「アメリカの大学のすぐれたレポート」(苅谷剛彦 1997『知的複眼思考法』講談社115ページ) アメリカでは、日本以上に「自分で考える力」の育成が重視さ れているといわれている。そのことは、アメリカの大学でのレポート の書き方、その評価のしかたにも反映している。アメリカで学生 に課される論文やレポートの場合、与えられた文献の内容を要領 よくまとめただけでは、よい成績はもらえない。もちろん、教科 書の丸写しではまったく評価されない。 それでは、どんなレポートが高く評価されるのか。それは、レ ポートの中に、どれだけ「考えた形跡」があるかによるといえる。 アメリカの大学で「よい」といわれるレポートを書くために は、読んだ文献をもとに、その内容を要約するだけにとどまらず、 そこから得た知識を使って、自分の考えを論理的に展開することが 重要だ。そして、必要があれば、その議論をサポートするような 証拠を自分で探し出して提示することが求められる(注:今回は 仮説で構いません)。 とくに、自分なりに問題を立て、それを解くスタイルは重要で ある。問題の立て方の独創性と、それを解明するときの論理展開 の精密さ・緻密さ、さらには、論理の根拠の確かさをきちんと示 しているかどうかが重視されるのである(注:今回の情報社会論 のレポートではあなたの研究の問いに対する解答は、仮説で構い ません。どうすれば根拠を得られるかについて計画してください)。 日本の大学でも小論文や学期末レポートなどを課題とすること がある。しかし、どのような内容のレポートの評価が高いのかは、 アメリカほど明確に教えてくれるわけではない。ということは大 学教師の間でも、それほど明確に評価基準が共有されているわけ ではないということである(講義でこの資料を配布したときにお 話したように、情報社会論ではこの資料に添って評価します)。