2000年に見た映画


こうして全部を見ると、2000年は実り多かったのかなあ。新作では『オール・アバウト・マイ・マザー』『サイダーハウス・ルール』『M:i−2』『マグノリア』『トイ・ストーリー2』あたりが良かったす。はずれはあえて書きませんが、読んでいただければと存じます。最近、学生さんから「けなし過ぎだよ」という意見を時折いただきます。


車に轢かれた犬

X−MEN
ルイズ その旅立ち
パーフェクト・ストーム
サイダーハウス・ルール
オール・アバウト・マイ・マザー
M:i−2 ミッション・インポッシブル2
エリン・ブロコビッチ
ゆきゆきて、神軍
グラディエーター
ゲット・オン・ザ・バス
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
金日成のパレード
グリーンマイル
スペシャリスト
アメリカン・ビューティー
マグノリア
トイ・ストーリー2
スリーピー・ホロウ
海の上のピアニスト
ブレア・ウィッチ・プロジェクト
ジャンヌ・ダルク
リトル・ヴォイス


車に轢かれた犬
L'Homme d'ailleurs, 1979 - ジンバブエ・プロダクション - 86 min.

2000年10月28日、新潟国際情報大学240教室

新潟国際情報大学の学園祭<紅翔祭>での上映。熱心な学生が中心になって、監督のモリ・トラオレ Mory traor さんも呼んで、監督講演会つきの上映にこぎつけました。えらいと思います。

映画は京都の留学生の世界を描いています。アフリカから来た留学生が主人公。フィクションなんでしょうが、細かいところは監督のモリ・トラオレさんの経験も入ってそうですね。20年前の映画ですが、ほとんど当時と変わってない状況もあるでしょう。でも変わった状況もあるとは思う。映画としては面白かったのだけれど、面白がっている場合ではないんだろうなあ。

ちなみに、お会いしたトラオレさんはとても楽しい人でありました。

それから、スタッフのところで「編集:クロード・ガニオン」と出てきたけど、このクロード・ガニオンって、『ケニー』や『Keiko』の監督でしょ。『栄光と狂気』も製作しているそうですが、どういうことを考えながら、この映画を編集してたんでしょうね。ちょっと聞いてみたいです。



松竹=衛星劇場=毎日放送=セディックインターナショナル=KИHO、2000 - 123 min.

2000年10月27日、新潟市民映画館シネ・ウインド

いかんだろう、これは。強姦されかけた女性が喜んでは。喜んでいるわけじゃないと監督あたりはいうだろうが、見ず知らずの男に強姦されかけた女性が、その直後に自らその相手に性行為を迫るって、いいのか。それを御丁寧に2回も描いて。

ジェンダー理論のために映画があるとは思わんが、いくらなんでもなあ。ああいうシーンから何を言いたいのだろうか。女性の「業」とか「色気」とか「凄み」とかか? もしかして阿呆なのか、この脚本書いた奴は。

『どついたるねん』でも感じたことだが、阪本順治の世界観にはどうも馴染めん。違いますね、ものの考え方が。どっちがより優れているのかはわからんんけど。

大楠道代、豊川悦司、牧瀬里穂、岸部一徳あたりがとても良かっただけになあ。残念である。それから、早乙女愛と内田春菊が出てきたときにはちょっとびっくりした。


X−MEN
X-Men, 2000 - USA - 104 min.

2000年10月13日、ユナイテッド・シネマ8新潟

これも期待してたんだけどなあ。聞いてくれます? 愚痴を。

まさかこんなもんを実写で映画化するとは思ってなかったですよ。ところが世の中にはいろんな人がいて、それを実行してしまう人もいるわけですね。そうなるとやっぱり期待するでしょう。

ところがね、弱っちいのよ、ウルヴァリンが。小男でね。いや小男はそれでいい。原作だってまあ……。とにかく全然強そうじゃない。よわよわ。ださださ。

それにね、敵よりもX−MENの方が多いのよ。X−MENってのは、無理解な世間や大量の邪悪な敵を向こうにまわして、少数ながら突っ走る「ええもん」でしょ。ところがそうじゃないのよ。敵のマグニートーたちのほうが人数が少なくて、それをまあ簡単に言えば世間の後押しも受けているX−MENたちが袋叩きにするわけです。それじゃあ弱い者いじめじゃんけ。これでは盛り上がるはずないですよ。

それにね、この映画、実は戦うシーンがほとんどないのよ。ミュータントのおまじない合戦みたいなのはあるんですけど、バトルがない、バトルが。ちょこっとはバトルもあるんだけど、これがまた、しょぼしょぼ。もっと派手に殴り合ってくださいよ、SFアクションなんだから。

それにね、この映画もほとんどストーリーがないのよ。登場人物の紹介だけ。そりゃあね、何十年も続いているマンガを映画にするわけだからさあ、こうなるのも仕方がないかもしれないけれど、でもほかにもやりようはあったでしょうに。ティム・バートンの『バットマン』ほどのレベルは期待してないですよ。でもねえ……。

それにね、みんなかっこわるいのよ。ウルヴァリンだけじゃなくて、敵も味方も。何と言っても、双方のリーダーがおじいでしょ。おじい同士の喧嘩ってのを前面に押し出されてもなあ。盛り上がれませんで、これじゃ。そのおじいたちにしても、プロフェッサーのほうは頭痛もちの役立たずだし、マグニートーも変な帽子かぶって蛸頭だし。

ちなみに、敵のばけもん「セイバートゥース」を演じてた Tyler Mane というのは、全日本プロレスに来てたでくの坊タッグ「ランド・オブ・ジャンアンツ」の片割れか。違うのかなあ。ま、どうでもいいことだけどね。

ということで、はっきり言ってこの映画、ファムケ・ヤンセン演じるジーン・グレイ博士を見るためだけの映画でございました。


ルイズ その旅立ち
「ルイズ」製作委員会=フリー映像プロダクション、1998 - 98 min.

2000年9月16日、新発田市民文化会館

松下竜一の『ルイズ 父に貰いし名は』の主人公の伊藤ルイさんのドキュメンタリー。伊藤ルイさんというのは大杉栄、伊藤野枝のお嬢さんですね。大杉は新発田で育ってて、たしか旧制新発田中学卒業だったと思う。その縁での上映らしいです。

伊藤ルイさん本人は、1996年の6月に74歳で癌で亡くなっています。本人が亡くなったあとに、家族、友人、診療した医師など、まわりの人々にインタビューして作った映画。

ところがね、全然良くないのよ、この映画。どうやら、伊藤さんを「草の根主義の市井の一般庶民」として描きたいらしいけど、どうもそれがいかんのですよ。

伊藤ルイさんは40歳を過ぎた頃から市民運動に参加されたそうです。大杉、伊藤が虐殺された日に毎年集会を開く「9・16の会」やら、「甲山事件」の救援やら、死刑囚支援やらされてるんですが、なにせ本人が死んだ後に作っている映画ですから、そういう活動について本人が説明するシーンなどはないんですね。実際、本人が動くシーンは少ない。

とにかく生き残ったまわりの人が伊藤ルイさんを、誉めて誉めて誉めまくるだけの映画。多分、本当に良い人だったんでしょうけどね。でも、大杉の娘に生まれたことについて本人はどう思っていたのかなど、もっといろいろ本人に聞いてみたいことがあるはずなのに、そういうことについての証言がほとんどない。こんなんでいいとは思わんですね。

誉めたい映画なんだけどなあ。でもやっぱり映画としてはいかん。結局、見終って感じたのは、松下竜一の『ルイズ 父に貰いし名は』という本がいかによく書けていたかということでした。


パーフェクト・ストーム
The Perfect Storm, 2000 - USA - 129 min.

2000年8月17日、ユナイテッド・シネマ8新潟

この映画に見るべきものはたくさんあります。それをいくつか挙げてみると----すごいことになっている Diane Lane を見ておののくべきだ、とか、一瞬しか出ない Karen Allen を波のすきまに見つけるべきだ、とか、Mary Elizabeth Mastrantonio をえらくぶさいくに撮っているカメラワークに敬意を表しておくべきだ、とか、登場人物の人格がころころ入れ替わる脚本にびっくりするべきだ、とか。

ま、それぞれ観客がこの映画を見る理由を見出せば良いのでしょう。そんななかでは、荒れる海の特撮を堪能するってのが一番良心的でしょうね。

何と言っても、この映画のすごいところはストーリーがないということ。ストーリーがない映画の場合、他に何か観客を惹きつけるものがあるはずだけれど、この映画の場合、海が荒れるだけ。

考えてみれば Wolfgang Petersen の映画って、このてのものが多いなあ。ネタバレになるのであまり書かんけど。でもネタバレって言ってもね、はっきり言うとこの映画の場合のネタっていうのは、あの漁師たちが助かるか助からんか、それだけでしょ。

ちなみに、うちの大学の留学制度の提携先を決めるために7月の後半、アメリカの大学をいくつか廻ってきたんですけど、とある大学の留学生センターの責任者がこの映画のことをえらく誉めてたんですね。その誉め方にちょっと気になるところがあったんで、嫌な予感はしたんですけど、私はこの映画、脱力しました。そのとき、彼とのあいだで議論になったのは、金(かね)ってなんだということでした。なんか、えらくとんでもない議論になってしまったんですけどね。ま、別に日米文化比較をするつもりもないけど。


サイダーハウス・ルール
The Cider House Rules, 1999 - USA - 131 min.

2000年8月3日、ユナイテッド・シネマ8新潟

原作者のジョン・アーヴィング本人が脚本も書いています。監督はラッセ・ハルストレム。彼は My Life As A Dog が有名ですが、私としては What's Eating Gilbert Grape が心に残ります。ところが彼の作品を検索してみたら、その中に ABBA - The Movie が。これはびっくりですね。確か、あの作品はドキュメンタリーなどではなくて、一応ストーリーらしいものはあったですよね。恐いなあ。

それでこの映画ですが、良いか悪いか、微妙なところです。人が生き物として生まれ、年を取り、死んでいく。それらすべての生老病死は文字通り「四苦」である、とまで感じさせる作り。仏教の教えみたいです。そういう意味では非常にストレートな話でもあります。そんでアーヴィングだから、当たり前のようで当たり前でない人々が、それぞれの悲劇を体験しながらも、いろいろと人生に意味を見出していきます。ところが、この映画の場合はそれらのお話がどうも淡々としていて、なにか、中途半端に見えてしまうんですね。本当はとんでもない話なんだけど、世の中って実はこんなことが満ち溢れてんじゃないか、とか。逆に考えれば、実際には良くありそうな話を取り上げながらも、描き方に説得力が感じられないとも言えますね。どっちにしても、あまりうまくない作りのような気がします。

でも、中絶、堕胎という、ちょこっと描くだけでもすぐに保守派が問題にしそうなテーマをわざわざ選んで、それを丁寧に映画化したのは偉いと思うし、それを演じきった Michael Caine も偉いと思う。

それでもやはり、アーヴィング原作なんだから「人生に悲しくなったら熊のぬいぐるみに入ってしまう女」などという設定は欲しかったなあ。私は The Hotel New Hampshire のあのシーン、とても好きです。あの映画を見ながら、「あ、こういうのもありかあ」と、とても楽になった記憶がありますね。どういう領域について楽になったかは思い出したくないですけど。

そういう話で思い出すのは、その昔、ドゥールーズの「リゾーム」とかデリダの「ディコンストラクション」などという概念が、あの当時の大学生(わしらのことね)をかなり精神的に楽にしていただろうということです。良く言えば、そうした概念があの世代の人間のフットワークを軽くしたんだろうし、悪く言えば、そいつらをモノゴトを深く考えないただの阿呆にしてしまったんだろうなあ。バタイユの「蕩尽」なんか、もろにそういう機能をもったような気がしますね。フーコーの「脱中心化」などもそうかな。


オール・アバウト・マイ・マザー
Todo Sobre Mi Madre
AKA
All About My Mother (U.S. title), 1999 - Spain / France - 99 min.

2000年7月27日、新潟市民映画館シネ・ウインド

良いなあ、ペドロ・アルモドバル監督。昔から好きだったけど、久しぶりに新作を見て、より好きになりました。

エステバンのストーリーも良い。「後でお話しましょ」って台詞も良い。男も女も、あるいは男でも女でもない人も、とにかく人物も良い。主人公の住んでるアパートの壁紙も良い。他の映画へのオマージュも良い。見てない人には、何を誉めているのかわからないと思いますが、ざまあみろ、です。こんな途方もなくすばらしい作品を見逃した人間は自らの不明を恥じるべきです。そりゃあ、私も世界の名作の数々を見逃してますよ。でも、これは見たんだもん。ええやんけ、それで。


M:i−2 ミッション・インポッシブル2
Mission: Impossible II, 2000 - USA - 123 min.

2000年 7月9日、ユナイテッド・シネマ8新潟

すごいっす、ジョン・ウー。あの『男たちの挽歌』からここまで来たんですからね。もう言うことはないです。面白いんだもん。

デ・パルマにこんなのを期待していたんじゃないけど、あのデ・パルマの駄作に比べると格段に面白いです。何と言っても前作は登場人物全員がかっこわるい。かの名TVシリーズ『スパイ大作戦』を冒涜すること、はなはだしいものでございました。ところがこっちはみんなかっこいいのよ、敵も味方も。トム・クルーズが自分をかっこよく見せるためにプロデュースしてるんだから主人公がかっこいいのは当然としても、でも他のキャラクターも良かったです。さすがジョン・ウー。監督として失敗することが許されないんだろうなあ。だからこそみんな彼の映画に出たがるんでしょうね。

それから、これはネタバレにはならんだろうと思うので書きますが、この映画、よく考えればミッションがインポッシブルのまま。ちょっとびっくりなストーリーでしょ。後から考えればとんでもなくひどい話です。後から考えなくても、おいおい全然ミッションをポッシブルにしてないやんけ、とか映画館でつっこみを入れたくなります。他にも、ヒロインの背後にいる人間をあの悪役がどうやって知ることができたのか、とか、いろいろといい加減なところはありますよ。だいたい世界中のエージェントが狙ってたんでしょ、あれを。まだまだ他にも、いくらなんでもそれじゃあ死んでるよ、などというシーンもあります。でもいいのよ。かっこよくて面白いんだから。こんな映画に他に何を期待するんですか。人生の目的をこの映画で探すか? ありえないでしょ、そんなの。

私は楽しみましたですよ。でもこんな映画をビデオでちまちま見てる人間がいるってのが、わしゃあわからん。大音量であのテーマを聞きたくないか。でっかいスクリーンでトム・クルーズがBMWをぎゅんぎゅんいわすところを見たくないか。馬鹿みたいだけど、楽しいぞ。どうも最近の世の中、いかんなあ。

それから、いくつかの映画評などを読んでいると、あれを Hong Kong-style martial arts action と書いているものがあるんですね。でも、やっぱりありゃあプロレスでしょ。「ブレーンバスター」やら「ドロップキック」、果ては「とびつき腕十字」や「ドラゴンスクリュー」まで出るんだもんなあ。いやあ、まいりました。

ついでに言うと(って、こればっかし)、ジョン・ウーの『男たちの挽歌』、香港タイトルは『英雄本色』で英語タイトルは "A Better Tomorrow" なんですね。良いよなあ、どれも。シリーズ化されて全部で4本作られているはずですが、やっぱり第一作が良いかな。だいたいシリーズ化するには無理があるストーリーだしなあ。

ついでのついでに言うと、この『男たちの挽歌』で主演のチョウ・ユンファが撃ちまくるピストルはベレッタ M92 だったと思うのですが、MGCの M92F は名品でございました。最初に見たときはこんなおもちゃが売られて良いのかとか思いましたですよ。でも本当のこと言えば、私はガスガンタイプの世代ではなくて、同じMGC製ベレッタでもダイキャストのほうのブローバックモデル M-1934 の世代です。あれはとことん「イタリアのデザイン」って感じだったんだよなあ。それをガンブルーで染め、木製グリップつけて遊んでました。あれはどこへ行ったんだろうか。誰かにあげてしまったかなあ。ちなみに、あのタイプのモデルガンって、今になって誰かにあげたりすると犯罪になるんでしょうか。どなたか知ってます? そういやMGCも倒産したんでしょ。なんであんな良い製品を作っていた会社が倒産するかなあ。良い製品を作っていたからこそ倒産したのかなあ。そのあたりの事情も誰か知ってますか?

とかこんな話を始めると、きりがないし、恐い学生が集まってきても嫌なんですけど、実は私、中学生の頃はモデルガン、とても好きでした。そういう人間はこんな『M:i−2』みたいな映画にはついついはまってしまうのですね。


エリン・ブロコビッチ
Erin Brockovich, 2000 - USA - 131 min.

2000年7月1日、新潟シネマ

いや、意味もなくいちゃもんをつけるつもりはないんですよ。どうでもいいような最近はやりの映画、特にちょこっと超常現象なんぞを混ぜながら人生の価値を謳ってみたりするゴミ映画に比べれば、これも良い作品なんでしょう。でもね。でも、世の中、こんなにうまく行っていいんですか。それをこんなに無邪気に作品にしていいんですか。つまらなくはないけどね。でもなあ。

劇映画の場合、御都合主義という批判がされる映画とされない映画がありますね。当然フィクションなんだから、御都合主義なのがあたりまえなんだけど、その御都合を製作者側がどう考え、どう表現するか。そこに頭を使って欲しいんだよなあ。映画館で映画を見ながら観客がこの時点で何を考えているのかとか配慮しつつね。危機に陥った砦を最後に騎兵隊が救いに来ても良いのだけれど、それをどんなストーリー、どんな台詞の果てにどう見せるかでしょ、大事なのは。そう考えるとこの映画はつまらんですよ。話として。

何が足らんのだろうなあ。あるいは何がじゃまなんだろうなあ。もしかして Julia Roberts かあ。

こんな映画でも Albert Finney は良いです。本当に良い俳優さんだ。ひどい台詞ばっかしのこんな映画じゃなくて、もっと良い映画にも出てもらいたいです。彼が出演している『火山のもとで』や『オリエント急行殺人事件』はまた映画館で見たいっす。


ゆきゆきて、神軍
疾走プロダクション、1987 - 122 min.

2000年6月27日、新潟市民映画館シネ・ウインド

今年度の本学の公開講座「映画のなかの市民社会」の最終作品。

市民社会、日本、ドキュメンタリー。この三題噺となれば、この作品ははずせまい……と、りきんで映画の上映を決めてはみたものの、いったい誰が話をするんじゃい。同僚はみんな嫌がってなあ。ほんとに冷たい奴らじゃ。そんじゃあ、企画した奴が責任取るしかないじゃないの。

ということで私がやりましたよ。2時間。この映画をダシにして好きなことを話し倒しましたです。でもレジュメはちゃんと作ったぞ。ただし、この映画の助監督をした安岡卓治さんに以前に会ったことがあったんで、講演の前日に電話をして、いろいろ気になっていたところとか聞いてはおりました。これはとても有益だったと思う。安岡さん、どうもありがとうございました。その電話で出てきた話なども紹介しながら、市民の責任とか、ドキュメンタリーとか、奥崎謙三のキャラクターとか話しました。どうだったんだろうなあ、聞いていた人の感想は。

んで、この映画ですけど、語るべきことはいろんなところで語られてるし。監督の原一男も偉ければ、奥崎も偉い。他のスタッフ、出演者も偉い。で、みんな偉いのに、この社会はなんだってことですか。ごめんね、今回は手抜きの文章で。

ただ、ひとつだけ書いておくと、えらく音が良いドキュメンタリーだったんだなあということに、今回久しぶりに見て気づきました。


グラディエーター
Gladiator, 2000 - USA - 154 min.

2000年6月24日、ユナイテッド・シネマ8新潟

うーむ、つまらん。もう少し「がっ」と来る映画かと思ったが。どうもいかんなあ、最近の Ridley Scott は。大味になりつつあるぞ。ストーリーもちょっとお馬鹿。「脱力ムービー」が好きな人はこの展開は大笑いできます。おいおいって言いながら。

多分、ほとんどの客の想像通りの映画です。でも、共和政ローマが帝政に変わる時期の状況がよくわかって面白いところもあります。ただ、本当にあの時代はあれほどまでに「パンとサーカス」って感じだったのかなあ。なんと言ってもあなた、コロッセウムの観客席にパンを投げ入れてしまうんですよ。お前ら、鎮守の社の餅まきか。

とにかく映画として地味なのよ。こういう歴史ものにはやっぱり「どどーん」としたところがほしいでしょ。昔の Cecil B. De Mille を期待した私が悪かったのかもしれん。デジタル合成という手法自体にも問題があるんでしょうね。すごく細かく合成できるわりに妙に薄っぺらな画面にもなるし。コロッセウムの描写や虎の合成がいかん。虎なんか変にかわいらしいし。この手法はSFには向いていても歴史ものは向いてないんじゃないですか。

Russell Crowe と Joaquin Phoenix の主役二人はまあこんなもんすか。ただ、ストーリーに問題があるんで二人ともちょっと苦労しているかな。他の役者のなかでは Oliver Reed がすごく良いです。こんな凡作が遺作となるとは可哀相に。それから、世界史の教科書にも出てきた五賢帝の一人、マルクス・アウレリウスを Richard Harris が好演。と、いろいろ良い役者も出ているのですが、やっぱし『サムソンとデリラ』の力には及ばないんですね。なんだろうなあ、この違いは。

こう考えると Victor Mature や Hedy Lamarr っていうのは決定的に私の映画の見方に影響を与えているんですね。しみじみ。1915年にケンタッキーのルイズヴィルでスイス移民の息子として生まれ、1999年の4月にカリフォルニアで死んだハリウッド史上最高の肉体派アクションスターと、1914年のウィーンで銀行家の娘として生まれ、2000年の1月にフロリダのオーランドで亡くなったこの本名 Hedwig Eva Maria Kiesler という、映画史上初のヌードシーンを残している偉大な女優さんから影響を受けているなどと言ってしまうと、自分がすごく偉くなったような気がするなあ。えへん。そういえば、二人ともつい最近亡くなっているんですね。

ちょっと気になったので Hedy Lamarr をウエブで検索すると、ちょっとびっくりという人生を彼女は送ってますね。発明だあ?とか思いますよ。今日CS放送が見えるのも彼女のおかげ。その彼女の人生に関してはいろんなサイトがあります。皆さんも御覧ください。

ちなみに、"gladiator" を AMG で検索してみたら、わが敬愛する Abel Ferrara が1986年に同名のテレフィーチャーを作っているんですね。そんでその説明が "a young Los Angeles man is killed by a drunken driver and his brother attempts to avenge his death by ridding the streets of dangerous drivers"。ね、こっちのほうがはるかに面白そうでしょ。

それからもう一個ちなみに、Cecil B. De Mille って『十戒』で神の声を自分で出してんですね。彼のキャリアって、考えてみれば、映画界の神になるようなもんだしなあ。それに実際の現場では本当に神みたいだったろうし。


ゲット・オン・ザ・バス
Get on the Bus, 1996 - USA - 120 min.

2000年6月19日、新潟市民映画館シネ・ウインド

今年度の本学の公開講座「映画のなかの市民社会」、第三弾でございます。

すまん、これをドキュメンタリーと言い張った俺が悪かった。でもスパイク、お前なら許してくれるはずだ。やっぱりこれはドキュメンタリーだ。

毀誉褒貶いろいろある黒人イスラム教指導者、ルイス・ファラカンが全米の黒人に呼びかけた "1995 Million Man March" にLAから参加しようと貸切バスに乗った黒人たちの話。車のなかでのいさかいやら、途中乗りこんでくる金持ち黒人の話やら、白人(ユダヤ人です)運転手の苦悩(って言うかな)の話やら。いろいろありつつもワシントンDCまで着くが……という話。

スパイク・リーの映画ですから、これはいろいろ現実の黒人社会の問題が反映されていて、とても良い作品になっていると思います。なんか『マルコムX』のラスト2分だけを引き伸ばした感じでもあるかな。

ただ、この映画に出ている黒人たちのなかには、やっぱり黒人エリートとも言える人もいるよなあ。プリンストンかどっかを卒業している俳優さんとかね。そういう俳優に限ってスラム出身のチンピラとかをやらせるんだからなあ、スパイクは。でも、そこまで言うといかんか。良い映画には違いないし。


ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
Buena Vista Social Club, 1998 - Germany / USA - 105 min.

2000年6月19日、新潟市民映画館シネ・ウインド

この映画には無駄なものがみっつある。

まず、監督の Wim Wenders がいらん。こんなふわふわして見にくいだけのカメラワークなんぞいらん。カメラがくるくるまわればそれが映像表現か? 遠くからピンぼけで撮ればそれが手法か? そんなもん、デ・パルマにでも習って来い、へたくそ。まだ固定カメラで撮ったほうが気分が良いわ。

次にいらんのが、偉そうにギター弾いている Ry Cooder 。嫌いなギタリストではないけれど、この映画ではひどい。どうひどいかと言うと「場違い」なのよ。演奏中も全体のバランスを壊すようなフレーズを不愉快な音でかぶせていくし。そもそもこのプロジェクトのCDや映画はキューバの音楽を紹介するものなんでしょ。それなのに Ry Cooder のアメリカンな音がえらく邪魔なんだよなあ。もしかしたらキューバ文化排除のための法律などがあって、彼が演奏に参加しないとアメリカ国内では上映、上演ができなかったのかもしれません(このあたりの事情に詳しい人、メイルください)。でもやはり彼は不必要な音を出す。

みっつめにいらんのが、何人かのキューバ人ミュージシャン。私はキューバ音楽には詳しくない。ロックを中心に見境なくいろんなポップ音楽を聞いているだけだ。それを前提に書くが、あそこで演奏している人たちって本当にみんな一流なのかあ。この映画の批評や宣伝(その境界をわざとわからんように書いているものが多いと思うが)では、やたらみんな「伝説の一流ミュージシャン」という調子で紹介されておりますが、本当なんでしょうか。一音楽ファンとしては、どうも各ミュージシャンのあいだに力量の差を感じてしまう。あの女性ボーカルは存在感といい、歌声の伝わり方といい、確かにすごいと思う。おじいのピアニストは個人的に好き。他にもとても歌の良いおじいは一人いた。しかし、それ以外の人たちってそんなにすごいかあ。特にあの帽子をかぶったとっちゃんぼうやみたいな顔のボーカルって、全然良くないぞ。ディープなキューバ音楽ファンにこれらのミュージシャンの評価を聞いてみたいものである。ところがそういうキューバンな音楽ファンは、実はこの映画には見向きもしてなかったりしてね。ついついそんな気がしてしまうほど、いかがわしい映画である。

というわけで、僕は楽しめませんでした。


金日成のパレード
1989 - Poland - 92 min.

2000年6月11日、新潟市民映画館シネ・ウインド

今年度の公開講座のふたつめの作品。

ポーランドの国営新聞社であるポルテルが1988年に、つまりベルリンの壁崩壊前に撮った北朝鮮のドキュメンタリー。アンジェイ・フィディック Andzei Fidyk というポーランド人監督が朝鮮民主主義人民共和国の建国40周年の記念式典に招待され、その式典を中心に撮影した映像を編集したもの。

まあ、やってる本人は一生懸命でも、はたからみたら大笑い、まだ笑えたら良いけれど、あまりに悲惨で涙が出るような映画。そんでもって、いったい自分は何なのかとも考えるような映画ですね。でかい岩山に首領様を褒め称える巨大な文章を刻み込むことと、自分の国のかつての指導者たちの顔面をでかい岩山を削って彫刻みたいにしてしまうことって、そんなには違わないはずだよなあ。

パレードの山車(って言っていいのか、あれは?)にはいろんな創意工夫があって笑かしてもらいました。これもやってる本人はまじめなんだろうけどなあ。

あんまり語るとこっちも疲れそうな映画でごんす。知的廃頽で申し訳ないっす。


グリーンマイル
The Green Mile, 1999 - USA - 187 min.

2000年6月10日、新潟シネマ

ここまで予想通りに面白くなくても良いだろうになあ。つまらん映画じゃ。ま、あんなに長い話をこうしてまとめたのはえらいのだろうけど。でも、原作のほうがはるかに面白そうです。未読だけど。

ところでこの Frank Darabont という監督は脚本家としてのキャリアのほうが先で、いったいどんなものを書いてきたかというと、

 A Nightmare on Elm Street 3: Dream Warriors
 The Blob (当然、1988 バージョン)
 The Fly 2
 The Rocketeer

とまあ、よくもこんなにひどい話ばっか書くなあというものばっかし。特に The Fly 2 なんぞ、面白くもない御都合主義が満ち溢れ、センス・オブ・ワンダーのかけらもなく、どうすればこんなにつまらない続編が作れるのか不思議なほどだった。当然、私、クローネンバーグの The Fly を愛してます。

そんでもってこんな彼が The Shawshank Redemption の脚本も書き、監督もすると。そして Mary Shelley's Frankenstein の脚本を書いた後、この作品の脚本と監督を担当、今度は製作にも乗り出しています。なんかハリウッド出世街道の悪い例みたいですね。

ここまでつまらない映画を作りつづけてきた人間の新作が面白いはずもない。どうでもいい映画でした。ごみです。これほど簡単に超常現象をひょいひょい持ち出して良いのか。これほど簡単にそれを一般社会に位置づけて良いのか。これほど簡単に人生を説明したつもりになってしまって良いのか。これほど簡単に善悪を決めてしまって良いのか。こりゃあ、たちの悪い新興宗教だぜ、まったく。ひどい映画です。

2000年のNBAチャンピオンになったLAレイカーズのヘッド・コーチ、フィル・ジャクソンは、ばらばらの選手をひとつにまとめるためと称してこの映画を全員に見せたそうだが、こんなゴミみたいな映画で選手の精神を支配しようとするなんて、フィル・ジャクソンも狡猾だよなあ。でも、この映画、確かに人を洗脳するには良いかもしれん。特に2000年のレイカーズの選手って純朴そうな顔してる奴が多いし。あのメンバーの中で本当に恐いのはロン・ハーパーだけだろう……って、会ったこともないけどね。


スペシャリスト――自覚なき殺戮者
Un Specialiste, 1999 - France / Israel - 123 min.

2000年6月4日、新潟市民映画館シネ・ウインド

今年も始まりました、本学主催の公開講座「映画のなかの市民社会」。と言っても、これを書いている今となってはもう終わったけど。その一本目の作品がこれ。今年もシネ・ウインドで映画を普通のプログラムとして上映してもらって、その映画館で教員が講師をするという企画。基本的には去年と同じ。

ただし、今年は全部ドキュメンタリー。でも『ゲット・オン・ザ・バス』も入れてしまった。細かいことにこだわる映画ファンにはすまんことをした。でもあれもやっぱりドキュメンタリーと考えたい。他の映画も含めて全部ここで挙げておくと、

 スペシャリスト
 金日成のパレード
 ゲット・オン・ザ・バス
 ゆきゆきて、神軍

とこうなります。どうだまいったか。

それでこの『スペシャリスト』は1961年にイスラエルで行われたアイヒマン裁判の記録映像。スタローンの同名映画があるが、このドキュメンタリーをつくった Eyal Sivan と Rony Brauman は、そんな阿呆映画を知ってるはずもないだろうなあ。でも、商品として映画を世に問うのなら、こんなシリアスな映画でも、やっぱりタイトルは他の作品と重複しないかとか、もっと考えて欲しかったぞ。

内容に関してはいろんなところでいろんな形で語り尽くされているのですが、そういうところ以外に気のついたところをいくつか書いておくと、まず音楽がだめ。ドキュメンタリーの罠のひとつに音楽があるが、音楽で雰囲気を作りすぎると画像の意味が変わってくるときがありますね。この映画も音楽がくどい。

それから映像と音声の処理技術がすごい。ここまで画面や音をいじると、これはもうほとんどドキュメンタリーというより映画技術のカタログだぜ。「ILM協力」って最後にテロップが出ても驚かんぞ。ノイズや画像の汚れをとるなんて当然で、動くはずのなかったカメラがパンするし、アップにもなるし。アイヒマンのまわりの防弾ガラスに傍聴人の顔が反射しているように合成しているし。どうやってんだろうなあ。ラストの映像も、観客をびっくりさせたかったんだろうけど、あれはほとんど手品師のネタばらしみたいで微笑ましかったほどです。

とか書いてますが、必見の映画です。よくもまあこんなものを商品にしてくださいました。さすがイスラエルの反体制家、偉い。でももう一人の製作は「国境なき医師団」だしなあ。作ってるときもいろいろ揉めたそうだ。当然でしょうね。そのうち、なにをめぐって揉めたかなども映像にしてくれんかなあ。面白そうでしょ。


アメリカン・ビューティー
American Beauty, 1999 - USA - 120 min.

2000年6月2日、ユナイテッド・シネマ8新潟

ケンブリッジ卒のイギリス演劇界のホープを、スピルバーグ率いるドリーム・ワークスがアメリカに連れてきて、これまたスピルバーグが見つけた優秀な脚本を監督させてみると。そしてそんなプランの背景には莫大な金をかけた世界中の市場調査があって、当然のようにアメリカでヒットして、アカデミー賞もあっさり獲得……などと書くと、この映画、すんごくつまらなそうでしょ。でもそれほどひどくはない。めちゃくちゃ面白いというほどではないけれど、やっぱりよくできてます。

なんつっても金があるわけでしょ。いきなり撮影監督が Conrad L. Hall っすよ。「生きていたのか、コンラッド・ホール」って感じですな。

ホールといえば、『動く標的』『明日に向かって撃て』『グライド・イン・ブルー』『いなごの日』などという作品を撮影し、僕らの世代の映画ファンにとっては<世間を知ること>=<映画を見ること>であるということを、その独特の画像で一瞬でも信じこませた偉い人です。ちなみに、これらの作品はやっぱり邦題表記でなければならず、これをたとえば、"Harper", "Butch Cassidy and the Sundance Kid", "Electra Glide in Blue", "The Day of the Locust" などと表記しても、あの万博前後の日本に漂う妙にうわついた、それでいて真摯なところもあるような変な空気はよみがえってはこないですね。あの頃に映画を見始めた人間にとって、やっぱりコンラッド・ホールは特別なのよ。しかし、こうして考えると彼のキャリアは "Marathon Man" で終わってしまったのかなあ。あの画面はひどかったすね。その後、80年代以降のスランプの日々を経て、90年代にはそこそこの作品を撮ってはいますが、やっぱりあの栄光の60〜70年代は戻らないのかと嘆いていたら、さすが名人、スピルバーグに気合を入れられたか、この作品では完全復活。深紅中心に画面をまとめ、下品の一歩手前という、映画マニアを惹きつける手法全開。この社会派コメディ(って何?)にはこの映像しかないというとこまで持っていきます。

役者も、Kevin Spacey 以下、みんな良いです。そのなかでもストーカー少年のおとうさん役の俳優の印象がどうも強かったので、この Chris Cooper っていうおっさん、ちょこっとウェブで検索してみると、おっと『メイトワン』の主演のお兄さんだったんだ。あれが1987年の映画だからなあ。ちょっとびっくり。いろいろあってあんな顔になったんだろうなあ。渋いです。

などと適当に誉めてますが、でもやっぱり、そこまで世間が誉めるほどの映画かあ、という印象は残ります。そもそも、現代アメリカにおける家族の問題って、こんなにわかりやすくていいのか。もしかしたら、こんなにわかりやすい映画でも「社会派コメディ」としてヒットするだろうから、そこからアメリカの混沌を読みとってね、という製作者側の意図があるのか、と思えるほど途中から映画全体が図式的に見えてきました。この程度ならはっきり言って、山田太一のホームドラマのほうがよっぽど面白いし、重い。

<以下、一部ネタバレあり、未見の人は注意すること>
それに、主人公だけではなく、その他のキャラクターの決着のつけかたにしても、あんなお手軽なもので良いのか。特に主人公の娘の女友達。あそこまで派手なキャラクターにしておいてなあ。結局、私も普通の女の子よ……ってそりゃあないだろう、あれは。世界中の観客をそんなに安心させたいのか。つまらん。それに、最後の最後も、なんだかんだ言ってみんな良い人で、それぞれ悩みを抱えていて、悪いのはみんなナチスとホモってなあ。それじゃあ『ブルース・ブラザース』と変わらんぞ。あっちのほうは楽しい映画だから、その図式が許されるし、そのナチスのホモにしても "I've always loved you" という映画史に残る名台詞があるからこそ感動的に面白いんだよなあ。

というわけで、監督の Sam Mendes って、スピルバーグに見放されたらまたロンドン演劇界に戻るだろうなと思いつつ、劇場を後にしたのでした。


マグノリア
Magnolia, 1999 - USA - 188 min.

2000年3月31日、ユナイテッド・シネマ8新潟

良い。3時間と長いけど、あきない。ストーリーはあるようで、ないような。群像劇というほど統一のテーマがあるわけでもなし。無理にテーマを見つければ、決断と過失と謝罪と赦免かなあ。そんなこと言うと人生そのものってことになりそうですが、でもそんな映画ですね。監督は『ブギー・ナイツ』の Paul Thomas Anderson 。

カルフォルニアのサン・フェルナンド・バレーという町が舞台です。ハリウッドの近くなのかな。死にかかっているおじいさん役で Jason Robards Jr. が出ています。ペキンパーの最高傑作のひとつ『ケイブル・ホーグのバラード』の主演ですな。このおじいさんを中心に人間関係の蜘蛛の巣が広がっていくんですね。おじいさんの後妻を演じる Julianne Moore は『ブギー・ナイツ』とほとんど同じ役柄。"Seduce and Destroy" という講座を主催しているマッチョな男根主義者を Tom Cruise が怪演。「地」かなあと思わせるほど無気味。他のキャラクターもよくできていました。

文句を言えば Aimee Mann の音楽がうるさい。そんなに大事そうに使うほどの曲かなあ。蛙については……以下自粛。


トイ・ストーリー2
Toy Story 2, 1999 - USA - 92 min.

2000年3月18日、ユナイテッド・シネマ8新潟

面白かった。でも予想してたほどじゃなかったかな。それでもやっぱり、そこらの映画に比べると格段に面白い。画面の処理なんかも本当はすごいんだろう。はっきり言ってあまりにすごくて、普通に見えるって感じぃー……などと言葉遣いが不気味になるほどすごかったぞ。Pixar 製作だから、やっぱりNG集もあります。「バグズ・ライフ」でもそうだったけど、これが面白いんですね。ちょっと意外な登場人物もあり、ま、見てのお楽しみ。声優が一番楽しんでるのはよくわかる。

ちなみに本編の上映前に "Dinosaur" の前振りみたいな紹介(予告編にあらず)があったのだけれど、これもすごかった。もう好きにしてくれいってな感じぃー……などと言葉遣いが不気味になるほどすごかった(俺もしつこいか?)。動画に関する視覚芸術で表現できないものがなくなって既に久しいような気がしていたが、上には上があるってことか。でも「着ぐるみ特撮」の味も捨てがたいよね。

んで、この『トイ・ストーリー2』のお話ですが、これがまたよくできているのよ。アンディという白人少年の大切なおもちゃ「カウボーイのウッディ」が、実は昔のテレビ番組の主人公でプレミアつきの貴重な人形だったことがわかると。そんでウッディを偶然見かけた玩具屋オーナーがそれを盗み、同じ番組の他のサブキャラのおもちゃとセットにして、東京の「コニシ玩具博物館」にとんでもない額で売り飛ばそうとすると。それをアンディの他のおもちゃたちが助けに行くと。

この設定がすごいでしょ。おもちゃがおもちゃ屋に行く。それも「トイザらス」みたいなでかいおもちゃ屋。「ウッディ救援隊」のリーダー役になっているのは宇宙戦士おもちゃの「バズ・ライトイヤー」なんだけれど、彼はやたら売れてるんで、そのおもちゃ屋の中のひとつの通路全体が無数のバズで埋め尽くされているわけよ。それもぜんぶ同じタイプ、同じ大きさ。自分と同じものが見渡す限り並んで安売りされている。これはきついぜえ。さらには、そこでディスプレイ用のひとつが自由になってしまったりするから、いったい自分って何だってことになるんだけれど、そこは、ほれ、バズって偉いから。ま、見てください。俺とは違うなあ、バズって。さすがだ。

かたやウッディのほうは、東京の博物館で貴重品として陳列される人生と、アンディのおもちゃとして日常を送る人生のはざまで悩むわけですね。この「ウッディ=プレミア」と「バズ=安売り大量生産」という対比がしつこくないだけに、私は泣けました。

ちょっと壊れたらすぐに捨てられるおもちゃの運命。持ち主が成長してもすぐに捨てられるおもちゃの運命。それらを解決(したことに)する彼らの自意識の変革。あまりに自然なけりのつけ方に、最後は感動するよりも怖くなったぜ。ディズニーってやっぱりこの世界を滅ぼすつもりかぁ。これをハッピーエンドと見るか、悲劇の始まりと見るか。これは、あなたがジョージ・オーウェルと松下幸之助のどちらを支持するかということと連関するかな。そこまで言うと大げさかね。

『スター・ウォーズ』のルークとダースベイダーの関係のパロディもあって、人間のアイデンティティなんか、おもちゃに比べたら軽い軽い、と言われてるような気にもなるかな。なんつっても、人間って何かの問題があれば、親子関係とか成長過程に逃げることができるでしょう。「この問題の根源的な原因は幼い頃の親子関係です」とかね。すべてをそんな説明で済まそうとするのも阿呆だけど、なんでそんなことするかっていうと、それはそれで楽だからでしょ。ところが、おもちゃの場合は、いきなり工場から生産されるわけですから、そんな記憶やらなんやらあるはずないんだもん。これもきついぜえ。なあ、レイチュル@タイレル。そう言えば、タイレル社ってなんとなく玩具メーカーみたいだね、音の響きが。

でも当然だけど、アイデンティティだなんだかんだ、そんなことはどうでもよくなるくらい、楽しい映画ではあります。ご家族連れでどうぞ。妻がこの映画は見たくないってんで、私は一人で見たけど。

それにしても、おもちゃだってこのくらいアイデンティティの確立で悩んでんだから、人間だってもう少しは悩んでくれよ。どうかね、本学の学生諸君。とか言っても悩みすぎても困るからね。さあ、スポーツで発散だあ……って嘘だよ。ま、映画でも見てみたらどうっすか。


スリーピー・ホロウ
Sleepy Hollow, 1999 - USA - 105 min.

2000年3月16日、ユナイテッド・シネマ8新潟

相も変わらず Tim Burton の「箱庭映画」。いつも彼の映画は、彼が作った箱庭を見せられているような気になりますね。これまでの他の作品だと、その感覚がとても面白かったのだけれど、今回ははずれ。ティム・バートンにもはずれがあるんだなあと妙に納得してしまった。Executive Producer の Francis Ford Coppola がどれくらい口を出したかだな。ほとんど何も言ってないとは思うが。

1799年のニューヨークから話は始まります。当時のアメリカでは、犯罪捜査の中心は拷問による自白だったというのがちょっとびっくりでしょ。ところが、主人公の検事 Johnny Depp は科学と理性しか信用していません。それで、この拷問自白主義を中心とする裁判制度、警察制度に反発するわけですよ。そしたら、市長(最後のキャストでは Burgomaster となっているあたり、非常に細かい。辞書引いてね。演ずるは、なんと Christopher Lee )が「じゃあ、お前、そこまで科学だ理性だと言うのなら、田舎で変な連続殺人事件が起こってるから、それを捜査して来いっ」と言うわけですね。

そんで、そこから馬車で二日かかるほどの辺鄙な村、スリーピー・ホロウに Johnny Depp が行くと。連続殺人事件の被害者はみんな首を切り落とされているのですが、その首が発見されません。そしてまたスリーピー・ホロウには陰惨な伝説までがあるんですね。その伝説の主は狂気にかられて人を殺しつづけた騎士という設定なんですが、これを当然のように演じるのが Christopher Walken 。どうだまいったかって感じです。まあとにかく、そんな村で起こった猟奇な事件に主人公はどう立ち向かうのか。科学は伝説と迷信に勝てるのか。

と、ここまで書いたら、みんなわかるでしょ。この映画はそのまんま『薔薇の名前』なんですね。中世がないはずのアメリカだからこそ、このあたりの演出が面白い。映画全体が独立直後のアメリカにある中世的なものを見せているし、スリーピー・ホロウが当時のアメリカではとても辺鄙なところだからこそ、<近代−中世>という対比も目立つんでしょう。そういう意味でほんとに『薔薇の名前』や『ジャンヌ・ダルク』と同じ。お話の結末のつけ方はそれぞれ全然違うけど、その違いに監督の資質の違いみたいなものがわかって面白いです。

などと考えながら見てても、この映画自体はたいしたことないのよ。面白くもないし、恐くないしね。だいたい、この映画はホラーじゃない。じゃあ何なんだと言えば、イギリスの Hammer Films と Terence Fisher 監督へのオマージュだと思う。Christopher Lee や Michael Gough まで使っているんだし。それこそホラーじゃんけ、と言われるかもしれませんが、ホラーであることと、Hammer Films の雰囲気を再現してそれを誉めるってのはちょっと違うんじゃないでしょうか。そういう意味ではティム・バートンの "Ed Wood" とも微妙に違う映画ですよね。

Hammer Films が何で Terence Fisher や Michael Gough が誰かなどということは自分で調べるように。ウエブにアクセスしてんだから、簡単でしょ。人に聞く前にまず調べましょう……ってゼミ中みたいだな。偉そうですか。ごめんなさい。ついでに私も調べてみたのですが、面白かったのは Hammer Glamour というウエブサイト。いつなくなるかわからないので、URL は書かないけど、ここは飽きないですね。暇な人は Yahoo からでもどうぞ。

この映画、他の細かいところで言えば、今回も出てます Lisa Marie 。主人公のお母さん役。でもやってることは "Mars Attacks!" のスパイガールとほとんど同じ。笑えます。ほんとは笑うシーンじゃないけどね。ちなみに彼女はまだティム・バートンとつきあってんだろうか。どうでもいいことだけど。


海の上のピアニスト
La Leggenda del Pianista Sull'Oceano, 1998 - 168 min.
AKA
The Legend of the Pianist on the Ocean (festival title)
The Legend of 1900 [1999] (U.S. title) - 116 min.(Jananese ed.,125 min.)

2000年2月6日、ユナイテッド・シネマ8新潟

思ったほど面白くなかったなあ。泣かすわけでもなし、笑わすわけでもなし、しみじみとさせるわけでもなし。中途半端な映画でした。『ニュー・シネマ・パラダイス』の Giuseppe Tornatore が監督してるってんで、嫌な予感はしたんだけれど、やっぱりはずれ。主演が Tim Roth だから見に行ったんだよなあ。

ただ、ちょこっと上を見てもわかると思いますが、オリジナルは168分もあるんですね。それを125分に短くしてるんで、長いほうを見たらまた違うかもしれない。ちなみにアメリカ版はもっと短くて116分となってますね。ま、いろんなバージョンがあるんでしょう。

時は西暦1900年、ヨーロッパとアメリカのあいだを行き来する客船の中で生まれ、そのまま捨てられた子供が、ピアノ演奏に異常な才能を見せ、そのままずっとピアノ弾きとして船で暮らしていくっていうものです。いろんなエピソードがあるんだけど、それらがばらばらで、あんまりピアニストの個性が出てこないんですね。ただ、ティム・ロスは良いです。

にもかかわらず、映画として面白くないのは、語り部役のトランペット吹きの性格も明確ではないからかな。彼も含めて性格のわからん奴が多いです。簡単に言ってしまえば、人間が描けてないってことでしょうか。ただ、「人間を描く」ってのは、映画を見る基準に使ってはいかん言葉ですよね。人間が描けてなくっても面白い映画はいくらでもあるし。でもねえ、やっぱりこのての映画で登場人物に魅力がないってのは致命傷じゃないですか。

それから、そのトランペット吹きの視線がいつも微かに左右にゆれていたのは何か意味があるのかなあ。なにかの病気かなとも思った。主人公のピアニストの視線がじっとしたままほとんど動かないんだけど、それを強調したかったのかな。謎である。

でかい客船なんで、それ自体がひとつの社会みたい。客にもいろいろいて、とんでもない上流階級から、着の身着のままでアメリカに渡ろうとする移民まで。船員のほうも、偉そうな服着た船長から、船の底で石炭放りこんでいる労働者まで、本当にいろいろいるんですね。ところが、こうしたところもあんまり丁寧に描いてないので、「あ、いろんな人がいるんだなあ」程度にしか見えない。

悪口ついでにもうひとつ書けば、Ennio Morricone の音楽もあまり良くない。ただ、最後の字幕のところで出て来るどうでもいいような主題歌をロジャー・ウォーターズが歌ってて、ギターをエドワード・ヴァン・ヘイレンが弾いてるってのは、ちょっと笑った。20年前には誰もこうなるとは想像してないぞ。でもなんかなあ。「UWFのレスラーたちの今」って感じだなあ。


ブレア・ウィッチ・プロジェクト
The Blair Witch Project, 1999 - USA - 87 min.

2000年1月29日、ユナイテッド・シネマ8新潟

一発芸みたいな短い映画。でもアイディアとしてはそれほど奇抜ではないです。ありきたりと言えばありきたり。これまでもいろんな人がやってそうな気がする。どういうものかと言うと、魔女伝説についてのドキュメンタリー・フィルムをメリーランドの山の中に撮影に行った3人の男女が行方不明になって、一年後に彼らが撮ったフィルムとビデオだけが発見される、と。そのフィルムをそのままドキュメンタリー映画にしましたっていう設定。

ね、このアイディア自体はそれほどでもないでしょ。誰だって考えつくよなあ。にもかかわらず、この映画は面白い。どうしてかって言うと、ひたすら丁寧に作っているから。こんな企画もんだと、ついつい雑に作ってしまいそうだけど、音の入れ方とか、画面とか、すごく良く考えて作っているのよ。そこが良くて、観客を飽きさせない。

でもこの映画は恐くない。凝った作りが面白いだけ。もっと恐い映画かと思っておりました。映画のウェブサイトも良く出来てて、このサイトも退屈しません。でもこのサイトも恐くないのよ。

ところで。いったい恐い映画ってなんだろうか。有名どころのなかで、私が見て恐かった映画と恐くなかった映画をちょっとだけ挙げてみました。

<恐かった映画>
  サイコ
  激突
  ヘルハウス
  キャリー
  サスペリア2
  暗闇にベルが鳴る
  ジョーズ
  エイリアン
  ヒッチャー

<恐くなかった映画>
  鳥
  エクソシスト
  サスペリア
  オーメン
  シャイニング

恐怖映画って、恐くってなんぼのもんだとは思う。でも、実際には恐くない恐怖映画ってたくさんあるじゃないですか。不思議ですよね。こうして書き並べてみると、なんとなく映画における「恐怖」ってのは何かということがわかりますな。お前の好き嫌いでわかるな、と怒られるかもしれませんが、でもこんなもんでしょ。駄目よ、『シャイニング』なんか恐がってちゃ。原作のほうが遥かに恐い映画なんて。なんのために映画化したんだって思うよね。

それに比べると、こうして名前を思い出すだけで、なんとなくいやーな感じになってくるほど恐い映画ってあるよね。『暗闇にベルが鳴る』なんて、松山の映画館で見たときには、本当にうんざりするほど恐かったけどなあ。今見たらどうなんだろう。オリビア・ハッセーは『ロミオとジュリエット』だけ、などとよく言われるけど、『サマータイム・キラー』『暗闇にベルが鳴る』の二本だって、結構良い映画だと思うぞ。『サマータイム・キラー』は音楽も良かったし。そういえば、この映画の主題歌をテープに録音してたけど、どこ行ったかなあ。捨ててしまったんだろうなあ。モノラルで録音してた頃だし。

ま、ともあれ、恐怖映画論はいろんな人が展開してるんだろうけど、本当はすごく奥が深い。ジジェクもたいしたもんだとは思うが、もっと違うアプローチもあるとは思う。(この項、未完)


ジャンヌ・ダルク
The Messenger: The Story of Jean of Arc
AKA
Jeanne d'Arc(French title), 1999 - France - 148 min.

2000年1月24日、ユナイテッド・シネマ8新潟

タイトルどおり、ジャンヌ・ダルクの話です。リュック・ベッソンだけのことはあって、退屈な映画にはしていません。ただ、ここまで退屈しなくて良いのか、という気はしました。

百年戦争の詳細などはばっさり省いて、ジャンヌの信仰と良心の問題がテーマになっております。それはそれで面白かったけど、どうせ内面を描くのならもっとじっくりと扱ってもよかったんじゃないか。二時間半だったけど、もっと長い映画でも良かったような気がする。そのジャンヌの内面にしても、面倒なところをすべてダスティン・ホフマンに押しつけるのは可哀相だよ。ダスティン・ホフマンもオビワンみたいでかっこよかったけど。そういう点からすれば、英文原題の『メッセンジャー』というのはなかなか良いタイトルだと思う。せっかくそんな題名をつけたんだから、その線をもっと追求するべきだったんじゃないか。そうすれば、たぶん歴史に残る歴史映画の名作になってたと思うぞ。ちなみに、なぜか日本での上映バージョンにはそんな英題も出てこず、ただ"Jean of Arc"だけが画面に映ってました。

ジャンヌ・ダルクを演じる Milla Jovovich には、『フィフス・エレメント』とおんなじように、手足を伸ばして空中をゆっくり落ちていくというシーンがあります。リュック・ベッソンは好きなんでしょう、こんなシーンが。正確に言えば、彼女をこんなふうに撮るのが好きなのかな。

時代が時代だけに登場人物のメイクが凝ってます。わざと歯並びを悪くしたり、不健康そうにメイクしたり。指なんか爪まで真っ黒。フォークなんかないから手でがつがつ物食うしなあ。髭もきれいに剃れるはずないしね。中世ヨーロッパの下品さ全開。シャルル七世の義母役の Faye Dunaway の顔もすごい。ヘルメットを取ったロボ・コップそっくり。わたしは一瞬、Peter Weller かと思ったよ。血管浮いてるところまでそっくり。ほんとに似てるんだってば、恐いけど。この人も不思議なキャリアの女優だなあ。『スーパーマン』の時は、もうこれで彼女も終わったかと思った。あ、あれは『スーパーガール』か。それはともかく、他の俳優も含めてこうしたメイクの凝り方などは『薔薇の名前』と重なりますね。スタッフも重なっているかもしれない。考えてみれば、リュック・ベッソンもジャン・ジャンク・アノーと同世代だもんなあ。当然『薔薇の名前』は気にしてただろうし。

シャルル七世を演じる John Malkovich は「ぼんくら王」を好演。むずかしいぞ、こういう役は。他には Vincent Cassel も出演。彼は『ドーベルマン』『エリザベス』と一躍売り出してますが、この大作でも良い役をとっています。デュノワを演じる Tchecy Karyo (スペル一部簡略表記)も、今度は「ええもん」、正義の味方。いつも殺し屋や冷酷非道な刑事とかばっかしだもんなあ。

今回は英語バージョンで見ました。イングランド軍もフランス軍も英語をしゃべっています。以前にも書いたけど、こういうところが映画の不思議。ただ、この映画では人名、地名の発音は少し変えてたかな。シャルル七世をイングランド軍は「チャールズ」と呼び、フランス軍は「シャルル」と呼ぶ。フランス語バージョンだとどうなっているのかな。

そんでもって、ここから下は映画館 ユナイテッド・シネマ8新潟 の話です。わたしら夫婦は今回初めてこの映画館で映画を見ました。ふつうは映画を見た後に酒飲んだりするし、車で行って映画見てそのまま帰るってのがどうも味気なく、開館してから数ヶ月経つものの<全8スクリーン、総座席数2261席、 無料駐車場1500台>のこの映画館には行ってませんでした。

ところがね、これがすごいのよ、ほんとに。何と言っても音の良さにびびる。『スター・ウォーズ』の特別編を新潟シネマ1で見た時も音の良さにびっくりしたけど、ここもすごいっす。映画テクノロジーの進歩ってのはすごいなあ

わたしらが『ジャンヌ・ダルク』を見たのは座席数 322 の No.7 スクリーン。音響は SR-D 、ドルビーステレオ・サラウンドですな。スピーカーはJBL。音はとことんクリアで、ノイズがまったくない。何の音もないときには「ちり」ともいいません。それで音が走るわ、低音もすごいわ。こんな音で映画を見る時代がこようとは、『大地震』をロードショーで見た頃には考えもしなかったぜ。あの映画では地震が起きるシーンのときだけ特設サラウンド・スピーカーがカチッと鳴ってオンになり、そこから「ごおおおぉ」って地響きが鳴ってたもんなあ。あれはあれで面白かったけど。あ、ちなみに映画としては『大地震』、カスです。

話をユナイテッド・シネマに戻すと、館内の照明も良く出来てて、「非常口」などのライトが光りつづけて映画に集中できないということもありませんでした。座席数のもっと多い No.1 や No.2 のスクリーンは音響も他に比べて良い設備だそうで、SDDS や SR-EX などといった規格の設備になっているそうです。どんなにすごいのかはっきり言ってよくわからんし、その規格の映画がどれほどあるのかもわからんが。

ただねえ、映画館の音響設備があまりに良すぎて、音だけで客をびびらせる映画が増えてきているのは確かだなあ。ピストルの発射音でびっくりさせる。ジェット飛行機の噴射音のでかさで画面(どころかストーリーまで)をごまかす。ホラー映画では意味のない低音で恐がらせる。某野球映画なんかは、ボールがキャッチャーミットに「ばすっ」と入る音だけで感動させようとしてたぜ。ま、こんなことは映画館の責任じゃないし、そういう映画ができれば、また映画館としてもなるべく良い音で映画を見せようとするのは、企業努力として当然のことだしね。

というわけで、このユナイテッド・シネマ8新潟、すばらしいです。アメリカのシステムをそのまま輸入してるんでしょうけど、これで値段がアメリカ並だったら言うことないぞ。あ、そういえばポップコーン食べなかったなあ。アメリカみたいにバターをどろどろにかけてくれるんだろうか。こんど食ってみよ。

とか書いていると、ユナイテッド・シネマの宣伝みたいになってもいけないので、興味のある人はユナイテッドのウェブ・ページでも見てください。ただ、地元の映画館もいろいろ考えないと、本当にこれからきついと思う。いろいろ大変でしょうが、頭をしぼって映画館に客を呼んでください。

新潟の古町や万代周辺の映画館にも繁盛してもらいたいだけに、こんなこと書いております。よろしくお願いします。やっぱり繁華街には映画館がないとつまらないし。その昔、私が5・6歳の頃か、松山の大街道商店街の映画館「タイガー」前にあったゴジラのはりぼて人形が恐くて、その前を通れなかったことを思い出したけど、あのころの映画館には映画の看板だけで街中にちょっとしたセンス・オブ・ワンダーを撒き散らすような雰囲気があったんだけどなあ。ほんと、お願いしますね、各映画館の支配人。ちゃんと見に行ってますんで。


リトル・ヴォイス
Little Voice, 1998 - UK - 96 min.

2000年1月9日、新潟市民映画館シネ・ウインド

『ブラス!』の Mark Herman の新作ってんで見に行ったけど、1998年の作品だったんですね。Ewan McGregor も『ファントム・メナス』前です。

でも良い映画でした。『ブラス!』もそうだったけど、この監督はプロット一発で撮るんだなあ。この映画も主演の Jane Horrocks の物真似の才能が異常なんで、それだけを基本線に作った映画。本当は映画の前に戯曲があるらしいです。その彼女がジュディ・ガーランド、マリリン・モンロー、シャーリー・バッシー、ジュリー・アンドリュースといった有名どころの歌から台詞まで怒涛のように真似るのだけれど、これがすごい。どれが大歌手のオリジナル録音で、どれが Horrocks の声か、本当にわからなくなります。それにシャーリー・バッシーの声を真似る人がジュリー・アンドリュースの声を出すってのも信じられないでしょ。

ストーリーは、愛する亡父の残したレコードだけを聞いて部屋に閉じこもっている若い女性が、いつのまにかそのレコードの歌手の声をそのまま出せるようになっていて、その才能を見つけた男が芸能界に売り出そうとするが……というものです。鳩しか愛せない青年がそれに絡むと。

マネージャーになろうとするいかがわしい男を Michael Caine が好演。久しぶりに彼が人を殺さない映画を見たぞ。鳩男を Ewan McGregor 。これも良いです。がんばれ、オビワン。主人公のうるさい母親役を、何と発音するのか知らないけれど Brenda Blethyn 。これも良いです。キャバレーのオーナー司会者 Mr. Boo にイギリスが誇る怪優 Jim Broadbent 。この人も良く見るなあ。『クライング・ゲーム』にも出てましたね。

当然、主人公が連発する物真似が映画の中心にはなるのだけれど、そこはマーク・ハーマン、ただそれらを出すだけではなくて、ちゃんとした映画にしているのはえらい。ただ、こんどは『ブラス!』ほど「泣かせの桂小金治」状態ではありませんでした。物真似のシーンもちょっと出し惜しみと感じさせるくらいに押さえてますね。ステージシーンなんか、もっとがんがん歌わせるのかと思ったけど。このあたりがうまいのかなあ。しかし、このステージシーンには泣くよ、多分。

でもやっぱりこの映画は主人公を演じる Jane Horrocks の異能を鑑賞するのが最大の目的でしょう。ただ、私にははっきり言って何の映画のどのシーンが元ネタなのかわからないものもありました。だいたい誰の声かはわかるように、それほど映画に詳しくない人にもわかるように台詞などはできてます。ミュージカルにとことん詳しい人が見ればまた違った面白さもあるんでしょうね。


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