2001年度版


 本を読みながら、涙が出たり、怒ってみたり、悲しんだり、感動したり、本を読むのは楽しいものですね。自分の学習や仕事に関係する本を買うのは勿論ですが、専門外の本を読むことにより、知らずにいたことを知り、自分の世界が広く大きくなったと思う事が少なくありません。私は、小説は勿論の事、政治、経済、法律、社会全般、福祉などに関連する本を買い求め、時々、参考となる文字や文章をノートに書きとめておきます。その中の幾つかは、私の人生の中で大きな示唆を与えてくれました。読書はきっと学生諸君の人生を豊かなものとすることでしょう。

新潟国際情報大学 学長 武藤 輝一


情報文化学科 情報システム学科
臼井 陽一郎
安達 巧
越智 敏夫
市川 照久
熊谷 卓 小宮山 智志
佐々木 寛
近藤 進
澤口 晋一 永井 武
原口 武彦 樋口 光明
広瀬 貞三  
プラーソル・アレクサンドル  

安達 巧

グロービス・マネジメント・インスティテュ ート著『MBAクリティカル・シンキング』 (ダイヤモンド社、2001年)
 ビジネスにおけるコミュニケーション力とは、相手を論理的に説得する能力である。論理的に説得できない限り、担当者はおろか、その企業までもが信頼を失い、ビジネスを継続して貰うことは難しい。ビジネス・フィールドの広がり(一層の国際化)が顕著となっている今日では、全てのビジネスマンが昨日の成功体験が通用しないことに気付いて軽率な一般化を避けることが肝要なのであり、論理的思考力を働かせて相手を論理的に説得することでしか、ビジネスマンは(のみならず企業も)本当の意味での競争力を持てない時代となっている。
 だが、多くの日本人ビジネスマンは、未だに相手を論理的に説得する能力に欠け、相手の論理を理解することができない。おまけに、「クリティカル・シンキング」が重要であることの認識すら抱けずにいる。私は、日本を代表する大企業の管理職と議論をすることも多いが、彼らの論理的思考能力の余りの低さに「こりゃー、ダメだ」と嘆かわしくなることが多々ある。
 学生諸君の多くは、卒業後にはビジネスマンになる。思考力は急速には高まらないのだから、早い時期から訓練をする必要がある。『MBAクリティカル・シンキング』は、思考についての意識を高め、より良い思考へのベースとなる好著であると確信する。


市川 照久

荒木昌子・向後千春・筒井洋一共著『自己表現力の教室』(情報センター出版局、2000年)
 「話し方、書き方」の基本を学ぶための参考図書であり、多くの大学で教科書として使われている本である。

浦昭二・市川照久共編著『情報の処理と活用』(サイエンス社、2001年)
 情報への感性を養うために、「情報をいかに集め、整理し、分析し、活用するか」を広く浅くまとめた本であり、断片的に学んだ知識を集大成するのによい図書である。


臼井 陽一郎

マルティン・ハイデッガー、川原栄峰訳『形而上学入門』(平凡社、1994年)
 思索の本質がここに結晶しています。

宮田光雄『ボンヘッファーを読む:反ナチ抵抗者の生涯と思想』(岩波書店、1995年)
 思索者の壮絶さがここに読み込まれています。

ゲオルグ・ジンメル、清水幾太郎訳『社会学の根本問題:個人と社会』(岩波書店、1979年)
 社会の学の美しさにここで出会えます。

マックス・ウェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房、1972年)
 社会の学の壮大さがここに彫り込まれています。

ドストエフスキー、原卓也訳『カラマーゾフの兄弟上・中・下』(新潮社、1978年)
 人間のもつ美しさ・醜さ・凄さがここに鏤められています。

三浦綾子『道ありき 青春編』新潮文庫(新潮社、1980年)
 100%透明な恋愛物語で、キリスト教の大切で美しい部分に出会えます。

カズオ・イシグロ『日の名残り』ハヤカワepi文庫(早川書房 、2001年)
 セピア色の恋愛物語で、英国社会の未だに残る‘昔’に触れられます。

カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』ハヤカワepi文庫(早川書房 、2001年
 幻想的に描かれた人間模様を通じて、‘終戦直後の長崎’と‘英国の今の日常’を旅することができます。

三浦綾子『海嶺』上・中・下角川文庫(角川書店、1986年)
 江戸の人間の凄すぎる強さと日本の悲しすぎる閉鎖性が、凝縮しています。

志賀直哉『暗夜行路』新潮文庫(新潮社、1990年)
 原稿用紙の上の、美しすぎる景観描写、ただそれだけですが。

中丸明『ハプスブルク一千年』新潮文庫(新潮社、2001年)
 これだったら読めるだろう、欧州史!

カミュ『ペスト』新潮文庫(新潮社、1983年)
 「結局」と、淡々たる調子で、タルーはいった。「僕が心をひかれるのは、どうすれば聖 者になれるかという問題だ」 「だって、君は神を信じてないんだろう」 「だからさ。 人は神によらずして聖者になりうるか――これが、こんにち僕の知っている唯一の具体的 な問題だ」あえてボキャブラリーのなさを隠さず書きます、かっこいい人間がかっこよく描かれてま す。

神谷美恵子『神谷美恵子日記』角川文庫(角川書店、2002年)
 この人に恋愛感情を抱いてしまった自分の醜さに恥ずかしさすら感じないほど、自分の心 を透明にしてくれる何かが、文字の一つ一つから感じられます。

越智 敏夫

ハリー・クレッシング、一ノ瀬直二訳『料理人』ハヤカワ文庫NV(早川書房、1972年)
 「面白さだけで勝負」その1。時代も場所もわからない。おそらくは西欧のどこか。その小さな街に自転車に乗ってやってきた一人の料理人の話。包丁一本さらしに巻いて、何をするかと思えば味だけで町を完全に支配する。単純なピカレスク・ロマンでもないし、お気楽なブラック・ジョークでもない。ど阿呆なグルメ番組などは百億光年の彼方。ストーリーテリングの妙の極致。これを面白いと思わずして、人生、何が楽しいのか(反語)。一ノ瀬直二の名訳も光る。ついでにいうと著者自身も謎のまま。ちょっと恐い。

ジェイムズ・P・ホーガン、池央耿訳『星を継ぐもの』創元SF文庫(東京創元社、1980年)
 「面白さだけで勝負」その2。「ハードSF」ってなんだと思う人はすぐこれを。話のすじは滅茶苦茶だし、発想もとんでもない。登場人物は意味もなく消えてゆく。細部も変。にもかかわらず、その話のどまんなかには巌のようなSF魂が。どうして私たち人間はこういう世界に生きているのか。その問いに真正面から答えようという鋼鉄の意思。アイディア一発勝負、何が悪い。センス・オブ・ワンダー無くして、何の人生か(反語)。映画化不可能の超大作。続編あり。

ジョセフィン・テイ、小泉喜美子訳『時の娘』ハヤカワ・ミステリ文庫(早川書房、1977年)
 「面白さだけで勝負」その3。俗に言う安楽椅子探偵もの。足を骨折して入院中の刑事が追うただひとつの謎――リチャード三世は本当はどんな人間だったのか。その意味で犯人はウィリアム・シェイクスピアだと言えるだろう。渉猟し尽くした歴史資料をベッドのまわりにぶちまけつつ、リチャードの実像に迫る。本当に彼はみずからの甥をロンドン塔で殺してまで王になろうとした狂気の殺人鬼だったのか。それを主人公とともに探る興奮。好奇心無くして、何の人生か(反語)。たまにはだまされる根性も必要だ。

アルフレッド・ベスター、中田耕治訳『虎よ、虎よ』ハヤカワ文庫SF(早川書房、1978年)
 「面白さだけで勝負」その4。原著は1956年発刊。その時代にこんなパンクスがいたなんて。それから20年後、私が初めてこの本を読んだとき、街中にピストルズの"Anarchy in the U.K."ばかりが流れておった。これは偶然ではあるまい。SF史上、燦然と輝く作品ではあるが、やはりこれは「生き様」と「憤怒」と「破壊」の書。それで面白いんだからたいしたものである。これを読んでも制限速度を守って車を転がす奴を俺は好かん。怒りの衝動を忘れて、何の人生か(反語)。でも皆さん、安全運転でね。けっ。

丸山眞男『現代政治の思想と行動(増補版)』(未来社、1964年)
 「面白さだけで勝負」その5。「やっぱりこれっすか」という声も聞こえるが、それは無視。政治と人間についての理解で本書(特に第三部)を越えるものはそれほど多くはあるまい。少なくとも私は本書を読んで政治について考える面白さを知った。確かにいろいろ問題のある書ではある。しかし今後、これも読まずに政治学者になる奴が増えてきそうだが、そういう人を私は基本的に信用しません。自分は「中立」だなどと信じている自己欺瞞野郎は去れ。ポリシー持たずして、何の人生か(反語)。仲良きことは愚である。あ、「追記および補注」も忘れずに読むように。


熊谷 卓

尾高朝雄『法の究極に在るもの(新版)』(有斐閣、1997年〔復刻版〕)
 本書は、国内法および国際法の本質および理念について叙述するものである。その際、法と経済、法と政治の関係についても触れられている。新版といっても1965年に発行されており、その意味では法哲学分野の著作の古典であるが、本書において書かれていることは法を取り巻く今の状況を検討するとき、有用な分析視覚を与えてくれると思う。

妹尾河童『河童が覗いたインド』(新潮文庫、1985年)
 作家、随筆家として活躍するのみならず、もともと舞台芸術家としての職歴を有する著者による「河童が覗いた…」シリーズ(熊谷が便宜上こう呼んでいます)の1つが本書である。著者は1978年および1983年の2度、通算して3ヶ月の間、インドを訪れた際の出来事について記述する。少なくとも2頁ごとに現れる著者自身のイラスト、特に宿泊したホテルの部屋に関する細密イラストを目にしつつ、本書を読み進んでいくといつも「はやくインドに行ってみたい」という気が湧き出てくる。

畑正憲『どんべえ物語−ヒグマと2人のイノシシ』(角川文庫、1976年)
 同 『さよならどんべえ』(角川文庫、1981年)

 ここ
10年ぐらいは、畑正憲というよりもむしろ「ムツゴロウ」と呼ばれることが多く、その上、やたらと動物とじゃれ合っている(かみついたり、抱きついたり)映像が流されていたため、相当変わった老人なのではないかという印象を世間の人々に持たれているであろう著者による2つの作品である。この2冊は、著者が、エゾヒグマを飼ってみたいという念願から、エゾヒグマの雌「どんべい」を譲り受け、北海道東部の小さな島で育てた年月の生活を記したものである。本書では、どんべいを育てるに際しての日々の格闘について詳細に既述されているともに、著者の妻や娘のこと、当時の北海道(道東地域)の事情も触れられている。そもそも著者は「どんべい」を育てるために本州から北海道に移住し、以後、数多くの動物と暮らすことになる。しかし、本書を読むと、同氏が最も愛情を注いだのは「どんべい」ではなかったかと思われてくる。


小宮山 智志

夢枕獏『陰陽師』文春文庫(文藝春秋、1991年)
 今年の春にNHKでドラマ化され、今秋には映画化され、そして随分前からコミック化されているものの原作です。この話の“呪”の考え方は、私の専門の社会学と大変関連があります。「ものの根本的な在様を縛るというのは、名だぞ」(第1巻31ページ2行目)「人はな、この天地の間に在るものを理解していくのに、呪をもってするということだ」(付喪神の巻204ページ7〜8行目)
 私の今年度の「情報文化」または昨年度・今年度の情報システム演習3の「基本的数学モデル」とそっくりでしょう? こんな会話が、夜毎、安倍清明と源博雅の間で酒を組み交わしながら繰り広げられます。こんな風に講義できるといいのだけれど。

小林淳一・木村邦博『数理の発想でみる社会』(ナカニシヤ出版、1997年)
 我々は“当たり前・常識”(=呪い、そして“吉田民人”の“プログラム”の一種)に縛られ、ものを見、行動しています(男だから・女だから・新潟国際情報大学生だから...)。いったいどんな仮定(呪い)に縛られているとどのような結末が予想されるのか? その仮定を少し変化させると結末はどのように変わるのか? これらの問いについて数学を使って答えようとしているのが、この本です。たくさんの人々が大変複雑に互いに影響しあって(呪い・呪われて)いる状況について考えるのは大変難しいことですが、数学を使うとスッキリ見えてくることがあります。そんな面白さが味わえる本です。
 この本を読みと難しいと感じた方は、以下の4.5.の2冊からまず読むことをオススメします(講義・演習等で何度か、お勧めした本です)。

チャールズ・A・レイブ,ジェームズ・G・マーチ(佐藤嘉倫[ほか]訳)『社会科学のためのモデル入門』(ハーベスト社、1991年)
 「大学時代には10冊しか本を読んではいけない」というルールがあってもぜひオススメしたい一冊。まず読もう。

小林淳一/木村邦博編『考える社会学』(ミネルヴァ書房、1991年)
 『社会科学のためのモデル入門』の次に読もう。これを読んだらいよいよ『数理の発想でみる社会』にチャレンジしよう。

最後にもう一冊...
真木悠介『気流の鳴る音 : 交響するコミューン』ちくま文庫(筑摩書房、1986)
 「情報文化」でご紹介した本です。私は浪人生のころに読み、大変感動しました。自分の常識の「世界」を飛び出す勇気を与えてくれる本です。(飛び出せるかはわかりませんが)
 『陰陽師』の次に読むとおもしろさがわかりやすいかもしれません。浦沢直樹(画)勝鹿北星(作)『MASTERキートン』小学館BC全18巻をイッキに読みとおした後に続けて読めばさらに感動(陶酔?!)できるかも?


近藤 進

立花隆 東大教養部立花ゼミ『二十歳の頃』(はたちのころ) (新潮社、1998年)
 著名人から一般の方まで、二十歳の頃何を考え何をしていたかを、インタビュー形式でまとめたもの。一人づつ短編になっており、どこから(だれから)でも読むとができる。時代背景や、立場・状況のが異なる方々が、一番エネルギーのある頃、どのように青春時代を過ごしたか、いろいろな答えがあっておもしろい。若い方々の参考になるのではないかと思います。


佐々木 寛

ジョージ・オーウェル、新庄哲夫訳『一九八四年』ハヤカワ文庫(早川書房、1972年)
 本書はオーウェルの代表作の一つで、彼が1948年に、下2桁の年号をひっくり返して1984年の近未来を描いたもの。もちろん、1984年はとっくに過ぎてしまったのだが、本書を読むたびにそれはまさに今われわれが生きようとしている世界そのものを描いていることに気がつく。読後の虚脱感から再出発できるかどうかが、この時代に生まれてしまったわれわれに問われている。

オルダス・ハクスリー、村松達雄訳『すばらしい新世界』講談社文庫(講談社、1974年)
 これも逆説的な「すばらしい世界」を描いたアンチ・ユートピア小説の代表的なもの。人間が人間を製造・管理する時代に生きなければならない現代人の必読文献。読み返すと、かつてより不気味なまでに現代文明のゆくえを描写していることに気がつく。ミシェル・フーコーの『知への意思 性の歴史T』とならんで、生命そのものの管理・支配を問題にした「生命政治学」への第一級の入門書。

丸山眞男「現代における人間と政治」(『現代政治の思想と行動』未来社、1964年収録)
 数多くある著作の中からあえて、論文ひとつ。これも何度読んでも古びないテクスト。タイトルの通り、「現代における人間と政治」の宿命的ともいえる構造を、冷静かつ熱のこもった文章で明らかにしてゆく。「社会科学」とは本来どのようであるべきかを示すともいえるみごとな文章。氏の分析枠組みは、「グローバル化」がキーワードになった現在の世界政治においてこそ、さらに輝きを増している。

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ 松本妙子訳『チェルノブイリの祈り』(岩波書店、1998年)
 まず、著者が向けようとする視線のあり方に読者は驚きと感銘を受ける。本書は、1986年のチェルノブイリ原発事故で家族を失い、被曝した地域住民一人一人の肉声である。ひとつのできごとの背後に埋もれてしまう「小さきひとびと」の声。長い期間をかけて彼らの肉声を聴き遂げようとする著者のような行為によってしか、現代世界の実像は浮かび上がってこない。

ウルリッヒ・ベック、東廉・伊藤美登里訳『危険社会』(法政大学出版局、1988年)
 「専門書」なので少々難解かもしれないが、現代社会学の到達点ともいえるベックの代表作。読みごたえあり。チェルノブイリ原発事故のインパクトから執筆された本書は、現代を産業社会から「危険社会」への移行過程ととらえる。われわれの日常生活や現代社会に生起するあらゆる問題が論じられ、社会学の醍醐味を味わうことができる。本書も、ただ単に学問のための学問ではない、生きるための学問を提示しているといえる。


澤口 晋一

植村直己著『青春を山に賭けて』文春文庫(文藝春秋、1977年)
 奇想天外・痛快無比.日本が生んだ不世出の登山家・冒険家である植村さん青春の記.ザックの中にテントと寝袋とこれ1冊持って言葉も通じないどこかへ一人で行ってしまいたくなるから不思議.飾り気の全くない朴訥とした文章が居ても立ってもいられなくなるような感動を呼び起こす..植村さん最初の書.読んでくれ!!

本多勝一著『カナダ=エスキモー』朝日文庫(朝日新聞社、1981年)
 世界で最も単調な環境に生活するカナダ=エスキモーとの生活のルポルタージュ.われわれ日本人と同じモンゴロイドでありながら最もかけ離れた生活をする人々と寝食をともにしながらエスキモーという知られざる人々の食生活から習慣・価値観など多方面にわたって明らかにしたもの.本多節ともいうべき明快かつ迫力ある文章によってわれわれは知らず知らずのうちにカナダ=エスキモーとの生活へ引きずり込まれていく.「さあ大変だ.私はイスマタの一口分の,三分の一くらいを手にする.ねずみ色の,ヌルヌルの,ドロドロの,細長い物体.もう泣きっつらだ.思いきって口に投げ込んだ瞬間,表現不可能な味を全身に感じた.強烈な生臭さと,にがみ.さらに糞の臭い.それらがいっしょくたになって「味」などというものではない.どうしてものみこむことができず,はきだした.エスキモーたちは腹をかかえて大笑い.イスマタはウドンでも食うようにどんどん腸を食いつづける」.これを読んで,やっぱりエスキモーは野蛮だ,残酷だと感じた人は,この本を是非読んでみるべきだろう.「野蛮」「残酷」さらには「文化」といった言葉の真の意味を我々は何と誤解していることか!

西村三郎著『チャレンジャー号探検 ―近代海洋学の幕開け―』中公新書(中央公論社、1992年)
 19世紀中葉,当時まったく未知の領域であった深海を探るべく3年の年月を費やして世界の海を巡ったイギリスの科学探検船「チャレンジャー号」.この探検によって海全体とくに生物の様相が初めて明らかとなった.深海を探るという難題に立ち向かった乗組員たちの自然との戦いと難題を解決するための数々のアイデア.そして初めて明らかとなる深海生物たち.やや細かい話もあるが物語的なタッチで一気に読ませる.こういう本もたまにはいかが.

田口洋美著『越後三面山人記-マタギの自然観に習う-』農文協人間選書(農山漁村文化協会、2001年)
 三面は羽越地方を代表するマタギ集落であったが,1985年9月に三面ダム建設に伴なってその長い歴史を閉じた村である.著者の田口さんは,三面閉村が決まった翌1982年から閉村までの4年間この村に入り,人々と生活を共にしながら村の四季の暮らしを丹念に記録した.「山が好きだ.」という一文から始まる文章は全編通じて,三面の風景や人々の生活が眼に浮かぶようで実に味わい深い.消えゆく日本の山村の民俗文化を後に伝える貴重な書であるだけでなく民俗学的研究書としても第一級だと確信する.国際化・情報化も確かに大事だが,ここに書かれてあるような何百年,いや何千年と伝えられてきた足元の伝統・文化をすっかり捨て去り忘れ去って,いったいわれわれ日本人は何を目指して何処へ行こうとしているのか.新潟で生まれ育った諸君に是非読んでもらいたい1冊.

上田誠也『新しい地球観』岩波新書(岩波書店、1998年)
平朝彦『日本列島の誕生』岩波新書(岩波書店、1990年)
 この2冊.まずは「新しい地球観」.そして「日本列島の誕生」と読んでほしい.基礎的知識がない人にはちょっと難しいかもしれない.しかし,この2冊を読むことによって地球とその一部である日本列島というもののカラクリの概要を理解することができる.とにかく地球科学のスケールの大きさとその謎解きの面白さに必ずや引きこまれる,だろう….


永井 武

脇英世ポスト・ゲイツの覇者』(講談社、2001)
 IT産業界の英雄ともいうべき人々を物語風に描写している。読者がたびたび耳にする会社名、たまに使用するソフト名、ときどき目にする人名が整理され書かれているので、知らず知らずのうちにIT業界通になれる。
 成長のピークを過ぎたマイクロソフトのビルゲイツ技術担当役員(CTO)が、次のビジネスチャンスとして目をつけている技術はドコモのIモードであることを説得力をもって語られているのを読むだけでも一読の価値はある。


原口 武彦

原口武彦著『アビジャン日誌−西アフリカとの対話ー(アジア経済研究所、1985年)
 書いた本人がすすめているのだから、まちがいないというのは冗談だが、あなたのそばにうろうろしている人間が書いたものを読んでみるというのもそれなりのおもしろさがあるとおもいます。この小冊子は私が1982年から84年まで西アフリカのコートジボワールのアビジャン市に滞在していたとき、日本の『月刊アフリカ』という雑誌に毎月書き送っていた「便り」をまとめたものです。日本から遠い西アフリカの地に住んで、右往左往する原口先生の姿がおもしろおかしく書いてあります。一日本人の異文化体験の事例としてもあなたの参考になるのいではないでしょうか。


樋口 光明

藤本義一『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』(河出書房新社、2001年)
 没後38年にもなる川島雄三という映画監督については、若い人は馴染みがないだろう。また、「幕末太陽傳(1957年日活)」以外は語られることも少ない。学生時代から彼の下でシナリオを書いていた作家の藤本義一が川島の破天荒な生き方を、小説、エッセイ、講演、対談等で浮き彫りにする。藤本が一緒に書いたシナリオ「貸間あり(1959年東京映画)」も収録されているが、原作者の井伏鱒二が激怒したほど変な映画だった。しかし、この本は映画よりずっと面白い。


広瀬 貞三

上野英信『地の底の笑い話』岩波新書(岩波書店、1967年)

 子供の頃、毎年夏休みは有明海を渡り、父の実家がある長崎県島原市に行った。西鉄大牟田駅から三池港に向かうバスは、三池炭坑の繁華街を抜け、炭住の軒先を曲がり、そびえたつボタ山を見上げる。元坑夫の上野英信は、生涯筑豊から離れなかった。炭坑労働者の「笑い話」は体験に裏打ちされ、時には労働の苦渋から解放してくれる「武器」でもあった。炭坑労働者の深い精神世界を、漆黒の闇から生まれた「笑い話」が語ってくれる。

田宮俊作『田宮模型の仕事』文春文庫(文藝春秋、2000年)
 小遣いをためて、プラモデルを買うのが楽しみだった。プラカラーで色を塗り、最後に「TMIYA」のシールを貼ると完成だ。息子のためにミニ四駆を買ったこともある。この本を読んで、「タミヤ」がその製品作りにどれだけ心血を注いできたか初めて知った。ソ連戦車を見るためイスラエルへ飛び、パットン博物館では零下7度の野外で撮影し、本物のポルシェを分解する。徹底した調査と、細部まで正確に復元する仕事ぶりに驚嘆した。

笠原和夫『仁義なき戦い』幻冬舎アウトロー文庫(幻冬舎、1998年)
 高校2年の冬、東映映画『仁義なき戦い』を見た。闇市で梅宮辰夫が伊吹吾郎の左腕を刀でぶった切る場面に度肝を抜かれた。以降、続編が封切られるたびに、久留米にバイクで見に行く。この本には脚本家笠原和夫が書いた4部作のシナリオが全て盛り込まれている。人間に対する限りない尊敬と蔑視の混在。広島弁のセリフが輝いており、登場人物の個性がきわ立っている。ここには書けない下品な言葉の数々も、その魅力の一つだ。

辻静雄『フランス料理の手帖』新潮文庫(新潮社、1978年)
 大学に入って最初のアルバイトが、神楽坂にある某フランス料理店の皿洗いだった。客が残したコンソメスープ、メロンジュースを初めて飲み、エスカルゴの切れはしを口に入れた。辻静雄は「あべの辻調理専門学校」の校長を勤め、日本にフランス料理を導入し、定着させる一方、西洋に日本料理を紹介した人物。「料理の鉄人」ではなく、「料理の神様」といえる。生涯、「本物」を追求した人の文章は、精練され、しかも軽やかである。

竹田米吉『職人』中公文庫(中央公論社、1991年)
 某建設会社の社史を3年半ほど執筆した。数多くのOBから聞き取りをし、活字におこした。モッコ担ぎからダンプ・トラックまで、一代で経験した世代である。竹田米吉は明治22年大工の子として生まれ、落語の八つあん、熊さんが出てくるような中で仕事を覚える。印半纏を着たまま工手学校で学び、現場暮らしからたたき上げ、後に建築家となる。実体験を通して技術を会得していく過程を、「職人」みずから端正に描いた好著。


プラーソル・アレクサンドル

ミハイル・ブルガーコフ著、法木綾子訳『巨匠とマルガリータ上・下』(群像社、2000年)
 (上)モスクワの公園でかわされる無神論談義が文学界のボスの首をチョン斬る様相になるかと思いきや、あやしい黒魔術の教授の話はにわかに二千年の時を超え、総督ピラトと囚人イエスの対話をたぐりよせる。禁書として読みつがれ、世界の注目を集めた二十世紀を代表する傑作。
 (下)悪魔の誘いにのって愛する巨匠を救うために魔女となってモスクワの空を飛ぶマルガリータ。混乱をきわめたモスクワではついに当局が動き出したが、<悪魔御一行>の活躍はおとろえない。20世紀の三大傑作、ついにフィナーレへ!
群像社の解説より
 
              
チンギス・アイトマートフ著、佐藤祥子訳『処刑台』(群像社、1988年)
 カザフの原野で暗躍する麻薬組織と破門された神学生の格闘。破壊的な現代人から逃れ行く一組の狼の姿を通して精神の危機に警鐘を鳴らした長編ドラマ。
群像社の解説より


アンドレイ・プラトーノフ著、亀山郁夫訳『土台穴』(国書刊行会、1997年)
 「土台穴」はソビエト文学の中でもっとも奇怪な作品のひとつだ」(パブロフスキー)、「プラトーノフは翻訳不可能だ」(ブローツキー)といった評価にも示されているように「土台穴」テキストの奇妙さ、難解さは彼のほかの作品と比べても群を抜いている。同士と福祉の自制上の不一致、意識的な?回表現、異常に多用される「今」と「すでに」、同語反復、主体と客体の転倒。長編小説と短編小説の文体の混在。俗語のおびただしい使用。この小説はまた、ジャンルの点から見ても見極めの難しい作品である。風刺小説、哲学小説、文体破壊の手法によるリアリズム小説、あるいはグロテスクな戯画小説、しかも、ほとんど聖書の詩篇にも通じる叙情的逸脱が混入することもある。多ジャンル、多言語がひしめきあうポリフォニー小説といった言い方もあるいは可能かもしれない。
亀山郁夫(訳者)のコメント


新潟国際情報大学 情報センター(図書館)