34
3/12

        どんL岬{  うお        由よ 、刊、fと{や会い、そして明るく楽しいキャンパスライフ。そのすべてが新潟国際情墾人学にはあります。新潟国際情報大学ではこれから4年問、皆さんは今までとは違う学生生活を送ることになります。特に大学ではいろいろな面で自由であり、そして自らの判断で決めなければならないことが多いのです。したがって大学生活が良いものになるかどうかは皆さんの判断力・行動力によって決まるといっても過言ではないでしょう。また4年問という時間も決して長いものではありません。4年間の大学生活を充実したものにするためにも一日一日を大切に過ごしていかなければなりません。 以上のことを踏まえて、私は皆さんに中国古典『列子一から「呑舟の魚は枝流に瀞がず」という言葉を贈ります。 「船を飲み込むような大きな魚は決してちまちまとした支流を泳がず、本流を泳ぐ」ということから大人物は大志を抱き、世俗とは違う環境に身を置くことの例えですが、皆さんが魚になるためには大きな目標を見つけ、この新潟国際情報大学という本流の中で大きく成長してほしいと願 ぐいます。 最後になりましたが、皆さんが本学に入学されたことを心から祝い、これからの学校生活が皆さんにとって充実したものになることを願って歓迎の言葉とさせていただきます。 本日は、私たち新入生のために、このような素晴らしい入学式を挙行していただき、また心のこもった激励のお言葉を賜りありがとうございました。 私たちは、これから4年間この大学のある新潟で暮らすことになります。しかし、他の地域と無関係であることはできません。東京で起こったことはもちろん、ニューヨークあるいはバグダッドで起こることが私たちの生活に変化を及ぼします。先日も、外国のある都市での株価の暴落が、その翌日には東京に影響を与えています。また、地球の反対側の海の状態が、新潟の暖冬の一因と考えられています。・」う考えると、金世界の人々が正に「宇宙船地球号」の乗組員であり、同じ運命を背負った「同胞」として意識されてきます。 今、私は、アフリカのジャングルに住む人々の生活習慣やアラスカのイヌイットと呼ばれる人たちのものの考疋方、あるいは、中東な世界的な視野に立って   行動できる国際人を目指すます。どで信じられている宗教などにつ拙て調べ、「同胞」のことが少しでも深く理解できる人間でありたいと思っています。同時に、新潟に住む人間として、あるいは、日本人として、その文化や伝統を「同胞たち」に胸を張って語れるように勉強していきたいと考えています。そのためには、情報の収集や発信の仕方、コミュニケーションの方法などにっいても、しっかりと学んでいかなければなりません。本学における4年問の生活を通して、本学の特徴である充実した教育設備、また少人数教育という環境に感謝しながら、世界的な視野に立ってものごとを考又、行動できる国際人、日本文化と伝統に誇りを持てる新潟県人を目指して励みたいと思います。 最後に、学内のルールばかりでなく、社会一般のモラルやマナーを尊重しながら、経験豊かで情熱にあふれる先生方からのご指導に対し、真撃に学ぶ姿勢を保ち続けることをお誓いし、入学にあたっての私の抱負といたし一囲團一一●新潟県知事○新潟市長○日本私立大学協会会長■上越教育大学学長■長岡技術科学大学学長●長岡大学学長●長岡造形大学学長■新潟工科大学学長●新潟産業大学学長●慶煕大学校国際教育院院長            金●㈱リクルート代表取締役社長            柏木 豊成 成具重蟹 1977年泰の資生堂CMソングは尾崎亜美化粧して恋人つくって遊びに行こう」という内意識においてはまったく変化なしである。断言成人と段階的に変化するという人間成長論は社会的にも根強い。それがカントやルソーの人格 季節は春だけれど大人への階段なんかどこに       広報委員長越智敏夫「マイ・ピュア・レデイ」、翌78年春は南沙織「春の予感」である。後者も尾崎の作口帥で「お        ことほ容は共通していた。つまり2年続けてあの能天気な楽曲が日本の春を寿いでいたのである。 先日、実家の母が突然入院し、結局大事には至らなかったが急いで松山に帰省した。その飛行機のなかでこの2曲がヘッドフォンから流れてきたとき、あのころの高校生だった自分と、老いた母のことを考えながら飛行機に乗っているこの自分との落差に驚いたというのは真っ赤な嘘である。お気楽な性格も見通しの甘さも自するが成長していない。しかし他の人は自らの成長を本気で自覚しているんだろうか。老けたということは自覚する。けれども7歳のときに使っていた消しゴムの匂いまで覚えているのが人間である。勉強しないことを母になじられていた高校生と、今のこのおっさんはまったくの連続体である。 成長するにしたがって幼児性が消え、青年、陶冶論に緒びつくと、 「立派な大人」という観念はいっそう乱用される。しかし現代思想はこの「大人主義」にも疑義を挟む。大人は本当に大人なのか。これはまっとうな聞いである。人閥が記憶の束だとすると、7歳の自我も永久に人格のなかに残り続けるのではないか。すべての大人が大人であるわけではない。ちゃらんぽらんな大人はいくらでもいる。大人になるのに試験は必要ない。時間さえ経過すれば誰でもなれる。そうこうするうちに、適当にごまかす能             二{かつ力というか、大人のふりをする狡猪さというか、そういうものは身に付いていく。それを成熟だと誤解してしまう。だから自分は一工派な大人になったと本気で信じている人間には、どこかに致命的な欠陥があるといってよい。もない。落とし穴ばかりである。湧…婁源編集後記に代えて私の抱負広布鎌原小擾大篠泉川村田 島邊沼田田陽    陽一俊俊成豊一陽隆淳昭裕郎男男具成郎    彦新入生代表 情報文化学科後藤瑞穂

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る