2002年(7月まで)に見た映画


『息子の部屋』で地味に年明け、と思っていたら、波乱の映画多し。波瀾かな。7月に『エピソード2』を見てから在外研究でニューヨークへ。さあ、まじめに勉強だぁと思いつつむこうへついてみたら、アパートから徒歩5分の Film Forum で<黒澤・三船>特集(それもぜんぶニュープリント!)をやってんだもなんなあ。


スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
スコーピオン・キング (2002年7月3日 新潟ユナイテッド・シネマ8)
ブレイド2
スパイダーマン
人らしく生きよう――国労冬物語 (2002年5月12日 新潟市万代市民会館)
阿賀に生きる (2002年4月26日 新潟市民映画館シネ・ウインド)
アメリ
不思議惑星キン・ザ・ザ (2002年4月12日 新潟市民映画館シネ・ウインド)
カンダハール (2002年3月20日 新潟市民映画館シネ・ウインド)
モンスターズ・インク (2002年3月18日 新潟ユナイテッド・シネマ)
ロード・オブ・ザ・リング (2002年3月17日 新潟ユナイテッド・シネマ)
オー・ブラザー! (2002年3月10日 新潟市民映画館シネ・ウインド)
SHOWER こころの湯 (2002年2月15日 新潟市民映画館シネ・ウインド)
オーシャンズ11 (2002年2月4日 新潟ユナイテッド・シネマ8)
息子の部屋


スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
Star Wars: Episode II - Attack of the Clones, 2002 - USA - 143 min.

2002年7月14日 ユナイテッドシネマ8新潟

フランスの革命記念日にこの映画を見ました。テーマがあるかどうか、よくわからないこのシリーズ。でもこじつければ表面上のテーマは「デモクラシー」か。しかし実際に画面のなかでくりひろげられるのは殺戮と破壊と裏切りと奸計のみ。が、人類史上「デモクラシー」の名のもとに殺されていった人々の数は想像を絶する。一般市民が圧倒的な暴力装置を手にすることを前提にデモクラシーは成立する。ギロチンによる機械的な大量処刑とデモクラシーの本質は無縁ではない。そうした事実に目を向けずして空想的なデモクラシーを語ることが結果的にいっそう悲惨な暴力の跋扈をもたらした歴史的逆説の数々を見よ。

と小理屈語ってますが、殺戮の限りをつくすこの映画、その小理屈からみればやはりテーマはデモクラシー。フランス革命の記念日を「巴里祭」と言い張って、シャンソンとワインのお祭のように考えつづけようとするこの極東の島国にくらべれば、この暴力映画のほうがはるかに「デモクラシー」の本質に近づいている。

で、そんな小理屈とは関係なく、この作品、面白いっす。のちのダース・ベイダー、アナキン・スカイウォーカーがマザコンで、フォースの「ダーク・サイド」に惹かれてるってのは前作で明かされてるわけだから、それがどう展開するかは皆さんの予想どおり。でも全体が面白い。前作『エピソード1』よりもはるかに「わくわく度」高し。どうして本作のようなつくりが前作ではできなかったのか。謎である。

ストーリーも面白いです。いろいろいいたいこともあるかもしれませんが、「サーガ」ですからね。ええのよ、これで。

前作で気になった画面上のデジタル合成の不自然さもだいぶ減ったような気がする。このへんの感想はとても個人的でしょう。気になる人は気になるだろうし、気にならない人は盛り上がって終り。今回、私は後者でした。

役者でいいのは悪役を演じる Christopher Lee 。彼は1922年生まれだから、もう80近い。そのおじいがライトセーバーぶんぶん振りまわし、さらには他のジェダイの騎士よりもかっこいいんだからすごい。でも彼がかっこよく見える最大の理由はジェダイの騎士がたくさん出すぎてて、なおかつ彼らが白兵戦をしてしまうとこですね。「ひら社員」じゃあるまいし、「ひらジェダイ」なんて概念があっていいのか。それもあの木偶人形の battle droid を相手にいい勝負をしてしまっちゃあ、ジェダイの名が泣きます。ジェダイが闘って負けていいのはジェダイだけだよ。あそこはジェダイの騎士みんなが集まって、星のかけらをひとつふたつ天から落としてくるくらいのことをしないと。

で、その Christopher Lee 、『指輪物語』ではサルマンを演じてます。冥王サウロンに媚びる卑怯者。つまりどっちの映画でも似たような役をやっているってことですね。でも、ここまでくれば『指輪物語』と『スター・ウォーズ』が似てるって言ったって、しょうがないです。ギリシャ神話とローマ神話が似てるって指摘するのと同じようなもんだから。しかし、その Christopher Lee も次はいかにも非業の死を遂げそう。かわいそうに。

それにしても『エピソード4』では Peter Cushing を派手にぶっ殺し、おそらくは次の(物語の時間軸では逆ですが)『エピソード3』で Christopher Lee を殺してしまいそうなルーカス。面白いことするなあ。永遠のライバル、ヴァン・ヘルシング教授とドラキュラ伯爵の両方とも殺してしまうわけだから。50年代末以降、ハマー・プロによって大量に作られた怪奇映画の系譜。暗い映画館や夏の夜のテレビの前でこれらの作品を震えながら見た人は多いはずだ。それを考えると、この二人の役者とテレンス・フィッシャーがいなければ、僕たちの幼児体験は(少なくとも「恐怖」ということに関しては)とても貧弱なものになっていたんじゃないだろうか。しみじみ。

閑話休題。当然、今回も映画ファンが喜びそうなトピック、シーン続出。デス・スターの設計図やらボバ・フェットの素顔やら、いろいろと出てきます。なかでも、ボバのお父さん(って言っていいか?)が乗りこなす宇宙船<奴隷1号>がえらくかっこいい。どっち向いて飛ぶのか良くわからんデザインのこの宇宙船。『エピソード5』のころとデザインは同じですが、特撮技術などが各段に向上してますからね。操縦してみたいほどかっこいい。スターウォーズのウエブサイトを見ると、あのレゴもこの宇宙船のセットを売り出してんですね。あの四角いブロック使ってこのまるっこい宇宙船を作るのは無理があると思うが、まあ企画した奴の気持ちはわからんでもない。

こうしたこまごまとしたキャラクターがとても良くできているので、見ていて全然あきません。と考えれば、もしかして前作『エピソード1』がつまらなかったのは、すべてジャー・ジャー・ビンクスのせいか。あのへらへらしたウサギ野郎がすべてをぶち壊していたような気がしてきた。あいつさえ出てこなければなあ。さすがにルーカスもそのあたりのファン心理を察知したか、ビンクス、今度はほとんど出ません。安心して見てください。

しかし、『エピソード1』で大量の battle droid を出してはしゃいでいたルーカス。「どうして最初はロボット同士で闘っているのに、時間が経過して『エピソード4』になると人間同士が闘っているの?」と誰かにつっこまれ、まさか『エピソード4』のときには金と技術がなかったとも言えず、苦肉の策で「クローン」に逃げた……ってことはないんでしょうね。世界のルーカスだもんなあ。

などと揶揄してますが必見の作品だとは思います。ここには政治的、社会的に看過しえない問題もいろいろある。しかし、大げさに言えばこの作品は、大衆芸術における現在での到達点ではある。この作品を見終わって一番おどろいたのは、そもそもシリーズものの映画を5作品も製作しつづけ、それでいてこのテンションを維持しているということに気づいたときだった。普通はだらけてくるでしょう。しかしそんなことをいっさい感じさせず、たくさんの人に映画館まで足を運ばせる。こうしたテンションの維持には本当にさまざまな原因があるのでしょうが、とにかくすごい。まいりました。本当はまいったらいかんとも思うが、今のところ、これが正直な感想です。


ブレイド2
Blade II, 2002 - USA - 116 min.

2002年6月25日 ユナイテッドシネマ8新潟

いや、アメコミづいたわけではないです。妻が仕事で新潟を離れておりまして、だいたい映画は二人で見ることが多い我が家としては、こういう短期独身状態でないと見に行けない映画の筆頭がこの手のものなんですね。一人で見に行って良かったです。もし妻を誘って見に行っていたら、「お前は鬼畜ぢゃ」などとひどく批判されてたでしょう。はい、鬼畜映画でした。

ここまで残酷な映画も久しぶりに見た。「番外編」に書いた「残酷過ぎるアメコミ映画」の典型。だいぶ以前に『ロボコップ』を初めて見た時、その陰惨さにいやーな気がしましたが、これはあれを超える。女性のヌードシーンがまったく出ないにもかかわらず、さすが(って何が)きっちりと MPAA から「R指定」を受ける映画である。子供にはぜったい見せられないよなあ。

一応の言い訳としては「あれはバンパイアであって人間ではないから、殺戮シーンも可」ってのがあるんでしょうが、駄目っす。そんな言い訳とおりません。ゲーセンのシューティングじゃあるまいし。いくら吸血鬼でも、見てくれは「人間」ですからね。その善良な人たちをあんなに大量に殺すこともないだろうになあ。

それに何と言っても主人公があのブレイドだから。えらく痛そうでオリジナリティの高い殺し方をなさります。簡単に銀の弾丸で撃ち殺されたバンパイアたちは幸せ者。それ以外はもうみんなばらばらにされます。さわったとたんに相手は四分五裂。出てくるのがえらく切れそうな刃物ばっかし。真剣白刃取りからの脳天唐竹割りまで見せてくれますが、痛さ加減では刃物系以外のほうがすごい。ほとんど打投極の総花状態。正拳五段突、裏拳、サマーソルトキック、滞空時間の長いブレーン・バスター、ジャイアント・スイング、はては裡門頂肘、連環転身掃脚。当然コンボもあって、ニーアタックからのネックカットキック、カウンターの浮桜をくらわしての連突草薙、双虎烈把でどついて鳳凰槍掌、円月蹴りからの地擂り弾、スピンヒールソードかましてヘッドフックキック、地掃腿で泣かして転身双虎掌脚。さあみんな、P・K・Gボタンみだれうちだあっ……って画面が延々つづきます。

相手の吸血鬼たちが死んだ後に燃えて消えてくれても駄目。やっぱり残酷。それにくわえて敵のボスキャラがまたひどい奴で、近寄る人間をとにかく食いちぎりまくりの助。こっちの死体は消えてくれないですからね。あたり一面、死体がぐじゃぐじゃ。映画史上、ここまで主人公(と敵役)が大量の人間を素手と刃物(と邪悪な顎)で殺したのは1989年に勝新太郎本人が監督した最後の『座頭市』くらいじゃないかなあ。あれもすごかった。『コマンドー』のシュワルツェネッガーや『ホットショット2』のチャーリー・シーンもたくさん人を殺しますが、あっちは近代兵器使うし、しょせんはギャグだしね。それらとは違います。大量殺戮とは『ブレイド2』のことである。

でも、実はこの映画、面白かったです。こんなこと書くと人間性を疑われそうでちょっとなんですが。格闘エッセンスばりばりのバンパイア・ホラーとしては良くできてます。良い画面も多し。「スタイリッシュ」と書かれる可能性もあるんでしょうが、全然違う。アニマル浜口が監督したみたいな「気合」を感じました。Guillermo Del Toro 監督えらい。スカ映画、『マトリックス』の百倍は評価したい。この手の映画に良くあるバイクや車などを使ったカー・アクションで適当にごまかすこともせず、ひたすらブレイドが闘いつづける。そのあたりの徹し方がうまい。ストーリーも阿呆だけれど、これで良し。こんな映画のストーリーに誰が期待するか。「バンパイアとしてのアイデンティティが描けてない(某映画評)」だとお(怒)。そんな役に立たん小理屈なんか、大学の研究室にでも捨ててこいっ。たわけ者が。

おまけですが Ron Perlman が良。恐い顔なんで、どの映画に出てもこの手の役ばかりです。そういう意味では彼の人生は『薔薇の名前』が決めたのか。Umberto Eco と Jean-Jacques Annaud に人生を決められるってのも恐いなあ、サルバトーレよ。ブルース・キャンベルとはえらい違いだ。

でも実はこの『ブレイド2』で一番恐いのは、あのキャラクターをあそこまで残虐なものにして、なおかつそれをかっこいいと思い、それを俳優としての自分のステータスを高めるために利用できるだろうと判断し、そして前作以上にテンションの高いダークでグロテスクで猟奇的な作品にし、(おそらくは)まったく後悔してないであろう Wesley Snipes その人の頭のなかです。私に責任はないです。私は烏龍茶飲みながら映画館で見ただけの一観客だから。駄目ですか、こういうの。


スパイダーマン
Spider-Man, 2002 - USA - 130 min.

2002年5月15日 ユナイテッドシネマ8新潟

『阿賀に生きる』『人らしく生きよう――国労冬物語』と観てきたあとに、この映画です。私に節操はないのか。

いっとき、スランプだったサム・ライミ。そのライミが久々に撮ったB級SFアクション。面白いです。B級とはいえ金かかっています。やっぱりこういう得意技で復活というのはファンとしても嬉しい。『死霊のはらわた』やら『死霊のはらわたII』やら『ダークマン』やら、タイトルだけ見ると三流監督確定みたいですが、じつは技巧派のサム・ライミ。ホラー映画は技術で勝負。情念で人を恐がらせるのはつまらない日本製ホラーだけじゃ。

そんでこんどは予算潤沢というわけで特撮はジョン・ダイクストラ。彼もキャリアはすごい。でもこの人は上手なのか下手なのかよくわからんですね。バットマン・シリーズも彼が特撮に関わり始めてから普通の映画になってしまったし。ティム・バートンが手を抜いたとも言えるだろうけれど。ま、このダイクストラ、『サイレント・ランニング』『スター・ウオーズ』『宇宙空母ギャラクティカ』『スター・トレック』などで、まちがいなく70年代のSF映画シーンを引っ張った特撮監督の一人ですが、どうも最近いかんかったですね。その彼もこの映画では楽しく復活。スパイダーマン、手から出した蜘蛛の糸を高層ビルのてっぺんにひっつけ、巨大な空中ブランコ(概算半径値:r=85m)のごとく、ゆやーん、ゆよーん、ゆやゆよーん((c)中原中也)とマンハッタンを移動(って言っていいか?)してます。この画面の動きがとても楽しい。あんまり長くみていると気持ち悪くなりそうな画面でもありますが、こんな移動を映像化しただけでもダイクストラ、えらい。「幾時代かが」あったんだなあ(詠嘆)。

音楽はダニー・エルフマン。バートン映画では良い彼も、ここではいまいち。

『死霊のはらわた』のニ本で俳優ブルース・キャンベル(本作でもアナウンサー役でちょこっと登場)の一生を決めてしまい、『ダークマン』ではあのアイルランドが誇る名優リーアム・ニーソン(いまやオビワン・ケノービの師)をSFアクションスター化させたサム・ライミ。この映画では『サイダー・ハウス・ルール』でマイケル・ケインを相手に主役を張った正統派男優トビー・マガイアにSFアクションさせてます。鬼かお前は。

悪役のグリーン・ゴブリン役はウィレム・デフォー。何も言うことはないです。デフォーの素顔のほうがゴブリンのマスクよりはるかに恐いということがわかっただけで私は満足しました。ヒロインのキルスティン・ダンストは、なぜかぶっさいくに撮られています。これも不思議。ちょっとかわいそう。

サブキャラもよくできてます。特に、アメコミ・キャラクターをそのまま実写にしましたって感じの新聞社の編集長。これがよし。映画の最初の方で主人公が対戦するプロレスラーを演じるは、なんとマッチョマン・ランディ・サベージ。かつてそのフィギュアを購入するほどのファンだった。サベージがクラッシュを破った"Falls Count Anywhere"マッチはあの『レッスル・マニアX』でおこなわれたのですが、私はその試合をマディソン・スクエア・ガーデンで見ていました。ちょっと自慢モードですけど、なつかしい。とにかく、このランディ・サベージ、あのホーガン時代とストーンコールド時代にはさまった谷間のWWFをヒットマン、ヨコヅナ、アンダーテイカーらともに支えた偉人。もっと報われていい人だよなあ。

主人公のおじさん役がクリフ・ロバートソン。渋い。近いところではカーペンターの『エスケープ・フロム・LA』で大統領、古いところでは『魚雷艇109』(テレビでしか見てないけど)で若き日のJ・F・ケネディを演じておりました。大統領役が好きなんでしょうか。ちなみに『109』ではロバートソンも熱演だったけれど、もっとも印象に残っているのはケネディが乗っていたpt109魚雷艇を、いとも簡単にまっぷたつにする駆逐艦「天霧」がえらくでっかく見えたことよなあ。

とか書いているけれど、このロバートソンもSF映画、ホラー映画を語るときに欠かせない人で、『愛のメモリー』や『まごころを君に』の主演っていうだけで、その手の映画ファンは彼に足を向けて寝ること不可。それにしても、デ・パルマ全盛期の傑作 "Obsession" を、何を血迷ったか『愛のメモリー』という邦題にし、なにげなく映画館に入った罪もなき松崎しげるファン(そんなのがいたのかどうか知らんが)を恐怖のずんどこに叩きこんだ配給会社の社員。彼/彼女の世間に対する怨念を知れ。また、SFファンのあいだでは早川書房の『世界のSF』シリーズに短編バージョンのほうが収録された直後から傑作と言われていたキイスの『アルジャーノンに花束を』を『まごころを君に』という酸欠タイトルにして公開した配給会社の社風も知れ。でも映画の原題も "CHARLY" だからなあ。あんまり言えんが。ちなみにもっと正確に映画原題を言うと "R" は左右逆になってます。

と、いろいろ瑣末なことばかり書いてますが、この『スパイダーマン』、金払って損はしない映画でした。でも本当のところ一番びっくりしたのは、ストーリーが『サイダー・ハウス・ルール』そっくりだったということですね。主人公を演じる俳優が一緒というので、気のせいかなあと思っていたんですが、後半に至って確信しました。間違いないです。確信犯です。でも許せます。この脚本家もあの映画観て泣いたんでしょうね。


アメリ
Amelie, 2001 - Germany / France - 121 min.

2002年4月15日 ワーナー・マイカル・シネマズ・新潟

忘れた。 さすがの Jean-Pierre Jeunet にも向き不向きがあるということか。


息子の部屋
La Stanza Del Figlio
AKA
The Son's Room, 2001 - France / Italy - 87 min.

2002年1月26日 ワーナー・マイカル・シネマズ・新潟

どこで見たかも忘れたが、『ジュリオの当惑』でえらく感動した記憶があるナンニ・モレッティ。これも良かったです。ぜひ見てください。特に本学の学生さんたち。爆発シーンがなくても、主人公が狼に変身するシーンがなくても、良い映画は良いぞ。メタモルフォーゼや爆発シーンがとことん好きな私がこう言うのだから大丈夫だろう。地味だけど。カンヌのパルムドールを取ったのもよくわかる。やっぱり無理をしても『エイプリル』は見ておくべきだったか。ま、よくあることですが。

タヴィアーニ兄弟の最高傑作(だと私は思う)『父 パードレ・パドローネ』で、主人公の軍隊時代の友人を演じていた(と思う)ナンニ・モレッティ。遠いところまで来ています。そこにはやはり政治という問題があったのだろうというのは、彼の他の映画を見るとよくわかりますね。ところがこの映画には政治はいっさいなし。テーマは家族の一人を喪失することか。でもちょっと違う気もする。テーマはもっと広く、良い意味で拡散してますね>この映画を見た人。

家族ドラマはどうしても食事シーンが多くなります。『寺内貫太郎一家』だけじゃなくて。この映画でもやたらみんなものを食べつづけます。でもそれらが退屈になってない。撮り方がうまいんでしょうね。主人公がつくるラザニアも美味そうだ。そういえばコッポラの『ゴッドファーザー』も食事シーンが記憶に残る。特にコルレオーネ一家の長男ソニーがパスタを食べるシーンは強烈だった。

モレッティの自作自演映画の主人公はだいたい「ミケーレ」という名前が多い。なんか理由があるんでしょう。でもこんどはジョバンニ。これもなんか理由はあるんでしょう。このあたりの経緯はモレッティのファンなら知ってんでしょうけど。

ちなみに、この映画を見るために初めて「ワーナー・マイカル・シネマズ・新潟」という映画館に行きました。シネマ・コンプレックスって、どこも本当におんなじだなあとは思うものの、なんか落ち着かない気もする。でもこういうのって「慣れ」だから。


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