なまもの2005年
2005年12月17日
歌舞伎座
忠臣蔵外伝。仇討ちにはほとんど関係ない勘三郎の「お殿様」もの。天真爛漫でよござんす。橋之助が大高源吾。ほう、こんなところに出てくるのか源吾は。と思い起こせば以前「黒森歌舞伎」で自分がエキストラ出演した役ではないか。この日、昼・夜ぶっとおしで歌舞伎座の椅子に座っている我が妻。いい御身分ぢゃござんせんか、こちとら朝からずっと湯島で寄合いでいっ……とにわか江戸っ子ぶっていたんだけれど、結局寄合いはそれほど遅くない時間に終了。何人かで飲みに行き、ちゃんかちゃんか。で、解散になっても何せ飲み始めたのがけっこう早い。妻とは終演後に待ち合わせをしておりましたものの、考えてみれば最後の幕見にギリで間に合うじゃないか。ということで見たのがこの一幕。
少しは酒も入っていたし、幕見でのお気楽な見物とはいえ、というかだからこそ楽しく見ました。やっぱりこの舞台、太鼓の音ですな。それを「一打ち二打ち三流れ」とくれば、もう三波春夫先生の長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」ですよ。まあちょっと話は違うが、のりは同じ。
一打ち二打ち三流れ
あれは確かに確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓
こんな感じでおめでたい。年の瀬には好適であります。でもこのストーリーの向こうに待ち受けるのは虚栄心と復讐心に燃え盛るテロリスト集団(それもえらく多数)による政府要人(警備少数)の虐殺と開き直り。さらにはそれを民衆が刹那的かつ無責任に支持し、結果的には国家権力の正当性だけが肥大化していくという、江戸中期に出現した大衆社会状況。というよりは典型的なファシズムか。江戸「近世」における「近代」の悪夢。本当のところはどうかわからないけれど、少なくともフィクションとしての「忠臣蔵」などで語られる世界は見るも無残な「パンと見世物」。
でも面白かったですよ、この一幕。入場料800円。
2005年5月28日
国立西洋美術館・新館2階
と、下でラ・トゥール展を貶めておいてなんですが、ル・コルビュジエ設計の巨大な建物のへりにある本当に小さい(といってもそこらの美術館に比べたらでかい)部屋でやっていたこのクリンガー展は良かったと思います。お話と芸術の関係やら、音楽による描写ってなんだとか、まあそんなことより具体的にはプロコフィエフの『ピーターとおおかみ』はそもそも芸術なんかぁ?ということばかり考えながら見ておりました。はっきり言ってラ・トゥール展よりも時間をかけて見ました。いろいろ考えさせられたなあ。よござんした。
で、この二つの展覧会が同一人物の企画だったら驚くけど。
2005年5月28日
国立西洋美術館
学会の隙間。ちょっと抜け出して上野へ。ところが、ここまで感興をそがれっぱなしの展覧会もめずらしいと思う。見ているうちにすべての絵がだんだんどうでもいい絵に見えてきて、しまいには逃げ出したくなった。でも、なんだかんだいってラ・トゥールである。どうしてこうまでへなへなに見えるのか。その理由(になってないかもしれないけれど)を考えてみました。まず、ラ・トゥールの絵がどういうものか見せようという意思が美術館側から感じられなかった。いろいろ説明文を並べてはいるが、でも実際にやっているのは最近買ったもの自慢して、貸してくれたものも適当にならべて、関連するものも適当にならべて、という百貨店商法。あらゆるものが「適当」に提示されるように見えました。はっきり言うとこれは美術館の自殺だと思う。
その「適当」な自殺度合を最大限に見せつけられたのは「真贋」についての表記。どれが偽物で、どれが工房の作品で、どれが本物で、とえらく丁寧に書いているようで、実はそれらの境界線の決定には美術館側としていっさい関わるつもりがないということだけは強固に伝わってきた。責任取らない展覧会など見たくもないと思うのは私だけか。もしかしてこっちに決めさせようというのか。真作が少ないということと、偽物も含めていろいろ並べて良いということはまったく無縁なのではないか。
さらには本物のラ・トゥールの絵が1階の展示会場にあるのに、わざわざ地下会場ではハイテク技術でディスプレイに映った絵を見せるに至っては、何をかいわんや。みんなウエブで絵を見てれば済むってことですか。この「パソコン教室」については三菱にも金払ってんだろうなあ。宣伝になるから三菱も金とってないか。
絵画はただの「画像」でしかないのか。悲嘆に暮れましたです。『聖トマス』を買ったからって、こんな展覧会にしなくてもなあ。
じつはこの展覧会を企画された方の文章やインタビューはけっこう流布していて、それらのいくつかは読んだことがあります。実現にいたるご苦労とか、ラ・トゥールに対する愛情などは伝わって来ました。本当に偉いなあと思う部分もありました。しかしこの展覧会を「成功」させたマスコミ対策の「戦略」を自慢するような記述などもあったり、さらには自分の所属する国立西洋美術館のことを「東洋の小さな美術館」と表記していて、このあたりには相当な違和感をもちました。そりゃあルーブルやロンドンのナショナル・ギャラリーに比べたらそうかもしれませんが。本当に小さな美術館の関係者は怒ると思うぞ。
2005年1月5日
国立文楽劇場(大阪日本橋)
今回、はじめて行った「本家」大阪日本橋の国立文楽劇場。東京三宅坂の国立劇場で文楽見るのは小劇場550席。こっちは731席。180席ほど違うようには見えず、なんでだろうときょろきょろしたけど、どうも奥行き左右はほとんど同じ。たぶん左右の張り出し席みたいなところの差かなあ。独立した建物の大阪のほうが全体的には大きいように見えるけど、文楽見る分にはこっちのほうが落ち着くような気がする。専用劇場だから当然なのかもしれない。でも不思議な気がする。とか思いつつ、ひとつめは「しちふくじんたからのいりふね」。商都、大阪では正月によく上演されるものだそうです。おめでたい話。題名どおり、七福神が宝船に乗ってどんちゃんさわぎのかくし芸大会。みんないろんな芸を見せてくれます。なかでもすばらしく異様だったのは、あの長い頭のてっぺんに赤い獅子頭をつけて越後獅子を踊る福禄寿。いまは僕がその地元、越後蒲原ちかくの在のせいでもないだろうが、「なんか凄いもの見たなあ」状態。だいたいあの頭が音曲にあわせて伸び縮みするんですよ、獅子頭つけて。なんだかんだいっても神様をそんなに扱っていいんですか。おおらかだなあ。舞台全体が本当に華やかで楽しく、とてもよござんした。
ここでお昼ごはん。妻の実家でつくってもらったおにぎりと劇場で買った「初春弁当」。ああ美味い、ああ目出度い正月ぢゃ、などと言っていたのに、その1時間後、号泣することになるとはなあ。一寸先が闇なのは政治の世界だけではござりまへん。
その演目、「いがごえどうちゅうすごろく」。その「沼津の段」。泣きました。もう最後の数分、泣けて泣けて。正月早々、自分でもこれほど泣くとは思わなかった。右隣に座っていたジョン・クリースみたいな英語をしゃべるおっさんに、日本人は不思議なやつらだなあと思われたかもしれん。拙い論文ではナショナリティ批判などえらそうにしている気になっている自分がこれではいかん。
……とは思うものの、しょうがない気もする。よくできてます、この話。細かいところは知らんかった。パンフのストーリーを読んでいる途中で幕が開いた。まさか、最後があんなになっているとはなあ。
時代物。本筋は「伊賀越の敵討ち」です。誰が決めたか「日本三大敵討ち」のひとつ。他のふたつは「曾我物語」と「忠臣蔵」かな。
この敵討ちは備前岡山藩家臣、渡辺数馬(劇中では志津馬)が弟源太夫(同、父親)を殺した河合又五郎(同、沢井股五郎)を倒す話。数馬に加勢する姉婿、荒木又右衛門(同、唐木政右衛門)の「36人斬り(本当は嘘だそうですが)」も有名。
ところが、この「沼津の段」、敵討ちに深く関連する人物がまったく出てきません。志津馬はおろか、股五郎、政右衛門など、チラとも登場せず。ほとんど関係ない人ばっかしで話は動きます。が、それがこの全10段もある長いお話の一番有名なところになるというのが文楽(だけじゃないけれど)の面白いところ。
平凡社「世界大百科事典」の解説(原道生さん執筆)によると、「敵を追う主人公たちの移動につれてさまざまな人々の義理と恩愛とにからんだ悲劇が次々と東海道筋に展開されていくという構想は本作独自の風趣を生み出すものとなっている」そうです。時代物という構造のなかでこてこての世話物のストーリーが展開されておりました。
この沼津の段は、これまた原さんの解説だと「志津馬の愛人お米の父である雲助平作が久しぶりに再会したわが子の呉服屋十兵衛から敵股五郎の消息を聞き出すために自害する」という、志津馬の敵討ちに関係があるのかないのかよくわからない、傍流も傍流のストーリー。しかしながら義理人情がんじがらめの世界が孤高の光を放っておりました。
というわけで、主人公は平作と十兵衛。この二人の会話だけでほとんどの場面が埋められます。この会話がすごいんですね、父子の情愛で。この段、すべての義太夫節を竹本住大夫が語り、平作を吉田文吾、十兵衛を吉田玉男、お米を吉田蓑助がもちます。この想いの機微だけで成立する時空間を、3人の人間国宝を中心とした大夫、人形遣い、胡弓も加えた三味線陣が全身全霊こめて見せてくれます。国宝に負ける権威主義者でなくとも、泣くなというほうが無理。これを見て泣かないのは人間の皮をかぶった犬畜生である。特に「なんまいだぁ……、なんまいだぁ……、なんまいだぁ……」と平作が語るシーンには驚いたというか、なんというか。正直言って、あの平作の言葉以降は涙でかすんで舞台は良く見えてませんでした。でも幸福だった。本当に人間の表現力というのは底が知れないなあと思いましたです。
ということなどを考えると、僕があれほど泣いてしまったのは、あのストーリーの極端さよりも、やはり義太夫節の「音」、人形の「動き」、そしてそれらのシンクロぐあいなどがとてもよくできていたからじゃないかなあ。こう書きながら思い出しても涙が出そうになります。
という二部のあと、「こいむすめむかしはちじょう」。その「城木屋の段」と「鈴ヶ森の段」。舞台は江戸の材木問屋。ということで、考えてみればちょっと不思議な江戸浄瑠璃。大阪弁をしゃべる江戸の人たち(正確にはお人形さんたちですが)。なんかハリウッド作の『戦争と平和』で英語をしゃべるロシア軍人みたい。「江戸も浪花もグローバル」とかまぬけなことを言いそうになりますが、この不思議な感じは面白かった。でも、先に見た「伊賀越」がすごかったせいか、全体としては印象は薄いです。ごめんなさい。三味線の鶴澤寛治などは至芸を見せてくれていたのでしょうが。