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’−ない。れる。○及31’1,一●■7 この映画は、エチオピアのユダヤ人をイスラェルに輸送する「モーセ作戦」でイスラエルに移民として連れて行かれた黒人少年シュ 1984年、エチオピアからスーダンの難民キャンプに、ある母親とその息子2人はキリスト教徒のエチオピア人だったが、母親はエチオピアのユダヤ人だけがイスラエルに脱出できることを知り、生き延びるためユダヤ人と偽ってイスラエルに脱出するよう、息子に命じた。こうして少年はイスラエルに降り立つ。母真実の名前を隠してシュロ地イスラエルで、少年は愛情豊かな養父母に引き取ら9・H事件)を大きな境とうになり、それ以削の雷のように、国家を相手としてではなくテロリスト・ネットワークを相手に戦争を米国によれば、この戦争は現在も「終戦」に至ってい ところで、テロリズムに対する国際一法一的な取りロモの物語である。の9歳の少年がたどり着いた。と別れ故郷を遠く離れて、モと名、づけられ、新しい大 200ユ年9月11日の「同時多発テロ事件」 (またはして、米国(およびその「同盟国」一は「対テロ戦争」ミ胃o目弓§odに従事するよ遂行するに至った。そして、『約東の旅路』『パラダイス一ナウ』モを守った。 やがて思春期を迎えたシュロモは、白人系ユダヤ人、サラに恋をする。リに行く。10年後医師になりイス証明したいという思いに駆られ、事法的な体制が整えられてきた。なるにつれ、一つの問題が生じた。 彼らは左派を支持するリベラル交際を禁じる。さまざまな苦悩を抱え、シュロモは医者を志し、パダヤ人への差別に対し、彼は自分イスラエル軍に入隊して戦闘に加組みの歴史は意外と古く、第−次世界大戦後にさかのぼる。そこにおいては、テロリズムを明確に犯罪行為として国家がその訴追と処罰の責任を負うという、いわば刑 しかし、テロリズムに対抗する取り組みを、戦争という武力紛争すなわち、テロリストであることを疑われた者たちの人権の問題でな夫婦であった。黒人少年シュロモヘの学校でのひどい差別や、新しい移民にして「改宗」を強いるラビ庁の横暴に、養父母はシュロしかし、敬度なユダヤ教徒のサラの父親は黒人のシュロモと娘とのラェルに戻るが、エチオピア系ユの祖国がイスラエルであることをの一環として考えるそれが優勢に旅立つ。に帰り、ようやくサラと結婚する。いう国の現実を描こうとしている。19世紀末にヨーロッパで生まれたヨーロツパ系ユダヤ人が人口の90世界からのユダヤ人移民が増え、法の保護も容易には及びにくい。調査からも明らかとなっている。わる。しかし負傷して家族のもとサラとの問に子供ができた時、シュロモは医師として、実の母を捜しにアフリカの難民キャンプヘと さて、この映画はイスラエルとユダヤ人の祖国への帰還運動、シオニズム運動の結果、1948年に建国されたイスラェルはユダヤ人国家と定義されるが、いまその原則が揺らいでいる。建国時には%近くを占めたが、建国後中東戦争が長引く中で、中東イスラーム現在のイスラエルでは、ヨーロッパ系のユダヤ人とオリェント系のユダヤ人、世俗派と正統派ユダヤ教徒の対立、白人系と黒人系の差ある。彼らの中には苛烈ともいいうる尋問を受けている者が存在する。その所在地が米国の領域外であり、かつ、米国市民でないということによって、彼らには米国憲こうして、いわば法による保護の間隙に置かれた彼らの状況について、米国は折りに触れて適切かつ十分な処遇をしていると明言してきた。しかし、この言説が決して真実をあらわしているものではないことは、国連やEUが実施した 「目的は手段を合法化する」とえ込んでいる。そして今後イスラくかについて国内で激しい文化闘 イスラエル人白身の心の揺らぎる。映画監督ラデュ・ミヘイレアけながら、しかし多くの母たちの愛に支えられ生きていく息子を描くことによって、人種・民族や宗教、国家をも超えた普遍的な人間        小山田紀子一テロ戦争」に従事する国家の側が採用し始めたのであろうか。そうであれば、同戦争に国家の側が最終的に勝利することはきわめて困         熊谷卓一別・対立などさまざまな問題を抱ェル国家をどのような国にしてい争が繰り広げられているのである。がシュロモ一家にも投影されていニュはユダヤ人とは何かを問いか愛を描きたかったのかもしれない。一情報文化学科・教授いうテロリストの常套手段を、 「対難である。一情報文化学科・准教授料側  Perspective between the EEC and ASEAN,”Tamio N水amuエa(ed一),η肥Dツ1−o加c∫ψ肋∫1λ3f伽  他g土0H口〃31〃加Co〃ψ〃oガw P〃Ψ召c伽‘.Compa■ative Regiomlism Project No.2/ISS Joint  Research Project No.17.Peb−2007(pp.31−66)。  8ραα=^〃αf∫M刑〃τ〃αびJα’閉o1.Vo1.4.Sky B1ue Press(pp−23−34)一  S血dy,”τ加∫α’閉o1ψPocψcλ∫fα,Vo1.13(pp.9−31).■  ■111)研究論文・図書安藤潤(情報文化学科・准教授) ・(2007)「第7章 米国における家計の『過剰消費』に関する一考察一財政政策,消費者金融  及び1丁バブルの影響を中心に一」諏訪貞夫編著『日本経済の進歩と将来」成文堂(150−164:臼井陽一郎(情報文化学科・教授)  ’An Evo1ving Path ofRegionalism:The Construction ofEnviエonmental Acquis in Comparative厘建英(情報文化学科・教授) ・(2007)「厳復とモンテスキュー:「仁政」の転回と政治的白由」 『専修大学歴史学センター  年報・フランス革命と日本・アジアの近代化」第4号(82−99頁)。越智敏夫(情報文化学科・教授) ・(2007)「アメリカ国家思想の文化的側面:その政府不信と体制信仰について」 『政治思想研  究」第7号(32−56)。  (2007)「市民文化論の統合的機能一現代政治理論の『自己正当化』について」市川太一・梅垣  理郎・柴田平三郎・中道寿一編『現場としての政治学』日本経済評論社(89−112:337頁)。岸野清孝(情報システム学科・教授)  (2007)r流通と物流 基礎から戦略・高度情報化まで』静岡学術出版(全230頁)。小林元裕(情報文化学科・准教授)  共著(2007)「蒙彊の日本人居留民」内田知行・柴田善雅編r日本の蒙彊占領』研文出版(197一  234:377頁)。  共著(2007)「中国国民政府および国民党と蒙彊政権」同書(303−341:377頁)。佐々木寛(情報文化学科・准教授)  共著(2007)「『平和」と『コミュニティ」一グローバル化時代の『暴力」を越えて」宮島  喬編『平和とコミュニテイ』明石書店(1−15)。  (2007)”Approaches to the Contempor岬Concept ofthe‘Secu■i甘,=Tow虹ds a New Secuhty澤口晋一(情報文化学科・教授)  (2007)「北上川上流域における周氷河インボリューションの形成年代」 r季刊地理学」58  巻4号(228−236頁)。 ・(2007)「奥西河内本沢源頭部(南アルプス)の大型ソリフラクションローブ」増沢武弘編   『南アルプスの自然」静岡県(272−278:368頁)。高橋正樹(情報文化学科・教授) ・(2007)「グローバリゼーションとタイ政治の混迷一タクシン政権の誕生と崩壊をめぐって一」  東洋大学アジア文化研究所・アジア地域研究センター編rアジアの経済発展と伝統文化の  変容』東洋大学アジア文化研究所(21−48:208頁)。長坂格(情報文化学科・准教授) ・(2007)「フランスにおけるフイリピン人移住労働者のエスニシテイ」佐々木衛編『越境する  移動とコミュニティの再構築j東方書店(201−216:270頁)。藤瀬武彦(情報システム学科・教授) ・(2007)「筋力をつくるトレーニング」長澤純一編著『体力とはなにか一運動処方のその前に  一」NAP(190−206:237頁)。矢口裕子(情報文化学科・准教授) ・(2007)”ASpyintheHouseofSexuaIity:Reread㎞gAnaisN㎞t㎞一〇ughH伽リ&∫1〃κ,”ACψ召加

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