15
3/8

です。ですか。」と発一一一一□して私をたじろがせた学生もいます。ですが。学式を挙行していただき、また心のこも〕たお一一一一口葉をいただきあoがとうこざいます。 昨年は一一十一世紀最初の年ということで、皆、一様に希望あふれる年となるよう期待しておoましたが,な暗い一一ユースが世問を騒がせました。れるものは、国内から世界へ、そして、地球規模での国際的な進歩と調和ではないかと私は思います。る−丁問題、高齢化にともなう福祉の対応の遅れなど。これらの問題に対応できる国際人1こなれるよう、各々が己の目標・学業の向上、人問形成1こ励み、本学での四年問の生活が私達にとコて意義深いものに、また、たいと思います。出せるよう、また、大学生であると同時に一人の社会いただきます。平成十四年四月五日 本目は私達新入生の為にこのような素晴しい入奇しくも、米国での同時多発テ□事件を筆頭に様々 このような暗く混沌とした時代の中で今、求めら また、世の中にはまだまだ対処しきれていないその他の問題が多々見受けられます。ますます悪化していく環境問題、見えない悪質な犯罪が増加してい充実したものになるよう、しっかりと頑張コていき 最後に本学で学んでいくにおいて、本学の理念を尊重し、まだ未知に包まれてはいるものの、希望あふれる未采に向かコて行く中で、目分の可能性を見人として、これからの社会に買献できるよう努カを惜しまず務めることを誓い、入学の御挨拶とさせて 新入生代表 情報文化学部情報システム宇科 伊藤洋平います。さい。 新入生の皆さん、「」入学おめでとうこざいます。新生活が始まoました。生活への期待でしょうか。高校とは異なコた空間への思います。 本田技研創設者、本田総一郎氏はこう言いました。、チャレンジして失敗を恐れるよりは、何もしないことを恐れろ一 また,京セラの会長の今盛和夫氏はこうも一一一一□コて川瞬問瞬問を完全燃焼すること、その占…の連続が末来につながる。 この一一目葉を聞いて、皆さんはどう思うでしょうか。大学とは学生でいられる最後の時間だと思います。てください。それがやがて財産になると私は思います。 そのやりたいことが、勉強であったoサークル・ク一フプであ⊃たり、個人個人遠うと思います。しっかoやo遂げてほしいのです。ようこそu 平成十四年四月五日皆さんは今日から新潟国際情報大学の学生として 今、皆さんの胸の中には何があるでしょうか。新不安でしょうか。それぞれ抱く思いはさまざまだと大学でやoたいことがあるならば、やo遂げてくだ 大学でやoたいことが見つかったならばやo遂げ 私は皆さんに後悔のない学生生活を送コて欲しいのです。やるべきことはもちろん、やoたいことは 最後になoましたが、本学、新潟国際情報大学へ   在学生代壷惰報文化学部情報文化学科高橋平一 本年度から一一年問、老骨ムチ打コて学習指導委員・員会または教務委員会と呼ぷのが一般的なようです。…会が担当〕まで含めて学生生活全般1こついて統括的…τいまず。・ 教務、学務にくらべて学習指導という呼称は、一八・ぽい感じもします。「大学に入コても、まだ学習させ“学ではなぜこのような名称が採用されたのでしょうか。・ そこには初代学部長の浦昭二先生の大学教育観、・という思いがこめられているのではないでしょうか。一「大学に入コても、まだ学習し、指導されるのか」と・釈しています。教員として学生たちの昌□動の中に感一じとれる未熟さを、「私はいろいろな占…でまだお前・を一人前とは認めない」ということを、目常的な場で・現代の学生たちも求めていることか右しれません。…ました。・し方は、孫を溺愛する好々爺そのものであって、教育、・たぴたぴなのですが。H さて指導という以上、どの杢⊃な理念にもとづいて、・長をつとめることになoました。本学では九年前の…開学以来、学生たちの学業面の世話をするこの委員・会は「学習指導委員会」と呼ばれてきましたが、県n内の他大学では同様の役割を担う委員会を、学務委“たとえぱこ近所の新潟大学では、教務委員会、学業・の面だけでなく学生の厚生面(本学では学生部委員・に担当する委員会の場合には学務委員会と呼ばれ“才以L⊥の若者たちの教育を行う大学としては幼コ“られるのかよ」「まだ指導されるのかよ」と感じる・学生もいることでしょう。それにもかかわらず、本一教養観が反映しているものと、私は勝手に解釈して・います。教員は事務局と一緒に単に教務を司るだけ一でなく、学生たちの学習を指導しなければならない・詞る学生た右の前に「そのとおOだ」といコて毅然一として立つ教員の賛務が表現されていると私は解…率直に指摘し対決すること、ひょコとするとこれは“大学教育一筋で生きてこられた浦先生に、私は教員・として目負と賛務と大いにまなばさせていただき・ もコともかくいう私ですが、本学のイキのいい若一手教員たちにいわせると、私の学生たちに対する接一指導になっていないと厳しいお叱oをうけることも・どの去⊃な目標に向かコてそれを行うのかという問一題がでてきます。そこで思い出されるのは、内山秀山先生は、何はともあれ学生たちが一兀気八ツラツとせんが、そのようなことをよく□にされていました。これは私流に解釈させていただけれぱ、大学教育は、のイメージでは、学生たちをマラソン・ランナーにたとえれば、教員は伴走者です。だから、彼らがとにかち止ま〕てうずくまってしまコたら、指導もお手上げます。しかし、ときとして、そんな彼らの中にまだ磨主規制についての議論で、私が「水一[「叢門」のファンであることを知って、「でもねえ先生、だ⊃たらどう○の難題です。画一的な指導は、彼らのエネルギーを生一人一人の個性、体力に見合った指導でなけれぱなそれが可能な体制だといえるでしょう。 厳格な学習指導と一兀気印の若者の育成、一見、現それはことばをかえていえば、一一十一世紀の若者が身につけるべき真の知性の確立ということでしょう。−、と相互批判、それらをねばo強く続けていくことで、夫初代学長のおことばです。本学はどんな学生を育成することを目標にするのかとの問いに対して、内して実社会に巣立コて行くこと、そういう元気にあふれた学生を育成すること、表現は正確ではあoまただいたずらに学生たちのエネルギーを費消させるものであってはならないということでし杢⊃。私く何かに向かって走oだして<れないと、彼らが立 幸か不幸か、本学ではあの過酷な受験勉強を巧みにかわして入学してきた学生がほとんどです。入学時に受験勉強に疲れはてて虚脱状態になっているという学生はほとんどいません。十年ぷoに書物らしい書物を読んだと豪語してはぱからない学生もいかれていない原石の魅力を感じさせてくれる学生もいます。青少年の暴カ問題にかかわるテレビの目してあの印籠を暴カ沙汰がおきる前に見せないん しかし、四年問の大学生活で,学生たちの本源的なエネルギーを引き出し、それを損なったり、暴発させることなく持続増大させるということは、かな無為に費消させかねません。それこそ干差万別の学○ません。幸い本学の少人数クラス制は、ある程度代社会では一一律背反に映ずる二つの目標の達成−それは教員と学生との藁蟄な対決、専門、芸風がさまざまに異なる老若男女の教員たちの経験の交流本学において達成可能であると、私は信じているのHT[旧}^丁■口}^L旦■一F□H一’^T■□H棚里胴壬罰祀里、■榊。二臣‘_、■巴一亡一己宣理害悩里颪詩壷邊雷...1.■....1‘.・..・.・..1■■■■■■S: 葦獺里醐・醐・脳用一亜亜㎜

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る