな方々でした。特にヤナールさんとはいろいろお話ができました。まったく偉ぶったところのない、すごく丁寧なお人柄でございました。たまたまシュヴァンクマイエル展を新津美術館でやっていたせいもあり、オペラとは関係のないチェコの映画やアニメの話もしてしまいました。ごめんなさい。でも本当に楽しかったです。「ビロード革命」以前の話や、プラハの春などについてはこちらから聞くのもなんか悪いかなあなどと思っていたのですが、これらの点についてもすごく自然な形でいろいろ話してくれました。以前からよくわからなかったボヘミアとモラヴィアの違いも面白く説明してくれて、ありがたかったです。ユーモアのある人でした。
で、楽しい宴席はえんえん続いたのですが、途中でヤナールさんたちが「じゃあ、歌います」って、その場で歌ってくれたんですね。これはすごいものでございました。トリュフォーではないが「突然炎のごとく」って感じだった。けっこう大きな座敷を貸切にして、襖も閉めていたんですが、あの晩、他の席にいたお客さんたちはびっくりしただろうなあ。なにせ人間のものとは絶対に思えない大きさの声が唐突に店中に鳴り響くわけですよ。このクラスのオペラ歌手が室内、眼前1メートル半のところで歌ってくれるという稀有な経験をしました。あれは武器になると思う。ギャオスみたい。でも感動しました。
この席を企画された木村さんはじめ、同席された方々に深く感謝いたしております。人間、生きていればやっぱり楽しいことはあるなあ。とか思いつつ、ホテルにタクシーで帰るヤナールさんたちをお見送り。時刻も遅い(なにせオペラが終わるのもけっこう遅い)のだけれど、幾人かでさらにもう一軒、<おでん処田じ>へ。ばか話をしつつ、牛すじ、きんちゃく、大根などで銘酒「八海山」。冬の新潟古町、至福の一夜はこうして更けていくのでした。なんか居酒屋ほろ酔い日記みたいになってきたなあ……。
ちなみに、まったく本論(というものがあるとして)とは関係ないですが、一次会の会場となった<海鮮亭羅言>というのは古町のホテル金寿の2階に入ってる海鮮料理のお店です。同ホテル1階炭火串焼きのお店は<火怒羅>といいます。こうしてウルトラマン世代がお店の名前を決めるようになってきたんですねえ。海底原人ラゴンに高原竜ヒドラですよ。ラゴンなんかウルトラQにも出てるし、ヒドラなんぞにいたってはウルトラマンが殺さなかった数少ない怪獣のひとつ。高原竜っていったいなんだとも思いますが、伊豆かどっかの公園にはまだあるんでしょ、あのヒドラの像は。それにしても、こういう話ってつきないなあ。
2006年1月7日
新潟市新津美術館
一昨年、イメージ・フォーラムでやっていた特集上映も行けなかったヤン・シュヴァンクマイエル。あれは大学院生のころか、『ストリート・オブ・クロコダイル』という人形アニメが公開され、そのおどろおどろした表現が気持ち悪いながらもとてもかっこよくて、たくさんの人が見に行っておりました。それを作ったクエイ兄弟が、あのグリーナウェイの『ZOO』のモデルらしいと言われたりして、なるほどなあと納得した記憶もあります。『ZOO』も『ストリート・オブ・クロコダイル』も良い映画でしたが、その『クロコダイル』の併映作品としてクエイの短編が何本かいっしょに上映されました。そのなかに『ヤン・シュヴァンクマイヤーの部屋』という作品があって、この一本の印象が強烈だった。これがシュヴァンクマイエルへのオマージュだったんですね。当時はまだシュヴァンクマイエルとは訳してなかった。それ以降、機会があればシュヴァンクマイエルの作品を見るようになったんですが、驚いたのは(ってたいしたことじゃないけれど)、シュヴァンクマイエルに『部屋』という作品があるんですね。そしてこれがまた夢でうなされそうなものだった。
そのシュヴァンクマイエルの展覧会。正確にはエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー(昨年の秋にお亡くなりになったそうです。合掌)の作品もあるので夫婦の展覧会か。その夫婦による絵画、コラージュ、人形、オブジェ、なんといっていいかわからん物体まで、うじゃうじゃあって、ここまであればもう充分って感じでした。面白かったです。エロ・グロと簡単に言ってしまえないところがすごいよなあ。ただ、これを「聖なる遊戯」とか「崇高な魔術」とかいうと、それはまったく的外れな気もします。それにしてもよくもまあここまで気色悪いもんを考えつくなあ。えらい。
シュヴァンクマイエル流の「自然大図鑑」みたいなのも、あの手のものの極北を見せていたし、『アリス』のろんぱりウサギの人形とか『ファウスト』の巨大な操り人形とか、ああいうオブジェの存在感もちょっと予想外でございました。すごい。スケベ系の作品も確かにそれはスケベなんだけど、それを前にして笑っていいのか、猿のように走って逃げ去るべきなのか良くわからんなあとか思っているうちに、こっちに何かしらのものは伝わってくるところがシュヴァンクマイエル。充分、入場料金のぶんはいただきました。
これは神奈川県立近代美術館の葉山館のほうで先に開催された展覧会が新津に巡回してきたものですが、国内ではどうもこの2箇所だけのようです。もったいない。新津美術館、えらい。
でもちょっと気になることを書いておくと、葉山での展覧会名は「造形と映像の魔術師――シュヴァンクマイエル展――幻想の古都プラハから」。当然ポスターでいちばんでかい字は「シュヴァンクマイエル」。それに「シュヴァンクマイエル映画祭 in HAYAMA」がつきます。ところが新津では「チェコのシュルレアリスム――造形と映像の魔術師――シュヴァンクマイエル展」。新津では映像を展覧会場のビデオで流していました。できればこれもスクリーンで上映してもらいたかったと思うものの、集客とか考えるとしょうがないかもしれない。しかし何年か前、新潟県立近代美術館(長岡)はシュヴァンクマイエル作品の上映会をやってました。そこそこお客さんも入っていたとは思う。
さらに新津のポスターやチラシを見ると「チェコのシュルレアリスム」のほうが字がでかい。で小さく「シュヴァンクマイエル展」。そこに使われている作品もなるべくシュヴァンクマイエルらしくないものを選んでいるような気がする。もっと不気味なもんをどーんと出すべき。はっきりいって何の展覧会かまったくわからん。もしかして新潟(あるいは新津)の「民度」とか「文化意識」とかを学芸員は意識したのか? 「どーせここらの人間にあんなもん見せたって気持ち悪がるだけだし、まあ適当にチェコのシュールってことで宣伝しましょう」と思ってたとか。だとしたら最低だと思う。何様? そうではなくて、もしかしたら予算を通すための苦肉の策なのかなあ。もしそっちだとしたら、かわいそうだとは思う。これも合併の悪影響か?
悪口ついでにいうと、入場券の半券の裏に「サイトつかってあなたの芸術度をチェック!」みたいな阿呆企画がついていたけど、あれはなんだろう。あんなことをしないとやっていけないほど新津が大変なら、本当に合併の弊害だと思う。開館記念のすばらしい企画展、大竹伸朗の「新津――あいまいで私が日本」をやった美術館とは思えん。