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 みずき会一同窓会一の10周年記念平成19年度総会が6月以日、本校校毅潤                                                                                                     ・      『’’’〜’■舎で開かれました。多くの同窓生からみずき野キャンパスに行ってみたい、と声があり、久しぶりに新潟中央キャンパスから本校に会場を移して開催されました。今春卒業した第      10年後の自分にメッセージ封印              り■ 私は東京に就職して4年あまり、「システム屋」として働いています。今までに金融業の基幹システム、POSシステム、コンビニエンスストアの店舗システ プロジェクト毎にお客さまの会社の方と一緒に協力し合って一つのシステムを作り、完成したら新たなお客さまのプロタイルから、建設業になぞらえてでしょうか、 「デジドカ」などという言葉もあ そして、大きく違うのは、プロジェクト毎に自分の役割が変わるので、いろいろ経験でき、蓄積ができることでしょうか。建設業では、仕事をとおして水道屋さんが電気設計もできるようになる、とえた会員のほかせてm人超が参ム等々の開発に携わりました。ジェクトに取り組む。一」ういう仕事のスりますが、日焼けはしません。10回卒業生を迎教職員など合わ加し、にぎやかに思い出話や近況を報告し合っシンボルマークを決定レストランチェーンの赤塚の原点に戻って 4年生は就職が決まって期待と不安が入り混じっているころでしょうか。3年生は少しずつ意識し始めるころかと思います。 自分が「本当にしたいこと」って何だろうと悩んだら、 「ちょっとでも好きなこと」をやれ演会が開かれ、ゲスト講師に一昨年春に勇退された原口武彦先生を迎えいうようなことはないと思います。ていました。 10周年を記念して正午から記念講 1期生が卒業し同時に「みずき会」一新潟国際情報大学同窓会一を発足して10年がたち、会員数も2935人となりました。 m周年イベントの母校開催については、ある同窓の一人から「昔みたいに純粋に赤塚でお祭り騒ぎがしたいよね−」も講演を行いました。また10周年記念イベントとして募集カプセルに10年後の白分へのメッセージが封印されました。と言われたのが事の発端でした。原点に戻るという言葉の響きの通り、学校に来るのが当たり前だったあの頃を思い出し「学生時代に戻り一日限りの学生気分を味わう」というコンセプトを掲げ、古き良き思い出を実杜会での明日の活力にすべく、10周年といういわました。また本学の槻木公一学部長 午後は会場を学生食堂「弥彦」に移し、懐かしい場所で懇親会が行われました。武藤学長が祝辞、吹奏楽部による校歌演奏が行われました。したシンボルマiクを決定、タイム「みずき会」会長高橋ばよいのです。あるいは絶対にしたくないことを避けた職種を探してやればよいと思います。 「本当に」とかの重い言葉はちょっと隅っこに置 大切なことは自分の手でちゃんと取    ることと、それを真剣に愛    することです。ちゃんと愛    してからならば、たとえ別    れがきてもよいと思います。 たくさんの歯車の一つとなって大大きな歯車となって中くらいのこと 「歯車」に否定的なイメージをもっている人もいると思いますが、社会で暮らしている以上、学生であっ 私もまだ若輩ですが、30歳までの仕事に対する基本方針としては、安野モヨコ著「働きマン」第−巻第−話など、参考になると思っています。ば「みずいておけばよいのです。きなことを成し遂げてもよいですし、をするのも素晴らしいでしょう。ても既に社会の一員です。ご;訊をお薦めします。たことが一今後のみ一の発展につながっていくものと確信しております。 手探りで始めた「みずき会」も、10周年という時を経て、大学の成長と共に着々と成長し続けているのは確かです。今後も地盤をしっかりと固めつつ、NUIS魂・NUIS愛をもって活動の幅を広げていけるよう努力していきたいと思います。加者全ユ一参に行ってハリー・ハルートゥニアンやキャロル・グラック、本人アーティストといえば、村上隆、奈良美智、会田誠あたりだろう。しかし彼らの作晶は国内の美術館にはほとんど収蔵されていない。奈良の作晶が出身地の青森県立美術館にあるくらいだ。日本の美術館あたりでは手が出せないほど高価になっているためでもあるが、より根本的な理由は美術市場、あるいは美術そのもののあり方にかかわっている。ちなみに新潟の人は会田誠が新潟市出身で、本学で社会学を教えていた方の御子息だということも知らないかもしれない。 しかし、一」うした逆転は美術界のことだけではない。例えば日本思想を研究するためにアメリカノーマ・フィールドに教わりたいと考える日本人大研究環境や就職の有利さも挙げられるが、それ以外に方法論に関する議論の豊かさも大きいのではないか。アメリカにおける日本研究は「日本人ではない他者の視線」を研究方法の前提とする。つまり何も分かった気にはなってない。だからこそ方法論に神経をつかう。そしてその方法論は他の間題領域を語る際にも有効である。無神経に語ってきた。最悪の場合には「日本的なものは日本人にのみ理解しうる」という無根拠な妄想によって「他者」の価値さえおとしめてきたほどである。「俳句の良さは外人には分かるまい」という政治の実践であって、およそ学術や研究の名に値するものではない。 村上らの絵画の価格にしても、日本的なもの一花鳥風月!一に拘泥している日本国内の画家たちの卑小な自尊心を軽々と笑いとばして作晶を作った緒果である。金になれば何でも良いわけではない。しかし「分かる人間には分かる」的な自閉的自已満足は何も生産しない。赤の他人と議論し価値を共有することにこそ「国際的情報」の価値はある。 現在、世界規模の美術市場で最も高価格の臼学院生は確実に存在する。理由としては良好な ところが日本人はこれまで日本文化を非常に公言する日本人は今でも多そうだ。しか』」うした意見を持つことは単なる自民族中心主義と       広報委員長越智 敏夫湧…婁源編集後妃に代えて業令〃◇『ラ診ド加』oサステム目です帥簑蟹焦懇親会場で(吹奏楽演奏)情報システム学科2002年度卒業■■ j\O)■:■lj U:)blD■---■■■ "*'. 堀川

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