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を一一一一口われているのかも解らない状態でした。っています。身にしては新潟ポイなと一一一一目コのが最初の印象。その後自分で仁コ更の勉強をはじめ、同…一一1−−士届一.一、.,…川」]一1■・止」・一1.■皿・^「一一.一一.. 一一L一.■工一一−」一㍗…」竈颪■正一二「吐胆温一一            (惰報システム学科 私が新潟国際情報大学に入字したのは、1o]97年4月、大学にとコても一期生という状況で夫学生というものがスタートしました。大学に関しても右も左も分かりませんでしたし、アドバイスいただける先輩もいらっしゃらなかったのですが、今思うとそ枳が非常に賓重な経験だコたと患います。授業も,始めのうちはシステム演習という科目があo、大学に入コて初めてコンピュータを触った私は、とにかく面白<、ゲームのよ一つな感覚で授業を受けていました。逆に、]ンピュータを触らない授業は面倒に思コていましたし、コンピュータの基礎理論のような授業は,初めて闘<一冒葉ばかOで、なに そんな私が大学院への進学を決心したのは,大学臼年の冬でした凸その頃にはだいぷ]ンピュータも使えるよヨになコていたのですが、さらに]ンピュータと社会システムとの関係について知Oたいとも思うようになっていました。また,4年生になO卒業論文に着手すると、自分の知らないことを自分自身で知識に変えて行くことに非常に興昧を覚えるようになり,どうしても進学しようと決意しました古そこで、ゼ三の先生や当時学部長をしておられた浦先生からも長年、教授在勤めておられた慶応義塾の夫学院での研究や入試の様子などを細か≦〕かがい、目標とする大学院も決まoました。 努力の結果、大学院に進学出来る一」とが洪まoましたが、大学のシステム自体が異なo、授業も、その大学の「…4年生で学んだ内審が前提になコているものが幾つか有るといった状況で、最初はとにか<戸惑うことばかoでした岨 現在大学院に入コて4年目になOます把興味在持コている内容が変化した部分もあ○ますが、知識を自分のものにしていくことが面自いと思う感覚だけは、大学の頃と変わoません祖最近では、まだささやかなものではあoますが、今まで目分がそのようにして時問を描けて身に付けてきたものを,私と同じように知識を広げていきたいと思う人に、多少なりともアドバイスしてあげられたらと思コています。・「「叶…大学ではじめて一期生への就職説明会が開かれたころ,卒業後学問−技術をさらに深めたいと考えている学生に集まってもらったことがおoます。凹数名集まったかと思いますが、その中に一一一條さんがいました。卒業研究に取o掛かってから一層彼女の大学院進学の意志は強くなo、卒業指導の宗澤先生と相談して,彼女の希望に相応しいのは麗鷹の理工学研究科であると考え、いろいろアドバイスしてきました。それ以来、いらぬお節介を続けてきた感じです。 いまころはあなたはス□ペニアで開かれている国際会議で研究発表をしているのでしょうか。電子商取引に必要な情報技術について基礎的な研究をしているとのことですね由参加者の注目を浴びて相つぐ質問に昔を上げているのでは?これからNU−Sのたくさんの卒業生が、国際舞台で活躍することになるでしょヨ。丑んなの先頭に立って、大学の標梼する国際化・情報化の理想的な姿を描きそれに向かコて一属の活躍在なさることを期待しています。震萎犬美学院博義程彊工学童=一條大学で学んだ,」とさらなる飛躍を期衛して平成旧年卒〕 知美 本学を卒業して進学・就職した卒業生の近況報告です。当時をよく知る先生から思い出を語コてもらいました。お二人の今後の活躍をお祈oします。     昧の琴ステムテクノ森一内田す咀 私が、4年闇夫学で過一、Lす中でずコと基本方針として考えてきたことが茜Oます。           (情報システム学科 私が新潟在離れてから、本当にあコという問に6ヶ月以上経右ました。湿コぽく、過し難い南関東の蔓も終わo秋になりましたが、まだ大学での生活は,鮮明に記憶に残 広毘で生まれ、東京で小中高と過一一Lし、新潟とは大学に入学するまで全く縁がなか⊃た自分にとコて、新潟は非常に刺激的でした。広い新潟平野は開放的で、サイクUングやド一フイプをとても気持ちよくすることができ、のんぴO休日を過一、Lすのには最適です。長い砂浜は散歩道です。中国や韓国、□シアからの漂流物を見ながら歩くのは結構楽しいので可由また、新潟の市街に行けば色々な店が集結しているので、分散している東京に比べて便利ですね由休日は,ぶらぷら歩き回ったものです把 大学では、思い返せは、自分なOに充実した四年間を過「」せたと思います。元々、情報技術だけでなくその周辺の環境を学ぺる犬学を探していてNU−巳を志望酉ることにしたこともあO、選択は闇違っていませんでしたし,予想を越える収穫もあOました。企業から来られた先生方と、大学でずっと教えてこられた先生方からバランスよく学ぶことができたことは、備Oの無い考え方を身に付けることができました由これらは、まだ始まコたばかoの社会人としての生活ではあoますが、非常に役にたっていまそれは,大学とは自分がこれから何在字んで、どのよヨに生きていくのかを選択するためのインデックスに過ぎないということです喧例えば、大学ではコンピュータの技術で何在することができるのか?NU−Sではそこまで学ぺるはずです。問題は,その知識をどう応用して生かせるかということです。そのことは,社会にでてからの話だけではあoません。充実した学生生活にも大変重要なことでした。社会に出てからは、横々な構報がインデックスとなoます。 今、SEとしてシステムの開発業務に携わっています。お客様の要望の実現とコストや技術的な問題との関係に悩みながらも、やoがいを感じながらがんぱっています。 こ和からも,大学で学んだことを生かしτやっていきたいと思います由昭一一 内田君との出会いは入学早々の墓礎演習だコた由東京は国立から来ました。東京出級の相羽、山賀君等と一緒にMMCに入部してきたのが第2の出会い岨以来MM0の中心的存在としてず−とMMCをU−ドしてきた。圧巻は紅翔祭での名刺作O由自らソフト、システムを作o上げ、立派に部の資金稼ぎに賛献し今だに続いている由また酒の強さは天下一晶、パンホテルでのキャンフ旅行ではその酒轟振oを大いに発揮したとか岨入社試験でのP0による自己PRは今でも語O草。とにかく新潟生活、NU−S生活の4年闇をおおいに楽しんでくれた東京人であ〕た。大学生活で得たもの内田冒との出会いゼミ担当教員・情報システム学科教授宗澤 拓郎平成μ年卒〕ぶ。 午後にはカンバセーションクラプと称しているが、大半の掌生は、カナダを通して「世界」 本学の特長の一つとして国際化を体験できることがある。憎報文化学科では、中国、アメリカ、韓国、ロシア、そして情報システム学科ではカナダに留学生を派遣している。 筆者は、今年の八月から九月までカナダ研修に随行した。この研修の目的は、英語を現地で密度濃く学ぶことと1丁先遼国である北米のIT事情を学ぶことにある。 英語については、木躍日を除く毎日午前中、八−九人の小クラスで実践的な授業がある。前日にあったこと見たことを話す。英語の表現にも丁寧な問接謡法のあることなども学数人の現地学生が、グループごとに街を見物しながら会話を学ぶ。留学したエドモントンには巨大な商店街一モール一があり、質い物英語の実践的教育になる。 研修の後半3週間はホームステイし、カナダ人と家庭生活について直接会話を交わす。 北米のー丁事情については、アルバiタ大学のウエブマスターが最新のウエブ制作技法を実例を示して解説し、また簡単な実習を行う。また、午後には地元のIT関連企業を訪間し、ITの実態を見学する。 学生たちによる日記が、大学のホームページに掲載されており、厳しいことも善かれてを体験したようである。これは、ホームステイでお世話になったご家庭には、中国人、ベトナム人、インド人もおり、モールに並ぶ食晶にはこれらの国の料理が種々並べられており、国際化を身をもって体験できたようである。、¥       、言勇…蔓原広報委員長正田編集後記に代えマ達夫卒莱生の便り圭o鳥一一…■■「一,.■,■ 二■旺二「.¶=       一一丁[吊一{丁10}^」旦一”FO目I’^T■1醐=蛆皿一.’㎜二’{=三箏珊蜆望’頸一聖豊撒本 学 名 嘗 教 授 一 元 惰 報 文 化 学 部 学 部、長‘甫’      冊    ■    肥亜’ ・=㎜■’㎜㎜工=皿衙囲冊o㎜一

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