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口回麗鰍および最近の話題−ΩOO阻Φを中心にして」、樋口 長年にわたり、本学の発展にご尽力された永井武、樋口光明両先生が定年を迎えられました。両氏の最終講義が2月16日に本校で開催されました。永井先生は「私とインターネットの関わり          の一つで「教クター」と「図書惰報セクター」からおよびシステムを整備・管理して教育と研究に供する部門で、後者は本鰯情報センター長    情報システム学科教授           情報セン          ターは本学        ▲          の最も重          要な組織          育・研究セ成ります。前者は惰報関連の機器        岸野 清孝門です。           ・ 大学においては、授業を通じて知識を得ることは重要ですが、単に受し、理解を深め、身に付けることが要求されます。それゆえ皆さまの積られました。情報システム学科 教授 3月末に!3年間奉職した新潟国際情報大学を定年退職した。13年間、私を受け入れてくださった新潟の方々に心から感謝する。その間、楽しかったこと、うれしかったこと、そうでもなかったこといろいろあるが、その中でうれしかったことをここに記し、新潟へ別れを告げる 大学の使命は学間の追究である。しかし、新設の本学の卒業生は、学問に就くのではなく職業に就くと私なりに判断し、授業、演習、卒業研究指導に加えて就職活動支援も行ってきた。この!3年間の大学生活で最もうれしいのは、卒業生が白分の会社の社長とともに本学に学の専門図書館を管撃運営する部動的に先生から知識を教えてもらうだけでなく、自主的に本やインターネットなどにより情報を収集先生は「人工知能システム開発のこれまでとこれから」と題して講義。最後に大きな拍手の中花束が贈られ、また情報システム学科の夏期セミナー留学先のアルバータ州立大学からも感謝状が贈      永井 武こととしたい。最良の仕事・人生を得るために極的な利用を期待します。 最近、若者が本を読まなくなつたといわれて久しくなります。学内でけっているのはほんの少数で、携帯電話片手にメiルを打つ姿ばかりが目立ちます。インターネットで情報を仕入れるので、不白由を感じていないようです。日本図書館協会の常世の学生を見てみると、本を読みふリフが、30年以上たった今でも妙に心に引っかかっている。「行くところはいっぱいあるの。帰るところがないだけよ」きて、来年の卒業生をわが社に採用させてください、と言ってきたときである。本学の卒業生が入社し、それなりに活躍して事業を拡大し、さらに従業員を増やしたいと経営者が思ったとき、本学卒業生の後輩が欲しい、そして本学まで採用活動のために来てくださった、という過程を思うとうれしくなる。 卒業生一人ひとりを適所に就職指導することにより卒業生が活躍できれば、広報活動や取って付けたような広告をするより堅実な広告であると私は思っている。学生一人ひとりを教職員一体となって育てる努力を続けることにより、本学が存在する価値が生まれる、と思っている。本学が、22世紀、23世紀に存在する大学であることを、陰ながら支援していきたい。 今はゴジラなども監督している大森一樹が、京都府立医大の学生だったころ自主制作した映画がある。「暗くなるまで待てない−」というその映画の中で、関西から東京に行くことになった女性の送別会で彼女が言ったセ 私にも何度目かの転身の機会がやってきた。もちろんタiネットは役に立ちます。しかし、白分の仕事や、人生にかかわる判断語っています。就職試験の面接では「学生の受け答えが次へと続かなく、話しの浅さが目立つ」と指摘されています。これは一夜漬けでは決して身に付くものではなく、日々本を読むことの積み重ねにより、深みが備わっていくのです。最良の仕事、人生を得るために、情報センターが大いにお役に立てることを期待します。教授光明田良事務局次長は、「確かにインに必要な情報を体系的かつ網羅的に得るためには本が最適です」とロ ロ oo私にも行くところはいっぱいあるが、帰るところはない。本誌「国際・情報」の主な読者である本学の卒業生はどうだろうか。「俺の行く道はこれしかない」と思いつめる人も、それはそれで立派だけど、行くところがいっぱいある人が私は好きである。 どちらの人も、みずき会という立派な同窓会組織には参加すればいいと思う。これは、「帰る」ことではなく、今の自分の立ち位置を確認する作業でもあるから。私も同窓会やOB会にはできるだけ参加することにしている。もっとも私の場合は単に皆と酒を欽み、話をするのが好きなだけだが。ディーズという女性3人によるユニットがありました。彼女たちは、「普通の女の子に戻りたい」という名一言によって、解散宣言をしたことでも有名でした。 キャンディーズの最後の曲は、「微笑みがえし」という曲だったと記憶しています。  「春一番が掃除したてのサッシの窓に  ほこりの渦を踊らせています  机本箱運び出された荷物の後は  畳の色がそこだけ若いわ−一中略)−  123それぞれの道  私たち歩いて行くんですね  歩いて行くんですね」     一阿木耀子さん作詞、穂口雄右さん作曲) 正直、また非常勤講師としてこちらに来る予定ですので、退職するという実感がまだ持てません。ただ、今、研究室の掃除をしながら、この曲の歌詞、その当時の幼かった自分のことなどを思い出しています。思えば、札幌の近くの田舎町で生まれ、その地を離れ、あちこちを転々とし、また新しいところに赴く。その繰り返しの中で、さまざまな経験をし、成長してきたのだな、とそんなことを考えています。 今年の前期は、非常勤としてこちらに来ます。私が苦手だった学生の方は、くれぐれも私の講義を取らないでください。それでは、お元気で−             一国士舘大学へ赴任一 学生のみなさんが生まれるはるか昔に、キャン瞠瞳鱗鵬鶉撚脳融醐鯉麟蹴融襯  ○口o2008年度を   迎えτ

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