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=.二■.・一「 . 1一一、一一一一一一、二丁…一−=−L一一∫.  ㌔        .■          ノ.・じです。留学を経験し、将来は巾国とかかわる仕事をしたい、と考えていまLた。そして卒業後「中国東方航空」というまさに理想の会杜に入杜することができました。 中国東方航空は、新潟から上海と西安を結んでいます。お客さまの大半はH木人ですが、留学や研修、その家族などの中国人もいます。中国人といっても日本語が上手な方が多いです。しかL全く円本語のできない方もいるので、そんなときに巾国語を使います。また英語の方もいて、人杜したての時は空港での手続きの案内や航空券についての説明を外国語で説明することが難しく、悪戦苦闘の毎日でした。常に毎日が勉強という感券の発券です。私は支店業務で、旅行代理店が販売するツアーのための座席の予約や調整、来店したお客さまの予約発券、また逓行時刻・中国情報等の案内業務です。い、良い所を見つけてほしいです。そのためにテレピやラジオ等メディアを通じての広報活動も行っています。また新潟には日中間でビジネスをしている企業が多くあるので、中国語を勉強して興昧を持った学生にはぜひチャレンジしてもらいたいです。 私は中国評を選択し3年生の時には夢だった申国への短期一丁「∴一皿=二−一一 諸問題で日中関係はたびたぴ報道で取り上げられていますが、大きな問趣だけで考えずに多くの人に興味を持ってもら私のできるH中友好務では山…発・して、空港業さま・貨物のケアー、支店の予約・航空主な仔事と到着のお客業務は座席有・\      」きる可能性があるなどとは全く一薔ってはいるのですがあてずっぽうな感じです。れますようお祈り致します。    広報委員長永井 武    姑集彼牝に代えマ. 中越地震に被災きれた皆さま■に心からお見舞い申し上げます。前号で7・旧水害のお見舞いを審きましたばかりですのに、自然はなんと残酷なものなのでし芋λ 人類は古代エジプトの占星術から始まって今日にいたるまで、自然の摂理の理解は進んだのですが地震予知に関しては全く無力です。地震が起きた後の気象庁地麗予報課長の報告は、太平洋プレートと日本海プレートのせめぎ合いが中越地方で発生したために起きたというものですが、そのような報告は何の役にも立ちません。地震の前に、太平洋プレートと日本海プレートのストレスがたまっているので、地震が起はおりませんでした。次は粟海地方で地震があるとはずっと以前から言って この腹立ちは地震に被災していない新潟市の私が思っていることですが、被災された方々はもっと切実に正確な地麗予報があったらよか■ったと思われるでしょう。一日も早い復興の日が訪勇…蔓原・争苓八等ル/蜂レ一.一・一η一■.一一、一ー二.一.一一.一1月11日  授業開始 15〜16目 センター試験 21日   後期授業終了 24…2島日後期定期試験2月2目  前期入試  7〜rO目集中講義3月日日  後期入試 15日〜  春休み 23目   卒業式       新璃市罠芸靹文化会館        開場12時・開式13暗 31日  学年終了■平成17年廣一般入試目潅 近年日中関係に不協和音が生じ、04年アジアカップでの中国民衆の「反H」的反応にまで発展してきた。 「つくる会」の歴吏教科書や靖国参拝に対する怒りが日本人一般に向けられてきたのである。こ刎蓼着状態をどのように打開し、両国の友好’1掘力を守っていくのか。 中国の若き大学生に考えさせるため、北京大では日本論講座を設け、国内外の研究者を招き講義を行い、北京師範大も1司じ趣旨で特別講座を設衙した。そうした中1二1友好のための講座に掘かれ、11月17日に北京師範大で、翌1呂1≡1には北京大で、それぞれ特別講演を行った。4月5日北京大と北京師範大で講演榊文化苧利・搬厘平成17年度入学式甑i’コ■欄頸皿扁理蠣捌冒一覇亜!官丁}=1ニニ.而亜榊立化榊加11!軸欄小林 本学捉携校の・’つである、ウラジオストック極束大学より、デイカレフ副学長が、i2月に木学を訪問され、武藤学長と懇談の機会をもたれました。ディカレフ副学長は極束大学の国際交流を担当されており、その経験をいかして、221ヨには文化学科スタッフ・セミナーで「大学の国際交流・ウラジオストック極束大学の経験」と題する講演をなされました。極東大学副学長が本学来訪妙子建英 工O月23〜24日に行われた第11回紅翔祭『」喜一憂 一笑一jは皆様のご協力により、無事に終えることができました。 2日口には震度7を超える中越地震の被筈を受け、櫻井よLこ氏の講演会を断念させられました。列市の運休や被災地に実家をもつ学生たちの事など不安は尽きなかったのですが、終わってみれば地震の義援金も集まり、今は巾止せずによかったと思います。 昨年の新潟は7・13水害に申越地震と災害に見舞われる年となってしまいましたが、そんな中だからこそ皆さまに笑顔を提供することができました。ここから我々が学んだ事を後輩にも伝え、さらなる飛耀を日指し学友会は日々精進していくつもりです。紅翔祭を終えて…まさに「一喜一憂・笑」      葺11翔継行委服野澤正∫一脇

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