なまもの2004年
2004年11月6日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)能楽堂
能を見たのはこれがたぶん5回目。はじめて退屈しなかったのはこっちがおやじになったのか、性格が円満になったのか、それとも演じた側がうまかったのか。よくわかりません。でも面白かったです。怒られるかもしれませんけど、仕舞は言ってしまえばコンサート形式のオペラみたいなもの。これを面白いと思うにはこちらもかなりの理論武装と対象に対する思い込みが必要となるんじゃないか。それを「愛」といってもいいでしょうが、僕は愛してないので退屈しました。また何年か後にみれば感想も変わるとは思います。
狂言は狂言で、昔のひとはこれを見て笑ってたのかとは思わせます。でも今から見たら面白くはないんだよなあ。究極のオヤジギャグにつきあわされているような。あるいは、昔は面白かったけれど、今はまったく駄目な落語家が文化勲章かなんか受けたあとの高座を高い金払って見ているような。狂言師(特に若い奴)がみんな嫌味な顔になるのは彼ら本人だけのせいではないと思う。ディティールは笑えるけど、その構造全体が不愉快。これもまた何年か後に……(以下同文)。
と、前座(扱いしては彼らは激憤するだろうけれど)とは異なって、能の「松風」、私はとても面白く見ました。睡魔にもおそわれず最期まで集中してしまった。
結局(などとまとめる知識も根性も本当は私にはないのでご立腹される方も多いでしょうが)こういう夢幻能は「お化け屋敷」だから。こうやって見ると能面などもどうやって幽霊に見せるかしか考えてないデザインだし。音楽も夏の怪談話の「ひゅーどろどろどろ」の能バージョンですよ。ということで「うっわー怖い」ということを高級に感じさせてくれながら、人の世の無常さなどがとてもしみじみとこちらに伝わってくるわけですね。これは体験としては面白いっす。
ストーリーはあたりまえのように単純。二人の若い海女が海水汲んで塩を作っております。その小屋へ旅の僧が一夜の宿を借りにきます。しぶいでしょ。僧が「そういえばさっき在原行平ゆかりの松を見ましてなあ……」てなことを言うと二人の海女は突然泣き始めます。でも泣くといっても、動作としてはそれぞれ右の手のひらを自分の顔に向けて極端にゆっくりと近づけるだけ。まるで転形劇場。というより太田省吾のほうが能へのオマージュだったんでしょうが。
と、そういうことはどうでもよくて、この二人が実は松風、村雨という姉妹で、二人ともが在原行平とつきあっておった、ということがわかります。幽霊ですな。ふつうならここでどっしぇーとなるところですが、なんと松風、平気なふりしたままで行平の形見の装束なんぞを取り出してきます。それを抱きしめ、しまいには着てしまったりするうち、松風にだんだん狂気の気配が。ふらふらと歩いているうち、庭に一本植わっている松の木を行平と間違えて抱きつこうとします。そんときの松風の台詞。
あら嬉しや、あれに行平のお立ちあるが、松風と召されさむらふぞや、いで参らうすかさずいさめる妹、村雨の台詞。浅ましや、その御心故にこそ、執心の罪にも沈み給へ、娑婆にての妄執をなほ忘れ給はぬぞや、あれは松にてこそ候へ、行平は御入りもさむらはぬものをこのやりとりはすごかったっす。だいたい幽霊が幻覚を見てどうするんじゃ、と思いませんか。幽霊ってのは幻覚を見せるほうでしょうが。というか、そもそも幻覚としての幽霊以外存在するんですか……などと小ざかしいことを考えてしまうでしょ、娑婆の人間は。ところが愛ゆえに幻覚を見てしまう幽霊も世の中(?)にはいるんですね。それをまた同じ幽霊の妹が「ちょっと姉さん、娑婆の妄執はあさましいよ」とはなあ。業の深さというかなんというか。ここは感動してしまいました。そんで「後はよろしく」みたいな感じで坊主一人を残して二人は消えてゆくわけですね。そしたら坊さんとしてもお弔いするしかないですよ。しみじみ。
行平の和歌「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ」から、よくぞここまでこの話を作り上げたなあと、人間の想像力と創造力にまた感服しました。ストーリーは単純でも語るものは豊かである。
と誉めておいてなんですが、能舞台全体の巧拙というのはどのあたりで決まるんでしょうか。見慣れてない私にはよくわかりません。どこまでが演出力で、どこからが演技力で、地謡の力はどこまでか、とか。そもそも上手なシテと下手なシテの差はどこにでるのか、とか。いろいろ謎は深まる秋の夜長でございました。
「桂川連理柵」帯屋の段
「日高川入相花王」渡し場の段
---夜の部
2004年10月16日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
東京在のころ、学割料金でときどき見ていた文楽。久しぶりに見たら、やっぱり面白かったですよ。歌舞伎や狂言に比べて文楽のほうが出来不出来の差が小さい気がする。これはこちらの見る能力の問題というのも当然あるでしょうが、人形浄瑠璃という形式がとても安定したものだということでもあるんでしょう。ストーリーもほぼ2種類だし、見るほうも期待するものが非常に限定されている。でも面白いのはとても面白いからまったく問題はないです。おにぎり、水筒持参で昼の部、夜の部いっき鑑賞。チケット安めに設定してくれてるし。ちょっと頭の中はこんがらがったが、じゅうぶん堪能しました。
ひとつめの「はですがたおんなまいぎぬ」は「今頃は半七様、どこにどうしてござろうぞ……」というお園の口説きが有名な世話物。この「半七様」を「はんしちさま」と読んだらいけません。「はんひっつぁん」。特に「ひ」の音は「し」ではいけません。ほんとのところ、どう読むべきかは難しくてよくわからんが、向田邦子がTVドラマ『蛇蝎のごとく』で酔っ払った小林桂樹にむにゃむにゃと寝言で言わせていた台詞がこれです。
この名台詞のあと、お園は「うしろ振り」と呼ばれるポーズをとるのですが、これがびっくりするほど感動した。有名なシーンだそうです。泣きそうになった。からだは奥を向き、顔だけこっちに振り返りながら嘆く。3人で操作する文楽人形ですから、右手などちょっとややこしい担当の入れ替わりがあって、瞬時この体勢になります。生身の人間がやれば馬鹿みたいなポーズながら、木偶人形だけが切ることの出来る大見得。おみそれしました。さすが人間国宝、吉田文雀。私が評するなど、一万年早い。
昼の部のふたつめ。「よしつねせんぼんざくら」は狐が悲しくも楽しい芝居でございました。少し軽め。それでも静御前が「えいやっ」と扇を後ろ向きに投げ、それを3メートルくらい(もっとか?)離れた狐の忠信が受けとめるシーンは萌えました。たいしたもんです。ちなみにあれは戦後文楽史のなかでどのくらいの確率で失敗してるもんなんでしょうか。プロだし。ほとんど成功してんでしょうね。
夜の部の「かつらがわれんりのしがらみ」はすごかった。ここまで人生、めちゃくちゃにできるものなのか。呉服屋の旦那、長右衛門、38歳。おうし座A型(←これは嘘)。これが親代わりになって面倒を見てきた隣のお嬢さん、14歳のお半と「とある事情」で同衾。妊娠させてしまいます。なんじゃそれ、というはじまりですが、まあそうなったものはしかたがない……かぁ?
長右衛門の義弟、儀兵衛が登場する場面などは、青洟たらした丁稚の長吉もからんで、阿呆のようににぎやかな「チャリ場」。でも話は徐々に逃げ場がなくなっていきます。 預かった大金はなくなるし、義母は鬼婆だし、お半のことは好きだし、自分はオヤジだし、妻はいい人だし。みんなに責められます。もうがんじがらめ。お半はまだ登場しませんが、長右衛門、あまりに疲れ果て、座敷で横になってしまいます。よくできた女房お絹がそれに布団をかけて台所に退場。一人で昼寝してる長右衛門。
そこに登場するのがお半、14歳。これがすごい。14歳といっても長右衛門とはもうねんごろになっているわけで、その14歳の色気というか性欲というか、なんというか。その表現も絶妙で、もとにかくそのあたりのおもいっきり微細な線を出す人形遣い、太夫、演出。これまた、おみそれしました。
んで、そのお半、なんと長右衛門の布団の中にしのびいります。舞台見てて、思わず「うっわあ」とか言いそうになったなあ。
ま、そのあと二人のあいだで砂金と汚泥がまじったような会話が続くのですが、先にお半が退場。そして、そのお半が桂川に死にに行ったことに気づいた長右衛門が後を追って幕。
この段全体で面白かったのは長右衛門の動き。というよりもこの主人公、ほとんど動きません。じっとしてるだけ。まわりの騒ぎや発言にじっと耐えに耐え、目を閉じたまま思案しまくり。微動だにせず。それでいながら長右衛門の心情はこちらに痛いほど伝わるのだから、むこうはそれほどうまいんでしょう。
最後の最後、長右衛門が実は15年前に岸野という芸者と桂川で心中しようとしたことを独り言で観客(わたしらのことです)に明かします。そんで長右衛門の台詞。
先に岸野が身を投げたを、見るよりふつと死に後れ、人の知らぬを幸ひに、その場を逃れ今日迄は生き延びしが……と自分は人間の屑であることを白状しながら、岸野がお半に生まれかわって桂川へと誘っているのかなあなどと考えつつ、因果の罪滅ぼしとして桂川で心中するのでした。業ですなあ。でもこの脚本演出、本当にうまいと思った。この日は上演されなかったんですが、次の段「道行朧の桂川」も狂ってます。お半の台詞。
定まり事とあきらめて、一緒に死んでくださんせ予想していたとはいえ、やっぱり14歳のお半にいきなり言われたらなあ。38歳のオヤジも息とまるよなあ、そりゃあ。つるかめつるかめ。夜の部のふたつめ。「ひだかがわいりあいざくら」。これも昼の部と同じで少し軽め。話自体は「安珍清姫」ですから、軽くはない。しかし演目としてはスペクタクルですから。道成寺でのほほんとしている安珍なぞ、まったく出てきません。このあたりのすっきり加減がとてもよろしい。
日高川を渡って道成寺に行って安珍さまに会いたい……という清姫。でも行けません。それまでかわいかった清姫ですが、思いは募り嫉妬は憎悪へと。その怒りに燃えるおのれの顔が日高川にうつります。そのとたん、後先考えずにざっぶーんと川に飛び込み、きもの着たまま泳ぎ始める清姫。強引。それが鬼面の大蛇に変身して日高川を渡りきるという大アクション。派手。それに音楽があれですから、もうこれでもかこれでもかと真っ白な大蛇になった清姫がちゃんちゃかちゃんちゃか、口から火吹きながら泳いでくれます。
でもその日高川を泳ぎきって人間の姿に戻り、岸の上でぜいぜい言っているラストの清姫。これまたこの世のものとも思えぬほどうつくしい。すべてはこのラストシーンのための大蛇だったんですね。すばらしい。思い出しても泣けてくるなあ。
ちなみにこのお話は「道成寺現在蛇鱗 どうじょうじげんざいうろこ」の一部分を改作したものだそうです。題名そのものはこの「げんざいうろこ」という響きのほうがはるかにびびりますなあ。現世、今生、原罪のうろこ……。いやあ、つるかめつるかめ(再)。
2004年7月17日
新潟県民会館
二代目中村魁春の襲名披露公演。中村吉右衛門が引っ張っています。演目自体は華やかで面白かったが、実感したのは女形の襲名披露は難しいということだった。
画廊 Full Moon(新潟市)
2004年6月23日
田中久生さんのヴァイオリン、田中多恵さんのヴァイオリンとヴィオラでした。J・S・バッハ/2声のインベンションよりこの Full Moon という画廊は新潟市の東堀通にあって、古い町屋を改築した空間。下の大半は畳だし、他の部分の床や柱、天井など、渋く黒光りしています。そのなかに靴を脱いで入って聴く。とてもおちついた演奏で、こちらも安心しきって聴いていることができたのは本当は技巧のおかげなんでしょうが、そういうことを感じさせないほどうまい方々でした。というか、音楽理解の高度さか。いい言葉じゃないかもしれないけれど「賢い演奏」という気がした。
ベートーベン/ヴァイオリンとヴィオラの為の二重奏曲 ハ長調 WoO.27
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョバンニ」より「お手をどうぞ」
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」
モーツァルト/ヴァイオリンとヴィオラの為の二重奏曲 ト長調 K.423
ドボルザーク/ユーモレスク
フォーレ/夢のあとに
シューマン/トロイメライ
マスネ/タイスの瞑想曲
2004年3月25日
New Museum of Contemporary Art, New York, NY, USA
すんごい疲れた。疲労困憊の極。しんどい。メロスでもここまでは疲れなかったんじゃないか。なあ、セリヌンティウス。これはニューヨーク大学での研究発表の翌日に行った。発表のあとは久しぶりに会うかつての研究仲間とヴィレッジで酒飲み倒しました。翌日、また別の知人と韓国料理屋で楽しく昼食をとり、その後、一人でローワー・マンハッタンのブロードウェイ。ちょっと遅い午後の散歩。てくてく。そんな軽い気分でこの展覧会へ。が、うちのめされました。惨敗です。これを見終わったあと、ニューヨーク大学の別の教員とバーに飲みに行ったのですが、彼は僕に会うなり「なんか疲れとるなあ。どうしたんじゃ」と言われ、「ジョン・ウォーターズのオブジェを見とった」と言ったら、「がっはははははは。そんなもん、見に行くほうが悪いのぢゃ」と一笑されました。それくらいの疲労です。
その昔、学部学生のころ、新宿のフィルム・アーカイブで『フリークス』と同時上映で見たノーカット版『ピンク・フラミンゴ』。それ以降、ジョン・ウォーターズ、ディバインのものはほとんど機会があれば見てきた。それでもこの展覧会はなあ……。ここまでとわなあ……。ジョンって、かたくなだからなあ……。と、思わず花輪和一マンガの登場人物のように路傍の石に腰掛けてキセル煙草のひとつでも吸いたくなるほどがっくりきた。
最近のウォーターズは写真なども撮っているそうで、そのプリント、自主制作時代の旧作の上映、自分の書斎の実物大再現、小さなオブジェなど、とにかく適当に詰め込んだという印象の展覧会。しかし詰め込まれているものがウォーターズの人格だから、まったく散漫な印象はありません。やっぱし偉い。
でもJ・F・ケネディの頭をディバインの胴体にくっつけたミニチュア人形をいきなり見せられてもねえ……(嘆息)。ほんとは面白かったけど。
2004年3月23日
Grey Art Gallery, New York, NY, USA
「おかあさん、ここは暗いです」と書かれた張り紙を昔どこかの電柱か何かで見ました。それ見てから3日ほど寝込みました。この写真展、そんな写真ばっかし。この引き込む力はやっぱりすごい。こんな言葉ですましてはいかんとは思う。でも「暗い」以外には最初の印象としては言葉が出てこない。とても感動したけど。ニューヨーク大学のギャラリーで開催されたダイアン・アーバス展。これもニューヨーク大学での発表前の時差ぼけ対策で行きました。行って良かった。これを見たおかげで翌日の研究発表に一定の重さが出たと思う(大嘘)。でもこの写真展に行ったこと自体は本当に良かった。
未発表の写真や本人の contact sheets(べた焼きのことですか?)などを旧作といっしょに展示して、これまで語りつくされてきたアーバスについて新しい視角から考えようとしている。ところがこれが結構ややこしい構成に。
自殺する数年前にアーバスが進めていた Family Albums という企画があったそうで、それが完成していたらこうなっていただろうという想定で彼女の作品を展示。その企画における彼女の視点は写真というメディアを「ノアの方舟」としてとらえているらしい。そう言われれば、この Family Albums というタイトル、そして1960年代アメリカという状況などとあわせて、確かにそりゃあ「方舟」だなあと、妙に納得してしまいます。
やっぱりテーマは家族なんだけれども、今回の企画では特に彼女の「手法」について視覚化しようという意思を強く感じた。しかし、全体的な感想は先に記したとおり。手法だなんだということが跳ね返されるようなこの暗黒は、家族という共同生活の人間システムがもつどうしようもない部分をアーバスがあからさまにしているということなんだろう。それも彼女の他の作品のように異形な人々が出てこず、アイドルやテレビ俳優、かわいい女の子など、整った造作の人間がその「どうしようもなさ」を家族として演じているように見えるだけにいっそうこわい。
ほかの奴の家庭に比べて僕/私の家庭は特に不幸だと嘆いている人は必見……か?
2004年3月23日
The Frick Collection, New York, NY, USA
ニューヨークに住んでいるとき「いつでも行けるじゃろ」と思いつつ、結局行けなかったもののひとつ。フリック・コレクション。これも時差ぼけ解消を言い訳に行ってきました。19世紀末から20世紀にかけて財をなしたピッツバーグの鉄鋼王ヘンリー・フリックのコレクションを彼が実際に住んでいた住宅にそのまま展示。彼の没後に財団が購入した作品もありますが、基本的には彼自身が選んだものが中心。
個人収蔵としてはやっぱりすごいんだろう。フェルメール3点。レンブラントの自画像にも驚く。シャルダン、ターナーもレベルは高い。ベッリーニのSt. Francis in the Desertも「あ、ここにあったんか」作品のひとつ。個人のコレクションには往々にして斑(むら)のようなものが出ますが、このフリック・コレクションはそれが少ない気がする。公式ウエブページではそれらの作品が見えるようになっています。覗いてみてください。
コレクションに負けず、建物もすばらしい。ふつう個人宅に飾っている絵を見に行くと天井が低かったり、部屋の奥行きが足りなかったりするけれど、ここはいかにも絵画が好きな人間のために設計しましたっていうのがよくわかる。絵の手前にガラス板などをはめず、そのまま邸宅の壁にかけられている作品群。中庭も見とれてしまうほど美しい。
ただ、ここの作品はその来歴のためか、いっさい外部には貸与しないそうで、それはそれでなんとなくかっこいい気もしますが、この美術館相互協力の時代、それで良いのかとも思います。
ついでに言えば、フリックがニューヨークに家を建ててコレクションを飾ったのはピッツバーグの汚い空気が絵画や彫刻を腐食させるのを避けるためらしいっす。なんじゃそれ。そもそもカーネギーといっしょにピッツバーグの大気を汚染させてまでしてせっせと蓄財したのはあんたでしょうが……とつっこみたくもなります。
それから、たしかにここは作品をまぢかに見ることができるようになってはいますが、よく見ると当然ですが各種センサーの類もたくさん仕掛けられています。絵や彫刻を見ているうちに『ミッション・インポッシブル』の登場人物のような気分にもなれます。でも本当はジュールス・ダッシンが監督した『トプカピ』だよなあ、じゃあ、俺はマクシミリアン・シェルかあ、うっはー……などと妄想をはぐくんでいたのは時差ぼけのせいです。
2004年3月22日
Guggenheim Museum, New York, NY, USA
映画の Greendale のところにも少し書きましたが、研究発表でニューヨーク行き。時差ぼけをなおすために見にいった展覧会のひとつ。ミニマリズム大回顧展。作品は「こんなことしてみました」というもののオンパレード。「鉛、溶かしてみました」とか、「真っ白なキャンバス、切り裂いてみました」とか。他には「作品書かずに額縁だけ掛けてみました」とか、「美術館の壁全体をラバーで覆ってみました」とか。「ダンボール重ねて穴あけてみました」ってのもあったなあ。でも圧倒的に多かったのは「○○置いてみました」系かなあ。「床に400グラム分のキャンデー置いてみました」とか、「アスピリンを99999錠すりつぶして置いてみました」とか、「コンクリートの塊、置いてみました」とか。とにかくミニマルだから、何か置けば芸術になるんですね。
ところが退屈しませんでした。そんなばかり見てても「なんじゃあ、こりゃあ」と松田優作状態にはならんわけですよ。どうしてか不思議でした。グッゲンハイムの建物が建物なんで、展示の仕方もあまりにひどい感じはしなかった。同じ作品でもほかの美術館に置いたらえらく不愉快なものになったかもしれません。「こういう建物だし、ここはグッゲンハイムだし。ま、今日のとこだけは許してやるかぁ」と、僕だけではなく他の皆さんも鷹揚にかまえてらっしゃるように見うけられました。
アイデア一発勝負と理屈の世界。ただ、そのアイデアと理屈がある物体として目の前に置かれると、なぜか感動してしまったりもするのが人間の理解力、認識力(の低さも含めて)の面白いところ。半透明のアクリルブロックも、それぞれがドラム缶ほどの大きさでそのやたら重そうなものが見渡す限りおいてあったりすると、人間「ほほぉ」とか唸ってしまったりしませんか。
そういう意味では、この展覧会の肝は何かの「塊(かたまり)」って気もしてきたなあ。作る側はコンセプトを塊として見せる。塊魂。かたまりだましい。いじらない。
キャンバスを切り裂くことにだけ意味を見出していて、その切り裂き方はあまり関係がない。たしかに美しい切り裂き方ではあるけれど、切り裂くという行為の塊があればそれでいい。次はその大きさだけが問題となる。小さいちまちましたキャンバスを切り裂くよりは高さ5メートルのキャンバスを切り裂いたほうが塊度(かたまりど)は高く、見る者の「ほほぉ」度も高くなる。
だからこそこういうコンセプト勝負の芸術が逆に「物」としての存在感に依拠する作品を生み出すことになる。アスピリン一粒すりつぶしても、それはただのお遊びですが、99999錠だとそれは立派に人を感動させる。
本当はもう少し別のことも考えたんですが、面倒になったのでこのへんで。
2004年2月17日
山形県酒田市黒森日枝神社境内
歌舞伎ざんまいの日々というわけではないんですが……。去年の暮れに新発田で見た地芝居、黒森歌舞伎。感想も下に書いたとおり。今回は本拠地酒田市黒森での本公演。毎年2月の15日と17日の2日のみ。遠いし寒いしどうしようかなあと思っていたのですが、一念発起、車すっ飛ばして行ってきました。朝起きて突然行こうと決めたのと、新潟と山形のあいだの道は冬場つるんつるんに凍るときが多いし(実際、何年か前にあのあたりですごい怖い思いをしております)他人様を乗せて走る勇気がなかったんで、わしら夫婦だけで行きました。「一緒に行きましょう」などとかねてから誘っていた皆さん、ごめんなさい。
もっと山の中かと思っていましたが、酒田と鶴岡のあいだ、海に近い集落。庄内空港の近く。とはいえこの時期の歌舞伎の野外鑑賞ですからね。こっちも重装備で行きました。ひざ掛けやら帽子やらマフラーやら手袋やら。低温対策、雪対策もばっちり。ところがぎっちょん。行く途中で雨。黒森に着いてみたら氷雨ですよ、あーた。ま、私が馬鹿だったということなんですが、持って行ったものはほとんど役立たず。私の人生、象徴してます。で、神社の境内に敷いてくれている発泡スチロールの上で一本の傘で夫婦で震えながら見ておりました。
新発田では市民文化会館で見ました。今回は本拠地の日枝神社。ホールに比べると小さいのですが、それでも地芝居としてはとても立派。花道もありしっかりしてます。これはさすがに享保年間から300年続いている芝居です。感服しました。それで今年の演目は『仮名手本忠臣蔵』。ほうほうなどと言いつつ楽しんでいたんですね。
ところが雨に濡れて冷たい。足もとから冷えてくる。で、我慢できなくなって、ちょっと見にくいけれど横のほうにあるテントの中から舞台を見ながらふるえておりました。そしたら関係者の人が討入りシーン用の四十七士役のエキストラを探しに来ました。そういえばそれを募集しているという放送なんぞが幕間に流れておりました。たくさん集めたいということなんでしょう。最初は知り合いなんぞに声をかけていたんですが、僕のところにもきて「ぜひ」と。最初はかっこつけて断ったりしてたんですが、結局、恥を捨てて大高源吾になりました。大高源吾ファンのみなさん、ごめんなさい。
エキストラとはいえ下手な演技で申し訳なかったです。でも本当のこというと、これはとんでもなく面白い経験でした。歌舞伎の隈取をしてもらってカツラかぶって鉢巻き締めて。貸してもらった刀も重い。下はジーンズはいたままでしたが。でも、これははまります。みなさん、気をつけましょう。
2004年2月15日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
作:三谷幸喜
演出:山田和也
出演:佐藤B作、佐渡稔、山本龍二
1992年、94年とヴォードヴィルショーが2回演じてきた喜劇。三谷の代表作のひとつ。今回のために書き直した箇所もあるとのこと。よくできた喜劇。とても面白かった。役者ですばらしかったのは青年座からの客演、山本龍二。初演、再演では伊東四朗が演じた伊藤博文を演じています。今回も東京公演では伊東四朗と山本龍二がダブルキャストだったようです。地方公演では山本のみ。でも彼がだんとつに面白い。三谷の人物の造りかたも良いのでしょうが、とても見がいのある演技でした。
で、たくさん笑わせてもらったこの舞台。見終わって残るものはありません。三谷の舞台に関してよく言われることでしょうが、本当に何も残らない。笑って終わり。きれいさっぱり。それが絶対的に悪いものだというわけじゃないし、これまたよく言われるように本当に「ウェル・メード」な芝居なんでしょう。でもこれは僕が見たい舞台じゃないような気がする。
あの80年代の東京演劇バブルの頃の笑いに満ちた舞台の数々のほうが、そこに散見されるレベルの低さなどは別にして「作者の言いたいこと」はまちがいなく多くもっていた。国語のテストのようで申し訳ないが「言いたいこと」がない芝居にはどうもなじめない。
でも面白いことは面白いし、払った金額以上の満足感は得ることができる芝居ではある。佐藤B作はじめ、ヴォードヴィルショーの面々の演技もすばらしい。でもなあ……というとこです。
2004年2月11日
歌舞伎座(東京東銀座)
久しぶりの歌舞伎座。黒森歌舞伎、みなと座、歌舞伎フォーラムと見て、こんどは大歌舞伎だあというわけではないんですが……というのは嘘です。はい、歌舞伎づきました。『壺坂霊験記』などを見て、こりゃあやっぱり面白いなあと思っていたところ、新聞での二月大歌舞伎の劇評を読みました。それでもってこれは見ておきたいと。ほかに東京での野暮用もあったし。ま、所用んてのはみんな野暮なもんですが。というわけで二月の大歌舞伎、派手です。歌舞伎素人の私も十分堪能しました。
まず『彦山権現誓助剱』。これは「ひこさんごんげんちかいのすけだち」と読むらしい。歌舞伎のタイトルでは読みやすいほうですね。長い話だそうです。その「毛谷村」の段。主人公は六助。この人の好いキャラクターを中村吉右衛門がとても気持ちよさそうに演じてます。いろいろあって(って歌舞伎の話なんてぜんぶそんなものだけれど)虚無僧に化けた怪力女、お園がこの六助を殺そうとします。ところが実は六助は彼女の許婚。それを知ってお園は「しぇえええいぇいぇいぇい」と驚き、あっというまに「おしかけ女房」化します。タランティーノの映画にだってここまで大胆な展開はないぞというところですが、この場面は途方もなく面白かった。臼をもちあげるほどの怪力女がいきなりしおらしく米なんぞを炊こうとします。演じた中村時蔵もうまかったんでしょう。
『茨木』は「新古演劇十種」のひとつだそうです。河竹黙阿弥の作。踊りが中心。羅生門で鬼の茨木童子の片腕を斬り落とした渡辺綱を市川團十郎。陰陽師安部清明に「物忌み」するように言われ、家にこもっている綱のところに伯母の真柴がたずねてくる。坂東玉三郎演ずる真柴はなぜか片腕を隠しています。物忌みだから会えないとことわる綱ですが、結局断りきれず彼女を中へ入れます。伯母さんに踊りを頼む綱。踊る真柴。踊り終わり、鬼の腕を見せてくれと頼む真柴。
だいたい伯母とはいえ、片腕隠したまま歩いたり踊ったりしてるんだから、綱もちょっとは疑えよなあ。でもその片腕がないということを感じさせないように踊っていたという点は玉三郎の高度な技能なんでしょう、たぶん。よくわからんが。ともあれその鬼の腕を見たとたん、表情が一変する真柴。腕をとって逃げていきます。再登場したときは鬼に変身、というか正体をあらわす。
舞台上を動き回る鬼バージョンの玉三郎よりもほとんど動かない真柴の玉三郎のほうが怖かった。特に伯母の顔のまま、腕をつかんだとき。夢に出そうで嫌なほど怖かったなあ。
夜は『三人吉三巴白浪』。「さんにんきちざともえのしらなみ」。これを全幕通しで。百両の金と名刀庚申丸をめぐる因果のお話。これでもかこれでもかと因果はめぐり、さらにぐじゃぐじゃになって最後には登場人物全員が身動きできなくなって兄弟姉妹、親子に主従……みたいな展開。これも河竹黙阿弥の作。
主人公は同じ吉三という名をもった三人の極悪人。和尚吉三、お嬢吉三、お坊吉三。ごっつい感じの和尚が市川團十郎。女装の盗賊(っていう設定もすごいが)のお嬢吉三を坂東玉三郎。初役だそうです。二の線の悪役、お坊吉三を片岡仁左衛門。派手な配役。見に行くしかないよなあ。
特にこの芝居で有名なのは、お嬢吉三が夜鷹を一人ぶっ殺し、百両を奪ったあとでいう台詞(あとになってこの夜鷹は死んでないことがわかるんですが、この時点では殺されたことになっています)。「月も朧に白魚の……」というあれですね。あまりにかっこいいんでこのところを引用すると……。
月も朧に白魚の 篝もかすむ春の空すごいでしょう、この五七調。ところがこの演目、ここだけではなくほとんど全部の台詞が五七調。おどろきました。ともあれ、この台詞を玉三郎がこれ以上ないという調子で語ります。さすがでございました。
冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと
浮かれ烏のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく 手にいる百両
ほんに今夜は節分か 西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落とし 豆だくさんに一文の
銭と違って金包み
こいつは春から 縁起がいいわえ
でも個人的に感動したのは仁左衛門のかっこよさ。三人のなかで一番でした。
『仮初の傾城』の時蔵は昼の部の怪力女「お園」で見ているんで、いっそう好ましく見え、とてもよござんした。『お祭り』の坂東三津五郎については言及せず。
ということで、ざっと並べただけでも、吉右衛門、時蔵、團十郎、玉三郎、仁左衛門、三津五郎と出てきます。派手でしょ。
昼夜を全部見るような体力も財力も時間もないので昼の部は幕見席で見ました。ここに書いたもの以外の演目は見ていません。昼に見た幕見席はそれぞれ800円と900円。これほど楽しませてもらってこれは安い。夜の部は確実に見たかったんで、普通の席を通しで。当日の昼に行っても買えました。たまたまだったからかもしれんが。
たまに見てもこれだけ面白いんだから続けて見ている人にはたまらんのでしょうね。だからといって「なりぃこまぁやゃあああ」とか「やまとやっ」とか叫ぶようなおっさんにはなりたくないっす。
2004年2月7日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
歌舞伎座などで興行がうたれる「大歌舞伎」に対して、小規模の劇場での歌舞伎を「小芝居」というそうです。今はほとんどなくなりましたが昔は神社や寺の境内などでも歌舞伎を上演していたと。また各地方に残っている歌舞伎を「地芝居」というそうです。2003年に新発田で見た黒森歌舞伎などは(会場が黒森でなかったとは言え)その典型でしょう。今回見た「みなと座」は歌舞伎を上演しようという市民によって作られた新潟の劇団。その第5回公演。「歌舞伎フォーラム」は小芝居を復活させようという舞台創造研究所・柝の会の公演。NPO日本伝統芸能振興会がサポート。この歌舞伎フォーラム公演に登場するのは大歌舞伎で脇役を演じてらっしゃる俳優さんたち。その「小芝居復活第12弾」。ということで地芝居と小芝居のジョイントといえそうな本公演。面白かったです。
「みなと座」の皆さんは素人ではあるんですが5回目ともなるとさすがにうまい。こういう演劇にありがちな見ているほうがはらはらするシーンもなし。市民劇団でこのレベルはすごいと思います。演目の選び方も上々。ただひとつだけ言うと、もう少し明るさがほしい。悲劇だというのを差し引いても、なんとなく舞台の雰囲気がくらい。こういうのは「ハレ」のものだし。ぱっとした感じがあったほうが良。去年見た黒森歌舞伎には明るい空気がそこはかとなく漂っていたが、今日見た「野崎村」にはちょっとそういうものが欠けていた。これは演目の違いだけではないと思う。理由はよくわかりません。
歌舞伎フォーラムの皆さんはさすがにプロなんで、これは当然のようにうまい。大歌舞伎は「血」の力。それがいいことか悪いことかは別にして、とにかく血(だけじゃないんでしょうが)が役者の格を決める。そういう家系にはないけれど歌舞伎の舞台に立っている役者さんたち。かれらはやっぱり松竹の社員ということになるんだろうか。そもそもなんで大歌舞伎の脇役になろうとしたんだろうか。いろいろ聞いてみたいことはあるけれど、そんなことはどうでもいいくらい、良い演技を見せてもらいました。
『壺坂霊験記』は盲人沢市と妻おさとのお話。浪曲にもなっています。「夫は妻をいたわりつ、妻は夫を慕いつ……べんべん」などというのはその昔テレビから流れているのを聴いた記憶はあるけれど、歌舞伎版を見るのは初めて。楽しみました。特に沢市と遊び人雁九郎の二役を早替わりで演じた中村又之助がよかったです。ちなみにこの雁九郎というキャラクターは大歌舞伎版には出てこないんですね。こういう機会を利用して新しいことをしようというのはとてもすばらしいことだと思います。
それにしても会場ではいろんな知人に会ったなあ。誰にどこで見られとるかわからんぞ。悪いことはできんもんです。みなさん、気をつけましょう。