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はなむけとみやす ふうせい勇気と覚悟 挑戦する気概を!こり得るでしょう。まさに未知との遭遇であります。そんな時に頼りになるのは相談することのできる「人」です。ご家族や友人、先輩、後輩、教師といった「人のネットワーク」です。多方面に広がった「人のネットワーク」、それは資産です。それは多ければ多い程、広ければ広い程いい。そうした「人のネットワーク」という資産の筆頭に来るであろうものは「同窓会のネットワーク」です。そして本学のそれは先程述べましたように今や6500名を超える資産に成長しております。同窓会は大学の力の重要な源泉の一つです。こちらの鎖の理事長祝辞新潟国際情報大学の第23回卒業生280名の皆さん、卒業おめでとうございます。併せてご父母の皆さま、心よりお祝いとお喜びを申し上げます。今春の卒業式は、新型コロナウイルスの感染拡大のため誠に残念ながら挙行できなくなりました。異例の措置について皆さんは、さぞかし悔しい思いをされていることと推察します。私も同じです。そして教職員も同様かと存じます。残念無念、決して忘れられない記憶となりました。しかし卒業生、ご父母の皆さん、晴れ姿で迎えることができなかった卒業式ではありますが、当然のことながら皆さんの「卒業」が色褪せる訳でもなく、みずき野のキャンパスで学び、友をつくり過ごした4年間の歳月は、生き生きとして生涯の糧にな輪は末永く活用してください。「顧みての微笑み」という言葉があります。学位記を手にした皆さんはここみずき野で過ごして来た日々を思い起こしておられるものと思います。そして皆さんはいずれまた何年か、あるいは何十年か後の区切りの時に自分たちが歩んで来た途を振り返って見ることでしょう。その時にそれまでの来し方を、微笑みを以て総括することができるのかどうか。そして行く末に明るい思いを馳せることができるのかどうか。もちろんそのような大きな節目だけではありません。毎日の暮らし、日々の営みの中で、っていくことは紛れもないことであります。確かに皆さんにとって戸惑いの春三月とはなりましたが、それぞれの道に向かって胸を張り、力強く堂々と一歩を踏み出してほしい、と願って止みません。令和元年度、開学25周年の歴史を重ねた本学の卒業生は合計6000人を超えています。そうした先輩たちも皆さんの仲間入りを手を広げて待っております。さて、私は卒業式の祝辞のたびに同じようなことを申し上げておりますが、また繰り返さざるを得ません。つまり、皆さんは逃げることができない、極めて生きづらい時代を、歯をくいしばって生き抜いていかねばならない、ということです。争と破壊の世紀」との決別を願いました。しかし、現実は相変わらずテロや地域紛争、宗教間の対立などが続き、多くの人命が奪われ続けています。そして貧富の格差拡大と世界の分断、過激化。大規模化する自然災害、高齢化と福祉の困難性、メルトダウンした原発と地震の恐怖などなど数えきれない試練と逆境が続く時代の真っただなか 21世紀を迎える時、人々は誰しもが「戦ほっと一息ついて自らの行いを振り返ってみる、むしろそうした場面で思い出していただきたい言葉だと思っていますが、それらのいずれの時においても、願わくば、微笑みをもって総括ができるようになっていただきたい。私自身はそうありたいと思っておりますし、皆さんにも是非そうした日々を送っていただきたいと願っております。「顧みての微笑み」、これはこうした節目の時にいつも私が贈る言葉です。餞の言葉としては簡素でさり気なさ過ぎる言葉かも知れませんが、皆さんのこれからの人生に私達は存在します。そこに感染症のパンデミックが加わってしまいました。私は地球温暖化に伴って、人類が過去に体験したことのない、とてつもない自然災害の猛威や核戦争の偶発的勃発も想定せざるを得ない状況にある、と思っています。しかし他方で、私は絶望的な気分に襲われることも否定はしませんが、それ以上に信念として人類の英知をもって結集、対応すれば、諸々の脅威に打ち勝つことができる、と確信しています。コロナウイルス対策でも言えることなのですが、世界の国々の一人ひとりの冷静さや連帯が試されることであり、それは試練を越えて実行可能だと思っています。卒業生の皆さんは、これからいろいろな難局に直面するでしょう。その時、決して委縮することなく、誇りと信念、そして果敢に挑戦する気概を持って実社会で難局を乗り越えてほしい、と心から願っています。みずき野の西の空に、弥彦、角田の山並みが青く浮かぶ風景は、皆さんにとって生涯忘れない記憶として残るでしょう。皆さんご存じかどうか、旧西蒲原郡味方村(現が幸多かれと祈りつつ私からの祝いの言葉と致します。そして最後にもう一句。「ともかくも この度は残念ながら卒業式典のみならず卒業記念祝賀会も中止のやむなきに至りました。せめて出席できなかったご父母の皆さま、ご関係の皆さまと祝いのひと時をゆっくりと楽しんでください。ご卒業、誠におめでとうございます。新潟市南区味方)に生まれた碩学で、かつて京大総長を務められた平沢興先生(1900〜1989年)の自伝に「山はむらさき」という著書があります。「越後平野のまんなかに生まれ、ふだん見る遠い山々がいつも紫に見えた」そうです。その「山はむらさき」によれば、先生は京大医学部に入学早々、向学の夢が医学部の現実に切り裂かれ、ひどく精神を病んで故郷に戻ります。「医学部の現実」がどういうものだったのか、私には分かりません。先生はそして、故郷の雪原をさまよっていたある日、私淑していたベートーベンの叫びを聞きます。「まさに運命の瞬間」と先生は書いておられます。耳の病気で絶望的になりそうな25歳のベートーベン。その声は「勇気を出せ。たとえ肉体に欠点があろうとも、わが魂はこれに打ち勝たねばならぬ。覚悟を決めねばならぬ」という自らに向かって叫ぶ戒めと励ましの言葉だったといいます。「自分ごときが煩悶し迷うのは当然だ」とこれを聞いた平沢先生はわれに返り、自分を取り戻したそうです。そして先生は、間もなく京都に向かうことになります。「勇気」と「覚悟」。以上、ベートーベンと平沢先生の話から二つの言葉を卒業生に「贈る言葉」とします。めでたさよ」卒業したる 富安 風生 13新潟国際情報大学 学報 国際・情報 令和2年5月発行 2020年度 No.1                学校法人 新潟平成学院理事長 星野 元 

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