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 私どもは本学と開学以来お付き合いさせていただき、優秀な学生さんを毎年いただいております。一番上の方で八年目になろうかと思います。今日の卒業生の中で大山政子さんが二列目にいらつしゃいますけど、ちょうど一〇人を数えるに至りました。非常に大きな勢力で、新潟ゼロックスの中では一大学閥ではないかなと思います。いずれもまだ二〇代の方ばかりで、中堅の幹部という話がもうそろそろ山川てきそうな状況でございます。非常に皆さん優秀で一生縣笈叩仕事をされており、本当に私も頼もしく思っております口 先ほど小澤先生からお話がありましたとおり、皆さんが卒業されるということは、に胸膨らませて社会人として船出をするということではないかと思います口私も杜会人のれればと考えてまいりました。 皆さんは今までは比較的恵まれた環境の中で育っていて、何かを自分で得ていくというものが少しまだ足らないかなと思います。これからは、ぜひ白分が主体的になって自分の道を切り開いていただきたい。そういうふうにすることが、人生を十倍、一一十倍、百倍楽しくすることの近道じゃないかなという気が大きな夢を持っていただく、これを是非、一先輩がこんなことを言ったと覚えておいていただければと思います。一先輩として、皆さんに何か一一一一一□工−ルを送いたします。曲研を高く持っていただくことと、   高い目標を持って夢は大きく もっと身近な一一一一□葉で.一、一[えば、背仰びしなけ こういう席でお話するとすぐ忘れ去られてしまいますんで、少し歴史のお話をします。武田信玄は「風林火山」という旗印をかかげて世の中に打って山川たわけですが、その最期を見てみますと、   「風林火山」という旗印をかかげたことで最終的には「風林火山」でしかなかったと。もう一方で、織田信長は千載一遇のチャンスをものにして、普通は負けるだろうと思われた今川義元との戦いに勝った。そして、勝った瞬問に次のステップを考えた。つまり尾張から白分の居城を岐阜に移し、そこで掲げた旗印が「夫下布武」。武をもって天下を平定するんだという高い大きな望みを掲げて、これを旗印にして戦いをスタートしたわけですね。これが後に大きな違いになって歴史に刻まれている。 ちょうど今、皆さんが社会人とLてスタートするときに適切かどうかわかりませんが、夢を大きく持つということと、高い口標を持つということの大切さは伝わるのではないかと思ってお話をさせていただきました。れば背は伸びない、ということを最後に申し添えて祝辞とさせていただきたいと思います。 本日は私たち卒莱牛のために、このような盛大な卒業式を挙げていただき、誠にありがとうございました。 またご多忙の中をご出席くださいました御情報文化人として考え、   行動し、社会に貢献をのでした。来賓の皆様、並びに関係者の皆様に、卒業止一同、心よりお礼申し上げます。 私たちが大学生活を過ごした四年問は、世界に目を向ける大きな山…来事がたくさんありました。g・■、イラク戦争、スマトラ島沖   そしていまだ解決には至らない北朝鮮拉致問題などです。その都度、憤り、あるいは悲しみ、私個人の非力さを憂うことが幾度となくありました。新潟におきましても、7・旧水害や中越地方を襲った地震で、多くの傷跡を残すこととなってしまいました。 しかし、悲しい出釆事ばかりではありません。新潟国際惰報大学は、創立一〇周年という節目を迎え、私たちは勉学に取り組む決意を新たにしたと思います。新潟中央キャンパスが開校し、高速ブロードバンドを備えた新潟市中心部施設として、立地を活かした国際交流や、杜会人教育の場としてスタートしました。そして、私たちが最初に卒業研究で利用させていただきました。このような数々の出釆事は、一方で、いつも私たちに変わらぬ修学環境を整えてくださった多くの人たちへ、感謝の気持ちを持つと同時に、大学としてのさらなる進化を、予感から確信へと変えるも 私は、この四年間で多くのことを学ぶチャンスを与えられたと思います。カナダ留学では、生きた英語を体感し、吸収することができまLた。またIT企業を訪問し世界最先端の披術に触れることもできました。ロッキーの山々は豊かな白然をたたえ、レイク・ルイーズの湖面に鮮やかに映っておりました。かけがえのない白然、地球環境の大切さを再認識し、守り育ててゆかねばならない、そう実感した旅でもありました。來莱研究では、まだ日本で数冊しか文献のないJMF、ジャバ・メディア・フレームワークを用いたアプリケーション開発に挑戦することができました。 私にとって大学というフィールドは、情報文化という切り口で多方面の知識というピースを、一つ一つ吸■収し、組み合わせて大きく形造るための、試練の場でありました。皆も、多くの知識を吸収し、さまざまな体験をLて、と思います。情報文化人とLてのべースをつくられたこと 私たちのほとんどは、今日で学生生活を終え、それぞれの決めた道を歩んでゆくこととなります。現在、世界規模で、情報システムが進展しています。それは、国と国、地域と地域、あるいは異なった文化同士、人と人との結びつきを、密接にするものでなければなりません。私たちは、情報技術の成果を享受しつつ、グローバルな視野で、喜びや悲しみを共有し、考え、行動に起こすことが、社会に貢献し、ひいては人類の福祉に貢献することになるでしょう。それが私たち情報文化学を修めた者の使命であると考えます。 最後になりましたが、学問の大切さと面白さを教えていただいた諸先生方、私たちを親切に支えてくださった事務局の皆さんと家族、さらに苦楽を共に過ごLたかけがえのない多くの仲間たちに感謝致します。今後の新潟岡際情報大学の更なる発展を願い、私の答辞とさせていただきます。一画團一一■新潟県知事●新潟布長■新潟総合警備保障株式会社    代表取締役社長 廣田 幹人●株式会社フォ⊥フムエンジニアリング      代表取締役 宮口 一三■日本私立大学協会会長■新潟商工会議所会頭●上越教育大学学長■長岡技術科学夫学学長●敬和学園大学学長■長岡犬学学長●長岡造形大学学長■新潟医療福祉大学学長●新潟工科大学学長●新潟産業大学副学長●新潟青陵大学学長      代表取締役 大久保 泉●株式会社北都佐竹丹高鎌原新小渡上大篠泉藤内野橋田 井島邊原沼田田     陽進明頼榮豊一明陽隆明潭昭裕 脾元明成郎      彦

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