2003年度版

 本を読みながら、涙が出たり、怒ってみたり、悲しんだり、感動したり、本を読むのは楽しいものですね。自分の学習や仕事に関係する本を買うのは勿論ですが、専門外の本を読むことにより、知らずにいたことを知り、自分の世界が広く大きくなったと思う事が少なくありません。私は、小説は勿論の事、政治、経済、法律、社会全般、福祉などに関連する本を買い求め、時々、参考となる文字や文章をノートに書きとめておきます。その中の幾つかは、私の人生の中で大きな示唆を与えてくれました。読書はきっと学生諸君の人生を豊かなものとすることでしょう。

新潟国際情報大学 学長 武藤 輝一

情報文化学科 情報システム学科
安藤 潤 英語の先生
臼井 陽一郎
小宮山 智志 
越智 敏夫
樋口 光明
澤口 晋一
平田 透 
長坂 格
宗澤 拓郎  
広瀬 貞三
  
矢口 裕子  

安藤 潤

@山際淳司『スローカーブを、もう一球』角川文庫(角川書店、1995年)
 今は亡きスポーツライター山際淳司のノンフィクション8作品がまとめられている。文章自体が特別素晴らしいとか、涙なくしては読めないとかという理由で薦めるのではない。あくまで個人的な思い出だけである。したがってこの本を読んで「どこが面白いんだ?」と思う人が圧倒的だろう。ここでは2作品を紹介する。
 「八月のカクテル光線」は今や伝説となった夏の甲子園「星稜対箕島」のお話。延長に入って二度勝ち越された箕島がその度に奇跡的なホームランで追いつき、ついには延長18回ウラにサヨナラ勝ちしたのだが、特に語り草となっているのは星稜1点リード、延長16回ウラ2アウトランナーなしからの1塁ファウルフライ。この試合を見てからというもの、高校野球好きだった私はなぜか甲子園にカクテルライトが点灯し、延長戦に入ると「またあのときみたいな劇的な試合になるのではないか?」と期待してしまうのであった。たしかこの試合はNumberからビデオになって出ているのではないかと思うので、もし手に入るようだったら観てみて欲しい。
 もう1作品は「江夏の21球」。1979年日本シリーズ広島カープ対近鉄バッファローズ第7戦。場所はかつての南海ホークスのホームグラウンド、大阪球場。実は前夜、実家が大阪球場の近くにある私は近所の焼肉屋「白龍」で江夏を見ている。その晩、なぜか家族で焼肉を食べに行ったのだが、そのときなんと江夏が登場!!「おいおい、お前明日昼から試合やろ。こんな時間に焼肉食うとってええんかいな?」と当時中学1年生の私は思ったのだが、まさか翌日にあんな場面が訪れようとは!山際さんのこの作品を読むと今も江夏が投じたあの伝説の21球がありありと蘇ってくるのである。

A斎藤美奈子『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』岩波アクティブ新書(岩波書店、2002年)
 実家が大阪のミナミでレストランをやっていたこともあり、今でも料理には関心がある。年末など実家に帰ると「天皇の料理番」秋山徳蔵氏が大正時代に出した家庭向けの料理本をついつい読んでしまうのだが、そこで紹介されている西欧料理や中華料理は家庭向けとは言え、なかなかのものである。その当時の意外なほど洒落た食生活が太平洋戦争を挟んで信じられないほどに悪化する。 ここで紹介する『戦下のレシピ』は太平洋戦争前後の日本での食生活がどのようなものであったかを知る上で非常に貴重である。私の両親はともに戦争を体験しているので、昔から当時の食糧難についてはよく話を聞かされていたし、テレビでも戦後の闇市や悲惨な食生活を見ていたので特に驚きはなかったが、市民から食の楽しみを奪っていった軍国主義には怒りを覚えざるを得ない。今の学生がこの本を読んでどのように感じるだろうか。
 大学院生時代に「酸っぱいカレー」、「酸っぱい大根の煮物」、そして「酸っぱい麦茶」(夏だったので全部腐ってしまった)を体験し、自分ではかなり貧しい食生活を送ったつもりであったが、しかし考えてみれば「酸っぱいカレー」のルゥをかけるお米や、煮出す麦茶のパックはあったわけで、院生時代の食生活は戦後の食糧事情に比べればやはり圧倒的に豊かだったんだと思い知らされた。

B松山猛『少年Mのイムジン河』(木楽舎、2002年)
 かつて発禁ソングとなったザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』が2002年にCDとなって復活した(聞きたい人は私の研究室まで)。と言っても、私はこの曲のことを知らなかった。たまたま朝の「やじ馬ワイド」を見ていて初めて知ったのである。 著者の松山猛氏は京都で幼少時代を過ごした。京都に限らず、関西には多くの在日韓国・朝鮮人が住んでいる。もちろん過去には許されない不当な差別があったし、残念なことに今でも差別が残っているのは否定しようのない事実ではあるが、大阪人の「思ったことはなんでもズバズバ言う」が「悪気があるわけではない」という気質が韓国・朝鮮の人たちと似ているせいか、私の故郷・大阪では比較的うまく共生していると言ってもよいのではないかと思う。事実、今も大阪には日本で最も多くの在日の人が住み、日本と韓国・朝鮮お互いの文化を尊重しつつ、共同社会をなんとか作り上げている。
 そんな大阪に育った私は韓国・朝鮮の人や文化は非常に身近で親しみ深い存在である。中学・高校から帰宅する際、焼肉のメッカと呼ばれる鶴橋でJRから近鉄電車に乗り換えていたのだが、特に中学時代はバスケ部のハードな練習後に近鉄鶴橋駅の下から漂ってくる焼肉の煙と臭いに「あかん、めっちゃ腹減ってきた。この臭いだけでええから、早よご飯食べさせてくれ!」と生き地獄とも思える空腹感を必至でこらえながら帰宅する毎日であった。
 そんな私ではあったが、実は南北の深い問題を認識したのはそう昔のことではない。小学生の頃、社会科の問題集で国名を答えさせる問題があったが、「大韓民国」と「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」と書いた記憶があるから、朝鮮半島・韓半島に2つの「国」があることは当時からわかっていた。分断の悲劇も多少は知っていた。しかし、ここまで大きな問題を抱えていようとはまったく思わなかったのである。
 本学で韓国・朝鮮に少しでも関心を持つ学生はこの本を読み、なぜ当時このレコードが発禁になったのか、なぜ著者の住んでいた京都をはじめとして日本の多くの都市に「在日」と呼ばれる人が住んでいるのかを考えることから韓民族・朝鮮民族の悲しき歴史や朝鮮半島・韓半島の抱える様々な問題点を考えるきっかけとしてみてはどうだろうか。ページ数自体も少ないし、小学生にでも読めるくらい平易な文章で書かれている。しかもキーワードの解説までついている。
 ちなみに広瀬先生に教えてもらったのであるが、韓国では「イムジン」だが、北では「リムジン」と発音するとのことである。このあたりもかつての発禁レコード「イムジン河」のカギを解く手がかりとなるだろうか。

臼井 陽一郎

夏目漱石『三四郎』新潮文庫(新潮社、1985年)
夏目漱石『こころ(改版) 』新潮文庫(新潮社、1993年)
夏目漱石『行人』新潮文庫(新潮社、1985年)
夏目漱石『明暗』新潮文庫(新潮社、1987年)

*夏目シリーズとして、この4冊を薦めます。やっぱり、すごいです、この人。学生のうちに一応目を通しておかないと、卒業後10年くらい経ってからもう一度読み直したときの圧倒的な感動を味わえません。若いときと、中年間近の二回、読まないといけない!今のうちだよ、今のうち。一言だけ、個人的感想。この4冊、とても同じ人間の筆によるものとは思えません。いったい、何人の人間像を描けるのだろう、この人は。ちなみに、『行人』の一郎という人間像と、ドストエフスキーのカラマーゾフに描かれるイワンの人間像とを比較することで、夏目の凄さとドストエフスキーの凄さの双方を語りあえる人、募集してます。

高橋和巳 『悲の器』新潮文庫(新潮社、1983年)
*これを読んでもへこまないくらい、学問の尊さをほんとうの意味で知っている研究者になることができないと、大学の講壇に立つ資格はないと、直感的に感じました。人間にとっての学問と、学問にとっての人間、この双方を、本書を通じて考えてみて欲しいと、こころからねがってます。

三浦綾子『塩狩峠』新潮文庫(新潮社、1985年)
*小説家としてのこの人を、偉大な素人と呼びたい。いっさいメタファーがなく、小学生でもよめるような淡泊な文章で、ほんとに単純な人間像が描かれます。ほんと、単純すぎます。にもかかわらず、この人の作品を読むと、その作品の世界が頭から離れなくなります。もっともバイブルに近い日本語小説の書き手、かな。

大崎善生『聖の青春』講談社文庫(講談社、2002年)
*ここに描かれる師匠・師弟関係は、絶対に、過去のどんな偉大な文豪でも描くことのできない、尊いものです。言い切るよ、絶対に。この歳で(内緒だけど)、目に塩水がたまりました。

樋口陽一『個人と国家:今なぜ立憲主義か』集英社新書(集英社、2000年)
*とくに、一年生、読んで下さい。最良の社会科学入門だと思ってます。

英語の先生

Oxford 出版のやさしい英語シリーズBookworms
やさしい英語で書かれた本を読んでみましょう。私たちが英語の本を敬遠する理由の一つは単語が難しくて読めないということではないでしょうか。でもそれが読めるのです。みんなが知っているような易しい基本単語で書かれた世界の名作やノンフィクションがシリーズでオックスフォード大学出版局から出ています。その一部を選んでここに置いて、手軽に利用できるようにしました。
 では簡単に本のグループの説明をします。Bookworms Libraryは世界の名作を使用語彙レヴェルで5つのStage (段階)に分けられています。400語レヴェルのStage 1で、The Elephant Man, The Phantom of the Opera, 700語レヴェルのStage 2では、Alice's Adventure in Wonderland, Ann of Green Gables, 1000語レヴェルのStage 3では、Frankenstein, Love Story, 1400語レヴェルのStage 4では、DrJekyll and Mr Hyde, Gulliver's Travel などが読めます。Bookworms Factfileはノンフィクションを前と同じく400語レヴェルのStage 1で、Diana, Princess ofWales, Titanic, 700語レヴェルのStage 2では、California, Forty Years of Pop,1000語レヴェルのStage 3で、Cinema, The USAなどが読めます。またBookwormsStartersは文字通り一番易しく、250語レヴェルで、Mystery of London, Robin Hoodなどが読めます。
 上記の本のほかにもいろいろありますから、どれでも好きなものを1冊借りて読んでみてください。あまりすらすらと読めてストーリーが頭に良く入るので急に英語の力がついたようなうれしい気分になります。そのまま2冊3冊と読んでいくとさらに英語になれて、ほんとに英語の実力がつきます。みなさんもこの本のシリーズの名前のように、「本の虫」になってね。

越智 敏夫

鶴見俊輔戦時期日本の精神史―1931〜1945年岩波現代文庫(岩波書店、2001年)
疑う知性、その一。実は最初に藤原新也の『東京漂流』を推薦しようと思っていたら、なんと絶版。日本の出版文化の実情(というか崩壊過程)を見たような気がした。それでもこの鶴見の名著が版を変えて出版され続けていることに希望を見出したい。立派に見える社会の実態はどんなものか。そうした社会がなぜ支持されるのか。またその社会についての「語り方」もいかに硬直しているか。常識の危険性。常識を決めているのはいったい誰か。時代の常識を疑え。

マイク・マークシー(藤永康政訳)モハメド・アリとその時代―グローバル・ヒーローの肖像(未来社、2001年)
疑う知性、その二。日本におけるモハメド・アリの語られ方にいかに大きな問題があるか。公民権運動の語られ方はどうか。本来なら「市民権獲得運動」と訳すべき運動が「公民権運動」などとわけのわからぬ日本語にされたのはなぜか。1960年代のアメリカ社会の異常さと戦った有名人はなぜアリだけだったのか。アラン・パーカーの『ミシシッピー・バーニング』が嘘八百の犯罪的極右映画なのはどういう点においてなのか。権力の意思を疑え。

小倉千加子セックス神話解体新書ちくま文庫(筑摩書房、1995年)
疑う知性、その三。フェミニズムはどうして「恐いおばさん」と結びつけられて語られるのか。「中ピ連」などの70年代女性解放運動はなぜ罵倒されつづけてきたのか。理由は簡単である。男だけがものごとを語ってきたからだ。そして女性解放に関して男は邪悪な狂信者でありつづけている。男らしさ、女らしさなどというものが「実体として」存在すると信じている者は社会にとっての害悪である。いろいろな「らしさ」がいかに人間を縛っているか。それで得をしているのは誰か。人間の本能を疑え。

シェルドン・S・ウォーリン西欧政治思想史―政治とヴィジョン(福村出版、1994年)
疑う知性、その四。どうして人類は社会を変えつづけてきたのか。理想的な社会を作ろうとして、いかにその理想に裏切られつづけてきたか。社会を変革することの根源的意味は何か。「歴史の終わり」などと言いふらすことは詐欺師以上の意味をもたない。このサイコロのようにぶあつい本(旧版は全五冊だった)のなかには社会変革に対する人間の欲望の軌跡がつまっている。今、目の前にある社会を「良い社会」と賛美することは誰を抑圧することなのか。現在の制度を疑え。

渋谷陽一ロックはどうして時代から逃れられないのか(ロッキング・オン、1996年)
疑う知性、その五。どうして日本には「ポップ・ミュージック評論」というジャンルが存在しないのか。なぜ「白痴アイドル・ロック業界」しか存在しないのか。CD会社と結託した業界ゴロが書いた宣伝文を「評論」と言ってきたのは誰か。そうした状況に対して『ロッキング・オン』がもった意味は何か。そしていまだに『ロッキング・オン』以外にロック評論メディアが存在しないのはなぜか。貴重な「お小遣い」が無駄なCDに消えていく日々。怨嗟はつづく。自分の嗜好を疑え。

小宮山 智志

曽野綾子『太郎物語(高校編)』新潮文庫(新潮社、1991年[改版])
    『太郎物語(大学編)』新潮文庫(新潮社、1996年[改版])
 初めて読んだのは20年以上前ですが、いまでもこれを読むと元気が沸いてきます。主人公太郎は、高校生活・大学生活の中で、日々の出来事を楽しみながら、真剣に悩み、考えています。皆さんが「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」を考えるきっかけになればと思い、推薦しました。

宮澤賢治『風の又三郎 : 他十八篇』 岩波文庫(岩波書店、1993年[改版])
 一番最後に掲載されている『グスコーブドリの伝記』をお薦めします。 太郎物語とは違った側面から「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」を考えるきっかけを与えてくれます(『プラネテス』ファンは必読)。

森博嗣『すべてがFになる : The perfect insider』講談社文庫(講談社、1998年)
   『冷たい密室と博士たち : Doctors in isolated room』講談社文庫(講談社、1999年)
   『笑わない数学者 : Mathematical goodbye』講談社文庫(講談社、1999年)
   『詩的私的ジャック : Jack the poetical private』講談社文庫(講談社、1999年)
   『封印再度 : Who inside』講談社文庫(講談社、2000年)
   『幻惑の死と使途 : Illusion acts like magic』講談社文庫(講談社、2000年)
   『夏のレプリカ : Replaceable summer』講談社文庫(講談社、2000年)
   『今はもうない : Switch back』講談社文庫(講談社、2001年)
   『数奇にして模型 : Numerical models』講談社文庫(講談社、2001年)
   『有限と微小のパン: The perfect outsider』講談社文庫(講談社、2001年)

 推理小説を楽しみながら「大学とは、大学生とは、学問するとは何か」を考えるきっかけをつかむことができるかもしれません。ぜひ主人公犀川と太郎・ブドリの考え方と比較してください。

澤口 晋一

高木仁三郎『市民科学者として生きる』岩波新書(岩波書店,1999年)
     『市民の科学をめざして』朝日選書(朝日新聞社,1999年)
     『市民科学ブックス 人間の顔をした科学』 (七つ森書館,2001年)
     『プルトニウムの未来―2041年からのメッセージ―』岩波新書(岩波書店,1994年)
 あなたたちには,わが国が世界有数の「核=プルトニウム」保有国だといういうことを知っていますか?何故そうなのか知っていますか?そして,わが国は将来この核をめぐって実に多くの深刻な問題に直面することになるであろうことを認識していますか?世界最大の原発を抱える新潟県に生まれ育ったあなたたちがこうした問題に無知であることは決して許されることではありません.
 高木仁三郎氏は昨年この世を去りましたが,日本の反原発・脱原発運動の理論的・精神的そして実践的支柱であった人です.わたしはここ数年この人の著作を集中的に読んでいますが,そこで身の震えるような思いを何度となく経験しました.ここではその中から特にみなさんにも読んでもらいたい4冊を選びました.わたしは,これまで人とか社会とかいったものとは多少距離をおいて自分の専門分野のことを勉強してきました.しかし,そうしたこれまでの自分の世の中に対する姿勢と価値観が,この高木氏の著作に接して根底から崩れ去っていくのを感じました.わたしは…
 新潟に住まうあなたたちに是非読んでもらいたい書です.

河合信和『旧石器遺跡捏造』文春文庫(文芸春秋,2003年)
 旧石器遺跡捏造事件."50万年前日本に原人","30kmの距離を隔てて旧石器が接合"といった大発見が,ひとりのアマチュア考古学者によってつぎつぎとなされた.考古学に多少の興味と関心のある私にとっても,これら一連の発見に対しては単純に喝采を送ったり,逆に,しかしなあ…と考えこんだり,そういうものだった.ついこのあいだのことである.日本考古学史上最大の汚点とも言われるこの事件.われわれ一般市民はもとよりマスメディアもさらには考古学会のそうそうたる大家までもが,ひとりのアマチュア考古学者に1970年代からなぜかくも長きにわたって,かくも簡単に騙されつづけたのか.ジャーナリストであり考古学や人類学にも造詣の深い著者が多角的に検証する.にわかには信じがたいような記述がこれでもかとばかり続くが,そのしつこすぎると思えるような記述がこの事件の単純さと計り知れない深刻さを余すことなく伝えている.私にとっては遺跡発掘を生命線とする考古学という方法の特異性と難しさを示した事件であったように思えた.
 みなさんの日本史の教科書はどう扱っていた?

中野雄『ウイーン・フィル 音と響きの秘密』文春文庫(文芸春秋,2002年)
 オーケストラの音が常に流れていないと何の仕事も手につかないような人(私と小林さんのことだ!)にとっては,ウィーン・フィルはやはり特別な存在だなあ.ウィーン・フィルと聞いただけで,その華麗でしかも固有の音が頭蓋をみたす.その響きの秘密をウィーン・フィルの歴史やウィーン・フィルを彩った指揮者そして著者が直接接したウィーン・フィル団員とのエピソード等を交えながら練達の文章で描いたクラキチ(暗キチではない)必読の書.とはいっても,本学にクラキチを自称する学生はいるのかどうか.いなかったとしたら,これはちょっと場違いな推薦書だったか….でもどうしてもここにあげたかった1冊.

長坂 格

井筒俊彦『イスラーム文化−その根底にあるもの』岩波文庫(岩波書店、1991年)
理由: 短い本なのに深みがある、いやありすぎる。

宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫(岩波書店、1984年)
理由: 情景が浮かぶ聞き書きの数々。フィリピンの海辺でこの本を読んだが、読み出して止まらなくなった覚えがある。

上田紀行『悪魔祓い』講談社プラスアルファ文庫(講談社、2000年)
理由: とにかく読ませる。悪魔祓いの描写と分析は軽やか。

樋口 光明

(1)樋口一葉『樋口一葉全一冊 「ザ・一葉」』(第三書館、1986年)
   松浦理英子他『現代語訳・樋口一葉[全5巻] 』(河出書房新社)
新しい五千円札に登場するのを機会に、樋口一葉を読んでみたらいかがだろうか。読点ばかりで句点の少ない独特の文体は、しかしリズミカルで声に出して読みたい日本語である。
とは言っても明治の文体、簡単には読めないだろう。そのためには、現代語訳も出ている。
島田雅彦や藤沢周などが現代語訳に挑戦している。誰がいちばん一葉の雰囲気を出しているか比べるのも面白い。
なお、一葉の雰囲気を知らない学生のためにお勧めの映画がある。「にごりえ」(監督:今井正 1953年)である。これは、"十三夜"、"大つごもり"、"にごりえ"の3作品のオムニバスになっている。明治を知るためにも、極めて優れた映画だから、むしろこちらから観ることを勧めたい。


(2)樋口大成『師団長だった父と私』(学習研究社、2002年)
冒頭、吉永小百合の「美しい暦」(監督:森永健次郎 1963年)を父と観に行くシーンがある。戦後民主主義の代表と思っていた石坂洋次郎が、この原作を昭和15年に書いていたということに驚いた。この本の著者も、職業軍人の家庭に育ちながら、重苦しい太平洋戦争中の圧制の時代に、リベラルな学生時代を過ごす。小林信彦の作品にもみられることだが、このような人々が戦後の日本を確かな方向に導いたのだろう。
新藤兼人は、「人は誰でも一篇は小説が書ける」と言っている。これは、どんなに違った人生を生きた人にも、全ての人に感動を与える普遍性があるということなのだろう。
尚これは、第12回北九州市自分史文学賞大賞受賞作である。


(3)樋口有介『ぼくと、ぼくらの夏』(文藝春秋、1988年)
どうしてもミステリー小説を1冊入れたくて、これを選んだ。犯人は予想通りだし、動機もこれ以上陳腐なものはないというくらい当たり前過ぎるのだが。
では何故そんなものを勧めるのかというと、青春小説として面白いからである。小生意気な高校生が思いっきり気障ったらしいせりふを言うのを、「そうかよしよし」と聞いてあげながら、ときにはこちらが唸ならされたりする。15年前の風俗が目に浮かび、ああ、あの頃はコットンクラブ(監督:フランシス・フォード・コッポラ 1984年)がロードショーにかかり、中森明菜の時代だったのだとしみじみと感じた。なお、これは第6回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞している。


(4)樋口千重子 『タートル・ストーリー』理論社ライブラリー(理論社、1997年)
これは第1回児童文学ファンタジー大賞佳作受賞作である。しかし、児童文学と言ってばかにしてはいけない。中にはミヒャエル・エンデの「モモ」や、ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」、三木卓の「ほろびた国の旅」などという大人もわくわくする名作は山ほどある。
この作品は、少年と不思議な亀との出会いと別れの物語である。人はみな、出会いと別れを経験し、その出来事を通じて成長して行く。その成長はささやかだが、「十五才 学校W」(監督:山田洋次 2000年)にもつながるものである。二つの作品は全く違うが、見比べてみて、「学校に行く」ということがどんなことなのか考えて見るのもいいのではないだろうか。

平田 透

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(岩波書店、1994年)

広瀬 貞三

1・久布白落実『廃娼ひとすじ』中公文庫(中央公論社、1982年)
 久布白落実は社会運動家。牧師の娘として育つ。徳富蘇峰、蘆花は叔父。東京の女子学院に学び、ハワイ、オークランドなどで布教活動をする。その後、日本基督教婦人矯風会を中心に、女性の人権擁護、婦人参政権獲得のために奔走。特に、飛鳥遊廓再建反対運動、売春防止法獲得運動など、公娼制度を廃止する「廃娼運動」に邁進する。娼妓取締規則の第1条を削除すること。「この一つに自分は生涯をかけた」と、久布白は晩年に回顧した。

2・白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫(新潮社、1997年)
 白洲正子は作家。実業家白洲次郎の妻というよりも、陶器や芸術品を愛し、花を活け、能を舞う、「美の目利き」である。青山二郎には、「韋駄天お正」と呼ばれた。これは白洲が69歳の時、扇、染織、石積み、陶芸、砥石、一位傘、黄楊の櫛、刺青などの作家、職人、工藝家を訪ねて、その名人たちの仕事ぶりを追ったもの。日本の伝統的な手仕事が、今日いかに継承されているかがうかがえる。各種作品のカラー写真も艶やかだ。

3・千葉敦子『よく死ぬことは、よく生きることだ』文春文庫(文芸春秋、1990年)
 
千葉敦子はジャーナリスト。乳がんを発病し、3回の再発。『乳がんなんかに負けられない』、『ニューヨークでがんと生きる』など、自らの闘病生活と医療現場を見つめる。悲壮な生活というより、ニューヨークで多くの友人、知人に囲まれながら、しなやかに仕事と闘病を両立させる。「「一日ずつを生きる」ことを信条にしている。その日一日をフルに生きることだけに精力を使っている」と語り、1987年に千葉は逝った。

4・米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮文庫(新潮社、1998年)
 米原万理は同時通訳者。ロシア語同時通訳の第一人者でありながら、しかも一級の文章力まで兼ね備えている。一瞬の間で、語学力、知識、度胸を示す同時通訳の仕事ぶりを、楽しく解剖してくれる。シュワルナーゼ外相の辞任演説を、実態と名文調の二種類に通訳したものは圧巻。書名は、通訳の際、未熟な原文であっても忠実に行うか、意訳であっても訳文の正確さを重視するのか、通訳者の葛藤を一言で示したもの。誤解のないように。

5・石坂啓『赤ちゃんが来た』朝日文庫(朝日新聞社、1996年)
 石坂啓は漫画家。妊娠、出産から、息子が1歳9ヶ月になるまでを、イラスト入りで語った内容である。「ぐにゃぐにゃの赤ん坊」に「リクオ」という名前がつき、「大ママ」(祖母)、「チーママ」(叔母)に育てられ、立って歩き、保育園に通う。自分の心身の微妙な変化とこどもの成長ぶりを、正確に、しかもユーモラスに描く。成長するリクオの表情と動きがいい。むかし息子が水色で、タオル地のよだれかけを使っていたこと思い出した。

宗澤 拓郎

1.立花隆『21世紀 知の挑戦』(文芸春秋、2000年)
 
「21世紀若者たちへのメッセージ」から読んで下さい。
2.豊田章一郎『「魅力ある日本」の創造』(東洋経済新報社、1996年)

3.出井伸之『混迷の時代に ネットワ−ク社会の遠心力・求心力』(ワック、2000年)
4.森谷正規『アメリカと違う日本のIT革命』(毎日新聞社、2000年) 

5.尾身幸次『科学技術立国論―科学技術基本法解説』(読売新聞社、1996年)

6.リッチ・ティアリンク、リー・オズリー『ハーレーダビッドソン経営再生への道―トップダウンから全員参加型経営へ』(翔泳社、2001年)

矢口 裕子

1.水田宗子『ヒロインからヒーローへ―女性の自我と表現(新版)』(田畑書店、1992年)
 アメリカ文学にしろフェミニズムにしろ、日本人の書くものは欧米(本場?)の最新の流行を口移しに伝えたり、チャート式に整理整頓して講釈したり、リアリティないなぁと思っていたわたしの眼からうろこを落としてくれた一冊。日本フェミニズム文学批評の嚆矢といえるでしょう。

2.舌津智之『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(晶文社、2002年)
 気鋭のアメリカ文学者である著者が、松本隆の手になる歌謡曲の歌詞に自らのジェンダー的齟齬・異和感を慰謝され励まされた軟弱な過去を告白しつつ語る、日本ジェンダー批評研究最新の成果。

3.アナイス・ニン『アナイス・ニンの日記 1931〜34-ヘンリー・ミラーとパリで』ちくま文庫(筑摩書房、1991年)
         『ヘンリー&ジューン』角川文庫(角川書店、1990年)
         『アナイス・ニン コレクション 1〜5+別巻』(鳥影社、1993-1997年)
 わたしがこの業界に足を踏み入れるきっかけをつくった罪つくりな人、アナイス・ニンの今年は生誕100年にあたる。今こそ再読・再評価が望まれる作家。「女として書く」という彼女のことばの意味は何か?

新潟国際情報大学 情報センター(図書館)