本を読みながら、涙が出たり、怒ってみたり、悲しんだり、感動したり、本を読むのは楽しいものですね。自分の学習や仕事に関係する本を買うのは勿論ですが、専門外の本を読むことにより、知らずにいたことを知り、自分の世界が広く大きくなったと思う事が少なくありません。私は、小説は勿論の事、政治、経済、法律、社会全般、福祉などに関連する本を買い求め、時々、参考となる文字や文章をノートに書きとめておきます。その中の幾つかは、私の人生の中で大きな示唆を与えてくれました。読書はきっと学生諸君の人生を豊かなものとすることでしょう。 |
情報文化学科 |
情報システム学科 |
| 安藤 潤 | 槻木 公一 |
| 臼井 陽一郎 |
永井 武 |
| 越智 敏夫 |
樋口 光明 |
| 佐々木 寛 |
渡辺 忠 |
| 澤口 晋一 | |
| 高橋 正樹 |
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| 広瀬 貞三 |
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| プラーソル・アレクサンドル | |
| 矢口 裕子 |
「球場物語」(ベースボール・マガジン社) |
トーマス・マン『魔の山』岩波文庫上・下巻 2004年冬、他大学とのゼミ合同合宿で、湯沢に行った。足湯をたしなみに湯の町を歩き、ひょっとしたことで川端記念館的な建物にはいった。ノーベル賞に何の特別な意味も与えないようなその平凡にすぎるコンクリートの建物には、好感すら感じられる。で、中で学生に聞かれた。「先生、川端康成って、どんな印象をもってますか。」応えられなかった。だって、読んでなかったから。。。帰宅するやいなや、すぐ手に取ったのはいうまでもない。うつくしい文章、それに尽きる。ただそれだけの書物である。越後は湯沢が主な舞台であるが、そこに生きる人の生(なま)の姿は何もない。そこに流れてきた女二人と、そこに遊びにきた男一人、生(なま)の人の姿はただこれだけ。越後はここでただのキャンバスにすぎない。しかし、とにかくうつくしい。このうつくしさは、モネだって描けるわけはない。それだけに、物語の前提となる当時の日本の社会構造が、びっしょりとした雨に濡れたウールのコートのように、気持ちを重たく圧しつぶそうとする。しかし、それにしてもうつくしい文章である。志賀直哉を楽に越える水準である。東京は府中の上がり3ハロンで、ミスターシービーがけっして抜くことのできなかったシンボリルドルフのように、圧倒的なうつくしさである。鉄の構造に規定された社会と人の本質を抉り出し、その直接の表象を読者の心象世界に再構築するするという、小説に期待したい役割がほとんど幼稚なほど軽くあしらわれている、それでも、夏目雅子の域にも達するほどのうつくしさが、日本語によって可能になるという日本語スピーカーとしてのうれしさ、それを実感させてくれる書物である。 |
| 映画を見る楽しさや緊張感を文章で表現するのはむずかしい。ぐだぐだ駄文をこねくりまわすよりも映画館の椅子に座ったほうがはやい。シンクロされた画像と音声による複雑な表現を暗闇のなかで長時間、一回限りのできごととして他者と共有するこのメディア経験は言葉で語るには圧倒的に不向きである。ということでそこには冬山登山のような艱難辛苦が待ち受ける。しかし世の中にはその困難にあえて挑み、成功する人もいる。以下、その奇跡の例。 セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔(上・下)』文春文庫、1999年、上・下巻 いっけんミステリー小説。サイレント期ドイツの天才監督マックス・キャッスルをめぐる謎。すべての登場人物が映画を語ることのみで自我を成立させ、映画の本質(が本当にあるかどうかはこの際おいておく)を読者に一瞬でも感じさせる。はっきりいって人物造形には失敗している。みんな性格に深みがないし言動の根拠もうすい。展開される映画批評にも異論は多いだろう。いろいろ問題はある。にもかかわらず、なぜ映画は人をかくも惹きつけるのか、その謎に拘泥しながらも芸術一般の無限の可能性を示す著者の姿勢は評価したい。しかしそんな面倒なことをいわなくても1000ページ超の文庫を一気読みさせるのはさすが。 フランソワ・トリュフォー『ヒッチコック映画術』晶文社、1990年(改訂版) その『フリッカー』の登場人物たちにほとんど評価されてないヒッチコック。あれだけ意地の悪い演出をし、映像表現で遊び、驚かせ、感動させ、謎を残した大監督。その彼にトリュフォーが長時間インタビューした膨大な記録。たとえば『サイコ』(1960)がなぜあれほど恐い映画なのか、嫌というほど本人が解説。これが面白くないはずがない。それが日本語で読める感動。人生、こんなに楽をしていいのか。しかし本書を再読しながら『ファミリー・プロット』(1976)を見たときの失望を思いだした。今見たら違う感想も持つだろうが、当時の印象は自分のなかで「権威も批判していいんだな」という意識に通じたと思う。『イノセント』(1976)や『影武者』(1980)を見たときの違和感も同質か。 二階堂卓也『マカロニ・アクション大全――剣と拳銃の鎮魂曲』洋泉社、2005年(増補改訂版) マカロニ・ウエスタン(ちなみに英語では Spaghetti Western 、ほんとだって)について語ることはわれわれの小学校高学年から中学校時代、重要な通過儀礼だった。テレビで見るのが中心だったけれど、キャスト、スタッフ、サントラ、主人公のポンチョの模様、使われているリボルバーの口径やバレルの長さまで語りつくした。どうしてあんな雑学大全を語るのが楽しかったのか。いつも話はネロ派(コルブッチ派でも可)とイーストウッド派(レオーネ派でも可)にわかれて終わったような気がする。ジェンマ(テッサリ派は不可)も好きだったけれど、いかんせん演技力が蜘蛛の糸のように細かったからなあ。最近BSで彼の作品を再見して愕然とした。というわけで雑学抜きにして映画は語れない見本として本書を。それにしてもマカロニ・ウエスタンって400本以上もあるそうです。すごい。 蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫 1992年 他の映画監督の存在さえ否定しかねないほどの圧倒的な賞賛に値する作品群なのか、公開時の評価、集客に関する議論はどうなっているのか、あるいは本書のレトリック、文体はなぜここまで不快なのか……など留保多数。にもかかわらず、小津がホームグラウンドの松竹ではなく大映で撮ったために厚田雄春ではなく宮川一夫がカメラを担当した『浮草』(1959)について、他の小津映画とはまったく異なるその風合に身をまかせる京マチコの大映女優としての凄絶な美しさとともに、ラストシーンで浅蜊の時雨煮(かな、あれは)を食う中村鴈治郎の艶姿を思い浮かべるごときの至福のひとときを好むのであれば、本書は読みごたえあり。何か(って何だ)のきっかけにもなる本だとは思う。 Reginald Rose, Twelve Angry Men, Dramatic Pub Co., 1955 シドニー・ルメットの監督デビュー作『十二人の怒れる男』(1957)の演劇版シナリオ。赤狩りという映画(だけじゃないけれど)の殺戮から回復しないままのハリウッド。そこから遠く離れたニューヨークでローズが書いた舞台劇が黎明期のテレビでドラマ化され、3年後に映画となる。この時代、本当のスラングは脚本にはまだ入り込めなかった(昨今の four-letter word 連発の映画の台詞は『俺たちに明日はない』(1967)以降といわれる)。だから本作は丁寧で簡潔な口語英語。昨年紹介した "Watchmen" 同様、これもぜひ英語で読んでもらいたい。台詞になりうる言葉とは何か、よくわかります。民主主義について英語で考える初歩としても推薦可。 |
| I.アシモフ『鋼鉄都市』 早川書房 1979年 わたしが小学生の時、学校の通学路を帰りながら最後を読みきり、涙がとまらなかった。今だから分かるが、科学技術、人間性、文明の問題について考えるようになったのは、この時代、SF小説をむさぼるように読んだからだ。この本は自分にとって掛け値なしに全身で読書をした最初の記憶と結びついている。 A.アインシュタイン『特殊および一般相対性理論について』 白揚社 2004年 わたしが中学生の時、魂をかけて「ハマッタ」ものはアインシュタインだった。本当は、自分の人生の方向を決定づけた、講談社文庫のアインシュタイン『晩年に想う』(1979年)を挙げたかったが、絶版だったので、これを挙げる。今思えば、自分は当時、一人の人間の頭脳(精神)が世界の重みをかかえるその姿に惚れ込んだのだと思う。 J.J.ルソー『エミール』上・中・下 岩波書店 1978年 わたしが高校生の時、数学1が分からなくなり、理論物理学者への夢が断たれた。人知れず、学校や教育制度に憎悪の思想を育んでいた高校時代。そのとき、ルソーが現れた。ルソーは、学校の行き帰りの電車の中で、当時日本語で読めるほとんどすべての著作を読んだ。一字一句を味わうように、ため息をつきながら、読み進めるのがもったいないと思いながら、時に涙しながら、いつかこんなスゴイ本が書ければ死んでもいいと思いながら。そんな読書は後にも先にもこの時しかなかった。 E.フロム『自由からの逃走』 東京創元社 1962年 大学学部時代、この本はゼミナールの課題テキストだった。しかしひとたび読みはじめると、我を忘れた。たしか読み終わったのは自分の部屋で、いつの間にか雀の鳴き声がして朝になっていた。この読書体験は決定的だった。人間の内面と社会や歴史とを串刺しにして透視するその「知性」の凄みに陶酔した。これで社会科学の快楽を知ってしまった。自分が研究者になる最初の動機を与えてくれた本だったように思う。 H.アーレント『暴力について―共和国の危機』 みすず書房 2000年 大学院時代、平和や暴力の問題をどのように科学(学問)として成立させることができるのか、そればかり考えていた。アーレントの思想は、自分にとって啓示のようであり、文字通り「腑に落ちる」ものだった。アーレントをしっかり読んだのは、大学院に行ってからだ。『人間の条件』(筑摩書房 1994年)は、これまでの自分の思考を体系的にたどるようでもあり、古い親友に会ったようなよろこびを感じた。この本は今でも自分の思考の土台に根をはっている。 |
富山和子 『森は生きている』(講談社、1994年) 富山和子 『川は生きている』(講談社、1994年) 富山和子 『お米は生きている』(講談社、1995年) 富山和子 『道は生きている』(講談社、1994年) 井上 靖 『おろしや国酔夢譚』徳間文庫(徳間書店、1991年) あっ フランク安田の働いていた郵便局だ,そのまま残っている! うわーっ これがシャンダラー川か!砂金いまでもあるのか・・・ おお,あこがれのブルックスレンジ! ええっ こんな所徒歩で歩いたのか・・・ しまった・・・熊だ... ついに 来たっ.北極海.真っ白だ. 在外研究でアラスカ行く前の数ヶ月,アラスカ物語の虜になっていた私.本の中に出てくる場所と実際に出会うたびに「あっ!」とか「どひゃ!」とかいいながら一人興奮する私.舞台はアラスカ中北部.どんな所?説明不能.行かなきゃわからない.でも行くなら『アラスカ物語』読んでから!で,結局どんな話?それは読まなきゃわからない! |
| 山田昌弘『希望格差社会』筑摩書房、2005年 かつて、日本社会は大多数の人が中流意識をもつ平準化された社会でした。しかし、今日の日本社会は格差が拡大して、そのため社会が非常に不安定になっています。たとえば、池田小学校児童殺傷事件や仙台市アーケード街トラック暴走事件には、将来に希望を持てない人達の恨みと失望があります。本書は日本社会が格差社会になり、将来に希望を持てる層と持てない層の分裂してしまったことを分かりやすく書いています。読後感としては暗い気分になりますが、今の日本社会を知るためには必読の書です。 スーザン・ジョージ『なぜ、世界の半分が飢えるのか』朝日新聞社、2003年 途上国の飢餓や貧困は人口過剰や天候異変だけではなく、世界経済の仕組みと多国籍企業が原因であることを食糧を例に取りながら分かりやすく分析している。南北問題の古典といってもよい良書です。 |
| 前橋和弥 センス・オブ・プログラミング 平成16年12月 技術評論社 「プログラミング」の基礎的入門書。ただ、特定の言語の文法などの解説ではなく、図や事例を多くしてプログラムが動作する仕組みとか、目的を持ったプログラムの作り方を解説している。「学習したが、いまいちプログラムがよく分からない」人向けの本である。書名にある「センス」を身に付けるには、データ構造を理解して抽象的に考える癖をつける必要があり、初学者との違いはここにあると著者は述べている。やはり、簡単ではない! (株)アンク アルゴリズムの絵本 2003年8月 翔泳社 「プログラムが苦手」という人は命令文の書き方を知らないのではなく、実はどのように命令文を並べるかが分からない。この「並べ方」がアルゴリズムである。この「絵本」は漫画によって各種の簡単なアルゴリズムの概念を解説し、C言語のサンプルコードを示している。やはり、「学習したが、いまいちプログラムがよく分からない」人向けの絵本である。どのような方策、手段を用いても「アルゴリズム」は理解した方が勝ち! |
| 日本経済新聞社編:働くということ、日本経済新聞社(2004) この本は、日本経済新聞に特集記事として連載されたものを単行本として出版された。日本経済新聞の記者が、普通の人とは異なった転職をして生きがいを捜し当てた人を取材した記事である。約350人の老若男女のケースを簡潔に記述している。これらの特異な人生を、学生の皆さんはいちいち経験できないが、本書を読むことによりさまざまな人生体験ができる。他人が苦労して得た人生を参考にすることができる。 |
ハインライン他著、三浦朱門訳『第四次元の小説』(小学館、1994年) 小川洋子著『博士の愛した数式』(新潮社、2003年) 今度、「博士の愛した数式」を読んで見て、このジャンルの小説がとても面白いことを再認識した。博士が数式を語るとき、それは淀川長治が映画を語るみたいに愛にあふれ、数式を知らない人達を、とても幸せな世界に連れて行ってくれる。断言出来るが、これは数学の嫌いなひとにこそ面白いと思う。その証拠にこの本は全国の書店員の投票で一番面白いという「本屋大賞」を受賞している。 上記に関連して、小説ではないが、次の2冊が面白い。対談とエッセイである。 藤原正彦・小川洋子著『世にも美しい数学入門』(筑摩書房、2005年) 藤原正彦著『若き数学者のアメリカ』(新潮社、1981年) |
| 高橋是清・上塚司編『高橋是清自伝』全2巻(中公文庫、1976年) 第20代総理大臣高橋是清(1921〜1922)の回想録。1854年江戸生まれ。14歳から海外を流浪し、1881年農商務省に入省する。1906年横浜正金銀行総裁に、1911年には日本銀行総裁となる。その後、大蔵大臣を歴任する。原敬暗殺の後を受け、政友会総裁として組閣。1927年の金融恐慌では手腕を発揮し、危機を克服する。1934年岡田啓介内閣の大蔵大臣に就任。在任中の1936年、二・二六事件で殺害される。享年83。 若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘史―古風庵回顧録』(講談社学術文庫、1983年) 第25・28代総理大臣若槻禮次郎(1924〜1926、1931)の回想録。1866年島根県生まれ。1892年大蔵省に入り、次官まで登りつめる。第3次桂太郎内閣で大蔵大臣となり、立憲同志会(後の憲政会)に参加する。苦節10年の後、加藤友三郎が病死すると組閣。退任後はロンドン軍縮会議の日本首席全権となる。民政党の浜口雄幸総理がテロに倒れると、再度組閣。在任中に柳条湖事件が起き、関東軍を抑えるのに腐心する。1949年死去。 岡田啓介・岡田貞寛編『岡田啓介回顧録』(中公文庫、1987年) 第31代総理大臣岡田啓介(1934〜36)の回想録。1868年福井県生まれ。海軍兵学校、海軍大学校を卒業。1924年に海軍大将となり、1927年田中義一内閣の海軍大臣に就任する。1930年軍事参議官として、ロンドン海軍軍縮条約の調印に尽力する。1934年に斎藤実の後を受け、首相となる。1936年の二・二六事件で反乱軍が首相官邸を襲撃し、九死に一生を得た。敗戦末期には反東条英機運動の中心的役割を果す。1952年死去。 幣原喜重郎『外交五十年』(中公文庫、1986年) 第44代総理大臣幣原喜重郎(1945〜46)の回想録。1872年大阪府生まれ。外務省に入り、1919年駐米大使となる。1921年ワシントン軍縮会議に全権委員として参加。1924年以降、2回にわたって憲政会、民政党内閣の外務大臣を務める。この間、国際協調(特に米英)、中国への不干渉、経済利益優先などを特徴とする「幣原外交」を展開する。1931年に政界を引退。敗戦直後、首相となり、新憲法の作成に尽力する。1951年死去。 石橋湛山『湛山回想』(岩波文庫、1985年) 第55代総理大臣石橋湛山(1956〜57)の回想録。1884年東京都生まれ。東京経済新報社に入社し、1924年に同社主幹、1939年に同社社長となる。戦前は『東洋経済新報』を拠点に、進歩的自由主義者とし言論活動を展開。戦後は政治家の道を歩む。1946年吉田茂内閣の大蔵大臣となり、1947年に衆議院議員。自由党、民主党を経て、1956年に岸信介を破り、自民党総裁になる。組閣後、病を得て2ヶ月で辞任。1973年死去。 |
| ミハイル・ブルガーコフ著、法木綾子訳『巨匠とマルガリータ上・下』(群像社、2000年) (上)モスクワの公園でかわされる無神論談義が文学界のボスの首をチョン斬る様相になるかと思いきや、あやしい黒魔術の教授の話はにわかに二千年の時を超え、総督ピラトと囚人イエスの対話をたぐりよせる。禁書として読みつがれ、世界の注目を集めた二十世紀を代表する傑作。 (下)悪魔の誘いにのって愛する巨匠を救うために魔女となってモスクワの空を飛ぶマルガリータ。混乱をきわめたモスクワではついに当局が動き出したが、<悪魔御一行>の活躍はおとろえない。20世紀の三大傑作、ついにフィナーレへ! 群像社の解説より チンギス・アイトマートフ著、佐藤祥子訳『処刑台』(群像社、1988年) カザフの原野で暗躍する麻薬組織と破門された神学生の格闘。破壊的な現代人から逃れ行く一組の狼の姿を通して精神の危機に警鐘を鳴らした長編ドラマ。 群像社の解説より アンドレイ・プラトーノフ著、亀山郁夫訳『土台穴』(国書刊行会、1997年) 「土台穴」はソビエト文学の中でもっとも奇怪な作品のひとつだ」(パブロフスキー)、「プラトーノフは翻訳不可能だ」(ブローツキー)といった評価にも示されているように「土台穴」テキストの奇妙さ、難解さは彼のほかの作品と比べても群を抜いている。同士と福祉の自制上の不一致、意識的な?回表現、異常に多用される「今」と「すでに」、同語反復、主体と客体の転倒。長編小説と短編小説の文体の混在。俗語のおびただしい使用。この小説はまた、ジャンルの点から見ても見極めの難しい作品である。風刺小説、哲学小説、文体破壊の手法によるリアリズム小説、あるいはグロテスクな戯画小説、しかも、ほとんど聖書の詩篇にも通じる叙情的逸脱が混入することもある。多ジャンル、多言語がひしめきあうポリフォニー小説といった言い方もあるいは可能かもしれない。 亀山郁夫(訳者)のコメント フョドル・ドストエーフスキー著 『罪と罰』 米川政夫訳 河出世界文学全集12 河出書房新社1989 ロシア古典文学作品として日本人の心を引く力のある図書です。ロシア文学の黄金時代、19世紀の代表作として、この時代のすばらしい味を是非味わってもらいたいと思います。 アントン・チェーホフ著 短編小説集 神西清訳 河出世界文学全集15 河出書房新社1989 『チェーホフは初期のユーモア小説を含めて、生涯に五百編もの短編小説を書いている。その中には、... 数多くの名作が含まれているが、この巻に収録された諸編は、チェーホフ の特徴をよく示す名高い代表作である』。 本書あとがき神西清(翻訳)の本文より引用 |
| 著者:アルプレヒト・ポイテルスパッヒャー、ベルンハルト・ペトリ;訳者 柳井 浩 書籍名:黄金分割−自然と数理と芸術と− 出版社:共立出版 出版年:2005 学生証や免許証の縦横長さの比は1:(1+√5)/2≒1:1.618で、黄金比と呼ばれている。クレジットカードや新書版の本などにもこの比が使われている。線分をこの比率で分割したもの、すなわち約「0.618対0.382」は人々の美的感覚を魅了するといわれる黄金分割である。本書ではまず黄金分割の基本的な性質を述べた後、美しい形状と数の関係が語られる。数学の世界でこれほど多くの分野に黄金分割が姿を現すとは驚きである。解説は平易で高校の数学で十分読んでいくことができる。 次いで黄金分割が現れるものに触れる。自然界の中からは植物の種や葉、動物は人間(たとえば人間の臍の位置は身長を黄金分割する)。人工物からは建築(ピラミッド、神殿)、絵画(例:ダビンチのモナリザ)そして、文学、音楽に及ぶ。また西欧人が黄金分割にいかに熱中したかが語られる。美しいものはなんでも黄金分割で説明しようとする行き過ぎもあったようだ。美しいものを鑑賞しながら、その数理を探求する好奇心を満足させる。そんな機会を持ちたいと思ったら、この本を読んでみよう。数学を読む楽しさを教えてくれる本である。 著者:今野 浩 書名:金融工学の挑戦 出版社:中央公論新社 出版年:2003 ギャンブルの結果は運によって決まる部分とプレイヤーの技量によって決まる部分がある。株などの金融商品について、技量によって決まる部分を高等数学とIT技術によって学問に仕上げたのが金融工学である。つい最近まで日本の金融業界は大揺れに揺れ、銀行や証券会社の買収や合併が相次いだ。これは日本の金融システムが未熟で外国に太刀打ちできなくなった結果であった。それを支援していた学問が遅れていたのである。アメリカでの発展と、それに追随する日本の活動が書かれている。新しい学問がどのように成長していくのか、日本ではどのような育ち方をしたのかを知るのは興味深い。もちろん金融工学の主要テーマも数学的素養がなくてもわかるように解説される。どのような話題があるのかをざっと知るにもよい本である。 著者:平下幸男 書名:数理科学のレッスン 出版社 産業図書 出版年:1992 通常数学の本は特定分野を深く体系的に扱うのが一般的だが、本書はそれを広く浅く扱っているところに特徴がある。数学・数理科学に関連のある幅広い分野から55テーマを選び、1テーマについて3から5ページを割いて、問題形式で解説している。ヒルベルト空間や群という概念があったかと思うと、在庫管理や戦争モデルという数学の応用がある。また正規分布や回帰直線という数学の公式まで1テーマとして扱っている。分 野、方法、公式の区分をしていないので、その理論の背後にある広がりを誤解するかもしれない。しかし数理科学で初めて出会う重要用語が具体例をもって解説されているので、手っ取り早く数理科学全体を把握するのに都合がよい。各テーマには3から5つの参考文献がついているので、興味を持ったらそれを読めば本格的に勉強できる。広がりつつある数理科学の入門書として面白い試みである。 著者:ウィリアム・フェラ−;訳者 河田龍夫、国沢清則他 書籍名:確率論とその応用T上・下 U上・下 出版社:紀伊国屋書店 出版年:1962 1969 フェラーの確率論は古典的確率論の世界的名著である。私は大学を出てから読む機会を得た。T部とU部から成りそれぞれが上下巻に分かれている。読み応えがある。現在の確率論の教科書はほとんどこの本を参考にしているといっても過言ではない。日本のある確率論の大家がこの本が出版される前にやはり確率論の本を書いた。そのときの言が「確率論は書くことがなくてね。」ということだった。日本の教科書は一般に薄い。エッセンスを書くとそうなるのだが、応用はあまり利かない。その点この本はエネルギッシュに多くの題材を集め応用に意を配っている。また練習問題も多くそれに十分な解答をつけている。これを読んだときは「あちらの人は食べる量が違う。体も大きい。だからこれだけ書ける。日本人ももっと食べなくちゃ」と妙に納得したことを覚えている。数学的にはやさしい。しかし、大学時代にこれを読めたらたいしたものである。大学時代の勉強の金字塔になる。時間がなければ1巻だけでもよい。訳書はもうすぐ絶版になるかもしれない。買っておくだけでもよい。 |
| 1.水田宗子『ヒロインからヒーローへ―女性の自我と表現(新版)』(田畑書店、1992年) アメリカ文学にしろフェミニズムにしろ、日本人の書くものは欧米(本場?)の最新の流行を口移しに伝えたり、チャート式に整理整頓して講釈したり、リアリティないなぁと思っていたわたしの眼からうろこを落としてくれた一冊。日本フェミニズム文学批評の嚆矢といえるでしょう。 2.舌津智之『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(晶文社、2002年) 気鋭のアメリカ文学者である著者が、松本隆の手になる歌謡曲の歌詞に自らのジェンダー的齟齬・異和感を慰謝され励まされた軟弱な過去を告白しつつ語る、日本ジェンダー批評研究最新の成果。 3.アナイス・ニン『アナイス・ニンの日記 1931〜34-ヘンリー・ミラーとパリで』ちくま文庫(筑摩書房、1991年) 『ヘンリー&ジューン』角川文庫(角川書店、1990年) 『アナイス・ニン コレクション 1〜5+別巻』(鳥影社、1993-1997年) わたしがこの業界に足を踏み入れるきっかけをつくった罪つくりな人。今こそ再読・再評価が望まれる作家。「女として書く」という彼女のことばの意味は何か? |
新潟国際情報大学 情報センター(図書館)