2007年度版

 本を読みながら、涙が出たり、怒ってみたり、悲しんだり、感動したり、本を読むのは楽しいものですね。自分の学習や仕事に関係する本を買うのは勿論ですが、専門外の本を読むことにより、知らずにいたことを知り、自分の世界が広く大きくなったと思う事が少なくありません。私は、小説は勿論の事、政治、経済、法律、社会全般、福祉などに関連する本を買い求め、時々、参考となる文字や文章をノートに書きとめておきます。その中の幾つかは、私の人生の中で大きな示唆を与えてくれました。読書はきっと学生諸君の人生を豊かなものとすることでしょう。


新潟国際情報大学 学長 武藤 輝一


情報文化学科
情報システム学科
安藤 潤 石井 忠夫
池田 嘉郎 大竹 康夫
臼井 陽一郎 小野 陽子
越智 敏夫 小宮山 智志
小林 元裕 永井 武
佐々木 寛  
澤口 晋一  

 


安藤 潤

後藤正治『ラグビー・ロマン−岡仁詩とリベラル水脈』(岩波新書)2006年

 私の出身地である大阪には近鉄花園のラグビー場があります。そのせいか、昔からラグビーが盛んで、私もラグビーはスキでした。よく小学生の頃にクラス対抗で試合をしたりしていましたし、高校にもなぜかラグビー大会というのがあり、雨でぬかるんだグラウンドで泥にまみれながら試合をした記憶があります。過去見てきたラグビーチームの中で最も好きなチームはと問われると、大学選手権を三連覇したときの同志社大学と答えるでしょう(アルティメット・クラッシュとやらを掲げた2、3年前の某大学のラグビーは好きではありません)。昔からずっと疑問だったのですが、なぜか同志社大学には監督はいませんでした。実質的に監督を務められていたその方はNHKのアナウンサーにも「部長」と呼ばれていましたが、この本を読んで長年の謎がようやく解けました。「なんや、そうやったんやあ〜」というのが前半部を読んだ後の率直な感想です。バスケットボール部長としても考えさせられるところも多かったです。


池田 嘉郎

 文学から三冊、選んだ。内訳は、私の専門である西洋史から一冊、ロシアから一冊、それに単に好きだということで一冊、である。

ディケンズ(小池滋・石塚裕子訳)『ディケンズ短編集』(岩波文庫)1986年

 よく明治人の精神云々というが、明治時代をつくったのは江戸人である。同じく20世紀世界ともいうが、20世紀を率いたのは19世紀人である。その19世紀、進歩と科学のイギリスを代表する小説家といえばディケンズであるが、彼の作品の根底には19世紀文明とは一切無縁の迷信や言い伝え、はては因果といったどろどろの世界が横たわっている。ここに挙げた短編集は怪奇的なものばかりを集めているので、ディケンズの底のほうにある暗くて不思議な世界を覗き込むことができる。迫力で群を抜くのは「信号手」だが、のんびりした「子守り女の話」も素晴らしい。なお、本館所蔵のG・オーウェル評論集『鯨の腹のなかで』に入っているディケンズ論は、作家の強さと弱さ、そして弱さの中の強さを教えてくれる名品である。

プーシキン(神西清訳)『スペードの女王・ベールキン物語』(岩波文庫)2005年

 イワン雷帝からプーチンまで、ロシア史はヒーローにはことかかない。数あるその英雄たちが束になっても敵わないのが、プーシキンである。プーシキンが好きだといって喜ばないロシア人はいない。所領が狭く、首都を追放され、妻も言い寄られ、と色々苦労しているのだが、その筆致はとにかく軽い。「スペードの女王」は賭と野心の話、「ベールキン物語」は完璧に決まったコント集である。いつも一番新しく、常に懐かしい。風と光のプーシキンの世界を、神西清の名訳で楽しんでほしい。

石川淳『焼跡のイエス・善財』(講談社文芸文庫)2006年

 石川淳。その名を聞いただけで、嬉しくなり、身がひきしまる。そのような人がわたしにはもうひとりいて、それはフェリーニである。二人ともわたしの二〇世紀の大巨人だ。石川淳の作品集では、佐々木基一が編んだ新潮文庫の『焼跡のイエス・処女懐胎』が一番よい。モスクワにいた頃、ずっとこれを読んでいた。悲しいことにこの本は絶版のようだが、講談社文芸文庫が新しい作品集を出してくれた。戦前の緊張感溢れる「山桜」、「マルスの歌」、戦後の新地平開ける「かよい小町」、「処女懐胎」。これに同じ講談社文芸文庫の『普賢・佳人』を併せれば、石川淳の何がどうジャイアントなのかが分かる。


石井 忠夫

トビアス・ダンツィク『数は科学の言葉』(日経BP社)2007年

 本書は、春に出張した折に東京の書店で買い求めたものですが、読み易くまた内容も大変に興味深いものでしたのでお薦めします。
 最初に、本書を手に取って表紙の裏をめくるとアルバート・アインシュタインの推薦の言葉が載っており「数学の発展を扱った本として、私がこれまで手にした中でも間違いなく最高に面白い本だ」と書かれています。新刊書なのにどうして?と不思議に思いましたが、さらにページをめくると、本書の初版は1930年で、その後長く読み継がれ、第4版(1954年)をもとに再編集(2005年)したものの翻訳であることが分かりました。
 これは大変な名著かもしれないと期待が膨らみましたが、実際に、数学の解説書として府に落ちる説明が得られる良質の書であると思います。本書は、数学の根幹を成す「数の概念」の進化や「無限の階層」への取り組みを、歴史的および人間的な絡み合いとして説明しています。数学の記号や形式の裏に潜む文化的な考え方に関心のある方にぜひ読んでもらいたいものです。


臼井 陽一郎

野上弥生子『真知子』(新潮文庫)1966年

 すべてが最後の一頁の、さらにその中のほんの一行のために書かれた物語だ。そんな気がしてならない。これは単純に美しい恋愛小説である。決して社会は思想小説として読んではいけない。なお、著者に文章がうまいといったら、お世辞どころか、嫌みになる。野上弥生子の他の作品と比べて、なにゆえこれほどのギャップが生じているのか、理解に苦しむ。真知子の描き方など、単純きわまりない。これほど分かりやすい人物など、女性の裸がグラビアにすり込まれた週刊誌の連載小説以外、なかなかお目にかかる機会はない。高貴なるはずの金持ち階級のおばさまたちの描き方も、そこには人間が存在していない。ただの戯画だ。無産運動を繰り広げる労働者の味方たちだって、ロボコンに出場するロボットたちほどの人間味も感じられない。単純だ。破壊的な単純さだ。ことばを交わし合う際に戯画的ならざるをえない弱き人間も、そのこころの奥底には、さまざまな悩みがあるはずだ。ただ、にもかかわらず、たった一人の人物の描かれ方と、人間性の複雑さを暴力的に平均化して描かれた人物たちの周辺の空間や事物や時の経過の美しき描写は、実に同じ方法で、見事な筆の力を実証している。背景に沈んだ人物と周辺の描写が、その者や物事の、思わず暖かく引き込まれるやさしい炎色を醸し出している。河合という人物像は、彼女ならではの筆致によってはじめて、うつくしさを獲得できるのではないか。ただ、真知子の単純な描かれ方は、迷いながらもまた弱さをさらけ出しながらも、芯のぶれない強さをどこからか与えられた魅力的な女性像の存在を可能にしている。真知子に嫌われる人間であることに自己嫌悪した読者は、少なくないはずだ。

 

野上弥生子『秀吉と利休(改版)』(新潮文庫)1992年

 質の良い小説にはいくつか条件がある。自分勝手な空想的押しつけではあるが、自分なりに大切にしたいと思っている。第一に、脇役の挿話的なストーリーに引き込まれること、またそのストーリーがメインの登場人物のストーリーに現実的に絡み合いながらも空想的にはそこから解放されていくこと。第二に、情景描写が人物のこころもようの変化と対応していること、もしくは、情景描写を通じて人物のこころもようの変化を読み取れること。そして第三に、人物のこころの襞の瞬間的で微妙な移り変わりが美しい言語を通じて青空に映える鎌倉の紅葉のように浮かび上がってくること。野上弥生子の秀吉と利休は、この三つのすべてにおいて最高点を付けられる。ぼくにとっては、絶対の傑作である。利休の息子と、利休の妻の兄の女の物語は、桃山時代の堺の悲劇的なインターナショナルの雰囲気を、官能的な美しさで彩っている。

 

林忠行『中欧の分裂と統合―マサリクとチェコスロヴァキア建国』(中公新書)1993年

 チェコスロバキア建国の立役者マサリクとその右腕ベネシュが、その人生を通して敢行しようとした仕事は、ハプスブルク末期のチェコ人たちの絶望的な冒険を象徴しているのだろう。その悲劇は、21世紀の欧州にも引き継がれていくだろうか。それとも、マサリクのぎりぎりのレトリックで描き出された夢と構想が、現実のものとなってゆくのだろうか。「マサリクは将来の国際関係についてつぎのように説明する。歴史は統合の過程であると同時に、分解の過程でもあり、組織化された多様性へと歴史は向かっている。すなわち、ヨーロッパは民族国家へと分解する一方で、それらを単位とする連邦を形成しつつある。そしてつぎのように続ける。『主権は相対的であります。なぜならあらゆる民族の経済的、文化的相互依存は拡大しているからです。ヨーロッパはますます連邦化され、機構化されています。この所与の状況と発展のなかで小民族は、成長しつつあるヨーロッパ機構へ平和な手段で加入する権利を要求しているのであります』。」(151ページ)。欧州統合とEUの研究者にとって、これほどこころをびりびりしびれさせてくれることばは、そうそう存在しない。EUの東方拡大がどれほどの歴史的偉業なのか。マサリクとベネシュの冒険を、チェコ軍団のシベリア横断を、パリやロンドンや東京やワシントンでの政治の駆け引きを、映画監督のつもりで、もしくは次回作を企画するシナリオ・ライターの感覚で、タバコの煙を煙らせながら想像してはじめて、EUの東方拡大の熱さを肌で感じることができる。現代物を勉強している研究者にとって、すぐれた歴史物は肌感覚を鋭くしてくれる。とても貴重な業績だ。これほどの筆の力をもって本を書けるようになるには、やはり対象に惚れ込まないといけないのかもしれない。

 

カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』(ハヤカワepi文庫)2001年

 雰囲気を描ける書き手は、なかなかいない。もちろん、物語にとって大切なのは、人物像と話の展開である。魅力的な人物を飽きのこない話の展開で書き込んでいく小説こそ、売れ筋に乗ること間違いない。けれども、周辺の風景が登場人物とともに醸し出す雰囲気もまた、良質な物語の条件だと思う。
カズオ・イシグロの描き出す世界は、この雰囲気に魅力がある。回想が幾重にも織り込まれる独白と会話の双方には、彼の筆の力によって初めて可能であるかのような、独特の時制の用法がある。それによって、彼の描く雰囲気に浸る読者は、自らの帰るべき場所にあるような優しさと穏やかさに包まれていく。が、しかしその暖かな炎色の雰囲気の世界で、絶望的な悲劇の進行を直視させられる。終戦直後の長崎と女性と自殺、この三つの単語を並べれば、怒りの矛先の曖昧ならざるをえない情景を容易に想像できるかもしれない。
 ただ、本書は英語で書かれ、英国で出版された。彼は英国の読者にどのような読みを願ったのだろうか。5歳で渡英し、以来日本語と別れ、英国で物語の書き手になっていった彼にとって、日本はいつもそこにあるとともに、こちらとそこの間には分厚い強化曇り硝子が立てられているに違いない。なお、彼の作品の日本語訳の中では、おそらくこれが卓抜の出来だといえそうだ。


大竹 康夫

リサ・ランドール『ワープする宇宙−5次元時空の謎を解く』(NHK出版)2007年

 著者は今話題の女性理論物理学者で,日本でもNHKのBS特集で昨年と今年の2回にわたってインタビュー番組が放送された。
 著者によれば私たちが生きている3次元(時間を加えて4次元)空間はワープ(歪曲)した見えない次元(余剰次元・パッセージ)から成る高次元空間の3次元スライス(ブレーン)である。また,地球の全質量が反対方向に引っ張っているにも拘らず,紙クリップが小さな磁石に引き寄せられることを誰でも知っているが,なぜ重力が電磁気力に比べてそれほど弱いのか。

 この大きな謎に従来の3次元の素粒子物理学は答えることができなかったが,余剰次元はこれに答えることができるという。
 本書は著者らが提唱する新しいブレーン宇宙モデルを,20世紀を通じて発展してきた物理学の必然的な帰結として理解できるように解説したものである。空間の次元とは何か,なぜ余剰次元を考えるのかから始めて,20世紀初頭から最近までの物理学の進展について詳しく解説した後で,ブレーン宇宙モデルについて紹介している。
 そして最後に,再びそもそも次元とは何かと,新しい知見に基づいてその意味を問うている。数式を使わずにイメージ図を活用して説明しているので素人にも分かりやすい。


越智 敏夫

 人は恐怖を様々な形で経験する。しかしその恐怖を文章だけでもたらすことは可能なのか。ただ人をぶっ殺すシーンをつなげてもぜんぜん恐くない。それどころかスプラッター・コメディになってしまう可能性、高し。ということで、恐怖の文章表現5点。恐い。だけど面白い。それにしても人間の頭ってよくもまあいろんなことを思いつくものだ。

ハーラン・エリスン世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワ文庫SF)1979年

 著者本人はSFとは Speculative Fiction の略称だという。何がSFかはともかく、当該ジャンルの頂点のひとつ。この短編集のなかのたった15ページの表題作が与える衝撃の大きさと世界観の深さを見よ。読み終えた瞬間、呆然としたまま最初のページに戻るあなたがいるはずだ。それを最低5回は繰り返すだろう。内容を解説する愚は避けたい。本作(正確には本作にオマージュを捧げたTV版「エヴァンゲリオン」最終話)のタイトルをパクった自称小説家某の恥知らずな似非小説(汚らしくて本屋でさわる気もしない)の対極にある豊穣な悪夢の数々。これらのフィクションを読む至福の経験は恐怖を媒介として必ずやある speculation へといたる。

ダフネ・デュ・モーリア『鳥 デュ・モーリア傑作集』(創元推理文庫)2000年

 ヒッチコックの映画『鳥』もよくできてはいるが、恐さでは原作の圧勝。文章表現による恐怖の教科書のよう。鳥が襲ってくるだけという単純なプロットをどう生かすか。そこに陰影をつける絶妙な主人公のキャラクター。ラストもあまりの恐さゆえ、静かに物思いにふけってしまうほどである。「モンテ・ヴェリタ」「写真家」「恋人」「林檎の木」など他の作品もすべて鋭く恐い。代表作『レベッカ』がブロンテの『ジェイン・エア』に酷似していると批判もされる作家だが、でもやはり技巧、アイデアともに最高度。読み終えてふと窓の外の雀を見ると、彼らの相貌がちょっと違うものに見えてくる(恐)。鳥って笑わないし。

ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1976年

 これは恐いぞお。舞台は1930年代のアメリカ。ニューヨークの出版社に勤務するエドワードは担当した人気作家の新作草稿を読む。ところがその草稿に添付されていた19世紀の女性殺人鬼の顔写真はまちがいなく自分の妻マリーのものだった。エドワードのまわりで現実に起こりはじめる殺人。連絡がつかなくなる妻。消える死体。19世紀と現在の双方の殺人事件は結びつくのか。作者はいったいどんな決着をつけるつもりなのか。そうした読者の想像をはるかに超える展開。有名なラストシーンだが、その評価(あるいは解釈)については愛好家のあいだでいまだに論争の対象になっている。読み終わってあまりの恐さに読んだことさえ後悔する本格ミステリー(って言うかなあ、これを)。

筒井康隆『懲戒の部屋 自選ホラー傑作集』(新潮文庫)2002年

 この短編集には戦後日本における恐怖小説の最終兵器「走る取的」が収録されている。とある飲み屋で取的(下級力士のことだそうです)をちょっとからかってしまったサラリーマン二人。彼らがその後体験する恐怖。人間にとって救済とは何かとまで考えてしまうほどの切迫感。格闘技界における「相撲最強説」は本作と無縁ではあるまい。しかしこの話の本当の恐さはそれを読むこっちの脳味噌がじょじょに変質させられていくところにある。本作はかつて『メタモルフォセス群島』という家宝にすべき文庫本に入っていたのだが、そっちは絶版らしい。筒井クラスの作品でさえこうなるのか。日本の出版界、大丈夫かあ。これも恐怖だが。

Neil Gaiman and Dave McKean『 Coraline 』(Harper Trophy Press)2002年

 「もしかしたら今の親は本当の親ではなくて、世界のどこかに本当の親は別にいるんじゃないか」と小さい頃に空想した人は多いかもしれない。しかし「私があなたの本当の母親よ」と言う女性が自分の家の隠し部屋にいたとしたら。そして彼女の目はボタン(シャツなんかについているあれです)でできているとしたら。さらにはそれまで親と思っていた人たちが忽然と姿を消してしまったら。もうこの設定だけでじゅうぶん恐い。異能の人、ニール・ゲイマンのダーク・ファンタジー。主人公 Coraline(この名前もすごい)が味わう恐怖はできることなら英語で読んで味わってもらいたい。ジュブナイルだから読みやすい恐怖でもあります。これでもって英語恐怖症を克服しましょう。あ、そんなもんないですか。ごめんなさい。


小野 陽子

ジェフリー・S・ローゼンタール『運は数学にまかせなさい : 確率・統計に学ぶ処世術』(早川書房)2007年

 「確率が高い」と「可能性がある」とを混同している例を良く見受けます。とかく日本人は確率という言葉に弱いようです。例えば、「いい人の方が高収入:従業員の快活さと親切心が2%向上するたび、年収が1%増加する」との記事は何を伝えたいのでしょう。
 私たちは無作為性と不確実性に満ちた状況や選択の機会にたえず直面していますが、そのことをどれだけ意識して生活しているでしょうか。また、確率を少し勉強したからといって、どれだけうまく役立てられるでしょうか。これらの疑問に明快かつ簡潔に答えているのがこの著書です。身近な問題を紐解くための確率利用本は多く出版されていますが、この著書のように、数学が押し付けがましくなく、また、論理的にもごまかしの無いものは珍しいです。
 読後の謝辞に、私が数年悩んでいる問題の2次元版を論じた統計学者の名前を目にしました。著者の指導教官であったらしいのです。この著書を私が手に取る確率を考えると、これは私への励ましか、あるいは偶然によるものでしょうか。


小林 元裕

粟屋憲太郎『東京裁判への道』上・下(講談社選書)2006年

 今年は日本の敗戦、すなわち第二次世界大戦の終結から62年目にあたる。
 12年前の敗戦50周年当時は、戦後補償裁判が問題になり始めていたこともあり、「終戦記念日」の前後に戦争関係のドキュメントやドラマ、映画がテレビで数多く放映された。しかし最近はそのような特集も年々減る傾向にあり、「戦争の記憶」の風化は着実に進んでいる。
 そんな中、今年はいくつかの貴重なドキュメントが放映され、中でも2日に渡って東京裁判を取り上げたNHKスペシャルが目を引いた。初日の「A級戦犯は何を語ったのか」は、国際検察局による戦犯容疑者に対する尋問調書から、A級戦犯と呼ばれた人々の実像に迫るもので、多くを本書の内容によっている。
 東京裁判といえば、戦勝国による一方的な報復裁判で結論は最初から決まっていたとする解釈があるが、本書を読めば、事実はそう単純でなく、被告の選定からしてすでに壮絶な政治的駆け引きが展開されていたことが分かる。何が裁かれ、何が裁かれなかったのか。本書は従来の東京裁判論に欠けていた、複眼的な視点を私たちに教えてくれる。


小宮山 智志

小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社)2003年

 「論理的に根拠をのべて、主張すること」と「愛すること」、一見、なにも関係ないこの二つの行動の関係について、考えるきっかけを与えてくれる本です。未来の私に言いたい。「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」、悩んだときには、この本を読み返しなさいと。

 

曽野綾子『太郎物語(高校編)』(新潮文庫)1987年

    『太郎物語(大学編)』(新潮文庫)1996年

 初めて読んだのは20年以上前ですが、いまでもこれを読むと元気が沸いてきます。主人公太郎は、高校生活・大学生活の中で、日々の出来事を楽しみながら、真剣に悩み、考えています。皆さんが「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」を考えるきっかけになればと思い、推薦しました。

 

宮澤賢治『風の又三郎 : 他十八篇』(岩波文庫)1967年

 一番最後に掲載されている『グスコーブドリの伝記』をお薦めします。 太郎物語とは違った側面から「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」を考えるきっかけを与えてくれます(『プラネテス』ファンは必読)。

 

森博嗣『すべてがFになる : The perfect insider』(講談社文庫)1998年

   『冷たい密室と博士たち : Doctors in isolated room』(講談社文庫)1999年

   『笑わない数学者 : Mathematical goodbye』(講談社文庫)1999年

   『詩的私的ジャック : Jack the poetical private』(講談社文庫)1999年

   『封印再度 : Who inside』(講談社文庫)2000年

   『幻惑の死と使途 : Illusion acts like magic』(講談社文庫)2000年

   『夏のレプリカ : Replaceable summer』(講談社文庫)2000年

   『今はもうない : Switch back』(講談社文庫)2001年

   『数奇にして模型 : Numerical models』(講談社文庫)2001年

   『有限と微小のパン : The perfect outsider』(講談社文庫)2001年

 推理小説を楽しみながら「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」を考えるきっかけをつかむことができるかもしれません。ぜひ主人公犀川と太郎・ブドリの考え方と比較してください。


佐々木

 めまぐるしく変転する時代の中で、自立的な思考を維持し、育むことはとても難しいことです。日々時代に巻き込まれながらも、流行に埋もれることなく、少し立ち止まって思考する心の余裕と習慣を身につけませんか?たとえば、友人との学習会などで、これまで読み継がれてきた「古典」をじっくり読んでみるというのもひとつの方法です。今回は、現代社会の本質をことばの鋭い矢で射抜いた先人との出会いというテーマで、仲間との時間をかけた読書会に適した本をご紹介します。

オルテガ・イ・ガセット 『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)1995年

 オルテガとは、まさに単独で時代に立ちすくむ知性。独特の肉感的なことばで時代の下半身をとらえきったスペインの思想家です。この本は、はじめは慣れないかもしれませんが、読み進めるうちに彼の問題意識の射程が、まさに今ここに生きる私たちの問題に他ならないということに気づくでしょう。イラク戦争などを見ると、現代は、「大衆の反逆」ではなく、むしろ「エリートの反逆」の時代といえるかもしれません。しかし、オルテガは、それはまさに「エリート」が骨の髄まで「大衆化」してしまったからなのだ!と断言するでしょう。本物の保守思想に出会いたい方にお薦めします。

ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション 1 近代の意味』(ちくま学芸文庫)1995年

 本書で取り上げられるボードレールの詩集もいっしょに買い込んで、じっくりと時間をかけてベンヤミンのメッセージを読んでみましょう。そうすると、歴史の只中で「生きる」ということの肌触りをじわじわと取り戻すことができると思います。せつなくなるようなベンヤミンの繊細な時代感覚は、今読んでもまるで自分のすぐ隣で呼吸しているかのようです。「美しい日本」というスローガンが、いかにファシズムと同じであるか、そんなことも分からなくなった日本人に向けて贈りたい。前年度ご紹介した「複製技術時代の芸術」も所収されています。

カール・ポランニー 『経済の文明史』(ちくま学芸文庫)2003年

 今私たちが当たり前だと思っている、経済社会って、本当に当たり前なのでしょうか。そもそも市場って何でしょうか。資本主義って、いつからできて、どのように変容を遂げてきたのでしょうか。「経済人類学」という新しい分野を開拓したハンガリーの思想家が解き明かします。今の経済システムが、みなさんの孫子のそのまた孫子の時代まで続くと思いますか?長期的思考を失った今の無責任な指導者たちを批判する以上に、わたしたち自らが「人間の顔をした」、来るべき経済社会を今から構想しておきましょう。

丸山真男 『「文明論之概略」を読む』 上・中・下 (岩波新書)1986年

 今また読み直したくなる現代の「古典」。内容はわかりやすい講義録のようになっています。福澤諭吉や日本の近代を丸山真男はどう読むか。そしてそれを私たちがどう読むのか。オリジナルの『文明論之概略』を片手に、読書が媒介する精神の継受に参加しましょう。わたしたちが普段つかっていることばや概念の中にも歴史が潜んでいます。たとえば、そもそも「文明」って何なのでしょう?かつて福澤が夢見た「文明」は、今のわたしたちにとっての「文明」とどう切り結ぶのでしょうか。ことばがどんどん死滅しつつある日本で、「文明」の地下水脈から再びみずみずしい思考の契機をとりもどしましょう。

アンソニー・ギデンズ 『近代とはいかなる時代か?― モダニティの帰結』(而立書房)1993年

 「モダニティ(近代)」をどうとらえるか。ちょっと難解でイギリス臭いテキストですが、わたしたちが今立っている歴史的な<位置>を見定めるために不可欠な発想を示してくれます。一人で読むのは大変かもしれませんが、友人たちとあれこれ議論しながら読むと面白さが倍増すると思います。本書では、「近代」は、「再帰的近代」としてとらえかえされます。つまり、われわれの日々の反省や行為が、新たな世界や人間の条件をつくりあげていくという、ダイナミックな世界です。<歴史>を過去の硬直した堆積物とするのではなく、また、単に現在にとって都合のいい「素材」として利用するのでもなく、今を生きるわたしたちと未来にとって応答可能なものにするための、新しい社会理論として読むことができます。


澤口 晋一

新潟地図ウオッチング編集委員会編 『新潟地図ウオッチング』(新潟日報事業社)2006年

 みなさんは「地形図」と呼ばれる地図を見たことがあるでしょうか?
 地形図は、2次元座標上に描かれた等高線という曲線を読むことで、3次元的な空間認知を可能にするものです。つまり地形図を見るということは、その土地を真上から立体的に俯瞰することにほかなりません。さらにさまざまな地図記号によって、どこに何があるのかはもとより、土地利用や植生の状態、場合によっては地質までも大雑把に把握できてしまう。地形図こそは地理的情報の宝庫なのです。
 本書は、新潟県内から109地域を取り上げ、主に国土地理院発行の「1/2.5万地形図」を用いながら、その土地における特徴的な自然景観、産業、文化遺産等を簡潔に紹介したものです。読者は見学ルートの入った地形図をじっくり眺めながら解説を読むことによって、文章だけでは到底得られないさまざまな情報の把握が可能となります。
 本書に掲載された地形図の中に、自分の生まれ育った場所が含まれているという人は少なくないかもしれません。しかし、そこがどんなところかを地形図上で実際に確認したことがある人は、ほとんどいないのではないでしょうか。国際化も大切ですが、自分の地元を知ることはもっと大切なことだと私は常々考えています。本書は、新潟をより深く知りたいと考えている人のためのガイドとして、あるいはテキストとして最適な1冊です。


永井 武

城繁幸 『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書)2006年

 若者は、年功序列という固定観念をもって入社する。しかし、給料の上がり方と昇進だけについては、年功序列賃金体系はバブル崩壊後なくなった。大卒でも課長になれない人が半分以上、部長になれる人が1割にも満たない事実を知り、その会社の仕事に興味がもてなければ、退社を選ぶ。

 しかし現状では、転職事情は先進各国より遅れている。本当に年功序列でない国は、転職が可能だが、日本ではバブル前よりよくなりつつあるが、まだむずかしい。元通りの給料の仕事に転職できる仕事は、実力があるセールスマン、SE、プログラマに限られる。

 したがって現状では、3年でやめたらフリータやニートになる可能性が大である。3年でやめたくなるといろいろ悩み心の病になるケースもある。

 このようなことをよく知り、学生時代にキャリア開発して自分をよく見つめて、就職活動をする準備をして、就職活動をする必要がある。そのようなときに読む本として本書は、以前に薦めた『13歳のハローワーク』、『働くということ』と同様に優れている。


新潟国際情報大学 情報センター(図書館)