なまもの2003年


黒森歌舞伎(新発田公演)
あの大鴉、さえも


黒森歌舞伎
高田馬場十八番斬

2003年12月14日
新発田市市民文化会館大ホール

赤穂浪士の一人、堀部安兵衛が新発田出身だということで、討ち入り前の12月前半、新発田市で行われるイベント「堀部安兵衛物語」。その一環としての上演。映画のページに書いた『赤穂浪士』を見て感動した翌日、また新発田まで車すっ飛ばして行きました。

黒森歌舞伎は山形酒田市の地芝居。山形県指定無形民俗文化財だそうです。ウェブページの解説などによると享保年間(1716〜1735)から日枝神社に奉納されたといわれる農民歌舞伎で、「雪の中で見物することから雪中芝居ともいわれ、出し物の多いこと、スケールの大きいことは全国屈指」だそうです。また「福島県の檜枝岐歌舞伎と並んで、『冬の黒森・夏の檜枝岐』と親しまれ、東北二大農村歌舞伎として」も知られているとのことでした。

この黒森歌舞伎のすごいのは旧正月の2月というとことん寒いときに屋外で上演されるということですね。演じるほうには屋根があるけれど、それを見るほうは吹きっさらしのなか。でもお弁当や酒を持ち込んだり、七輪でお餅を焼いて食べながらと楽しそうであります。そんなに遠くないし、今度の旧正月は行くかなあ。

今回は新発田でのホール特別公演。この「高田馬場十八番斬」も有名な話。中山安兵衛、高田馬場の決闘。私の映画観を変えた映画のひとつが『血煙高田の馬場』。恥ずかしいくらいころころ私の映画観は変わっていますが、あのマキノ正博と稲垣浩が二人で撮った映画の印象は強烈だった。阪東妻三郎が酔って泣いて走って虐殺のかぎりをつくす。それだけ。「こんな映画もありかぁ」という驚き。しかしその映画から受ける感動の深さ。こうなるとやっぱり伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演のサイレント版も見たい。

と、話は脱線してますが、この黒森歌舞伎も良かったです。人が人の前で何かを演じるということは映画とは違うのは当たり前。でもその演技自体によって初対面の人間を楽しませることは本当はとても大変なことでしょう。それがうまくいったときの幸福を示す舞台だった。何かへの達成とは少し違う。でも、見ている人間に飽きさせず、面白がらせ、なおかつ少し感動させる。1年中やってるプロでもこれは難しいだろう。そこに黒森の人たちが到達している。たいしたものです。どうもありがとうございました。


伝統の現在'1
あの大鴉、さえも

2003年11月12日
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)劇場
作・演出:竹内銃一郎
出演:茂山正邦、茂山宗彦、茂山逸平
制作:森崎事務所

最近の竹内は秘法のころの面白さがないと某友人から聞いていた。でもこれはとても良かった。

かつて秘法零番館のアトリエは東京の護国寺にあって、そこによく通った者としては非常に懐かしい世界。頻繁に彼らの芝居を見たのは、たんに近所に住んでいたからではない。あの80年代の東京演劇バブルのさなか、この秘法零番館はかなり異質なものに見えた。そしてそれがとても面白かったからだと思う。その世界観を説明するのは難しい。無理に言えば「お兄さんたちのリリカルな世界」か。

木場克己、森川隆一といった異常に芝居のうまい(けれど顔はおっさん系の)お兄さんたちが日常のほんのささいなことの意味を示す。はたから見ているとそれはとても「女々しい」ものに見える。だけどこの「女々しい」という表現が持つ女性へのあからさまな蔑視を逆手にとって、いったいこの世界はどのように暴力的な構造によってできているのか。そこで「女々しい」と男たちによって切り捨てられるもののなかにどんなに大事なものがあるか。

あとで小林三四郎も前面に出るようになってまた別の方向に展開したような観があるけれど、それらもとても面白い舞台になっていた。「贋金つくりの日記」とか。「酔・待・草」「ひまわり」とか。

そしてこの「あの大鴉、さえも」はその竹内の代表作である。とことん竹内的な世界。その世界が「お豆腐狂言」茂山家の若手3人によって演じられる。宣伝文句によると竹内は自分からこの演出をかってでたそうだ。それが本当かどうか別にして、とてもいい舞台だった。

以前に僕が見た「大鴉」は初演ではなく「大改訂版 あの大鴉、さえも」のほうだった。それと今回のものとどこが違うのか、細かいところはわからない。でも今回の上演にあたって台詞は変えてないらしく、ギャグなどがとても80年代っぽくて懐かしかった。

大改訂版を見てから10年後、はじめてフィラデルフィア美術館のデュシャンの部屋に行ったとき、やっぱり感動したのは「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも」だった。ふだんは「大ガラス」と称されるこの巨大なひび割れだらけのオブジェ。このオブジェを作り始めたデュシャン本人は途中で制作を中止する。放棄。そして運搬中にひどく損壊。それをデュシャンが再度作り直す。完成。フィラデルフィア美術館の床にコンクリートで固定される。持ち運びできない。その大ガラス。

デュシャンの作品だから当然のようにあらゆる解釈が現れる。その作品から着想をえて、竹内が1時間半の芝居を書く。三人の男が巨大なガラス板を運ぶ。それだけ。でもそのなかで世界の構造が説明される。すくなくともこの僕らが住む世界の一部を説明しようという意思が示される。けっこう笑って、感動しましたです。さすが竹内。

でも茂山家の若手3人も上手だった。声も体もふだんから鍛えてんだろうなあと思いました。伝統芸能、馬鹿にしてはいけません。身体訓練欠如が丸見えの声も通らない俳優さんが平気で舞台にでる中、茂山家、立派なものです。感服しましたです。

どうでもいいけど、この芝居のあと飲みに行った店が新潟古町の「みつばち」。非常にディープな居酒屋でした。演劇関係の人も多いみたいで、俳優さんたちの色紙も多し。みなさんもぜひ。ジョン・ローンのえらく古くてかっこいいウイスキーの宣伝ポスターも貼ってます。


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