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ない。いた。した。㌔つ。た。 そして邦楽部 この大学に入ったこと、それがすべてのきち に 出 会 え た 。見たこともない満天の星空も季。 4年生の2月カンボジアに佐々.っかけだった。この大学で培ったこと、それが僕を成長させ、変えさせた。出会ったすべての人に感謝している。 特に今までの考え方を大きく変えたのは、大学2年のアメリカ留学だ。異国の地で、容姿からもちろん考え方まで何もかもが異なる素晴らしい人た全身で感じた。留学が最高だったから大学3年でも再び参加したし、大学4年でも短期でアメリカを訪れてしまった。 なぜ自分が海外に行一」うと思い立ったのか、いまだによくわからない。ただ面白そうだっ 信じられない。55歳で社会人入学して、若い学生と一緒に卒業である。3年生で中国の北京師範大学歴史学部に留学し、4年生のときに新潟大学の授業も単位互換制度を利用して受け(琴)を立ち上げ、新潟市役所でのロビーコンサートの成功は忘れられない出にはベトナムと木ゼミで同行した。私にとっては卒業旅行で、最高に楽しいうれしいことでした。 大学に入学してから日本育英会の奨学金を得ることができ         情報文化学科石丸多くの立派な先た。一生懸命に勉強しなければと常に使命感と脅迫感にさいなまれて、ガムシャラに勉強をしたのも良い思い出になった。  4年間を振り返ると全然勉強が足りない。卒業してからが本当の勉強かもしれ 大学での授業は人生の、学問の基礎がほとんどで、土台が築かれただけであり、その上にしつかりと自分を建設しなければならないと思う生の授業を受けられ素晴らしい4年間でした。 皆さん本当にありがとうございました。アメリカ留学で変わったはさらに大きくなれる。それに向かう面白さ、している白分がいる。 ある人から今の自分は漢字で云えば「拓」だと言われ、本当にうれしかった。今思う、らも歩んでいければ、と。 我々の臼井ゼミと立教大学の小川ゼミが、2004年12月u・η日に越後湯沢で合同ゼミ合宿を行った。私はこの合同ゼミ合宿の幹事として、成功に向けて半年間動き回って 合宿では、3つのテーマを双方が調べ、発表し合うこととなっていた。新潟と東京という地理的問題、お互いの学生同士だれ一人知り合いのいないことなどなど問題が多かった。一番頭を悩ませたのが宿泊施設だった。30人以上が泊まり、ゼミを行う部屋がある施設を探すのはとても困難だった。何とかいくつかの候補を挙げ、直前になって立教大学のたから。それが一番の理由だろうと思う。ここから、ノリで動いてもいいという考えが芽生えたといっても過言じゃない。確かに案外かなりの勇気が伴う。実は予定外のハプニングだ。しかし、それを乗り越えればこそ白分なろうとも思わなかった夢に向かって走り出白分の名前のように「大志」を抱いてこれかただいた。ノリで動く大切さもあると知ってしまった今、小さなころは幹事の方に決めてい 一度も会ったことのない人たちとの合宿ということで、不安はたくさんあったものの、始まってみ  れば学生同士すぐに打ち解けることができた。初日は研究発表で、緊張の中で徹底的に勉強した。二日目は、湯沢の市街地を  深めた。  てから「楽しか  った」とみんな  に言われ安心し、  ている。この合同合宿で幹事を務めたことは、イベント企画という私のこれからの仕事のスキルアップにつながったと思う。 散策して友好を  合宿が終わっと囲、した。 学園祭は運営か け て 練 り、 夏休みイトを始めたことの授業などによって、          情報システム学科花岡話す機会がどんど 私の大学生活は多くの人と出会えたことで、とても充実した生活になりました。特に印象に残って、大きな影響を受けたと感じるのは、!年生のときに紅翔侭嚢行委員会に入ったことです。もちろん勉強にも力を入れましたが、紅翔祭の準備を通じて多くのことを学ぶことができました。何もかもが初めての経験で新鮮でしのほとんどを学生が仕切ります。企画を長い時間も渉外に行くなど、とにかく多くの時間を費やしました。また、その時間は一緒に活動していた仲問 大学生活の中で一番の思い出は、たくさんの人と出会えたことです。 高校時代までは、人と話すことが苦手で、自分の知っている人以外とは、ほとんど話したことはありませんでした。しかし、アルバん増え、人と話すことが次第に楽しくなりま 私は、高校時代には就職をすることも考えていました。もしあのときに就職をしていたや大学での大人数  たくさんの出会いで学ふはずです。との貴重な経験の共有でもあり、結束力を深めたのだと思います。学園祭を終えた時はとても充実した達成感を感じるこ  とができました。 今でも当時の伸間でよく会つて話をします。多くの関係した人たちに出会えたことが私の大きな財産になったと思います。大学4年間はあっという間に過ぎます。その中での出会いは一生のものになると思うからこそ、後輩たちには,出会い’を大切にしてほしいと思います。社会に出たら今よりもっと多くの人と関係しなければなりません。その時きっと役に立つた。 今後も、仕事でもプライベートでも多くの ついに卒業の時がやってきてしまった。卒業を目前にして、これほどまで卒業したくないと思ったことは初め.てだ。楽しすぎたキャンパスライフ、これ晴らしいものに出会った。尊敬できる先輩、可愛い後輩、かつこよすぎるプレイ、面倒だけどやりがいのある仕事、うれしい言葉、悲しい出来事、面白ごしていたはずです。 私は、新潟国際情報大学に入学してから、います。て部活に入った 一なら、杜会のことをこれほど多く学ぶこともなく何も分からず、人と関わりを持たずに過卒業をするまでにたくさんの人と出会うこと           ができました。そ人と出会っていく上で、話すことを苦手にせずに、たくさんの知識を学んでいきたいと思は親、先生々   子 感動した。さま・そして友 動麻  て、いろいろな人たちのおかげ 感川 経験をさせてもそして、一番 ら汕  させてくれたバ感謝を伝疋たい 晴ス  レー部に、みんのは・部活で関 素勅  なに、本当に感わった人たちで で情 謝している。私ある。思い切つ部おかげで・そこレでたくさんの素バである・ありがい川 らって、いろい学校関係者の皆矢  4年間を通しとう。   し戦  ろなことを考え過ぎるものまね、愚痴の数々、衝撃の事実などなど思い出したらきりがない。どれも私の心を揺さぶって、泣いて枠天って  怒って、そして  はすごく幸せだ。  これから、後輩  たちも同じよう  に幸せな気持ち  で卒業を迎える  日が来ることを祈っている。そしてこれからもバレー部ですてきな思い出をたくさんつくって、楽しんでほしいと思の人たちと話した 本当にたくさんことで、いろいろなことを学びまし獺醒醐鵬冊醐甜鰍醐醐柵胴撤面欄酬醐蹄醐瀧捌固醐欄醐摘棚醐嵩醐醐撒麟甜醐蜻醐欄職鰍醐囲蟷鞘棚醐甜糟醐鵬掘=苗昔三踊欄三:1搬f55歳で社会人入学をして       情報文化学科伊藤桂子立教大とゼミ合宿で友好       情報文化学科山澤頁  やりがいも感じ紅翔祭の運営に参加し充実    惰報システム学科安澤さやか醐1欄嗣欄蝿蝋鰍蟻鰯鱗鰯綴鰯鋤購鮒鱗徽鰯咀灘理醸垣㊧庭つで』

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